ほなさんの汗かき日記

かくれ肥満の解消に50歳を超えてはじめた健康徒歩ゴルフ。登場する個人名、会社名、内容はフィクションである。

再録「ほなさんの汗かき日記」第一部(後)

2010年11月03日 | 日記
   ゴルフデビューの日

 それから三ヶ月のち、待ちに待ったゴルフデビュー
の日がやってきた。われわれを哀れんでくれる奇特な
ご仁があらわれ、親子を連れていってくれることにな
ったのだ。親子は小躍りして喜んだ。ましてや、来週
コンペへも参加させてくれるという。なんということ
だ。小学生の遠足前と同じ気分を想いだした。有名タ
レントに会わせてくれるより、はるかに興奮する出来
事だ。

 情けあるご仁は、定年退職したばかりのKさんとい
う。中肉中背だがしまった体で、白髪にちかいグレー
の髪の毛をきちんと撫で付けた、みるからにソフトで
優しい紳士だった。あとでわかったが、リタイヤして
からゴルフ三昧の日々をおくりシングルの腕前だそう
だ。世の中には羨ましい人もいるものだなぁ。

 やがて待ちに待ったデビューの日はきた。その日は、
六月の入梅前だったが、快晴の夏日。日よけの長袖を
用意しててちょうどよかった。コースは○○製薬のホ
ームコースとして古くからあるNカントリークラブで、
Kさんはメンバーらしい。
 瀬戸内、鳴門海峡と紀伊水道が見渡せ、紀伊半島が
霞のむこうに見える。リッチな気分とはこういうもの
か、と思った。

 K師匠の指示で、ゴルフシューズや備品は昨日買って
備品の準備は万端でも、私は肝心のドライバーがまと
もに当たらない。息子の方は、アイアンが半分くらい
振れない。K師匠は、まさかそんなこととは知るヨシ
もないだろう。心臓ドキドキさせながら、スタートを
待つ。
 数台のカートが並び、われわれは他のプレーヤーの
邪魔にならないよう最後尾にいた。待つ間、息子はパ
ーがとれるかも、と強がりを言ったが、私は「みんご
る4」での余裕をすっかり無くしていた。息子は躁、私
は鬱なのだ。ここまでくれば、当たれ、当たってくれ
よドライバー君。


    感動のスタート

 半島というか、島というか、このあたりの地理はよ
く知らないが、Nカントリーは三方を海に囲まれた立
地の山岳コースだ。左に瀬戸内と右に鳴門海峡を見下
ろすクラブハウスを、だらだらと下った所がアウトコ
ースのスタート位置だ。「スタートはアウトに限る」
などと、誰かがいった言葉を、通(ツウ)ぶって口に
してみる。

 右にドッグレッグしたアウトの1番は、海からの風に
のせてドライバーをおもい切り打ち下ろすコース。広い
フェアウエイが下って、先でまた登っている。前に行っ
たグループが、尾根のところでドックレッグした右方向
へ向かって打っているのが見える。空の青、海の青にど
こまでも新緑が映えて、緑の海をトコトコゆくカートが
のどかだ。並んだカートが一台、また一台と出発してい
く様は、ここだけ時間が止まったようにみえる。

 私たちの直前は、70歳以上のグループだったらしく、
シニアのティーグランドへ降りていった。右へ左へと予
期せぬ方向にいったティーショットを嘆くかと思ったら、
小柄な爺さんたちは顔をほころばせて「さあ行きますか」
と和気藹々(あいあい)。7人の小人がかぼちゃの馬車に
乗るように、ひょいひょいとカートに乗って出発して行っ
た。どの背中もまるで少年のようだった。
これがゴルフなんだ、やっぱり楽しまなくちゃ。


     怪しい第一打

本来は金属棒のくじをひいてティーショット順を決めるけ
ど、とやり方を見せながら、私のグループは師匠のKさん、
息子、私の順に打つよと、Kさんは説明してくれた。K師
匠の第一打は、ナイスショットだ。グリーン中央、さすが
シングル、さすがホームコース。ここに打てよ、という手
本なのだろう。ところが息子は意気込みすぎて空振り、次
は右へスライス。でも林手前のフェアウエイ端にあるのを
みて、ほっと顔をほころばせた。
いよいよ私の番。素振りを1回して、慎重に振ったドライバ
ーは、なんとか球に当たってくれた。ヤッタ!

