(「ほなさんの汗かき日記」のアメブロに載せた
ものを再録)
戦い終えて
駈けずり回ったおかげで、日除けに被っていた帽子の半分
ほどまで汗がしみこんで色が変わっていた。気持ちの良いそ
よ風がプレーの間に何度も体の隅々を流れていったけれど、
乾く間もなく皮膚という皮膚が潤って、18ホール終わった時
は池に落ちた野鼠の様だった。
セルフデーの早朝ゲームだったということからか、クラブ
ハウスはキャディさんも居ない、少数のスタッフだけの閑散
としたたたずまいだった。夏の日差しを浴びたクラブハウス
の中は、陰影がさらに濃くなった分、オーシャンビューのリ
ゾート地さながらに、ゆったりした時間が流れていた。ほっ
として、ベットがあればそのまま眠ってしまいそうな、塩と
新緑の香りに包まれていた。
K師匠にお礼を言って、放心状態のまま家路についた。
バックミラーには、K師匠の車が猛スピードで去っていくの
が見えた。この受難の地から一刻も早く離れたいのだろう。
いや、この普通でない親子と一日を過ごした記憶を、一刻も
早く消し去りたいかのように。その異様な様を見ても、疲れ
きった二人は無口のままだった。アクセルを踏む足の感覚が
ないほどの疲労に、のろのろ運転が精一杯だったのだ。
夜、ほなさんとその息子は、ビールの泡を飛ばしながら、
家族でただひとりの聴衆(妻であり母であり)に向かって、
交互に語りかけていた。それでも妻はいやな顔もせず、熱く
語る夫と息子の話を聞いていた。男というのはどこまでいっ
ても子供だとあきれつつも、家族で話に花が咲くことを喜ん
でいた。「コースがどんなに美しいか」「アップダウンの中
で、止まったボールを打つことがいかに困難か」と理解でき
ないことばかりだが、自分がK師匠を紹介しただけに家族が
躁状態でいてくれることは楽しく、今日の結果を素直に喜べ
たのだった。
親子の会話はさらに続いて、「翌週の初コンペとは?」を
語る段になると、もう夜もとっぷりと暮れていた。バイパス
を走る車のタイヤの、遠くできしむ音が聴こえる。夏の夜は、
まどろみの中で朝を迎える準備をしていた。
新緑の景色
私の住む町は、万葉集にも歌われた山が市街地の真ん中に
せり出してきている。おかげで町の発展は遅れたらしいが、
春には山桜のピンク、夏は新緑の緑、秋は紅葉の赤と、あた
かもPCモニターの背景がかわるように移り変わっていく。な
にげに山を見たら、あまりの美しさに心を奪われ、遠回りし
てしまった経験は私だけでないだろう。この山にもいくつも
の神社とお寺がある。そのひとつが、私のホームドクターが
いる診療所の待合室からみえる。
診療の順番待ちをしていると、ガラス越しに、神社のとり
わけ大きな石灯籠と長い石段が、そこだけ山の新緑を切り取
ってみえた。若葉の間をくぐってもれる陽射し、ひんやりと
した石畳が、離れたここまで感じられるほど静寂な空間だっ
た。
持病の胆嚢が傷んでいるのは、自分でもわかっていた。き
まって夜の12時になると、胃のあたりがうーん、うーんと痛
むのだ。常備薬の胃薬が効かなくなって、もう2ヶ月目を迎え
ていた。脂汗が出て、かけている眼鏡に汗が水滴となってた
まることにも慣れ、時間さえたてば何事も無かったかのよう
に忘れてしまうが、その時ばかりは眠気と痛みにはさまれ、
クタクタになって朝方眠りにつく日々が続いた。
そのうち週1、2度の痛みが、毎日起こる生活の一部になっ
て、夜中の12時から2時まで、判で押したような規則正しい痛
みがくるようになった。ホームドクターをお願いしてきた先代
の医者からも、「いずれ胆石が悪さ(わるさ)をするかもしれ
ないよ。」と教えられていた。十数年前、十二指腸潰瘍の検査
のおり、エコー写真の一点をドクターがずっと見ていたので、
何事かと思って尋ねた答えがそうだったのだ。
マンションの悲劇
