ほなさんの汗かき日記

かくれ肥満の解消に50歳を超えてはじめた健康徒歩ゴルフ。登場する個人名、会社名、内容はフィクションである。

再録「汗かき日記」第三部(中)

2010年11月10日 | 日記
(「ほなさんの汗かき日記」のアメブロに載せた
 ものを再録)

       戦い終えて

 駈けずり回ったおかげで、日除けに被っていた帽子の半分
ほどまで汗がしみこんで色が変わっていた。気持ちの良いそ
よ風がプレーの間に何度も体の隅々を流れていったけれど、
乾く間もなく皮膚という皮膚が潤って、18ホール終わった時
は池に落ちた野鼠の様だった。

 セルフデーの早朝ゲームだったということからか、クラブ
ハウスはキャディさんも居ない、少数のスタッフだけの閑散
としたたたずまいだった。夏の日差しを浴びたクラブハウス
の中は、陰影がさらに濃くなった分、オーシャンビューのリ
ゾート地さながらに、ゆったりした時間が流れていた。ほっ
として、ベットがあればそのまま眠ってしまいそうな、塩と
新緑の香りに包まれていた。

 K師匠にお礼を言って、放心状態のまま家路についた。
バックミラーには、K師匠の車が猛スピードで去っていくの
が見えた。この受難の地から一刻も早く離れたいのだろう。
いや、この普通でない親子と一日を過ごした記憶を、一刻も
早く消し去りたいかのように。その異様な様を見ても、疲れ
きった二人は無口のままだった。アクセルを踏む足の感覚が
ないほどの疲労に、のろのろ運転が精一杯だったのだ。

 夜、ほなさんとその息子は、ビールの泡を飛ばしながら、
家族でただひとりの聴衆(妻であり母であり)に向かって、
交互に語りかけていた。それでも妻はいやな顔もせず、熱く
語る夫と息子の話を聞いていた。男というのはどこまでいっ
ても子供だとあきれつつも、家族で話に花が咲くことを喜ん
でいた。「コースがどんなに美しいか」「アップダウンの中
で、止まったボールを打つことがいかに困難か」と理解でき
ないことばかりだが、自分がK師匠を紹介しただけに家族が
躁状態でいてくれることは楽しく、今日の結果を素直に喜べ
たのだった。

 親子の会話はさらに続いて、「翌週の初コンペとは?」を
語る段になると、もう夜もとっぷりと暮れていた。バイパス
を走る車のタイヤの、遠くできしむ音が聴こえる。夏の夜は、
まどろみの中で朝を迎える準備をしていた。


       新緑の景色

 私の住む町は、万葉集にも歌われた山が市街地の真ん中に
せり出してきている。おかげで町の発展は遅れたらしいが、
春には山桜のピンク、夏は新緑の緑、秋は紅葉の赤と、あた
かもPCモニターの背景がかわるように移り変わっていく。な
にげに山を見たら、あまりの美しさに心を奪われ、遠回りし
てしまった経験は私だけでないだろう。この山にもいくつも
の神社とお寺がある。そのひとつが、私のホームドクターが
いる診療所の待合室からみえる。

 診療の順番待ちをしていると、ガラス越しに、神社のとり
わけ大きな石灯籠と長い石段が、そこだけ山の新緑を切り取
ってみえた。若葉の間をくぐってもれる陽射し、ひんやりと
した石畳が、離れたここまで感じられるほど静寂な空間だっ
た。

 持病の胆嚢が傷んでいるのは、自分でもわかっていた。き
まって夜の12時になると、胃のあたりがうーん、うーんと痛
むのだ。常備薬の胃薬が効かなくなって、もう2ヶ月目を迎え
ていた。脂汗が出て、かけている眼鏡に汗が水滴となってた
まることにも慣れ、時間さえたてば何事も無かったかのよう
に忘れてしまうが、その時ばかりは眠気と痛みにはさまれ、
クタクタになって朝方眠りにつく日々が続いた。

 そのうち週1、2度の痛みが、毎日起こる生活の一部になっ
て、夜中の12時から2時まで、判で押したような規則正しい痛
みがくるようになった。ホームドクターをお願いしてきた先代
の医者からも、「いずれ胆石が悪さ(わるさ)をするかもしれ
ないよ。」と教えられていた。十数年前、十二指腸潰瘍の検査
のおり、エコー写真の一点をドクターがずっと見ていたので、
何事かと思って尋ねた答えがそうだったのだ。


       マンションの悲劇

 老医師が亡くなった後、私のカルテは若先生に引き継がれた。
気さくな若先生は熱心さと育ちの好さを兼ね備え、地域診療を
旨とするホームドクターにはうってつけだと、患者たちから好
感を持って受け入れられた。

 私が呼ばれてドアを開けると、いつもと変わらぬ穏やかな表
情の若先生がいた。私が自覚症状を言うと、2、3質問をした
だけで、聴診器もカルテも手にしようとはしない。若先生の態
度をみて、やっぱりそうかと確信した。若先生は、病気の説明
したあとに、私がさてどういう行動に移るのか、それを図りか
ねているようだった。それで、私のほうから口にした。
「胆石なら切ったほうがいいんでしょう?先生のご判断に沿い
ますよ。」「ご紹介の病院はどちらですか?」と。方向は決ま
った。

 出かけに妻が、よく診てもらえと何度も口にしていたが、私
はどうもせっかちな性格だからそういうことにならない。痛み
の原因は胆石だから、「こういう時は切っちまえばいいんだ」
と、住んだこともない俄か仕立ての「江戸っ子ほなさん」が誕
生する。さらには、胆石の2,3個とってしまう手術など、チ
ョチョイのチョイで終わってしまうとね。

 先週あった初ゴルフコンペの成績で、はじめてスコアという
ものを目にした。「140」と書いてあった数字は、間違いなく
私の汗の結晶ではあっても、他人には言えない恥ずべき結果で
あった。「早く治して、練習せねば」という心の内なる叫びは
、胆石をも乗り越えた。

