ほなさんの汗かき日記

かくれ肥満の解消に50歳を超えてはじめた健康徒歩ゴルフ。登場する個人名、会社名、内容はフィクションである。

ちょいとマジに「介護」の話

2013年07月27日 | 日記
今朝、NHKで介護保険の話をしていました。
それは、仕事をしつつ親の介護をどうするか?と
いうような内容でした。介護のために仕事を辞め
ざるを得なかった人が多くいるからですね。

ほなさんは、福祉用具を仕事の中心に置くように
なって、勉強会という講習会によく出るようにな
りました。
その結果、自分で理解できた話は、政治と直結し
ているということ、国の政策で、箸の上げ下ろし
まで決まるということでした。
今後、自宅での介護が増え、介護保険金、自己負
担部分も上昇してゆく、ということです。

介護保険は見直し見直しでやりくりしてますから、
選挙の終わった8月に、今後数年の方針が出ます。
ここ2-3日、その総括部分が新聞記事になっていま
す。

今朝の放送では視聴者からのメールに、
「子供が減り、老人が増えるぐらいのこと、国は
 判らなかったか。」
と、手を打ってこなかったことへの批判が多くあ
りました。
それは、その通りです。

ただ、1000兆円の借金やデフレが止められない(
レベルの)国と議員がやっているのですから、そ
んな先のことまでやれないのではないだろうか、
と放送をみていて思いました。

若い時代に、年寄りの自分を想像し、それに備え
られる人は賢人です。2年前、民主党の演説会に行
き感じたことは、この方たちは「素人だ」とがっか
りしました。
スローガンはありますが、国と国民を導くリーダ
ーシップと政策がなかったからです。

その時の弁士を務めた大物国会議員が、私の行く
講演会に来て、ノートを取り勉強をして、一言も
言わずにおられました。選挙前だったので、挨拶
のひとつもするために寄ったのだろうと邪推した
想像を打ち砕いてくれました。

子供の紙おむつの市場を、大人の紙おむつの市場
が抜きました。
もう日本はこういう時代に入ったのですね。

お金持ちは?

2013年07月24日 | 日記
NHKの朝ドラ「あまちゃん」の筋立てが意味不明
なのと同じように、今の世の中の流れがわかりませ
んなぁ。
あっという間に流れが変わります。

安倍政権の「アベノミクス」で上がった株価が、万
一12000円から転落するようなことがあると、自民党
もまた危ないと思っていたら、13000円をキープして
、選挙は大勝、株価もまた上げの波に乗っています。

株の予想はしょせん博打なので、前にも書いたように
よくわからないでいますが、日本の実態の株価は、13
000円以上の実力だろうと思ってきました。私の勝手な
憶測からくるものですが、だいたいこんなものではな
かったでしょうか。

株を20年やっている某氏と話することがあり、その際
、思い切って失礼な疑問をぶつけてみました。
「世の中で株や投資信託をするような人は、お金持ち
 だと言われているが、本当の金持ちは、株は持って
 いても売買はほとんどしないんじゃないだろうか。」

こんなことを尋ねたのは、株のようなリスキーな商品
を蓄財として持つのは、金持ちがほんとにしているこ
となんだろうか?と素朴な疑問がありました。

それぐらい株は、凋落の一途だったし、土地はもっと
暴落した20年間だったから、お金持ちは自らが損する
ことを、ちまちまとやるはずないだろうと思ったので
した。

というのも、美術品などにお金持ちが投資と称して買
ったと聴いたが、高くなったから売ったという話を聴
かないし、また、財産を評価の増減する金に直して管
理するような面倒なことをやっているとは思えません。

彼曰く、
「お金持ちは売買に命を預けなくてもよいから、そん
 なに必死になってやらんだろう。」
と、必死こいてやる我々は、そうせざるを得ない内情
があるからよ、と言いたげでした。