老医師が亡くなった後、私のカルテは若先生に引き継がれた。
気さくな若先生は熱心さと育ちの好さを兼ね備え、地域診療を
旨とするホームドクターにはうってつけだと、患者たちから好
感を持って受け入れられた。
私が呼ばれてドアを開けると、いつもと変わらぬ穏やかな表
情の若先生がいた。私が自覚症状を言うと、2、3質問をした
だけで、聴診器もカルテも手にしようとはしない。若先生の態
度をみて、やっぱりそうかと確信した。若先生は、病気の説明
したあとに、私がさてどういう行動に移るのか、それを図りか
ねているようだった。それで、私のほうから口にした。
「胆石なら切ったほうがいいんでしょう?先生のご判断に沿い
ますよ。」「ご紹介の病院はどちらですか?」と。方向は決ま
った。
出かけに妻が、よく診てもらえと何度も口にしていたが、私
はどうもせっかちな性格だからそういうことにならない。痛み
の原因は胆石だから、「こういう時は切っちまえばいいんだ」
と、住んだこともない俄か仕立ての「江戸っ子ほなさん」が誕
生する。さらには、胆石の2,3個とってしまう手術など、チ
ョチョイのチョイで終わってしまうとね。
先週あった初ゴルフコンペの成績で、はじめてスコアという
ものを目にした。「140」と書いてあった数字は、間違いなく
私の汗の結晶ではあっても、他人には言えない恥ずべき結果で
あった。「早く治して、練習せねば」という心の内なる叫びは
、胆石をも乗り越えた。
さぁ手術だ。翌週、紹介された総合病院の門をくぐり、手術
のための検査をうけることにきまった。ところが、トントン拍
子に進む話についていけない女房は、心配が怒りとなって攻撃
開始。深夜、ここに座ってきちんと説明しなさいと女房は言い、
となりの部屋で正座して待機の姿。
これは経験上まずい、爆発寸前だ!
しかし、こういう時にかぎってうまく説明できないのだ。
そして、狭いマンション暮らしに逃げ場はなかった。
ものを再録)
戦い終えて
駈けずり回ったおかげで、日除けに被っていた帽子の半分
ほどまで汗がしみこんで色が変わっていた。気持ちの良いそ
よ風がプレーの間に何度も体の隅々を流れていったけれど、
乾く間もなく皮膚という皮膚が潤って、18ホール終わった時
は池に落ちた野鼠の様だった。
セルフデーの早朝ゲームだったということからか、クラブ
ハウスはキャディさんも居ない、少数のスタッフだけの閑散
としたたたずまいだった。夏の日差しを浴びたクラブハウス
の中は、陰影がさらに濃くなった分、オーシャンビューのリ
ゾート地さながらに、ゆったりした時間が流れていた。ほっ
として、ベットがあればそのまま眠ってしまいそうな、塩と
新緑の香りに包まれていた。
K師匠にお礼を言って、放心状態のまま家路についた。
バックミラーには、K師匠の車が猛スピードで去っていくの
が見えた。この受難の地から一刻も早く離れたいのだろう。
いや、この普通でない親子と一日を過ごした記憶を、一刻も
早く消し去りたいかのように。その異様な様を見ても、疲れ
きった二人は無口のままだった。アクセルを踏む足の感覚が
ないほどの疲労に、のろのろ運転が精一杯だったのだ。
夜、ほなさんとその息子は、ビールの泡を飛ばしながら、
家族でただひとりの聴衆(妻であり母であり)に向かって、
交互に語りかけていた。それでも妻はいやな顔もせず、熱く
語る夫と息子の話を聞いていた。男というのはどこまでいっ
ても子供だとあきれつつも、家族で話に花が咲くことを喜ん
でいた。「コースがどんなに美しいか」「アップダウンの中
で、止まったボールを打つことがいかに困難か」と理解でき
ないことばかりだが、自分がK師匠を紹介しただけに家族が
躁状態でいてくれることは楽しく、今日の結果を素直に喜べ
たのだった。
親子の会話はさらに続いて、「翌週の初コンペとは?」を
