ほなさんの汗かき日記

かくれ肥満の解消に50歳を超えてはじめた健康徒歩ゴルフ。登場する個人名、会社名、内容はフィクションである。

流した汗は嘘をつかない

2010年12月29日 | 日記
大手チェーン店の多くが加盟している日本チェーンス
トア協会の資料を大雑把にいうと、衣料品の販売高は
1990年 約4兆円  だったものが、
2009年 約1兆3千億 にまで下がっている。
ユ○○ロ、しま○ら、さんらが活躍していても、全体
としてはこういう姿なのでしょう。
今年はたぶん1兆円ぐらいでしょうから、20年前を
ピークにナント 4分の1にまで、衣料品は落ちたと
いうことになります。
(食料品は近年ピークをむかえ、少し下がってきたか
 ら、それでも10%以上のダウンをしているが。)

衣料品の落ち込みようをみて、75%ダウンする業界が
実際にあるのだから、ぞっとしました。
この9月大手問屋の社長の昼食会に、私のような小さ
な業者が呼ばれたのも、ここまでひどい現実があった
からですね。

県の統計にも、同じような傾向が表れていて、旅行、
化学、機械、などの異業種では、ダウンしても前年の
ラインを上下しながら推移しているが、衣料品だけは、
前年をはるか上にみるような水面下の動きを、長年み
せてきたのが現状です。
資料を扱う担当者から、かねてより
「ほなさん、このグラフはいったいどうしたわけ?」
と言われ、その返答に困ってきたが、右へ一直線、75
%もダウンしてきたのだから、多くのブランド専門店
は無くなり、セレクトショップとして生き残ろうとし
ているし、大手量販店の衣料品売場は姿を消してきた
のでしょう。

このまえの平日、イ○ンの衣料品売場を観たが、とて
も見られたものでなかったです。画一化された、だれ
も居ないスペースはもはや売場ではなく、お客様がこ
んなところで商品を購入するだろうか、売り手側は二
十年前からなんら進化していないと、不謹慎にも思っ
てしまいました。

私と私の店はここ数年、そうとう苦しみ、必死な汗を
かいてきました。うちの奥さんはその中心にあり、新
しい自分流を産み出そうと、傍でみていて、いつギブ
アップしてもよい、と思えるくらいの血の汗を流し、
努力をしてきました。
こういうのを相撲界では「3年先の稽古」というのだ
そうですが、額に汗することをいとわずやりますと、
自然と贅肉は落ちていきますし、お客様からは、
「楽しいなぁ」
「面白いなぁ」
「(便利)(安い)(その他)助かるなぁ」
と言われる声がだんだんと増えてきました。

テレビでやってましたよ、
「流した汗は嘘をつかない」 ですし、
鍵山秀三郎さんの好きなことばで言いますと、
「大きな努力で 小さな成果を」
ですね。
また来年も、迷うことなく額に汗して、
「ひとつだけ拾えば ひとつだけきれいになる」
と明るくやっていきます。

まず家族とお客様、そして周りのスタッフに感謝しつ
つ今年が終われること、これ以上にありがたいことは
ありません。
皆様のお幸せを祈りつつ、、、     合掌。
                 ほなさん

再録「ほなさんの汗かき日記」(第6部)スタート

2010年12月22日 | 日記
いつもお越しくださってありがとうございます。
「ようお越し、岩おこし」の大阪ギャグがでるくら
い、読んでいただいている、あなた様には感謝
しております。

「汗かき日記」が第5部を再録した時点で、まぁほ
んと自分で、こんなに長く書いたものかと思いまし
たら、実際にはまだ終わっておらず、手元に原稿が
ありました。
それを若干整理したうえで、第6部としてスタート
させていただきますね。
まずその出だしは、ここからです。


 
   「ほなさんの汗かき日記」第6部


 銀行さんに連れていってもらってから3週間ほど後に、K師匠
のコンペが開かれた。
そこははじめてのコースで、アップダウンのある山岳コースでし
た。

 スタートホール、打ち下ろしのティーショットでOBをまぬが
れた私をみて、K師匠は、
「2打目は、あの大きな木の上を狙っていけ!」
こうアドバイスしてくれました。

フェアウエイ真ん中にどっしりと立つ巨木がみえます。
ほなさんはダフらないよう気をつけながらスイングしました。す
かざず、
「ナイスショット!」
と師匠とキャディさんから声がかかりました。

自分でも惚れ惚れするショット、球の巨木の真上を目指し飛んで
ゆく様に申し分はなく、今日こそ良い出来になりそうな「予感」
が、、、。

再録「汗かき日記」第5部(おわり)

2010年12月18日 | 日記
それからは、OBを怖れず、ドライバーを打ちまくりました。
ほなさんは、恐ろしいほどの癖を身につけてしまったよう
です。戦い終わって、そのスコアは、デビューと変わらな
い 
「 1 4 0 」
でありました。

進歩なし!
こんゴルファーおるんかいな、情けない、ほんま。

土曜日の夕刻、Oさんの白いワゴン車で送ってもらいながら、
話しかけられる内容は、まったく耳に入りません。今日の行
員さんたちの私への声援が、今もゴルフ場の空にむなしく響
いているようでした。

東へ向かう道路は、背中から指す夕日に輝いて、家族連れを
乗せた幸せそうな車の群れで、いつまでも混んでいました。                                (第5部 完)



