ほなさんの汗かき日記

かくれ肥満の解消に50歳を超えてはじめた健康徒歩ゴルフ。登場する個人名、会社名、内容はフィクションである。

株価(1)

2013年03月31日 | 日記
昨年の11月より数年ぶりの株価の上昇に沸いて
きた。他人事ながら、上昇気分になるのは良いも
のだと思うが、三月決算の会社の株価は、個人投
資家の参入が増え、これで少し落ち着くのではな
いだろうか。

一般の個人投資家の株券、最近は電子化されてし
まい見たことないが、その株券は長年塩漬けにさ
れており、この株価上昇でやっと現金に回収また
は、別の投資に振り向けられることができただろ
う。
でもそれも今回以上の高い時に買ったものなら、
これはもう売り時は今後あるか、ないかよくわか
らない。

前にも述べた話の蒸し返しになるが、仲の良かっ
た銀行の担当から勧められて、投資信託というの
を買ったことがあり、それが1年半で2割以上の
配当をもらったことがあった。おかげでで「是区
塩」のアイアンセットを買うことができ、妻にも
なにがしかのものをプレゼントした。あの臨時収
入が無かったなら、貧乏人ほなさんは、フルセッ
トのキャディバック付きというすべて揃って、
¥29800~~~也
の初心者セットから抜け出すことはできなかった
だろう。ほなさんのバブル時期はこの時だけだっ
たが、とてもありがたかった。

働かないで2割も儲かったのだから、これは異常
だと、ほなさんはこの時すべて売り払った。これ
以上儲かるのは、いけないと思ったのだ。この時
仲の良い銀行員は、売らなかったようだ。
すると翌週、「ブラッ○マンデー」と後に呼ばれ
る事態が発生、世界中の株が下落し、投資信託も
恐ろしく下がった。

片マヒの暴れん坊

2013年03月28日 | 日記
障害者ゴルフのポスター、いつも興味深くみて
いますが、今回は久しぶりに目を見張りました。

「これが片マヒ選手権の暴れん坊だっ!」
と言いたくなる、出来栄えです。
シュガーさんの紹介と、力強いショットの落差
が、さらに興味を引き立たせています。

いつもながらの勝手な紹介ですが、
片マヒゴルファーの暴れん坊をみてください。


足こぎ車いす

2013年03月27日 | 日記
義兄の七日供養にいっていると「足こぎ車いす」
の話がでました。
先日もTVで報道されたそうで、かた麻痺の方の
リハビリにも良いといわれます。
デモ機を取り寄せしたいのですが、なかなか手
に入らない状況です。

ほなさんの知り合いの話では、リハビリが進み
なんとか歩けるようになると、周りから「ほっ
とかれる」ようになるそうで、本人と家族は、
「冷たいなぁ」と思うそうですが、介護そのも
のが、要介護2からスタートし寝たきり予防が
一番の課題になっているので、自力で歩けるよ
うになると、つい力が入らないのかもしれませ
ん。それだけ重症の介護患者が多いのです。

その中で、TESSの「あしこぎ車いす」の成果は
めを見張るものがありそうです。
いちどごらんになってください。VTRスタート!

             ほなさん

突然死(終)

2013年03月23日 | 日記
夜は元気で寝床に入り、朝みるとそのままの姿
で死んでいた義兄は、一応、検死をしておくと
いうことになりました。写真をとったり、状況
を書類にしていた検死官らが、
「まず問題なく自然死だと思いますが、これ
 以上は、解剖しなければわかりませんので
 どうされますか。」
と問いました。

こちらにこれ以上の手間をかけさせるつもりの
ないことを言い、お世話になったと申し述べま
した。

義兄の検死のあと古い肌着を着せようとした警
官に、姉は真新しい肌着を手渡しました。もっ
たいないですよ、というしぐさをする警官に、
これからわたる三途の川を古い肌着では忍びな
いと姉は思ったからだろうと、横にいたほなさ
んは想像しました。

葬式では義兄のお棺に、64歳の姉が縋り付いて
泣きました。
炉に入れる瞬間は、そこにいる誰もがなんとも
いえない胸をしめつける寂しさがつのるもので
すね。

火葬場の煙突からたなびく煙をみたら、ほなさ
んは、突然ふらっと体から力が抜け、深い深い
絨毯のうえを歩いているような気分になり、隣
から女房が私の腕を支えてくれました。

やがて葬式やら一連の式が滞りなく終わり、姉
宅に帰りほっとして、ついそこらに目をやると、
義兄が着ていた肌着や洋服などがそのままあり
ました。

「姉さん、そういえばあの時の肌着どうしたの?」
ほなさんがたずねると、
「あれもそもまま取ってあるんよ。ほかの洋服も
 顔の前までもって、お棺の中に入れようとした
 ら、急にパパの匂いがしたんよ。そしたら、無
 性に焼かれるのが惜しくって。結局、どれも入
 れられなんだわ。」
と姉はこたえました。