語る段になると、もう夜もとっぷりと暮れていた。バイパス
を走る車のタイヤの、遠くできしむ音が聴こえる。夏の夜は、
まどろみの中で朝を迎える準備をしていた。
新緑の景色
私の住む町は、万葉集にも歌われた山が市街地の真ん中に
せり出してきている。おかげで町の発展は遅れたらしいが、
春には山桜のピンク、夏は新緑の緑、秋は紅葉の赤と、あた
かもPCモニターの背景がかわるように移り変わっていく。な
にげに山を見たら、あまりの美しさに心を奪われ、遠回りし
てしまった経験は私だけでないだろう。この山にもいくつも
の神社とお寺がある。そのひとつが、私のホームドクターが
いる診療所の待合室からみえる。
診療の順番待ちをしていると、ガラス越しに、神社のとり
わけ大きな石灯籠と長い石段が、そこだけ山の新緑を切り取
ってみえた。若葉の間をくぐってもれる陽射し、ひんやりと
した石畳が、離れたここまで感じられるほど静寂な空間だっ
た。
持病の胆嚢が傷んでいるのは、自分でもわかっていた。き
まって夜の12時になると、胃のあたりがうーん、うーんと痛
むのだ。常備薬の胃薬が効かなくなって、もう2ヶ月目を迎え
ていた。脂汗が出て、かけている眼鏡に汗が水滴となってた
まることにも慣れ、時間さえたてば何事も無かったかのよう
に忘れてしまうが、その時ばかりは眠気と痛みにはさまれ、
クタクタになって朝方眠りにつく日々が続いた。
そのうち週1、2度の痛みが、毎日起こる生活の一部になっ
て、夜中の12時から2時まで、判で押したような規則正しい痛
みがくるようになった。ホームドクターをお願いしてきた先代
の医者からも、「いずれ胆石が悪さ(わるさ)をするかもしれ
ないよ。」と教えられていた。十数年前、十二指腸潰瘍の検査
のおり、エコー写真の一点をドクターがずっと見ていたので、
何事かと思って尋ねた答えがそうだったのだ。
マンションの悲劇
老医師が亡くなった後、私のカルテは若先生に引き継がれた。
気さくな若先生は熱心さと育ちの好さを兼ね備え、地域診療を
旨とするホームドクターにはうってつけだと、患者たちから好
感を持って受け入れられた。
私が呼ばれてドアを開けると、いつもと変わらぬ穏やかな表
情の若先生がいた。私が自覚症状を言うと、2、3質問をした
だけで、聴診器もカルテも手にしようとはしない。若先生の態
度をみて、やっぱりそうかと確信した。若先生は、病気の説明
したあとに、私がさてどういう行動に移るのか、それを図りか
ねているようだった。それで、私のほうから口にした。
「胆石なら切ったほうがいいんでしょう?先生のご判断に沿い
ますよ。」「ご紹介の病院はどちらですか?」と。方向は決ま
った。
出かけに妻が、よく診てもらえと何度も口にしていたが、私
はどうもせっかちな性格だからそういうことにならない。痛み
の原因は胆石だから、「こういう時は切っちまえばいいんだ」
と、住んだこともない俄か仕立ての「江戸っ子ほなさん」が誕
生する。さらには、胆石の2,3個とってしまう手術など、チ
ョチョイのチョイで終わってしまうとね。
先週あった初ゴルフコンペの成績で、はじめてスコアという
ものを目にした。「140」と書いてあった数字は、間違いなく
私の汗の結晶ではあっても、他人には言えない恥ずべき結果で
あった。「早く治して、練習せねば」という心の内なる叫びは
、胆石をも乗り越えた。
さぁ手術だ。翌週、紹介された総合病院の門をくぐり、手術
のための検査をうけることにきまった。ところが、トントン拍
子に進む話についていけない女房は、心配が怒りとなって攻撃
開始。深夜、ここに座ってきちんと説明しなさいと女房は言い、
となりの部屋で正座して待機の姿。
これは経験上まずい、爆発寸前だ!
しかし、こういう時にかぎってうまく説明できないのだ。
そして、狭いマンション暮らしに逃げ場はなかった。