芸能人がいつまでも若い恰好をしているのは、年齢相
応になったら、仕事が無くなるからだという理屈と同
じでした。


ありがとうの魅力(後半のおまけ)

2013年07月15日 | 日記
お経でもそうなんでしょうが、何度も言って
いると、その言葉を言うと、反射神経のよう
に、心が洗われるというか、素直さを取り戻
すことができるようになります。(できない
時もありますが)

それがマンネリの極致だっていいのです。
「ありがとうございます」「すみません」と
言っていると、それがスイッチとなって、干
からびた心が潤い、心の負担が軽くなって、
自分の本来するべきことを想い出すようにな
ります。

周りをののしったって、相手の弱点を攻めた
って、問題は解決するのでしょうか。政治家
とわれわれは違います。ディベートという論
争で相手をやっつけるのが政治家という商売
なんですから、ある意味、政治家という商売
は「悲しい職業」のように、ほなさんは思い
ます。

人は代わりがありません。相手を生かし、自
分も生かしてもらうことでしか、世の中や人
生を楽しむことはできないように思います。

人生の折り返し点を過ぎ、己の中に、あと何
が残っているだろうと考えました。
使い切ってもらえれば、ありがたい、です。

子育てが終わり、若い人たちの後ろからつい
ていく日々に変わりました。
邪魔にならないよう、ついていければ幸いで
すね。

ありがとうの魅力(後半)

2013年07月14日 | 日記
50代からは「長」のつく呼ばれ方をして、偉
くもないのに、自分だけは偉いと錯覚してい
きます。こういう錯覚はいけません。トコロ
テン式に押し出してしまわれる年になり、や
やこしいから「長」や「先生」の扱いを世の
中がしてくれているので、銚子に乗ってしま
うのです。

でもそうはいきません。トコロテン式に押し
出された先は、崖っぷちから転がり落ちてし
まうような感じがします。これに気づいた人
々は、その場にできるだけ居座りを決めます。
それも理解できます。でも、「老害」と言わ
れる前に、自分から飛び出てしまったのです。
ほなさんの場合は、成り行きでした。

私のような横着者は、なにかが無いとなかな
か謙虚になれません。たとえば自分が一番若
い年齢であるとか、経験が無い、知らない新
しい場所などの新参者であったりすると、こ
れは謙虚に行かざるをえません。

特に今回のように、まったく知らない仕事の
福祉用具を扱うことは、どなたと会っても、
すべて私より皆、先輩なのです。ほなさん独
りが素人です。

過去数十年やってきた仕事なら、突然何かが
あっても、ほぼ慌てることなく対処できます
が、新しい仕事は、自分が知らないだけで、
周りの方々は皆知っていることかもしれず、
教えてもらいながら、こなしていくしか仕方
ありません。

それこそ他人様に頭を下げていく日々は、己
を恐ろしく素直にさせてくれます。
損得も考えなくなります。損得をいってる場
合でもなければ、言える立場にないのです。

「ありがとう」の魅力

2013年07月12日 | 日記
一般に理解できないかもしれませんが、
「ありがとうございます。」
と頭を下げる喜びに、年々浸っておりますほなさん
です。
「すみませんでした。」
と自己の不足を率直に詫び、許しを請うことも大事
ですね。

あれこれ理屈をつけ自己弁護をする前に、できるな
ら謙虚に、相手のためになろうとしたができなかっ
たり、いろいろな事情からできなかったと、お詫び
できればと思います。
謝ること、感謝することを忘れないで生きたいです
ね。

こういうこと、若い時は儀礼的なっていたこともあ
りました。
少しだけ勤めをしていた時期があり、そこを辞めて
商人の道に入ったきっかけが、
「ありがとうございました。」
と顧客に頭を下げたいという想いからでした。

