ほなさんの汗かき日記

かくれ肥満の解消に50歳を超えてはじめた健康徒歩ゴルフ。登場する個人名、会社名、内容はフィクションである。

休題

2007年03月31日 | 日記
「お坊さんのコンペは怖いぞ」
と誰かが言った。丸刈りがズラっと揃うと、壮観さを
通り越して、その筋の方かと思うんだそうだ。お坊さ
んには申し訳ないが。

あそこのお寺は、街キンから大きな借金をこさえ、総
代会で住職を解雇したんだとか、、、。けっこう有名
なお寺さんだった。
四国は「四国八十八箇所参り」があり、遍路の旅は年
中みかける光景だ。そういうお寺さんは、かなり裕福
で、住職さんの専用車はみんな外車だとか言われてい
る。(ウワサ話)

またどこかのお寺は、「ジャンボ宝くじ」の当たり券
を、当選者から買い求め、「宝くじの当たる寺」とし
て売り出そうとしているとか。これには驚いた。
その筋から伝わってきたが、どこまで本当の話なのか
わからない。でも、お坊さんの世界もいろんなことを
考えないといけないらしい。大変だ。

いつものお坊さんと一時は、ほなさんがゴルフコース
へ行くと必ず出会った。昼間にけっこう暇があるらし
く、夕焼けゴルフで会うのだ。この人の球筋は、高く
高くあがり、右からカーブするフック球だ。
あれっ、あんなに右へ行って?
と不安視していると、やがてちゃんと戻ってくる。
こういう球は、ほなさんには永遠に打てない。

ネットサーフィンしていたら、「5円玉のパター練習
機」というのがあった。5円玉を糸で帽子から吊り、
それが動かないようにパターをするんだそうだ。
ほとんどの普通のゴルファーは、どうしても動くらし
いが、プロはやはりびくともしない、停止したままだ
と書いてあった。
一度やってみよう。

昼下がりの夢

2007年03月29日 | 日記
「ほなさんの汗かき日記」を書き始めた当初は、ゴルフ
というものをまったく知らないものだから、田んぼのあ
ぜ道を歩く牛をベンツと言われても、そのまま信じてし
まうほど、練習の方向はまったく逆だったなぁ、と思う。

もともとホームドクターから、
「ちょっとは汗をかきなさい」
と言われ、なにか運動でもと思ってはじめたゴルフであ
ったから、ゴルフ場デビューするより、汗をかいた「面
積」を重視してきたので、汗の量とか、筋肉の痛みなど
の結果に、成果を求めてきた。1ヶ月に1度の練習場通
い。その中でも、手にできる「マメ」は、握り方ひとつ
で、あちこちにできる輝かしい成果だった。

練習場への道中は、必ずドラッグストアに立ち寄り、キ
ズバンを買うのが常だった。私を練習場へ連れていって
くれた同い年のM氏の手は、絆創膏の貼り場もないほど
マメだらけだったから、ずっとマメができることが良い
ことだと思っていた。
お互いの手を出して、ここにマメができるのはうまくな
っている、ここはダメな証拠だと、まるで女学生の恋占
いのように手を見比べ一喜一憂していた。

健康になってゆくために汗をかく。汗をかくから腰も痛
くなるし、手にマメもできる。それが痛々しいほど、健
康に近づいているのだと、どこかで思っていた。目覚め
ると、ベンツと思って乗っていたのは牛であり、上達へ
の高速道路と思っていたのは、田んぼのあぜ道だったと
いうわけだ。あとになって唖然としたが、でも、それは
それで楽しかった。長屋講釈はいつの時代も面白く、楽
しいものなのだ。

このところ春の日というより、初夏の日が射している。
横になり、窓を開けると、吹く風はさわやかで、うとう
として気持ちよい。机の上の書類が、たまに飛ばされる
が、それも許してしまおう。