 さぁ手術だ。翌週、紹介された総合病院の門をくぐり、手術
のための検査をうけることにきまった。ところが、トントン拍
子に進む話についていけない女房は、心配が怒りとなって攻撃
開始。深夜、ここに座ってきちんと説明しなさいと女房は言い、
となりの部屋で正座して待機の姿。

これは経験上まずい、爆発寸前だ!
しかし、こういう時にかぎってうまく説明できないのだ。
そして、狭いマンション暮らしに逃げ場はなかった。

再録「汗かき日記」第三部(前)

2010年11月07日 | 日記
(「ほなさんの汗かき日記」のアメブロに載せた
 ものを再録)

    ほなさんの汗かき日記(第Ⅲ部)

 はじめてのゴルフ場デビューの日は、初夏の晴天というお
まけもあったが、ペットボトルの水やお茶、約2リットルは
呑んだに違いない。いきおいよく咽喉越しを通過した水は、
胃、十二指腸を流れおち、小腸まで到達する頃には、そのほ
とんどが吸収され、汗となって体外に出る作業を何度も繰り
返した。爽快な気分、このうえなしだ。

 普段はあまり動かないものだから、水分を少しでも取り過
ぎると腹にたまり、それがボテボテ、まったく気分が悪い。
飲んだ量をみなくても、腹をさすってやれば大方の検討がつ
くほどなのだ。それが、どうだろう、今日のお腹はどこまで
もぺちゃんこで、なおかつ爽快感まである。直径数センチの
小さな球を追いかけているうちに、暗黒の闇からひょっこり
抜け出た先には、輝く太陽と忘れていた世界があった。

 
        K師匠の受難

 われら初心者親子は、山岳コース特有のアップしダウンす
る繰り返しを、反復練習のごとく駆け上がり駆け下る、幾度
したか分らない。ホールからホールへはカートに乗らないと
迷子になるものだから乗るけれど、あとはずーーっと、ずー
っと徒歩のままだった。駆け上がりも駆け降りることも、本
当はあれほど必要なかったことなのだろう。でも残念ながら、
初心者の親子は、先達のK師匠の穏やかな目を剥かせ
「うっ!、、、、」
と唸らせる数々の迷シーンを作ってしまった。

 K師匠はルールも教えてあげるとスタート時に言った手前、
その律儀で温厚な人柄から、「ここはOB、ここはセーフ」と
判定してくれていた。それに甘えるがごとく、われら親子の
プレーは
「よくもまぁ、こんなところに。どうやったらできるの?」
と尻上がりの欽ちゃん言葉が出るほど、K師匠を悩ませたの
だ。

 コースと決められた場所以外に打ち出したボールを「OB」
といい、2打罰を付加して打ち直すというルールがある。そ
のためコースの端などに目印の白い杭が打ち込んであり、ボ
ールがその杭を越えるとOBとみなされる。だからOBとは、「
普通」に打ったら、ミスショットしてはいけない場所を指定
するもの。ところが、われら親子には、その普通ってものが
通用しない。
 とんでもないスゥイングで打ったボールは、はるか常識の
枠をこえて飛んで行った。OBという「ルールの想定外」の場
所に飛ぶものだから、アウトかセーフか問われれば、首をか
しげながら「セーフ」と言わざるをえないのだ。

 崖の下に落ちた息子のボールなど、誰がみてもOBに等しい
場所なのに、それがセーフになってしまう。こんなところに
打ち込む人などいないからだ。また悪いことに、どうみても
垂直に近い、70度はありそうな崖の真下から打ったボールが、
見事に一打でコースに戻ってしまったりするのだ。考えらな
い奇妙なスゥイングで、火事場のくそ力を出す初心者という
のは怖い。
 普通でないわれら親子のボールがコースアウトするたびに、
温厚で律儀なK師匠は、落下地点まで足を運んで判定してくれ
た。プレーヤーかつアンパイヤひとりで、野球をさばくよう
なものだから、広いコースを同じように動き回られねばなら
ない。しかも、前日まで風邪で熱を出して臥せっておられた
という。今日はかわいそうな受難の日になってしまった。

 そういうK師匠の嘆きをしりめに、こちらは初めてなんだか
ら、こんなものだろうとしか思っていないのだからなお始末が
悪い。はじめてで知らないものほど強いものはないのだ。人生
経験の長いK師匠は、こういう者達を相手に、勝つことができ
ないことを知っていた。
 こうなったら腹を決めて、出がけに近所の野良猫が、車の側
でニャーと鳴いた、あの猫がこの災いを招いたことにしてしま
おう。いや、昨夜の夢見がよくなかったせいだ、と。

再録「汗かき日記」第二部(後)

2010年11月07日 | 日記
(「ほなさんの汗かき日記」のアメブロに載せた
 ものを再録)

        謎のグリーン

 さらさらの砂を周りにしたがえたマイボールは、グリー
ンの隅で悠然としていた。バンカーから一発でのったのだ
から、初心者にしてみれば、「ハッ、ハッ、ハ」と思わず
高笑いのひとつもしてみたいところだ。しかしそういうお
下品な所作は、特にマナーを重んじるスポーツ「ゴルフ」
ではもっとも嫌われるだろうから、本来の自分の品性から
治さねばならないと思った。

 だいいち、朝迎えてくれた職員の人たちも、私と息子が
ゴルフデビューだと聞くと、にこやかな笑顔で「それは光
栄です、これからどしどしお越し下さい。」と言って喜ん
でくれたではないか。であるのに、たった1回の幸運なバン
カーショットに酔いしれて、グリーンの上で「実力」と書
かれた扇子を広げてふんぞり返って高笑いでもしようもの
なら、もう二度とNカントリーの土は踏めないだろう。ジ
ェントルマンのK師匠からは、これ幸いと、絶縁状を送り
つけられるに違いない。

