ほなさんの汗かき日記

かくれ肥満の解消に50歳を超えてはじめた健康徒歩ゴルフ。登場する個人名、会社名、内容はフィクションである。

60歳の手習い(1)

2012年09月28日 | 日記
ご無沙汰でした。

先週の5日間、仕事で九州での研修に行って
おりました。
もうこの歳での研修は、できれば行きたく
ないものと、
「近場での研修を希望」
したところ、
「そんな申し出は初めて。研修ができない
 ようじゃ、新しい仕事は諦めるのね。」
とすっきり言われてしまい、泣く泣くおっか
なびっくりで、薬袋を3つ持ち覚悟決めたの
でした。

乗り物酔いはするし、それもダンダン酷くな
ってきているようで、さんざん妻に文句を言
ったものの、最後は、そういう不甲斐ない己
を腹を立てバッグを肩にかけたのですが、
駅で、
「あんたは出かけてしまえば、なんとかなる
 のよ、いつもそうなの。」
と子供?みたいな励ましを受け、電車に乗り
込みました。
もちろん唯一の慰め、ゴルフ雑誌を手に、。

電車を乗り継いで約7時間かかって着いた事
業所から、宿舎のホテルは車を飛ばして20
分もかかるし、先から研修を受けているとい
う若い青年は、東北人らしく口が重く、要件
だけしか言いません。

東北の青年がホテルの駐車場で、
「ここに朝6時50分集合。」
と言い残し去ろうとするので、
「晩飯はどうするの?朝飯は?」
とほなさんが尋ねると、黒縁メガネの青年は、
「歩いて10分ほど手前にコンビニがあった
 でしょう。あそこで買えばいいです。ちな
 みに僕の朝飯は、菓子パンです。簡単でい
 いです。」

「君はこれからどうするの?まだ夜の7時半
 だよ。」
と言うと、
「僕は宿題がありますから、弁当買って、そ
 れを食べながらやります。だいたい終わる
 のが11時過ぎ。毎日そうしています。」

研修についていくのが必死で、ほなさんのよ
うな、しょうもない軽口を叩く閑がないので
した。
朝6時50分から、研修終わっても宿題つき
の日々が始まりました。ハードデイズ5日間
は保つのか?不安のスタートです。



東京五人男

2012年09月15日 | 日記
Y&Yさんのコメントです。

東京五人男、今から28年前に見ました。
ビデオも今でも大事に取ってあります。
昭和21年公開ということは敗戦間もない昭和20年に
撮影した映画ということで、その事実に当時の映画
人の気概、特に喜劇映画から戦後を始めようという
心意気に感動したのを、今もおぼえています。

昨年、震災の後、そのような気概を今のテレビ・映
画にかかわる人たちからまったく感じられず、落胆
したのもまた事実です。
ですが、少なくなってしまいましたがまったく別の
ところで、日本人の気概や心意気が生きていること
もまた事実です。

東京五人男が創られた時代より遥かにマシな時代を
生きるものとして、心意気を示してくれた先人たち
に感謝して今を生きて行きたいものです。
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こんにちは、Y&Yさん、書きこみありがとうござ
いました。
そして解説をありがとうございました。
ほなさんもまったく同感、です。

多くのマスコミ関係に、ほなは落胆しているひと
りですが、阪神大震災での「神戸新聞」さんのよ
うに、自らが被災したマスコミは「気概」をもっ
てやっているのではないでしょうか。

離れた東京で少し揺れた程度、大社屋に守られた
マスコミほど、同情している姿勢だけを強調し、
重箱の隅をつっついたことばかりやっているのが
恥ずかしいのか、正義感ぶった奇妙な報道をして
いる風に見えてなりません。

「俺らがやる!」
という熱い気概は、日本人のどこかで静かに生き
ているのは、絶対に間違いないでしょう。
日本人って、捨てたもんじゃない、そう私も思い
ます。

山田監督が選んだ100本の映画から

2012年09月13日 | 日記
先日、ある映画を見ました。
敗戦直後の日本、しかも東京、爆弾と焼夷弾
にやられた、焼け野が原で撮った喜劇映画と
いう予告があったから、ぜひ見たいと思って
いた。NHKのBSなので観られた方も多い
と思います。

エンタツ、アチャコ、ロッパをはじめ、当時
の第一戦の人気者が、敗戦のまさしく焼け野
が原を舞台に、浮浪者にならざるをえなかっ
た多くの庶民の生活を描いている。

敗戦の街は、それが手を抜いたセットと思え
るほど見事に建物が無く、山田洋次が
「戦争の資料的価値がある。」
と言ったほどの映画。でも、そこに登場する
人物たちは、やたらと明るい。

焼けた建物の代わりにバラックを建てて住み
、その日暮らしの生活をおくる庶民。対して
、ワイロをとる悪い役人が居れば、戦争孤児
に贈る物資を集める善人も居る。現代と何も
変わらないことに驚く。人という生き物は、
戦争ぐらいでは、その生き方に大きな変化は
ないのかもしれない。

東京5人男が勇んで、
「俺らが建て直してやる!」
と言い切れた言葉に、明日の日本を感じた。
でも、そういう言葉の裏腹に、敗戦がもたら
した生活の悲惨さがただよった。もう二度と
戦争などしていけない、そんな映画だった。

喜劇とは、悲しい現実の中で咲く花かもしれ
ませんね。

ゴルフがつまらなく、、

2012年09月12日 | 日記
深夜、キッチンから聞こえる不審な物音に目
を覚まし、女房を起こさないように電気をつ
けて、あちこち見て回る。原因が不明の物音
に、怖くなったほなさんは、そこにある練習
用パターに手を伸ばし握りしめてしまった。