頭の中には、新緑のじゅうたんを踏んで、クラブを手に、
グリーン目指して歩いているほなさんがいる。天気は快
晴、顔をなぜてゆく風が、汗をぬぐってくれる。
ボールの白さが際立ち、緑の海に浮かんで見えた。

おかげさまで

2007年03月28日 | 日記
前回のお坊さんとのラウンドで、たくさんのOBを
出し、「ドライバーがうまく打てない」は相変わら
ず難題なのですが、岐阜高富での最終ホールでtomo
moさんを抜いた時の手ごたえが、まだ手の中に残っ
ています。

これが感触というものでしょうか。
口であらわせない、振ったとき、ボールが当たった
とき、体が最後まで回ったとき、などなど。それが
象徴的に掌の中で、現在も残っています。かつては
そういうモノにめぐり合っても、一瞬で無くなって
きました。そのたびに、それを取り戻そうと頑張る
と、自己流の癖がでて焦り、さらにおかしい方向へ
という、負の螺旋階段を登っていきました。

おもいっきりドライバーを振りきれば、ボールはき
ちんと飛んでゆく、こんな当たり前のことを発見し
て、ドライバーを薦めてくれた販売員さんに謝らな
くちゃいけないなぁ、と思うようになりました。
買ってから、うまく飛ばないものだから、困らせる
嫌味なことを言ってしまったのでした。
嫌だなぁ、こういう性格。
そのうち謝りにいくことにしますわ。

「おかげさまで、なんとか振れるようになりました」
「これを薦めてもらって良かったです」
と言いたいですね。

無力な自分

2007年03月25日 | 日記
何度か行ったゴルフ場なので、なれていると油断したせい
なんでしょうかね、今度は130のスコアを頂戴してきま
した。

今日の午後から大雨になる、と天気予報では言ってました
ので、カップの位置が急斜面ばかりでした。ドライバー
はOB、パットは入らないとなれば、こうなるんだという
スコアでした。
グリーン周りからのアプローチした球が、カップの側まで
いくと、傾斜に負けてグリーンの外まで出てしまう。転げ
落ちるとはこのことでした。カップの上につけ、パットが
少し強いと、これまたグリーンの外まで転げるのでした。
同伴のお坊さんは、あきれ顔でボールの行方を見ていまし
た。

祭りでやった「パチンコゲーム」(スマートボール?)の
球のように、一度転げだしたら下まで、といった具合なの
です。

「平均の法則」これなんですわ、きっと。
100が切れる腕ではなかったんです。
そうでも思わないと、NARASETUさんの決めセリフ「いっそ
首をくくって死んでしまおうか」と考えたかわかりません。
林の中へ打ち込んだから、あまりのふがいない自分にあい
そがつき、ボールを捜すより、首をつる枝ぶりの良い木を
探してしまう-----こういう持病をもったNARASETUさんが、
ゴルファーとしては決して特殊な変人でないと、よ~く理
解できるようになりました。

ただ、ほなさんがそこまで思わないのは、ゴルフクラブを
握るのがもうおっくうになり、帰りの際の、いつもの怒り
の練習もせず、ゴルフ雑誌をみることもなく、ただただ弁
当を買ってビールを飲んで寝ました。

101のスコアの次は、130。
ゴルフとは、なんと人を馬鹿にしてるんでしょうか。
10ぐらいのスコアの差なら、ほなさんにだって理解でき
ます。30近い差がでるなら、これははじめて行った時の
スコアに近いのです。これほどほんろうされる自分に、
もうあきれ返って、何もする気が起きなかったのでした。

100切りか?