 グリーンを外した息子が、ほうほうのていでグリーンに
乗せてきたと思ったら、なんと球がカップの20CMぐらい
近くまで転げて寄ってきた。私は自分のラッキーショット
を忘れて、まぐれとは恐ろしいものだと思った。カップか
らかなり遠い私は、芝目もわからずに打つ、ひたすら打つ。
方向も、距離も思い通りにいかない。ここのグリーンは高
麗だかベントだか知らないが、練習したTVゲーム「みん
ごる4」では、高低しかなかったのだ。
だが本物は違う。グリーンに流れがあり、高低差がそれに
拍車をかけていく。曲がったり、まっすぐいったり、私に
はトント判らない世界がある。

 K師匠のボールは、意思でもあるかのように転げていく。
止まりそうで止まらない、コロンとカップに転げ込んだ。
息子はカップから20CMを一打で入れ、緊張から得意満面
の笑顔に変わった。フワフワのグリーンと同じように、私
の意識ははっきりしなかった。このホールは何がなんだか
分らないうちに終わってしまった。K師匠が数えなくても
よいといわれたスコアも、10まで数えたが、あとを数える
ことはできなかった。
いつカップインしたのかさえ記憶になかった。ラッキーな
バンカーショットの祟りをうけたのだ。

 たった1球を追うことに、汗だくになり、喜び、嘆き、喝
采を送る。コンサートホールでのアンコールのさなかのよ
うに、一心不乱、無の境地になっている自分をみつけ、朝
のスタート時にみた爺さん達の背中と自分が重なって見え
た。ミスしてもしなくても、そのことに夢中にさせてくれ
る時間と空間に浸れるありがたさ、贅沢さに、心のすみず
みまでが潤いを取り戻していくようだ。

「ビバ ゴルフ、 ゴルファー万歳! アニハセヨ、ボン
ジョルノ、セニョール、セニョリータ、ノストラダムス、、
、、、。」
感極まって、まったく同じ意味、知っているだけで意味不
明の単語が口をついて出てくる。

 さて次はどんなコースに出会えるか、次こそはうまくい
くに違いない。楽しみはますます膨らんでいく。
グリーンの向こうから、「父さん、早く、出発するよ」
息子の弾む声がよんでいる。      (第二部 完)

再録「汗かき日記」第二部(中)

2010年11月05日 | 日記
(「ほなさんの汗かき日記」のアメブロに載せた
 ものを再録)

      K師匠の教え

 晴わたったフェアウエイの尾根をK師匠が行く。緑の草
原と青い空の間に浮かび上がる白い人の姿は、いかにも軽
快そうに見える。405ヤード、パー4の2番ホールは、谷を
越えしばらくすると山ぎわを左へぐいっと曲がっているか
ら、K師匠は傾斜のある左の山すそをさけて、平らな右サ
イドに落としたようだ。

「多くのゴルフ場がマツクイムシにやられたが、Nカント
リーは手入れが行き届いていたから立派な松があるよ。」
とメンバーたちが自慢するだけあって、崖沿いのラフにす
っくと立つ綺麗な一本松が印象的なホールだ。

 そういえばこのホールのティーグラウンドに着いた時、
K師匠が言った。
「こういうグリーンが見えないホールは、どこに打ったら
よいかわからないから、前の人がティを差した場所と方向
を参考にするんだよ。」
全く意味が分らないので、私たちが訝しげな顔をすると、
レベルの低さに気付いたらしく、さらに付け加えて説明し
てくれた。K師匠は打つために準備したグラブを反対に持
って、
「ここを見なさい、、、」と指した先には、芝生に筆です
っとひいたような土あとがあった。砲丸投げの鉄球大の白
いボールマークとマークを結ぶ線上に、同じショットの痕
跡がいくつも並んでいた。そしてそのほとんどが、同じ方
向を向いていたのだった。

 「この方向に打つんだ。」とK師匠は言ったのち、慎重
にティショットをしたのだった。その目指した先に見えた
のがこの一本松か、ここにくるまでちっとも気付かなかっ
た。そうなのだ、2番ティグラウンドに立った誰もが、尾
根のこの一本杉めがけてショットしていたのだ。

 K師匠のボール位置からは、グリーンが見えるに違いな
い。右手の眼下には、釣り人を迎えるいかだ船が無数に浮
かぶ内海もみえることだろう。K師匠の背中を向けてクラ
ブを振った姿は、背筋から頭の先までの上半身が一本線に
なって、素人目にも無駄のないフォームというのが理解で
きた。風景の中にゴルファーのショット姿が浮かんで、そ
れすら一枚の緊張感ある絵になっていた。


       プレイング4の出番

 みんなが第二打を打ち終わるまで、私は昇り斜面のカー
トの後部座席で小さくなって待っていた。気分はまるで「
おあずけをくった犬」のようだ。叱られた訳でもないのに、
耳をたれ、尾をしまい悲しそうに小さくなっている。プレ
イング4ではどのクラブを使おうなんて、先のことを考えら
れなかった。うちひしがれて、ただじっと待った。いや、
やっぱりプレイング4は罰ゲームに違いない。

100ヤードを示す杭の近くに、プレイング4の特設ティはあっ
た。特設ティといっても平らになっているわけでもない、フ
ェアウエイの左端と右端に、黒い小さなかまぼこ型の標識が
あるだけで、その標識と標識を結ぶ線を越えないところから
打つのだという。教えてもらわなければ見過ごしてしまうほ
ど小さくシンプルだった。

 打ちひしがれて、背中を丸めて小さくなっている小市民、
ほなさんの出番はやっときた。いつまでも落ち込んでばかり
はいられない、やる時はやるのが団塊の世代の端くれなのだ
と、強気で鼓舞した。われら団塊の世代は競争世代、世の中
が公平なんて一度も思わなかった。だからやらねばならぬ時
には、自分の力を誇示する遺伝子がDNAの中に深く根付い
ている。得意の(これこそが唯一、前向いて球が飛んでいく
という意味で)8番アイアンを手に持ち、血圧の数値を30は
上げつつ特設ティに立った。
向こうに見えるグリーンの左右にバンカーがあり、周りの土
色に緑色のグリーンが映えてなおさらきれいだ。ここまでお
いでよ、と呼んでいる。