 次の瞬間、球は左に旋回しながらフェアウエイの左に落
ちた。よかった、まっすぐ飛んでないけれど、私にしてみ
れば大正解だった。でもどうして、私の球は他人と違い、
赤胴鈴の助や少年ジェットの「ウー、ヤー、ター!」の必
殺技みたいに渦を巻いて飛んでいくのだろう。何かとりつ
いているとしか思えない。
K師匠はUFOでも観たような目つきになって、何も言わな
かった。たぶんこれから先起こるであろう事を想像し、引
き受けたこと後悔したことだろう。

 われわれ親子は、スタートすればこっちのもんだと開き
なおって、意気揚々とカートに乗り込んだ。実際は歩いて
もほとんど変わらない距離だったけれど。


         天国と地獄

 今日はセルフデーということで、キャディさんのいない
日だから、球の行方は自分たちが見ていなければならない
。見失うとロストボールということになって、OBと同じ
罰を受ける。キチンと打つためには、球をよく見て頭を動
かしてはいけないと思うから、自分の打った球の行方をみ
るのはとてもやっかいなのだ。やはり、まったく見ること
ができなかった。

 K師匠から「あそこに球があるよ。」と教えてもらった。
一面の緑の海に、白いゴルフボールが浮かんでいる。けっ
こう遠くからでもポツンと見える様は、ゆったりと贅沢な
気持ちにさせてくれる。ほんの数人がこの広いホールを独
占しているのだ。

 K師匠は、グリーン上では走ってはいけない、とか、グ
リーン上で一番近い所にオンしたものが旗を抜くのだとか、
カートの車内でいろいろ教えてくれた。しかしわれわれは
それどころでなかった。練習場のマット以外の上に、球が
あるのをみたことなかったのだ。2打目からは、ええっ!
頭、真っ白、これを打つのか。


        悪夢の第二打

 およそスポーツの中で、ゴルフほど実践的でない練習場
がたくさん存在するものは他にないだろう。練習場はどこ
も平らであり、ゴム芝のマットが下からボールを持ち上げ
てくれ、さあ打ってくださいとなっている。
 ところが実際のコースは、起伏に富み、ティーショット
をする第一打を除けば、あとはいくら打とうがどこにも水
平で平らな場所はないのだ。平らに見えるフェアウェイで
あっても、水平ではなく上がったり下がったり、果てはバ
ンカーだと砂に入ったり、ラフだと草の中にもぐったりし
ている。これがゴルフの日常だということに、第二打を打
とうとして初めて気がついた。

 だからゴルフ練習場というところでいくら練習しても、
実際は違うよ、というゴルファーなら誰でも知っている事
実があった。止まった球を打つことが、これほど難しいと
いわれるのは、きわめて簡単な現実だった。
ましてやわれわれ親子は、練習場でさえ打てないのだから、
右上がりの傾斜のきつい場所に落ちた球をみて、どのよう
にグラブを振ったら当てることができるのだろうと思った。


      自力本願?他力本願?