2007年03月22日 | 日記
岐阜高富での遠征ゴルフが終わり、翌朝9時から仕事を
したが、さすがに疲れて眠い。出張がえりにゴルフをし
終わるや340キロを駆け足しで運転したからだ。
2日ほど、夜はぐっすりだった。
だが、今回はロストボールを2個出しながら「101」
という初めてのスコアに、自分でも大満足。

「こりゃぁ100切りも近いのぅ、みなの者よきにはか
らえ。ただしじぶんで買ったものは自分で払えよ。苦し
ゅうないぞ。」
と恍惚の悦にひたっていた。このスコアが出せたのは、
NARASETUさんという地元のキャディさんが居て、もぐら
の家族構成まで知っていると思われる的確なアドバイ
スをしてくれたおかげであって、自分の判断だけなら、
いつものドツボにはまっていたことは言うまでもない。
ただしこのままだとルールに抵触する恐れがあるので、
次回は、NARASETUさんにキャディ帽をかむっていただき、
「ナイスショット」
には、黄色い声で語尾を上げていただこうと考えている。

これからしばらくして、3月の頭、若い坊さんからラウ
ンドしないかと誘われた。徳○市内の眉山にあるゴルフ
場だ。高富での好結果に、これから今回はさっそく100
切りか!と勇んで出かけた。2月の春とうって変わり、3
月は寒い、今年一番の冬の天候だった。

ゴルファーにとって「100切り」というのは、自分の誕
生日の次の記念日といわれるくらい、とても大事なことな
のだ。本屋に行っても、「スコア100を切る」ための本
がたくさん並んでいる。100切りすることなくゴルファ
ー生命を終わる人もたくさんおられる。
近所のおじさんと初めてゴルフ談義をしたら、
「おたくさんは、100切ったことあるで?」
とたずねられた。そのたずね方に、二桁スコアへのあこがれ
がいっぱい詰まっていた。ほなさんより少し年上の男が、
まだ少年時代のあこがれの眼差しを持ち合わせていること
に、とても新鮮な驚きを感じたものだった。

自分がハンデ1桁、いわゆるシングルという腕前には成れる
はずはない。その確率100%!
しかしハンデ36のうち、7つ縮めることができるならスコア
100が切れる。この手が届きそうで、届かない世界で
もがいている人たちも多いのだ。

ハンデがシングルになるには、毎週1回以上のラウンドをし
なければダメだという。そういう世界にいくには、年中練習
しなければならないから、時間とお金が必要だ。だからシン
グルさんにはお金を貸すなと、まことしやかにいわれた時代
もあった。少々ぐらいの打ち込みようでは、とてもそこまで
なれないのだ。
だから、「シングルさん」は尊敬される。私なんかからみた
ら、宇宙飛行士と同じレベルにみえます。

こういう前フリはおいといて、100ギリの可能性もあるか
と、勇んで出かけたラウンドで、えらい目にあってきました。

初遠征(19 大団円)

2007年03月20日 | 日記
ほなさんは車を飛ばし、家路に急いでいた。カーナビは
岐阜のゴルフ場から自宅まで、340キロと出ていた。
途中で給油をし、おにぎりを買い、パーキングで食べた。
午後4時にラウンドが終わったので、風呂に入る時間を
惜しみ、慌てて車に飛び乗った。これから走れば10時
には帰宅できるだろう。
滋賀、京都、と過ぎ、まもなく大阪の火が近づいてきて
いた。もうあと半分だ。
NARASETUさんからメールが入る。

「まだ徳○に向かう途中だと思います。安全運転で休み
ながらお帰り下さい。ゴルフ ベスト更新できて本当に
良かったですね。私もまだまだ精進してベスト更新をめ
ざす事にします。今回のゴルフを機会にまた一緒にラウ
ンドしたいものです。本当に遠路お越しいただきありが
とうございました。 NATASETU 」

次のラウンドも、またお願いしたいなぁと思った。ここ
ちよい疲れと、感謝の気持ちでいっぱいの帰途となった。
不思議と眠気はなかった。

最終ホールで思いっきりふり廻したドライバーは、ネッ
トの友人、「ufo」さんからいただいたボールをけとばし、
tomomi「戦車」さんのわずか先の地点に落ちていた。
ufoさんのボールは、冬の午後の光を浴び「どうだい」と
自慢げな顔をしていた。