         奇跡のショット

 初心者の私には尺取り虫戦法しかないから、何打かかろう
とボールがひたすら前に飛ぶことを祈ってアドレスに入る。
素振りをすると、気持ちがうわずって、クラブの先が草の遥
か上を通過して、とてもボールに当たりそうにない。やばい、
やばい、ダフッてもいいから、もう少し草をカットするよう
にしよう。軽く振ることだけを念じて振り下ろすと、ボール
は何の抵抗もなく舞い上がった。風にさえぎられて音が聞こ
えなかったためか、ボールに当たったという感触はなかった。
でもボールは、青い空にスーっと弧を描いて、グリーン上の
旗めがけてまっすぐ伸びていくではないか。

 周りから「ナイスショット!」の声がかかる。
ガンバレ、ボールよ、お前もチャンスをその手で掴め!われ
らは世界第二位の日本をつくった団塊の世代のそのまた端く
れなのだ。生まれてはじめての周りの賞賛に、ほなさんはわ
れを忘れて、手を挙げて応えた。

たった一打のナイスショットの声に、気分はもうツアープロ
だ。でもボールはグリーンまでひと伸びたりず、左のバンカ
ーに入っていた。バンカーの中を転がった跡が、弧をひいて
きれいについていた。それほど深くないが、グリーンはひざ
くらいの高さにあった。

 バンカーにそろりと下りてみる。大粒の白砂の上にできる
足跡を気遣って、無意味なことはわかっていても、遠慮がち
に歩いてしまう自分が情けない。ヅカヅカと「バンカーなん
かに入りやがって」と傍若無人な態度がとれるのはいつの日
になるだろうか。
だいたい、ゲームをするためにここに居るのだから、遠慮し
ながらではできるものもできなくなってしまう。分ってはい
ても、他人の目や、お金を払っているゴルフ場にすら媚をう
ってしまう自分が情けない。あーあ、リッチなスポーツをし
ても貧乏性は変わらない。

 K師匠が、「すくいあげるんじゃなく、ダフるつもりでボ
ールの手前を強く強く。」とグリーンから大きな声で言った。
紳士のK師匠が大きな声を出すというのは、ここ一番のショ
ットだと判断しているという気迫が伝わってきた。バンカー
から脱出できなかったら、後続のグループを遅延させ迷惑を
かけることになるから、責任を感じているのだろう。だがこ
ちらは、初めてのバンカーに興味津々で、ゴルフの醍醐味が
さらに味わえると勇んでアドレスに入った。物見遊山でゴル
フ場にきているから、何でも触ってみたい、やってみたい初
心者ゴルファーなのだ。

 私の場合は何もしなくてもダフるのだから、手前の砂めが
けて思い切り打ち込んだ。砂が大きく舞い、続いてボールが
勢いよくグリーン上に飛び出した。2回目のナイスショットは
スローモーションでみえた。難しいと思っていたバンカーの
アゴはこのときばかりは低くみえた。K師匠の助言が的確だ
ったのだ。

 でも本人はそんなこと気付かない。これ以後はバンカーに
入るたびに、どんな状況でも思い切り打ち込むものだから、
間違えてボールをさらに砂の中に叩き込んでしまったり、あ
たり一面に砂を撒き散らして周りを困らせた。やはりケース
バイケースがあるのを知るのは、ずっとあとのことになる。

再録「汗かき日記」第二部(前)

2010年11月05日 | 日記
(「ほなさんの汗かき日記」のアメブロに載せた
 ものを再録しております。)
 
ホールのはじめの頃かいた脂っぽい汗は、510ヤード、
パー5のロングコースを登り下りするうちに出尽くし、
サラサラと流れる心地よいものとなった。コースの端に
カート道があり、アイアンをカートに取りにきてはフェ
アウエイを走るのものだから、自然と足腰の鍛錬になる。
これも下手の功名か、カートがあっても乗れないのだ。

 見かねたK師匠が「アイアンは数本まとめて持っていき
なさい。」とアドバイスしてくれた。ゴルフクラブには、
長く大きな距離をかせぐのに使う「ウッド」、小さな距
離に応じて使う「アイアン」と呼ばれる道具がある。5番、
7番と番手が大きくなるにつれ、小さい短いクラブとなっ
ているから、初心者は番手の大きな、短いクラブから練
習せよといわれる。短いほうが振りやすいから当てやす
いのだ。

 それで私は、大きな番手、8番、9番、深い草むらから
出すためのピッチングと呼ばれる短いもの、そしてバン
カー用の最も短いサンドウェッジなど、持てるだけ持っ
ていく。そうしてコースを行くうちに、カートに戻る必
要がなくなった。
 クラブ数本を担ぎ、傾斜地で力を踏ん張るものだから、
大腿骨の付け根が痛い。30年以上使わなかった錆付いた
骨の接合部がきしんでいるのだ。古びた己の肉体が情け
ないというより、痛みを感じることが素直に嬉しかった。
スポーツにはどこかマゾ性が潜んでいるのか。

 私たちの乗ったカートは1番グリーンの奥を抜け、イン
ディジョーンズの暴走トロッコよろしく、狭い急なカー
ブを右左と下がると、2番ティグラウンドに出た。10畳ほ
どの台形型スペースのレギュラーティがあり、その後ろ
に、競技会などで使うバックティがあった。側面は並木
で囲われていたが、並木の向こうは切り立った崖のよう
だ。
 このティグラウンドの、二、三十メートル幅のすり鉢
じょうの谷を越えた先からフェアウエイがはじまってお
り、グリーンはそれをさらに左に登りつめたところにあ
るらしい。よく考えるとティグラウンドだけが、崖にへ
ばりついて存在しているのだ。想像したら、忘れかけて
いた高所恐怖症がうずき、足の力がぬけていく。


      谷越えの2番ホール

 たった数十メートル幅の谷でも、前に土が見えない何
もない状態というのは非常に不安だ。連続しているから
安心感も生まれる。今日は明日へと続くからこそ、安心
して今日の反省もできるのだ。それが明日がない、今日
の次は3日先というのでは、どう反省したらよいか分ら
なくなってしまうではないか。