まともに立っているのがやっとのような傾斜地で、さらに
片足を踏み台に乗せたまま打つような芸当は、これまでに
考えたこともなかった。K師匠のアドバイス通り、スロープ
レイ防止のため素振りは1回と決められていたせいもあるが、
数度の素振りくらいでは、とてもわれわれごときにこなせ
るものではない。
 いくら日ノ本の萬(よろづ)神に念じてみても、一度も
やったこと、考えたことのないものは絶対に出てこない。
余力のある時なら、やおらホッテントットの神にもお願い
して、未知の力を授けてもらう奥の手もあろうが、あまり
の絶望感の前には念仏さえも忘れてしまった。

 もうお分かりであろう。ほなさんは空振りをしながら何
度も叩いて、やっと次の場所へ球を運んだのだ。
K師匠は気の毒そうに言った。「スコアは数えなくてもい
いよ」と。

 第1ホール目でもうすでにアンダーウエアは乾いたところ
がないほど汗だくだった。私の苦闘を横目に、ひばりのさ
えずりが平和な時を刻んでいる。


        グリーンに立つ

 アウト1番、パー5の道のりは長かった。自衛隊の「ほふ
く前進」の練習かと思うような姿勢で、高台のグリーンへ
辿りついた。しかし可笑しいことにグリーンへの難関アプ
ローチは一度でうまくいき、球は端っこに乗ったのだった。
手ですくい上げたような天ぷらスゥイングが効を奏したの
だ。

 はじめてのったグリーンは、もっと硬いものかと思った
ら、スポンジケーキに良く似ていた。これまたはじめてパ
ターという独特の形をした道具を持って、グリーンにはせ
参じた。なにせ一番遠いのは私か息子だから、すぐ打たな
いといけない。スロープレイは嫌われるのだ。とても芝目
を読む時間はないし、たとえあっても読めない。

 ふわふわするグリーンに立って、穴ポコめがけてコン。
当てた球は思った半分も行かなかった。はじめてのグリー
ンでは、パターのどこに当たっているのさえわからない。
二度目はまともに当たったらしい、コーン。K師匠が「あ
っ、強い」と叫んだ。今度は転がる転がる、またフリダシ
だ。


       カップイン

 パターの往復ビンタに耐えながら、たった10CMぐらい
までのを、最後まで外した。「ゴルフとは凄まじいもの
だ」と思ったが、カップインの音はすべてを忘れるほど
安らかで、私の耳に大きく響いた。

 今、グリーンを去りつつ、悪戦苦闘した方向を見渡せ
ば、広大な緑の中をまたひとり、またひとりとこちら目
指してやってくるのが見える。風が吹いているのだろう、
名も知らぬ草たちがダンスを踊っている。草原を渡る風
を見たのはいつのことだっただろう、とふと思った。
 サラリとした爽やかな汗で体中が包まれている。私はこ
ういう汗を待っていたのだ。

フェアウエイにあらわれたキジのひと鳴きを背に2番ホー
ルへ急いだ。(第一部 完)

再録「ほなさんの汗かき日記」第一部(中)

2010年11月03日 | 日記
    「みんごる4」にはまる

 Mさんが退職してのち、ゴルフセットを買った。
初心者は何を買ってよいかわからない、でも財布
の中身こそ意思決定の最高機関、私の人生は悩み
無用なのだ。
一発で決めた!迷うことなく自信たっぷりに指差
したものは、「ゴ〇フ5」で一番安いなんでも付き
の初心者セットだった。

 それでもゴルフバッグを車に積み込む姿は、も
う一丁前のゴルファーに見えるんじゃないか、誰
からも声がかかるわけじゃないけれど、本人はけ
っこうその気だ。だが練習場に着いて5分も経つ
と、その優雅な自己満足はたちどころに消えてい
くばかりだった。

 練習すればするほど、コースへ出たい、ゴルフ
場ってどんなところ?興味は一層つのるばかり。
手の平の豆が硬くなるがごとく、コースへ出たい
と我が意思も強くなる。ひとりで練習すると長く
出来ないから、息子を誘っていくようになった。
自然と二人の会話は、うまくなってコースに出よ
う!が合い言葉だ。でも、手ほどきしてくれたM
さんはもう居ない。ほかの人に頼んでみたものの、
われわれ親子の迫力に恐れをなしてか、色よい返
事はどこにもなかった。この世の情けはなくなっ
たのだろうか、と落胆しつつ、一方で、ゴルフ場
のコースってどんなところ?という興味はつのる
ばかり。魔宮の巣窟か、はたまたシンデレラの住
むお城かと、ゴルフ場への親子の想いはいっそう
膨らんでいった。