 「へぇ、匂いかぁ、、、。」
とほなさんは呟きました。

日頃は喧嘩の絶えないご夫婦が、旦那様に先立た
れたとたん、旦那さんのステテコを身に着けてじ
ゃないと眠れないという奥さん、けっこうおられ
たりします。
夫婦って、不思議で特別な男と女の関係です。
どこまでいっても、その夫婦にしか分からないも
のなのでしょうが。
            合掌

還暦からの仕事(終わり)

2013年03月20日 | 日記
Net4U(ネットフォーユー)では、患者のカルテを
一元化し、関係者がそこに書き込んだり、または閲
覧したりすることで、リアルタイムの状況を把握し
ていってます。

居宅を廻る看護士さんは、患者の傍にノートを置き、
そこに状況を書き込むので、あとから来た介護する
人たちにもよくわかるといいます。

救急の大病院、入院のできる病院、かかりつけ医、
看護士、ケアマネージャー、介護施設、ヘルパー、
そして家族と連携がはじまっているというのに、肝
心の住まいは、昔となんら変わっていないことに驚
きます。

一見、綺麗ですが、使う段になると、なぜ?と疑問
点が見受けられ、場当たり的な対処しかないように
思うのは、ほなさんの知識不足のせいでしょうか。
危険がいっぱいの住宅が多いのです。

子育てだけの住宅から、高齢者が住める住宅へと、
今後はどんどん変わっていくことでしょうし、また
実際には変化していっているように思います。
たとえば、かつては住まいをいじるといえば、増築
しかなかったのが、少し前から「減築」が多くなっ
ているそうです。

なんか考えさせられることが多くなった、ほなさん
です。答えはあるようでない、なにが正しい答えな
のか、ひとりひとりに答えが異なるのも、事実です
ね。

還暦からの仕事(7)

2013年03月19日 | 日記
「Net4U」では、山形の片田舎、人口は少ないが広い地
域をもうらしようとしています。医療と介護の連携で、
今後の「団塊の世代」の受け入れを図ろうとしているよ
うですね。

たぶん、こういう典型事業は、あちこちで進んでいると
思われます。
欧米のような、高齢者が望めば自宅で最期を迎えること
ができるためには、さまざまな連携プレーが必要になる
ことでしょう。

ところが、肝心の住まいが、そうなっていない、高齢者
を受け入れることが難しい造りになっています。アプロ
ーチが段差、狭い玄関、家の中での段差、風呂、トイレ、
居間と、極論すれば、どこをとっても子育てのためだけ
につくられた一軒家、マンションのようであります。

新築された顧客のひとりのお家も、「!?」と思案しま
した。
高齢者が発注した住まいなのに、大手建築会社がなんで
こんなに不便な家を作るのか?
首をかしげます。

還暦からの仕事(6)「Net4U」

2013年03月18日 | 日記
「在宅医療市民公開講座」に行ってきました。
徳島市医師会の主催です。

典型事例のゲストは、

「Net4U」

が紹介されました。中にネットワークの図解があ
りますので、ほなさんが四の五の言うより、ぜひ
ともごらんください。

介護と医療の連携の実態がよくわかると思います。
ということは、自宅で過ごす、介護する、される
明日の自分たちが、どう扱われるかが、そこには
のっています。


還暦からの仕事(5)

2013年03月16日 | 日記
呼び方は好きじゃありませんが、75歳以上の後期高
齢者以上になると、体にはどこか悪い箇所がでてく
ることが多くなり、その中で、骨折がおきると、そ
れは「即寝付く」ことになるんだそうですね。そこ
から「寝たきり」がはじまります。

障害者ゴルフの片マヒ部門のチャンピオン○村さん
が、日頃の練習の際、最も気をつけているのも、転
倒が原因の骨折でした。マヒしていない足の筋肉は
、ほなさんの貧相な足に比べると、それはもう立派
で、アスリートのものでありましたが、寝たきりは
致命傷になる、と常に恐れていました。

骨折はそれほど怖い事件なのだ、と教えてくれた○
村さんの顔を、ほなさんはじっと見た記憶がありま
す。できるだけ入院しない、常に動かすというと、
病気になったのに入院できないの?安静にすらさせ
てもらえない、それって非情な世の中じゃないの?
と思われるかもしれません。

もちろん安静も必要でしょう。ただ、はじめて聴い
た時に思った、○村さんの「寝つくこと(安静)」
への異常な怖がり方は、実際にリハビリを経験した
ものにとっては当たり前の認識だったのです。