 子供の頃、水溜りを越えようとすると、どうしたわけ
か勢い余り、きまって水溜りに着地していたことを想い
出す。また、音楽でいう休符始まりの曲のようで、なん
ともリズムがとりづらい。もともと私の場合、スキップ
がリズムよくできるようになるには、少なくとも10メー
トルの助走がいるのだ。そういう個人的な都合など、こ
のホールは一切拒否している。谷越えでしかも打ち上げ
のこんなホールを設計した人は、他人が苦しむのを喜ぶ
性悪さをもっているのだろう。

 手持ちのクラブで一番大きなものは、ウッドの1番(
ドライバー)と3番、アイアンでは4番。でもどれで打
ったらよいのかまるで判断できない、というのには理由
があった。私の場合どれで打っても同じ飛距離であり、
それもうまく前に飛んでくれれば、という難しい条件ま
でついている。

 金属性のドライバーをなぜウッド(木製)というのか、
など常日頃(つねひごろ)なんとも思わなかったことに
まで神経がいき、よけいに頭がこんがらがってきた。高
所恐怖症、あがり症、頭の中はなおさら酸素欠乏気味で、
この場に居ること自体を疑問に思い、「われ思う、ゆえ
にわれ在り」とかなんだか分らない言葉で自分を励まし
て、ボールとティを地面にさした。

 この場に及んで、一番飛距離の出るドライバー(ウッ
ドの1番)は、もはや持てなかった。K師匠の目を剥かせ
たウーヤーターの渦巻きショットがでるなら上出来で、
今となってはマトモに当たるかさえわからないのだ。ま
だしもの4番アイアンで一か八か、はじめての谷越えにい
どむ。
南無八幡大菩薩、わがボールよ、鳥のごとく越えていけ!


         嘆きの谷

 思い切り力んで振ったクラブは、いったいボールのどこ
に当たったのだろう。手前の芝を剥ぎ「ベキッ」という音
のあと、目の前の谷めがけて「ガキッ、ゴン」。谷の斜面
に立つ雑木に跳ねながら、ガサガサと谷底へと吸い込まれ
てしまった。
 頭の中が真っ白になる。今のスゥイングをどうのこうの
と反省する余裕はなく、物音のする、ボールが跳んだであ
ろう方向を見るのが精一杯だった。わがボールが谷底なの
はわかっていても、向こうのフェアウエイの方に運良く跳
ね返っていないかと、目で探してしまう自分が辛い。

 K師匠が「あちゃぁ、プレイング4だ。」と言った。コー
スの外に飛び出したのはOBだから打ち直しかと思ったら、
こういう時は「プレイング4(フォー)」という、谷の向こ
うのフェアウエイ上の指定された場所から、第1打を4打目
として打つのだという。もう一度チャレンジしたい私の未
練をよそに、なんと谷越えした息子と余裕のK師匠はクー
ルな顔してカートに乗り込んでいく。

 「確かに20回に1度しかないけど、きちんと当たる私の真
の姿を知ってほしい。この前当たったときは、少しスライ
スしながらもかなり飛んだじゃないか。ああいう球が出れ
ば、きっとこの谷だって越えるのに。もう一度打てばそう
いう球がでるかもしれない。プレイング4とは、素人になん
と悲しい冷徹なルールがあるのだ。」などと、言い訳がま
しい心のつぶやきは、フェアウエイに着いてもエンドレス
で続いていた。

 かつて、一方通行の片思いゆえ、実らぬ淡い恋ばかりだ
ったけれど、たった一度、クラスの女の子が、私のことを
気に入ってくれていると言ってくれた一言は、それからの
私の人生で大きな自信につながってきた。大人になってか
らその状況を考えるに、どんな言葉だったかさえ思い出せ
ないほど、話の流れうえのなんのたわいもない、あどけな
い少女の一言だったが、未熟な少年の心に生きる勇気を与
えるには十分だった。これいらい、妙な自信が私を支え、
勘違いゆえの失敗をすることも時にはあったが。

 ミスショットのあとの罰の悪さといったら、なんともい
えないものだ。しかし、初心者ゴルファーにとって、まっ
すぐの球を打てたことがあるというのは「あどけない少女
の一言」に等しいものがあった。数十回に一回起きる「ま
ぐれ、奇跡、ラッキー」が今の私のすべてを支えていた。
だがそれも、初夏の清清しい風景にあらわれて、興奮はだ
んだん冷めてきた。「さっきのショットが出たのは私の腕
だ。まだまだ大きなクラブは打てない、当たらないのが私
の今のレベルなのだ。だからプレイング4とは罰じゃなく
、これ以上スコアを悪くしない救済策なのだ。」と。私は
やっと目覚めた。

再録「ほなさんの汗かき日記」第一部(後)

2010年11月03日 | 日記
   ゴルフデビューの日

 それから三ヶ月のち、待ちに待ったゴルフデビュー
の日がやってきた。われわれを哀れんでくれる奇特な
ご仁があらわれ、親子を連れていってくれることにな
ったのだ。親子は小躍りして喜んだ。ましてや、来週
コンペへも参加させてくれるという。なんということ
だ。小学生の遠足前と同じ気分を想いだした。有名タ
レントに会わせてくれるより、はるかに興奮する出来
事だ。

 情けあるご仁は、定年退職したばかりのKさんとい
う。中肉中背だがしまった体で、白髪にちかいグレー
の髪の毛をきちんと撫で付けた、みるからにソフトで
優しい紳士だった。あとでわかったが、リタイヤして
からゴルフ三昧の日々をおくりシングルの腕前だそう
だ。世の中には羨ましい人もいるものだなぁ。

 やがて待ちに待ったデビューの日はきた。その日は、
六月の入梅前だったが、快晴の夏日。日よけの長袖を
用意しててちょうどよかった。コースは○○製薬のホ
ームコースとして古くからあるNカントリークラブで、
Kさんはメンバーらしい。
 瀬戸内、鳴門海峡と紀伊水道が見渡せ、紀伊半島が
霞のむこうに見える。リッチな気分とはこういうもの
か、と思った。