一軒家じゃないから、小さな狭いマンション
は、だれかが忍び込める余地などありはしな
いのにね。
朝になると、冷蔵庫にたくさんの氷ができて
いた。ショーモナイ、これが原因だ。

NHKの人気ドラマ「タイムトンネル」に出て
きたタイムマシンの渦巻きは、いかにも不思議
な様相をしていたが、左巻きのラセンを描いて
飛ぶ、ほなさんのボールは、クラブを外側から
内側へ強引に引き込んだ為と思われる。

また、アイアンヘッドが地面に深くささる癖は、
腰、体、肩が途中でとまったままになっている
からだ。体が回転しさえすれば、体を軸として
クラブヘッドが体の前を通り過ぎ、さらに前方
へと走るのがわかった。

畑仕事の道具、トンガを土深く入れるのは、堅
くなっている土を掘り返し、細かくすることで
植物の生育を良くするためだ。ほなさんのアイ
アンは、ゴルフ場にある植物の生育を良くする
ためではなく、生え茂ったラフの夏草を刈るた
めの道具でもない。

それと同じく、8年間の歳月で、ゴルフ理論がわ
かってくると、ある意味「つまらなく」なって
きました。
「理屈はわかる、でもやってみるとできない」
ことの多さ、また、できるようになるためには、
相当な修練が必要なことを知りました。

勉強会(続々)

2012年09月09日 | 日記
今日明日の飯のタネを稼がなければならない
状態なので、とても将来を見据えての投資な
ど、それも目に見えない勉強代などへは、と
ても支払えなくなったのだ。
これが町の小商店の現状と想いだったのだろ
う。

倒産データを調べている会社が、別途、廃業
数を調べてみたら、倒産の数倍もあったと聞
く。廃業があまりにも多いので、今後も調べ
ていくと報道があったが、日本の産業構造の
転換点であることは間違いない。今後、どう
なっていくか心配でもあり楽しみでもある。

自分は小商店主として、死ぬまで店の床にへ
ばりついて仕事をしてゆくだろうと、ずっと
想像してきたが、5年前のある日突然、己のリ
タイアが来る予感がし、現実にそうなった。
自分の進退を己だけで判断できるのは、幸せ
かもしれない。引き際というのがある。

引き継ぎにあたって、この際かなり整理して
きた。4度店を変わったので、建物など資産の
未償却分を整理し、多額の赤字を押し付つけ
てしまう結果となった。一度も倒産もせず、
店をそのまま家族へ引き渡せたのは、まぁメ
デタシというところか。

店内勉強会を3回、リクエストに応じる形で
レジメを作り、6時間しゃべった。引き継ぎ
を終えると、その後、息子も含めたスタッフ
からの相談事が多くなった。
なんでだ?もう終わったはずだろうに。

この季節の売場はどう展開するのか、とか
商品のことなど、いろいろ言われる。ほおっ
ておくわけに行かないので、あれこれ言って
みるものの、もうこの親父には何も残ってお
らず、古くさいカビの生えた理屈ばかりに思
えてならない。現場でやっていく若い人たち
が、若い感覚で古い基本理論を再生させてく
れればありがたいけど、使えなければ、捨て
てくれていい。

引退を決めると、どうした縁か、私に次の仕
事、ある商友から声がかかった。隠居は収入
が無いから、何か仕事をやらざるをえないな
ぁ。ジジイが食っていくのは、簡単ではない
ね。

モノになるかどうか、判別つかないまま、合
間に、介護の勉強をしているような次第で、
これがまたなかなか進まない。こんなんで、
お金を稼げるのかしら、、、ほなさん、不安。

勉強会(続)

2012年09月01日 | 日記
かつて勉強会が熱心だったころ、どの店も会社も
スタッフ教育をやっていました。ほんの数千円か
ら数十万円で、そういう機会がたくさんありまし
た。温泉宿や海外旅行で骨休めをしながら、昼間
は見学か観光、夜に勉強といったものなどは、遊
び半分「研修に行ってきます。」という名目さえ
つけば、おおっぴらに経費が使えたものです。

そういう軽い勉強会であっても、それなりの自己
啓発ができ、効果が上がるものでした。
ところがある頃から、1日や2日の思いつきの勉強
程度では身につかなかったり、成果がでなくなり
ました。現実が厳しくなったのでした。バブルが
はじけ、その後の人口減、顧客減のデフレ経済下、
売上は減少一途となりました。

そして多くの店が、店をたたむ中、目の前の生き
残りだけが主題となったのでした。もうこうなる
と、明日のための勉強なんて「悠長な」ことをや
っている余裕はありません。

また少し勉強をしたぐらいで、売上アップするこ
ともが無いのは自明の理。そうなると、勉強会へ
の経費の持ちだしが、会社として認めらないこと
になりました。昇給が無くなり、ボーナスがカッ
トされ、実質、給与までがドンドン下がってきた
のですからね。

ところがキューバ?急場しのぎでずっとやってき
たら、なんだかスタッフの精神がすかすかになっ
てきました。何のために仕事をやっているかも判
らないまま、給与はぎりぎりだし、成果はでない
、周りは廃業が多くなりました。戦争末期みたい
なもんです。
また、先が見えないから、倒産するまで思い切っ
てやれないんです。零細業者は討ち死に(自主廃
業)するしか手がないんですね。

うちの息子なんてのも、どうやったら良いかが判
らなくて右往左往、自信が持てないようでした。