「廃用症候群」という呼び名があります。これが病
気なのか、そうでないのか、ほなさんは知りません。
niigata-nh.go.jp/nanbyo/riha/disuse.htmというと
ころに書いてある説明は、以下のようです。

「健康人であっても、使わないと筋肉の委縮、関節
 の拘縮は意外と早く進行します。安静による筋力
 低下は、1週間で20%、2週間で40%、3週間で60%
 にも及びます。
 この筋力低下を回復させるためには意外と長くか
 かり、1日間の安静によって生じた体力低下を回復
 させるためには1週間かかり、1週間の安静によって
 生じた体力低下を回復するには1か月かかるといわ
 れます。」

「うつ」で寝ついた高島忠夫さんの主治医が出した指
示のひとつに、アスリート並みの筋肉トレーニングだ
ったと、インタビューで聴きました。それをするのは、
辛かったそうです。
寝つこうとする体を、起こそうするのですからそれは
きついだろうと思います。主治医は、この廃用症候群
を恐れていたのかもしれません。

病院から自宅へ帰ってくる高齢者の多くが、
「動きたくない」
と部屋にこもります。病院で骨折を治すことはできま
すが、代わりに廃用症候群という「難病」をもらって
かえらないようにしなければなりませんね。

死ぬまで元気で、バタンキュー。
そしてろうそくの火が消えるように、さっと逝きたい
ものです。




還暦からの仕事(4)

2013年03月13日 | 日記
かつてのホームドクターは、看護婦さんを連れ
往診をする姿が記憶に残っていますが、少し違
うでしょうが、またここに帰れ、ということな
んでしょう。

医療も介護もお家でやり、できなくなれば病院
へ、集中治療が必要なら大病院で過ごし、経過
が落ち着いてきたら一般の病院へ移るシステム
です。

病院での集中治療というのは、医者にとっても
「集中」して「治療」できますから、ある意味
楽なんだそうです。ところが「お家」での「在
宅療養」は、「介護=生活」という問題が発生
しますから、医療チームだけでは解決できない
難しい問題があるそうです。

急性期病院での治療は、患者を病室に缶詰状態
で、ナースコールひとつで、看護婦も医者も飛
んでいき集中治療できますが、在宅では、生活
指導をしなければならないし、だれが薬を飲ま
すの?点滴は誰がするの?、これ以外に、この
患者の費用はだれが持つの?いくらまでだった
ら払えるの?などという、本来医療チームが気
にしなかった生活面まで配慮しなければ、一患
者の療養の維持ができなくなったそうです。

たとえば、老年での骨折という問題ひとつとっ
ても、家庭内での年寄りの骨折は交通事故より
も頻繁に起きていて、骨折が原因でベットに寝
つき、寝つくと介護度が飛躍的に進むという、
負のスパイラルに陥ります。本人はもちろん、
周りの負担も大変なものになることは、ご存じ
の通りです。

当たり前といえば当たり前なんですが、、、。
山本周五郎の「赤ひげ診療譚」が人気なのも、
そこには生活というものが描かれているからで
したが、金持ちにも貧乏人にも、それぞれ費用
から介助者の存在、そしてその方々の意識レベ
ルまで問われているのが、現代の日本です。

還暦からの仕事(3)

2013年03月07日 | 日記
急性期病院が救急を受け入れできるようにするために
はベットを空けなくてはなりません。
最近も、救急車を受け入れる病院がなくて、気の毒な
患者さんが死亡してしまった、という報道がありまし
た。

去年、女房は「オ○の攪乱?」で、救急車のお世話に
なりましたら、日赤に着いてから2時間以上待たされ、
これなら車で来て、順番待つのと一緒という、なんの
ために救急車に乗ったのかわかりませんでした。
それだけ、大病院は混んでいると自覚しました。

もともと1950年代の日本は、自宅で亡くなる方が多か
ったそうですが、いつのころから、体にチューブをさ
したまま病院のベットで亡くなるのが、当たり前の光
景になりました。私の親父は、自宅のベットから離れ
ませんでした。軽い病は病院へ行き、重くなりそうな
ら自宅に帰る?といった具合でしたが、多くの方は、
自宅でいたいと思いつつ、病院のお世話になり最後を
迎えます。この考え方を、元の形に戻っていくものと
思います。

そうなると、入院せずとも自宅で療養ができるように
しなければなりません。
そういう考えから生まれたのが、
「在宅療養支援診療所」です。
①24時間連絡体制
②24時間往診体制
③24時間訪問看護体制
④24時間緊急入院体制
⑤ケアマネージャーとの連携
上記の5項目が要件となっています。

徳島市で現在66か所あり、ただこれを本気で実践?する
とドクターが死んでしまいますから、約半分がサポート
するようになっていると伺いました。