 K師匠の指示で、ゴルフシューズや備品は昨日買って
備品の準備は万端でも、私は肝心のドライバーがまと
もに当たらない。息子の方は、アイアンが半分くらい
振れない。K師匠は、まさかそんなこととは知るヨシ
もないだろう。心臓ドキドキさせながら、スタートを
待つ。
 数台のカートが並び、われわれは他のプレーヤーの
邪魔にならないよう最後尾にいた。待つ間、息子はパ
ーがとれるかも、と強がりを言ったが、私は「みんご
る4」での余裕をすっかり無くしていた。息子は躁、私
は鬱なのだ。ここまでくれば、当たれ、当たってくれ
よドライバー君。


    感動のスタート

 半島というか、島というか、このあたりの地理はよ
く知らないが、Nカントリーは三方を海に囲まれた立
地の山岳コースだ。左に瀬戸内と右に鳴門海峡を見下
ろすクラブハウスを、だらだらと下った所がアウトコ
ースのスタート位置だ。「スタートはアウトに限る」
などと、誰かがいった言葉を、通(ツウ)ぶって口に
してみる。

 右にドッグレッグしたアウトの1番は、海からの風に
のせてドライバーをおもい切り打ち下ろすコース。広い
フェアウエイが下って、先でまた登っている。前に行っ
たグループが、尾根のところでドックレッグした右方向
へ向かって打っているのが見える。空の青、海の青にど
こまでも新緑が映えて、緑の海をトコトコゆくカートが
のどかだ。並んだカートが一台、また一台と出発してい
く様は、ここだけ時間が止まったようにみえる。

 私たちの直前は、70歳以上のグループだったらしく、
シニアのティーグランドへ降りていった。右へ左へと予
期せぬ方向にいったティーショットを嘆くかと思ったら、
小柄な爺さんたちは顔をほころばせて「さあ行きますか」
と和気藹々(あいあい)。7人の小人がかぼちゃの馬車に
乗るように、ひょいひょいとカートに乗って出発して行っ
た。どの背中もまるで少年のようだった。
これがゴルフなんだ、やっぱり楽しまなくちゃ。


     怪しい第一打

本来は金属棒のくじをひいてティーショット順を決めるけ
ど、とやり方を見せながら、私のグループは師匠のKさん、
息子、私の順に打つよと、Kさんは説明してくれた。K師
匠の第一打は、ナイスショットだ。グリーン中央、さすが
シングル、さすがホームコース。ここに打てよ、という手
本なのだろう。ところが息子は意気込みすぎて空振り、次
は右へスライス。でも林手前のフェアウエイ端にあるのを
みて、ほっと顔をほころばせた。
いよいよ私の番。素振りを1回して、慎重に振ったドライバ
ーは、なんとか球に当たってくれた。ヤッタ!

 次の瞬間、球は左に旋回しながらフェアウエイの左に落
ちた。よかった、まっすぐ飛んでないけれど、私にしてみ
れば大正解だった。でもどうして、私の球は他人と違い、
赤胴鈴の助や少年ジェットの「ウー、ヤー、ター!」の必
殺技みたいに渦を巻いて飛んでいくのだろう。何かとりつ
いているとしか思えない。
K師匠はUFOでも観たような目つきになって、何も言わな
かった。たぶんこれから先起こるであろう事を想像し、引
き受けたこと後悔したことだろう。

 われわれ親子は、スタートすればこっちのもんだと開き
なおって、意気揚々とカートに乗り込んだ。実際は歩いて
もほとんど変わらない距離だったけれど。


         天国と地獄

 今日はセルフデーということで、キャディさんのいない
日だから、球の行方は自分たちが見ていなければならない
。見失うとロストボールということになって、OBと同じ
罰を受ける。キチンと打つためには、球をよく見て頭を動
かしてはいけないと思うから、自分の打った球の行方をみ
るのはとてもやっかいなのだ。やはり、まったく見ること
ができなかった。

 K師匠から「あそこに球があるよ。」と教えてもらった。
一面の緑の海に、白いゴルフボールが浮かんでいる。けっ
こう遠くからでもポツンと見える様は、ゆったりと贅沢な
気持ちにさせてくれる。ほんの数人がこの広いホールを独
占しているのだ。

 K師匠は、グリーン上では走ってはいけない、とか、グ
リーン上で一番近い所にオンしたものが旗を抜くのだとか、
カートの車内でいろいろ教えてくれた。しかしわれわれは
それどころでなかった。練習場のマット以外の上に、球が
あるのをみたことなかったのだ。2打目からは、ええっ!
頭、真っ白、これを打つのか。


        悪夢の第二打

 およそスポーツの中で、ゴルフほど実践的でない練習場
がたくさん存在するものは他にないだろう。練習場はどこ
も平らであり、ゴム芝のマットが下からボールを持ち上げ
てくれ、さあ打ってくださいとなっている。
 ところが実際のコースは、起伏に富み、ティーショット
をする第一打を除けば、あとはいくら打とうがどこにも水
平で平らな場所はないのだ。平らに見えるフェアウェイで
あっても、水平ではなく上がったり下がったり、果てはバ
ンカーだと砂に入ったり、ラフだと草の中にもぐったりし
ている。これがゴルフの日常だということに、第二打を打
とうとして初めて気がついた。

 だからゴルフ練習場というところでいくら練習しても、
実際は違うよ、というゴルファーなら誰でも知っている事
実があった。止まった球を打つことが、これほど難しいと
いわれるのは、きわめて簡単な現実だった。
ましてやわれわれ親子は、練習場でさえ打てないのだから、
右上がりの傾斜のきつい場所に落ちた球をみて、どのよう
にグラブを振ったら当てることができるのだろうと思った。


      自力本願?他力本願?