このボールは、「ufo君の不健康日記」というブログを
書いているufoさんが、「使ってくれ」と送ってくれた
のだった。ufoさんともネットで友達になれたが、まだ
顔も知らない方なのだ。この方とは、何度かメールし
たやりとりで、やさしい人柄に接してきた。
私に、最終ホールで勇気を与えてくれた。

「見知らぬ」ということ、たとえば顔、風貌、会社や
地位、収入などはさして重要なことでないと知ったこ
とも大変うれしかった。昨日犬山で、初対面のNARASET
Uさんに名刺を出そうとしたら、
「ここでは、そういうのしてないから、、」
と受け取らなかったことが、数年前のことのように想いだ
される。必要の無いことだったのだ。

ネットという現代機器、とても便利な機械が、人間のおつ
きあいする上で、よけいなものをそぎ落としてくれたのだ
った。相手が見えないから、不必要な印象にまどわされる
こともなく、ただ感じたまま思えばよいというのは、ほん
とうに楽しいことだ。そしてそれが本来の姿ではあるまい
か。今回会った人々の温かい人間性に包まれて、ほなさん
は幸せだなぁと思った。

人は必要な人には、必ずめぐり合うことができるという。
また、人生に無駄なことはなにひとつない、ともいわれる。

ビバ ゴルフ !
ボンジョルノ、セニョール・セノリータ、カムサハムニダ
感激すると意味もなくカタカナ語が口をついて出てくると
いうほなさんの悪い癖も、今日ばかりは許してあげよう。
人間万歳!
出会い万歳!

そしてここまで読んで下さった、あなたにも感謝いたし
ます。
                 ーー完ーー

初遠征(18 最終ホール)

2007年03月19日 | 日記
最終EAST9番ホールは304ヤードと短いな
がら打ち上げてゆくパー4。フェアウエイに2頭
の馬が並んで背を向けており、それが全体として
左に傾いている。

この高富GCは、コース設計:新井 剛、監修:陳
清波さん、なのだそうだ。台湾人陳さんといえば
、日本で長く活躍してきた人で、われらが子供な
がら覚えているほどの有名人だ。1950年代に
鮮烈の日本デビューをはたし、78年に日本国籍
を取得された。

高富GCの解説は、「魅力的な景観、表情豊かな
18ホール」とある。そして、こんな一文が続い
ている。
「どんなプレーヤーも満足するコースは造れるの
か?高富ゴルフ倶楽部はその問いに答えを出せた
と自負しています。
高レベルのプレーヤーほど、よりリスクを負うレ
イアウト、チャレンジャーになればなるほど、高
富ゴルフ倶楽部のレイアウトに潜む戦略性に気付
くことになるでしょう。<中略>飛ばし屋を自負
する方ほど、次打、次々打まで考慮した戦略の構
築が重要になってきます。」
    (高富ゴルフ倶楽部ホームページより)

NARASETUさん曰く、「高富GCは、距離は短いが
落としどころが肝心だ」。

今日見てきたどのコースも、平らなフェアウエイ
は1か所もなかった。この最終ホールにしても、
左サイドがOBで、フェアウエイを走る左側の馬
の背にボールを落とすと、OB区域へ転げ落ちる
ようにできていた。
だから、キャディNARASETUさんは、
「真ん中から右側の斜面狙い」を強調していた。

tomomiさんのティーショットは美しかった。
ピンクの球が登り斜面、フェアウエイ中央に落ちた。
テーラーさん、NARASETUさんは力んで共にOB。
ほなさんは、ひそかに思った。今日の最後は、tomo
mi「戦車」さんのティーショットに勝ちたい。その
ためには、思い切り振り切ることだ。