 そんな12月のある日、
「父さん、ふ、ふ、ふ。」と息子が不敵な笑いを
作りながら、1枚のCDを私に見せたのだ。「み
んなのゴルフ4」というタイトルが書いてあった。
いま有名な人気のテレビゲームだという。裏の説
明書をみると、あの高名な、ゴルファーのあこが
れ「川奈ゴルフ場」ものっている。これさえ攻略
できるようになれば、ちっとは本コースでやれる
に違いない。親子二人のヒトミは輝いた。

  みんごる4を制覇

 買い換えたばかりのデジタル対応テレビでみる
「テレビゲーム」は実に素晴らしかった。芝の一
本一本まで感じられそうで、いつかTVでみた川
奈の名物コースが手に取るようにわかった。

 ドライバーを使ったときのキーンという金属音、
バンカーでは砂の音がするショット、アイアンの
切れ味も本モノだ。「兄ちゃん、これがグリーン
だぞ。実物もそっくり同じだよ。」と、かつて一
度だけキャディのバイトでみた30年前を想いだ
しながら、グリーンの曲がり具合を調べる日々が
はじまった。

 その日を皮切りに、激動の1ヶ月半を過ごした
頃には、「みんごる4」ではわれら親子は敵知らず
となり、とある深夜、感動のフィナーレ、長い長
いエンディングを迎えた。思えば、年末年始のTV
特番もそこそこに、夜中までゲーム三昧だった。お
かげで女房からはお叱りの毎日、しかしゲームはク
リアできたのだ。もう「みんごる4」から学ぶもの
は何もない。

 世界中のゴルフ場の有名コースをクリアしたのだ
から、あとは、どこかのゴルフ場に行って、ロッカ
ールームで着替えて、コースに出れば十分にやって
いける!と信じた。
2004年の年明けは、明るいスタートとなった。


   私をゴルフに連れていって

 「私を野球に連れていって」のアメリカ映画は、
フランクシナトラの軽いやさ男が登場する。なかな
かのはまり役で、私は大好きです。「私をスキーに
連れていって」は日本のホイチョイプロの人気三部
作のひとつ。この次作、「彼女が水着に着替えたら」
は、このタイトルにひかれて?観にいった。谷啓の
しぶい親父が光ってたなぁ。

 さてさて、若い金髪のグラマーだったり、清純可
憐なヒロインだったりすると、女房持ちの私でも連
れて行ってあげたいと思うところだが、50過ぎの
ゴルフ初心者の男を、連れていってあれこれ指導し
てあげようという人はいない。じっとしてもダメな
ので、あちこち伝手(つて)を探しては頼んでもみ
るも、終いに義理の兄からも敬遠された。

 そのうち私らのような者を連れて、ゴルフデビュ
ーさせるというのは、実際には勇気のいる、かなり
難しいことだと分った。教え好き、世話好き、しか
も本人にそれなりの腕がいる。ほなさんの日ごろの
功徳のなさを悔やんでももう遅い。

 しかし、ここまできて諦めるわけにはいかない。
とにかく一度行って、実際のゴルフ場でプレーをし
さえすれば、二回目からは自分たちでいける。恥ず
かしくない程度のマナーなど、現場で教えてもらう
なら、あとは「みんごる4」で鍛えた「腕」を発揮
できる、とジリジリしながら、奇特な人物を探し続
けた。

再録「ほなさんの汗かき日記」第一部(前)

2010年11月03日 | 日記
    はじめに

 私は通称「ほな」さん、52歳の男性です。二年半
前、ふとしたことからインターネットの禁煙をすす
めるサイトを読むうちに念願の禁煙が叶い、その後、
後輩の禁煙チャレンジャーを励ましていると、「ほ
な」というハンドルネームが時々ひとり歩きはじめ、
別人格を持つようになりました。