まともに立っているのがやっとのような傾斜地で、さらに
片足を踏み台に乗せたまま打つような芸当は、これまでに
考えたこともなかった。K師匠のアドバイス通り、スロープ
レイ防止のため素振りは1回と決められていたせいもあるが、
数度の素振りくらいでは、とてもわれわれごときにこなせ
るものではない。
 いくら日ノ本の萬(よろづ)神に念じてみても、一度も
やったこと、考えたことのないものは絶対に出てこない。
余力のある時なら、やおらホッテントットの神にもお願い
して、未知の力を授けてもらう奥の手もあろうが、あまり
の絶望感の前には念仏さえも忘れてしまった。

 もうお分かりであろう。ほなさんは空振りをしながら何
度も叩いて、やっと次の場所へ球を運んだのだ。
K師匠は気の毒そうに言った。「スコアは数えなくてもい
いよ」と。

 第1ホール目でもうすでにアンダーウエアは乾いたところ
がないほど汗だくだった。私の苦闘を横目に、ひばりのさ
えずりが平和な時を刻んでいる。


        グリーンに立つ

 アウト1番、パー5の道のりは長かった。自衛隊の「ほふ
く前進」の練習かと思うような姿勢で、高台のグリーンへ
辿りついた。しかし可笑しいことにグリーンへの難関アプ
ローチは一度でうまくいき、球は端っこに乗ったのだった。
手ですくい上げたような天ぷらスゥイングが効を奏したの
だ。

 はじめてのったグリーンは、もっと硬いものかと思った
ら、スポンジケーキに良く似ていた。これまたはじめてパ
ターという独特の形をした道具を持って、グリーンにはせ
参じた。なにせ一番遠いのは私か息子だから、すぐ打たな
いといけない。スロープレイは嫌われるのだ。とても芝目
を読む時間はないし、たとえあっても読めない。

 ふわふわするグリーンに立って、穴ポコめがけてコン。
当てた球は思った半分も行かなかった。はじめてのグリー
ンでは、パターのどこに当たっているのさえわからない。
二度目はまともに当たったらしい、コーン。K師匠が「あ
っ、強い」と叫んだ。今度は転がる転がる、またフリダシ
だ。


       カップイン

 パターの往復ビンタに耐えながら、たった10CMぐらい
までのを、最後まで外した。「ゴルフとは凄まじいもの
だ」と思ったが、カップインの音はすべてを忘れるほど
安らかで、私の耳に大きく響いた。

 今、グリーンを去りつつ、悪戦苦闘した方向を見渡せ
ば、広大な緑の中をまたひとり、またひとりとこちら目
指してやってくるのが見える。風が吹いているのだろう、
名も知らぬ草たちがダンスを踊っている。草原を渡る風
を見たのはいつのことだっただろう、とふと思った。
 サラリとした爽やかな汗で体中が包まれている。私はこ
ういう汗を待っていたのだ。

フェアウエイにあらわれたキジのひと鳴きを背に2番ホー
ルへ急いだ。(第一部 完)

再録「ほなさんの汗かき日記」第一部(中)

2010年11月03日 | 日記
    「みんごる4」にはまる

 Mさんが退職してのち、ゴルフセットを買った。
初心者は何を買ってよいかわからない、でも財布
の中身こそ意思決定の最高機関、私の人生は悩み
無用なのだ。
一発で決めた!迷うことなく自信たっぷりに指差
したものは、「ゴ〇フ5」で一番安いなんでも付き
の初心者セットだった。

 それでもゴルフバッグを車に積み込む姿は、も
う一丁前のゴルファーに見えるんじゃないか、誰
からも声がかかるわけじゃないけれど、本人はけ
っこうその気だ。だが練習場に着いて5分も経つ
と、その優雅な自己満足はたちどころに消えてい
くばかりだった。

 練習すればするほど、コースへ出たい、ゴルフ
場ってどんなところ?興味は一層つのるばかり。
手の平の豆が硬くなるがごとく、コースへ出たい
と我が意思も強くなる。ひとりで練習すると長く
出来ないから、息子を誘っていくようになった。
自然と二人の会話は、うまくなってコースに出よ
う!が合い言葉だ。でも、手ほどきしてくれたM
さんはもう居ない。ほかの人に頼んでみたものの、
われわれ親子の迫力に恐れをなしてか、色よい返
事はどこにもなかった。この世の情けはなくなっ
たのだろうか、と落胆しつつ、一方で、ゴルフ場
のコースってどんなところ?という興味はつのる
ばかり。魔宮の巣窟か、はたまたシンデレラの住
むお城かと、ゴルフ場への親子の想いはいっそう
膨らんでいった。

 そんな12月のある日、
「父さん、ふ、ふ、ふ。」と息子が不敵な笑いを
作りながら、1枚のCDを私に見せたのだ。「み
んなのゴルフ4」というタイトルが書いてあった。
いま有名な人気のテレビゲームだという。裏の説
明書をみると、あの高名な、ゴルファーのあこが
れ「川奈ゴルフ場」ものっている。これさえ攻略
できるようになれば、ちっとは本コースでやれる
に違いない。親子二人のヒトミは輝いた。

  みんごる4を制覇

 買い換えたばかりのデジタル対応テレビでみる
「テレビゲーム」は実に素晴らしかった。芝の一
本一本まで感じられそうで、いつかTVでみた川
奈の名物コースが手に取るようにわかった。

 ドライバーを使ったときのキーンという金属音、
バンカーでは砂の音がするショット、アイアンの
切れ味も本モノだ。「兄ちゃん、これがグリーン
だぞ。実物もそっくり同じだよ。」と、かつて一
度だけキャディのバイトでみた30年前を想いだ
しながら、グリーンの曲がり具合を調べる日々が
はじまった。

 その日を皮切りに、激動の1ヶ月半を過ごした
頃には、「みんごる4」ではわれら親子は敵知らず
となり、とある深夜、感動のフィナーレ、長い長
いエンディングを迎えた。思えば、年末年始のTV
特番もそこそこに、夜中までゲーム三昧だった。お
かげで女房からはお叱りの毎日、しかしゲームはク
リアできたのだ。もう「みんごる4」から学ぶもの
は何もない。

 世界中のゴルフ場の有名コースをクリアしたのだ
から、あとは、どこかのゴルフ場に行って、ロッカ
ールームで着替えて、コースに出れば十分にやって
いける!と信じた。
2004年の年明けは、明るいスタートとなった。