左利きのほなさんは、フィニッシュで左肩が前に
グーンとでていけば、体が回って振り切れるので
は?と考えた。意図して振り切るスゥイングがで
きたこは、めったになかったが、ここは思い切っ
てやろう。OBしてもいい、負けてなるものか。

奇妙な縁、顔も知らない人たちと、こうして楽しい
ゴルフが今日はできた。驚き、そしてうれしかった。
それもこれが最後だという思いをこめて、ボールを
ティーに乗せた。もう震えはない。

2月の空は、どこまでも青く澄み渡っていた。
思いっ切りヘッドを振り下ろし、前傾姿勢のまま左
肩をつき出していく。打たれたボールはこれまで以
上に高く上がって、そして青い空に吸い込まれてい
った。

初遠征(17 EAST 3番ホール)

2007年03月18日 | 日記
まっすぐ飛んだボールは、失速せず対岸へ届き、白いOB杭
のすぐ上のラフに入った。崖が柔らかい土だったのだろう。
跳ね返ることなく、ラフの草にしがみいついているみたい
だ。150ヤード離れていても、白く光って微動だにしな
い必死の様が伺えた。

これは早く行って助けねば、とみなが打ち終わるのをまって
慌てて走った。他のメンバーは、フェアウエイの先の方へ
ボールを運んでいた。

フェアウエイからボールのあるところまで降りる。頭がク
ラクラッとする。ここの谷は、まっすぐに切り立ち、さき
は思いのほか深く大きかった。昨日、犬山城の天守閣で
半分腰を抜かしかけたことを思い出す。それに比べると
ここはなおのこと怖い。犬山城は手をもつところもあった
し、ましてや床があった。ここはすべり落ちそうな斜面で
なおかつ、ここでクラブを振らねばならないのだ。クラブ
を振ったら、その勢いでほなさんは谷底に落ちそうだ。

自分が高所恐怖症であることを、日々忘れてきた。高いと
ころで足ががくがくすることも、熱さ過ぎればなんとかで
直面しないことには気付かないのだ。今、火事場のくそ力
でここまでやってきたら、足元から力は抜けてゆき、斜面
にしがみつき、動けない自分がいた。とてもクラブなんか
振れない、どうしよう。

ゴルフにきて死ぬのはイヤだ。必死で考えた。
立ってスゥイングはできないから、斜面に寝そべったまま
、短く持ったクラブのヘッドをボールに当ててみよう。飛
ばなくとも、少しでもフェアウエイに昇れば幸いだ。

そう思ってボールに当てたら、芯を打ったのか、フェアウ
エイまで戻った。よかった、ヨガッタ~。
他の人は、
「あれ、あんなところで寝転んで、ほなさんは何をしよん
かいな」
と見ていた。でも、頭の中を活発に動く想像力は、もうす
でに三度も斜面から滑り落ち、奈落の谷底へ行く光景をみ
せてくれていた。そのたびに、ほなさんは叫び声をあげて
いたのだった。
「た、たすけてくれ~」

NARASETUさんが、フェアウエイの先から、こっちの方角へ
打って来いと言っている。
パー5のロングコースは、上りきったフェアウエイの先が
見えなくなっていた。だから、NARASETUさんは、尾根の部
分に立ち、グリーンはこっちだと案内していたのだ。

ほうほうのていでクラブを出し、打とうとすると、
「もうあまり距離がないから、アイアンで十分だデヨー」
とNARASETUさんが大きな声でいう。今日はキャディさんの
役目までしてくれ、大いに助かった。アドバイスがなかっ
たら、そうとう叩いたことは間違いない。
このアドバイスというのは、ルール上、判定が難しいもの
だから、実際には、ほなさんはペナルティを払うべきなの
かもしれない。

このホールは、他の人たちが、どんなショットで、どこへ
ボールを落としたのか、じぶんのことでいっぱいで、まっ
たく気がつかなかった。尾根を登りきり、グリーン真近に
なって、意外と良いところにつけていた。尾根の向こうは
右に大きく曲がり、急な下り傾斜になっていた。