 もともと「ほな」は、阿波弁の代表的な言葉「ほ
なけんど」からとりました。禁煙しようとしたが、
「ほなけんど」(だがしかし)できなかったという、
禁煙は失敗するだろうという照れ隠しを予想して名
付けた「ほなけんど」さんであります。後輩を励ま
すメールを書くうちに、「ほなけんど」さんでは長
いので、「ほな」さんとなりました。

 あるとき、ほなさんという初老の目を通して、今
いちばんはまり込んでいるゴルフ体験を書こうと思
い立ちました。
50歳にして初ゴルフですから、なにをいまさら悪あ
がき?です。できれば温かく見守ってやって下さい
ませ。


    ゴルファーへの道

 ゴルフ開始は、仕事で知り合いになった同い年の
Mさんの薦めによるもの。今日もお決まりの映画の話
で盛り上がり、健康の話へと移ったとたん、「なん
か運動しなきゃいかんで。ゴルフ練習場へでも行こ
う、クラブも準備してあげるから。」という軽い誘
いにのって、次の休みの日、タオル片手に自宅前で
待つことに。これが二年前の話でありました。


 初めて行った練習場の名は、アルバトロス

 2階の奥のできるだけ他人の邪魔にならん場所を
とってもらい、教えてもらいながらクラブを振る。
でもちっともあたらない、それどころか、隣めがけ
て飛んだりして、恥ずかしさの冷や汗ばかり。

 こういう調子だから、私も自分から進んで行きた
いとはちっとも思わなかったのですが、A型のMさん
が、血液型気質通り2-3ヶ月に一度は律儀に誘って
くれるので、時間が合えば連れていってもらうパタ
ーンになりました。でも10分打っては15分休む、
だから1時間は意外と早く経つもの。そうかと言っ
て2時間もよう練習できん、腰は痛いし、手も痛す
ぎた。

 そのうち送り迎えから道具まですべて甘えてばか
りではアカンと、生まれてはじめて門をくぐったゴ
ルフ専門店、その名も「ゴ○フ5」にアイアンの5
番が現品処分されており、金2500円也で買うこ
とにした。クラブをものにして、やはり自分の道具
だと遠慮せんでええから、思いっきり打ちはじめた。

クラブを握るたび、あれぇ、こんな握り方では、絶
対に球に当たらん、毎回これの繰り返し。しかし自
分のクラブを持ったのだから、月に1回は練習場に
行こうと決めた。


      江戸に行くつもりが長崎へ

 ゴルフのフォームというのは、見てるのとやって
みるのでは大違いだった。素人同士の教えあいだか
ら、よけいにおかしいものになっていく。
「ほなさん、今のスゥイングええわ」と褒められ、
我ながらうまいことやれてると感じたフォームは、
実際とはまったく違う。田舎のあぜ道を歩く「牛」
を「ベンツ」と呼ぶくらい違和感があるものだと、
2年もして理解した。

 そんなこんなで右往左往しながらの長屋講釈、素
人談義は実に楽しい。もともとゴルフというより、
汗をかくのが目的だから、綺麗なフォームより、ど
れだけ汗をかいたか、これに重点を置いたものだか
ら、「今日は何球打った」より、Tシャツにかいた
汗の面積の方が重要視された。

 そのうちMさんに「もうぼちぼちコースに連れて
行って」と頼むと、「まだ早いよ」の答え。何ヶ月
か先なら行けるよと、常に希望を持たせる返事をく
れたが、Mさんによってのコースデビューは、とう
とう最後までなかった。たぶん生真面目なMさんは、
私をコースに出す自信がなかったのだろう。私がM
さんを勇気づける当たり前のフォームができるまで
に、Mさんは会社を辞めてしまった。

 私は相変わらず「汗かきフォーム」のまま、じゃ
あ誰がコースに連れていってくれるのだろう?と不
安の練習場通いとなった。心の不安はすぐにフォー
ムに現れる、ほなさんのフォームはますます乱れ、
汗かきのためだけに成果を発揮した。