それが年齢を重ねるにしたがって、特に自分の仕事
が終わりに近づいていると気付き始めた頃から、
この白髪頭を下げられることへの喜びを感じるよう
になりました。

世の中には、偉い「先生」になってしまい簡単に頭
を下げられない部類の方々がいます。そういう風に
なりたくてなれた方は別にして、簡単に頭を下げら
れない立場に追い込まれると、人というものは弱い
もので、弱い人ほど言い訳と自己弁護のため、攻撃
的になります。
悲しいですね。

おかげさまで、ほなさんは、60歳を過ぎてからまた
もや、
「ありがとうございます。」
から始められたのですから、心からうれしいです。

ボギーオン(箸休め)

2013年07月07日 | 日記
「喜劇役者」という、今はこの日本にはもう少なく
なってしまった部類の人間たちが、スクリーンの中
でそれぞれ腕を競い合っています。それが「喜劇映
画」でありました。

キートン、チャップリンをみてもわかるように、彼
らが出ているだけで、その存在感があり、何かやっ
てくれますね。

森重久弥の「社長シリーズ」「駅前シリーズ」の東宝
映画はお勧めしています。松竹にもいいのがあります
が、、。
出演メンバーがとにかく面白く、豪華です。思い返し
て、ぜひごらんください。大笑いすること請合います。

お座敷芸天下一の三木のり平さん、日本にそんな方言
あったっけと不思議な由利徹さん、一流ドラマーでシ
リアスから喜劇までこなすフランキー堺さんら、どこ
から脚本でどれがアドリブであるのかわかりませんが
、見ていると愉快そのものです。

他人を「いじる」ことによって笑う芸や言葉遊びだけ
の芸は、もう見飽きたですね。もうぼちぼち卒業した
いと思う時があります。
「喜劇役者」の腕が光る映画は、ほなさんを捉えて離
しません。

また一方では、大川橋蔵の「新伍十番勝負」、中村(
萬屋)金之助の「宮本武蔵」の時代劇路線、日本映画
全盛期を、それらをリアルに見ておけたことが、今は
なっては、なんと幸せだったのだろうと思います。

ボギーオン(11)

2013年07月01日 | 日記
ここ数日のことです。
夫には出さない雑穀の朝食を女房殿だけが食
べているのをみて、一昨日の朝、
「僕には同じパンばかりなのに、君はおいし
 そうなモノを食べているようですねぇ。」
と皮肉を言いました。

我ながらいい難いことがさらりとよく言えた
ものよと、この勇気と絶妙のタイミングを褒
めてやりたいと思っていますが、すると今朝
は、いつものトーストじゃなく、コーンパン
を用意してあるから、それを食べて行けと女
房殿が言ってくれました。

へえ、いつのまにそんなものを仕込んでいた
のか、やはり敵はいろんなものを持っている
なぁ、言ってみるものだと思いつつ、翌日の
朝を楽しみに待ちました。

ほなさんと女房殿の朝食は、ほなさんがタバ
コをやめてから別々の時間にとるようになり
ました。
元からあった睡眠障害がきつくなり、朝食は、
私は適当な時間にとっております。

この朝は6時ごろ、狭い廊下を挟んだ居間で、
ほなさんがコーンパンを食べ始めますと、
休みで寝ているはずの女房殿の声が襖ごしに
しました。
「コーンパンだから何もつけずに。そんない
 っぱいつけたら、味がわからないじゃない。」

寝ていて、見えないはずの女房殿が、なぜ?
私が、お客さんが作ってくれた「甘夏」のマー
マレードを、パンからしたたるほどの量をつけ、
うれしそうに食べているのが判るのか、本当に
不思議であります。

女房殿の忠告は時すでに遅く、この日コーンの
味を感じることができませんでした。それにし
ても、どうやって気づくのでしょう。恐るべし
女房の勘。やはり女房「殿」と呼ばねばなりま
せん。

この勘というやつは、女性の方がはるかに優れ
ているようです。万が一にも、「敵」にはでき
ません。危ない、危ない。