テーラーさんは、打ったボールが判らず、コースアウトし
て隣のコースから見つかった。tomomiさんのボールは行方
不明。諦めかけた時、グリーンオーバーのカート道から発
見され、事なきをえた。カラーボールだったことがよかっ
た。

このホールは、なにもわからないうちに、グリーンを降り
た。どんなパットだったか覚えていないが、このホールは、
とにかく終わってよかった。
スコアなんていってられない。死ななくてよかったと思っ
た3番ホールだ。

初遠征(16 嘆きの谷越え)

2007年03月17日 | 日記
ティーグラウンドからフェアウエイの間に、谷があるの
は過去に経験してきた。そういうホールは、ティーショ
ットをできるだけ飛ばしておくと、それだけ前に進める
わけだ。

ところがここは、横たわったフェアウエイは右方向へ登
りつつ進み、それへ直角になるようティーグラウンド
が設置されている。目前の谷を越え右に飛ばすほど、先
へと進めるシカケだ。対岸までの距離をたずねたら、1
50Yぐらいだと言われた。

練習でほなさんのドライバーは、150も飛ばないこと
がよくある。100ヤードくらいで地に落ち、そこから
ピョンピョンはねていくのが、ほなさんのもっとも「得
意とする球筋」なのだ。10に8つはそれで、残りの1球
が右へのひっかけ球、最後の1球が150のネットに、
ライナーで当たるという、実に確率1割の勝負だ。

対岸は日が射し、枯れた冬の芝が輝いてみえた。対岸の
垂直に近い崖の途中に白い杭が点々と並んでいる。
「さてと、、、どこへ打とうか」
口に出して言ったものの、実際には、まっすぐ前の対岸
を向いた。そこが一番近い場所だったから、そこしかな
かったのだ。ただ救いは、対岸のフェアウエイがここと
同じ高さで打ち上げる必要はなかった。ほなさんの低い
球筋では、ドライバーの打ち上げはできるわけなどない。

風の強い平らなコースでは、ほなさんの球筋をみて、な
にを勘違いしたのか、たまに誉めてくれる人がいる。
「風が強くても、低い球が打てるからいいですね」
そして、
「自分も風に影響されない低い球が打てたらなぁ」と。
間違えているのだこの人は、言いたくないけど。
それしか打てないのっ!ほなさんは。

でもそれでも、この場はそれが打てたらなら十分だと思
った。とにかく谷を越えさえすればいいのだ。思い切っ
て振ろう。
今日はここまでツキがあった。OBのはずのボールがセ
ンターに出てきたり、バンカーに入ったものが外に転が
り出てグリーンにのった。いやほんとに、憑き物がつい
たかと思えたほどツイてきた。

ティーアップする手が震え、ボールがティーになかなか
乗らない。ボールに書いた手書きの中央線を、慎重に
対岸に合わせた。そしてアドレスにはいる。体をねじる
だけねじって、ドライバーを振り下ろし、思いっきり振
り切った。

「あっ、低い!」
ボールは打ち出された角度のまま、地面と平行に、低く
まっすぐ飛んでいく。OB杭を超えられるか。それとも
いつものように途中で失速し、深い大きな谷へと落ちて
ゆくのか。もうこうなったら、神頼みだ。昭和40年代
にあった「踊る宗教」のステップを踏もう。週刊誌に
載っていた。
あっ、それ!それっ、それ!

あれ、間違えた。これは「たこ応援団長」のたこ踊りだ
った。そんなことはもうどっちでもいい。そういう間に
も球は低いまま、対岸へと飛んでゆく。
OB杭の上か、下か! 「ハイ、アンド、ロー」
おいおいここで懐かしのTV番組なんて想いだすなんて。
ぴっぱるなぁ、ほんと。

初遠征(15 バーディか?)