   私をゴルフに連れていって

 「私を野球に連れていって」のアメリカ映画は、
フランクシナトラの軽いやさ男が登場する。なかな
かのはまり役で、私は大好きです。「私をスキーに
連れていって」は日本のホイチョイプロの人気三部
作のひとつ。この次作、「彼女が水着に着替えたら」
は、このタイトルにひかれて?観にいった。谷啓の
しぶい親父が光ってたなぁ。

 さてさて、若い金髪のグラマーだったり、清純可
憐なヒロインだったりすると、女房持ちの私でも連
れて行ってあげたいと思うところだが、50過ぎの
ゴルフ初心者の男を、連れていってあれこれ指導し
てあげようという人はいない。じっとしてもダメな
ので、あちこち伝手(つて)を探しては頼んでもみ
るも、終いに義理の兄からも敬遠された。

 そのうち私らのような者を連れて、ゴルフデビュ
ーさせるというのは、実際には勇気のいる、かなり
難しいことだと分った。教え好き、世話好き、しか
も本人にそれなりの腕がいる。ほなさんの日ごろの
功徳のなさを悔やんでももう遅い。

 しかし、ここまできて諦めるわけにはいかない。
とにかく一度行って、実際のゴルフ場でプレーをし
さえすれば、二回目からは自分たちでいける。恥ず
かしくない程度のマナーなど、現場で教えてもらう
なら、あとは「みんごる4」で鍛えた「腕」を発揮
できる、とジリジリしながら、奇特な人物を探し続
けた。

再録「ほなさんの汗かき日記」第一部(前)

2010年11月03日 | 日記
    はじめに

 私は通称「ほな」さん、52歳の男性です。二年半
前、ふとしたことからインターネットの禁煙をすす
めるサイトを読むうちに念願の禁煙が叶い、その後、
後輩の禁煙チャレンジャーを励ましていると、「ほ
な」というハンドルネームが時々ひとり歩きはじめ、
別人格を持つようになりました。

 もともと「ほな」は、阿波弁の代表的な言葉「ほ
なけんど」からとりました。禁煙しようとしたが、
「ほなけんど」(だがしかし)できなかったという、
禁煙は失敗するだろうという照れ隠しを予想して名
付けた「ほなけんど」さんであります。後輩を励ま
すメールを書くうちに、「ほなけんど」さんでは長
いので、「ほな」さんとなりました。

 あるとき、ほなさんという初老の目を通して、今
いちばんはまり込んでいるゴルフ体験を書こうと思
い立ちました。
50歳にして初ゴルフですから、なにをいまさら悪あ
がき?です。できれば温かく見守ってやって下さい
ませ。


    ゴルファーへの道

 ゴルフ開始は、仕事で知り合いになった同い年の
Mさんの薦めによるもの。今日もお決まりの映画の話
で盛り上がり、健康の話へと移ったとたん、「なん
か運動しなきゃいかんで。ゴルフ練習場へでも行こ
う、クラブも準備してあげるから。」という軽い誘
いにのって、次の休みの日、タオル片手に自宅前で
待つことに。これが二年前の話でありました。


 初めて行った練習場の名は、アルバトロス

 2階の奥のできるだけ他人の邪魔にならん場所を
とってもらい、教えてもらいながらクラブを振る。
でもちっともあたらない、それどころか、隣めがけ
て飛んだりして、恥ずかしさの冷や汗ばかり。

 こういう調子だから、私も自分から進んで行きた
いとはちっとも思わなかったのですが、A型のMさん
が、血液型気質通り2-3ヶ月に一度は律儀に誘って
くれるので、時間が合えば連れていってもらうパタ
ーンになりました。でも10分打っては15分休む、
だから1時間は意外と早く経つもの。そうかと言っ
て2時間もよう練習できん、腰は痛いし、手も痛す
ぎた。

 そのうち送り迎えから道具まですべて甘えてばか
りではアカンと、生まれてはじめて門をくぐったゴ
ルフ専門店、その名も「ゴ○フ5」にアイアンの5
番が現品処分されており、金2500円也で買うこ
とにした。クラブをものにして、やはり自分の道具
だと遠慮せんでええから、思いっきり打ちはじめた。

クラブを握るたび、あれぇ、こんな握り方では、絶
対に球に当たらん、毎回これの繰り返し。しかし自
分のクラブを持ったのだから、月に1回は練習場に
行こうと決めた。


      江戸に行くつもりが長崎へ

 ゴルフのフォームというのは、見てるのとやって
みるのでは大違いだった。素人同士の教えあいだか
ら、よけいにおかしいものになっていく。
「ほなさん、今のスゥイングええわ」と褒められ、
我ながらうまいことやれてると感じたフォームは、
実際とはまったく違う。田舎のあぜ道を歩く「牛」
を「ベンツ」と呼ぶくらい違和感があるものだと、
2年もして理解した。

 そんなこんなで右往左往しながらの長屋講釈、素
人談義は実に楽しい。もともとゴルフというより、
汗をかくのが目的だから、綺麗なフォームより、ど
れだけ汗をかいたか、これに重点を置いたものだか
ら、「今日は何球打った」より、Tシャツにかいた
汗の面積の方が重要視された。

 そのうちMさんに「もうぼちぼちコースに連れて
行って」と頼むと、「まだ早いよ」の答え。何ヶ月
か先なら行けるよと、常に希望を持たせる返事をく
れたが、Mさんによってのコースデビューは、とう
とう最後までなかった。たぶん生真面目なMさんは、
私をコースに出す自信がなかったのだろう。私がM
さんを勇気づける当たり前のフォームができるまで
に、Mさんは会社を辞めてしまった。

 私は相変わらず「汗かきフォーム」のまま、じゃ
あ誰がコースに連れていってくれるのだろう?と不
安の練習場通いとなった。心の不安はすぐにフォー
ムに現れる、ほなさんのフォームはますます乱れ、
汗かきのためだけに成果を発揮した。