ほなさんの汗かき日記

かくれ肥満の解消に50歳を超えてはじめた健康徒歩ゴルフ。登場する個人名、会社名、内容はフィクションである。

ほなさんの終活探し(7)

2022年02月21日 | 日記
高齢者や介護の手を必要とするようになると
まっさきにいろいろな道具=福祉用具などが
必要になってきます。

おぼつかない足元を助ける杖であったり、手
すりであったりしますが、こういう新たな道
具は、これまで使ったことのないものですか
ら、多くの高齢者はできれば使いたくものと
して遠ざけたがります。
喜んで使う方はほんの一部の方にとどまる
傾向があるようです。

しかし家という住宅をとってみても、これま
で住んできた家は、楽に子育てするための造
りであり、高齢者に合わせた規格ではありま
せん。あくまで子供と若い住人のためのもの
となっていることを忘れてはいけません。

高齢者という名の時代を過ごすための準備を
しなければならないのに、その想定すらしな
いできたのです。今後30年以内に数十パーセ
ントの確立で起こる「南海トラフ」や「首都
直下型地震」などの災害より、60歳を超え
ればはるかに確実に起こる「障害」です。

であるのになぜか私たちは想像という準備す
らしません。皆に起こる災害の準備をしても
わが身に100%起こる高齢化による「障害」
は想定しないのです。

本当に不思議な話ですね。

ほなさんの終活探し(6)

2022年02月06日 | 日記
家族団らんの中では、ひとつだけ「ルール」が
決めてありました。

死にゆく人は、産まれて初めての死を経験する
ことになり、そのことへ不安でいっぱいだろう
から、
「本人が不安になるようなことは口にしない」
ということを、子供たちにも守ってもらいまし
た。
これ以外は何をしても言ってもOKだよ、と。
そして、
「これまでありがとう」
「母さんのおかげで良かったよ、助かったよ。」
は何度言ってもいいからね、と。

考えてみて下さい、人生に終わりを告げて旅立つ
人にも「未来」があるのです。人生で初めての経
験をするわけです、誰だって不安になるでしょう。
まだ死んでもいないのに、横で葬儀の段どりをし
たりとかは考えられせん。

旅立つ人が穏やかな心で居られるよう、
「心配する事なんかないよ」
「大丈夫だよ」
「母さんありがとう」
と家族の手元から送り出したかったのです。

ほなさんの終活探し(5)

2022年02月06日 | 日記
「口から食べて下から出す」
これが生活の基本とほなさんは考えています。
本格的に食べれなくなったら、お迎えがきたと考
えています。

誤嚥性肺炎などにより口から食べれないと、「胃
ろう」などの医学的処置を一時的にして、その後
また元の生活を取り戻された人もおられますから、
一概に医療的措置を否定できませんが、ほなさん
個人の終末期における意見は、
「医療的措置は基本何もせず、枯れていきたい」
ということです。

ほなさんの母(98歳)の場合、
3日前まで起きて車椅子の生活でした。
車いす上でほとんど眠っていることが多くなり、や
がて起きておられなくなり床につきました。

十数年前の父親は寝たり起きたりの生活が3か月ほ
ど続き、本人の希望で最後の3日間点滴を打ちまし
た。それでも枕元にはゴムの筋肉を鍛える道具があ
りましたから、動けなくて寝たきりでじっとしてい
たのではありません。

母の場合、息はぜーぜーと今にも死にそうでしたが、
家族が傍にいると、安心するのか安らかな息使いに
変わります。緑内障が進んだため目は見えなくなっ
ていましたが、声や雰囲気で家族と他人の区別が明
確にできていました。
子や孫たちが集まってくると、耳を澄まして話を聞
いているようでしたし、呼びかけるとその方に顔を
向け、話をじっと聞いていました。

6-7人の家族団らんのワイワイ、ガヤガヤした茶の
間の雰囲気が母のベッドの周りにそのまま再現され
それぞれの家族の話題に花が咲きました。厳かな雰
囲気にほど遠い、市井の井戸端会議そのものです。
コロナ禍のために息を引き取る「その時」には立ち
会うことはできませんしたが、ほとんどその直前ま
で家族の団らんを楽しむことができました。