2007年03月15日 | 日記
グリーンの高低を見ると、カップまでのぼりと思えた。
まっすぐ打つことにした。

ほなさんは、芝目がわからない。高低もよくわからな
いことがあり、目の歪みなのか、遠近両用めがねの境
目に入ったりすると、乗り物酔いしたみたいに気分が
悪くなってくる。
K師匠のアドバイスで、長いパットは途中の芝の具合
も見なさいと、カップまでの中ば地点を眺めていたら、
だれかに
「そこはラインが違うぞ」
と指摘され恥をかいたときもあった。

グリーン上は微妙な高低差があり、芝目という流れが
ある。それによってボールの転がる方向が変わったり
する。200ヤード以上飛ぶドライバーの1打と、カップ
の際からの数センチのパットも、同じ1打なんだから、
特に他人へのマナーが問われる場所である。

グリーンへ打ち込んだボールの痕跡は、自分で必ず直し
なさいと教えられた。グリーンはやわらかく作ってある
ものだから、ひどい場合は、ボールがめり込んだりして
大きな穴になってしまうこともある。この場合はほなさ
んにわかるが、大きなものでない場合や靴のスパイク跡
などになると、ほとんど自分で判らない、というか気付
かないことが多い。

ゴルフのルールでは、自分に有利な状況を作り出しては
いけないことになっている。「あるがまま」がルールの
基本なのだ。
グリーンを傷つけた本人がマナーにのっとり直すならよ
いが、直接プレーをする本人が改善のための修復を禁止
して、違反すると罰則がある。

芝目は、濃い色は逆目、薄い色が順目だよと、何度か
教えてもらった。それで、
「このマーク位置、ずらしましょうか」というグリー
ン上のマナーを実践すると、
「そこに当たるようでは、カップに絶対入らない」
と言われる。ほなさんには、なにしろ直線しかわから
ないんだから、それ以来、あまり見ないようにしてい
る。とにかく、自分には判らないのだ。

ある人には見えて、ある人には見えないという世界が
あるのだろう。職人芸で1ミリの何分の1がわかると
かいうあれが顕著な例だ。鈍感なほなさんは、そうい
う世界に無縁だ。紙コップに入れたコーヒーは指から
滑り落ち、車の後部についた傷は、気付くころには錆
びている。でも、そんな人間でもゴルフは楽しい。周
りは大変だろうけど。

tomomiさんが2パットでパーをとり、最後にほなさん
の番になった。テーラーさんが見守り、NARASETUさん

「さぁバーディだ!!」
とバーディコールで励ましつつ、妙なプレッシャーをか
ける。でも不思議にプレッシャーは感じなかった。
のぼりのストレート、1メートル未満の距離。短いのだ
けはダメだと、自分に言いきかす。
「届かないパットは、絶対入らない」
当たり前だが、それがゴルフの真髄なのだ。

順番を待つ次のグループが、山の上からこちらをみてい
た。視線を感じるのも悪くない。
ほなさんはアドレスして、パターをゆっくり振った。
「あ、強いぞ。」
旗をもったNARASETUさんが叫んだ。
カップのかなり横をボールは転げ、50センチぐらい
オーバーして停まった。どこに向かって打っているのだ
私は。
「バーディを土産にしてもらおうと思ったのになぁ。」
と皆は残念がってくれた。
「これがいつもなんですよ」と私。
でも良かった。次の返しのパットが入って、ほなさんで
もパーがとれ、みんなの仲間入りができホッとした。

「次はいよいよ谷越えだよ、ほなさん」
とNARASETUさんは、旗をカップに差しながら言った。
またカートはガーガーと山道を登り、やがて着いた。
目の前の広い大きな谷、それを隔てた向こう側に、緑の
フェアウエイが横たわっているではないか。

「こりゃアカンわ!」
正直なこころが呟いた。