自分で読んでいても、いやになってきますね。
うんと、腹立たしい。
でも、自分への腹立たしさは、なんともしようのないこと
でありました。

再録「汗かき日記」第5部(中の下)

2010年12月16日 | 日記
Oさんは、30代前半で、180ウンcmの長身からくりだすス
イウングが豪快そのもの。社会人野球のピッチャーで、離れ
た場所でする素振りの音がビュンビュン聴こえていた。
ところがティショットは、
「あっ!」
という声を残して、行ってはいけない左に向かい、それは池
のど真ん中の上空めがけて、一直線に飛んでいった。文句な
しのOBだ。
Oさんは大きな身体をヘロヘロさせて、悔しがった。大きな
ガタイに似合わず、性格が可愛らしいのだ。

私の4番アイアンは、まともに当たれば150ヤードくらいはい
けるだろう。割り込んだ池の向こう岸に届くことを祈って、
力のかぎりのティショットをした。

Oさん以外の行員さんは、私がこんな初心者とは思ってみなか
ったようで、声を張り上げて応援してくれた。こういう時の運
動部経験者はいいものだ。前もって相談してくれていたのだろ
う、私がティショットが終わるや三人は、
「行けーー!」
「届けーー!」
の大声援が冬の空にこだます。

これが「接待ゴルフ」というものなのかもしれないが、突然そ
れをきいた私は、ジーンとして涙がでそうになった。

みんなの声援にもかかわらず、私の4番アイアンではあと10ヤ
ードほども足りなかったのだ。
初めての池ポチャを体験することになってしまった。谷越えと
違って、高所恐怖症に襲われる心配がないから、心置きなくス
ゥイングできたはずなのに、結果は同じ「ダメ男」だ。

急に風向きが変わったのかと思って、池の手前まで行ってみた。
対岸まで150ヤードという距離にどうしても見えないので、キャ
ディさんに尋ねた。
若いキャディさんは平然と
「180ある」
という。がっくりだ、180もあって、風が吹いたら、そりゃ私で
は届きませんよ。

目測できないから、きちんと聞かなかったの私が悪いのだが、キ
ャディの姉ちゃんも近くに居て話を聴いていたろうに、と思うと
急に腹が立ってきた。
心の中で「なんだこら???」と。
でもなぁどこまでいっても、距離の出るウッド系(ドライバー)
が振れない私が悪いのだから仕方ないか、、、。

池の手前にドロップして、悔し紛れの第三打を打った。腹立ちま
ぎれに打ったショットは、ダフッのかトップしたのか、二度水面
をはねる水切りショットになった。あわや、また池ポチャ罰か、
と心が縮んだ。
危ない、危ない、ツーバウンドでなんとか池を越えた。腹たちま
ぎれにスイングしてはいけない。ゴルフは心理ゲームだと、当た
り前の約束事を思い出した。

何ホール目か終わり、とあるロングホールのティグラウンドでの
こと。
代理さんが
「ほなさん、苦手のドライバーを練習したらどうですか?現場で
 練習しないとうまくなりませんよ。」
と怖がる私の背中を押してくれた。Oさんも
「アイアンは打てるのだから、自信をもって。」
と励ましてくれた。

心の隅に、私のへたなドライバーで、行員さんの送別ゲームを台
無しにしてしまうといけないという遠慮があり、アイアンばかり
を多用してきた。けれど代理さんは、私が遠慮さえできるレベル
に達していないことを見抜き、まずはドンドン練習させることが、
自分達より老い先短い、このヘタッピ男のためだと判断してくれ
のだ。

代理さんは、こう考えたのだろう。
ほなさんという取引先の男を改めて見直すと、取引先ランクは「
Bの下か、C」、毛が少ないのに頭の白髪は多い。それでいて、
てっぺんはかなり危険、デンジャラースだ。垂れさがった目じり
のシワは20年後の欽ちゃん、日頃の疲れた生活を物語っているよ
うだ。
その男がここでドライバーに当てることができたなら、いかほど
喜ぶことであろうか。御礼にと、定期預金は無理にしても、身の
丈精一杯、公共料金の引き落とし約5口を持参して、一生の忠誠
を誓うであろう、と。

このホールは、ひらがなの「く」の字を下から書くように、フェ
アウエイが左に流れ、途中から右に曲がるロングホールだ。ティ
グラウンドでは
「思い切り打て!」
とみんなが力を込めて言った。
フェアウエイの左側は隣のコースで、OBにはならないそうなの
だった。

再録「汗かき日記」第5部(中の上)

2010年12月13日 | 日記
     銀行ゴルフ

 4度目の本コースは、とてもきれいな「○」(アルファベ
ットの10番目)という名称だった。
冬の朝は遅い。
パットの練習をして、スタートの頃まではちらちら舞ってい
た雪が、スタートのころには止んだ。スタートコースとなっ
たのは、枯れた芝が大きな波となって、うねりながら左にカ
ーブしているコースだった。
見渡すかぎりの枯れ芝の海は、
どこがフェアウエイ?
どこがラフ?
見分けがつかない。冬のコースは、なんとわかりづらいのだ
ろう。いったいどこに向かって打っていけばよいか。

TVゲーム「みんごる4」で、世界中の代表的なコースをしっ
ているが、本物のコースはNカントリー以外初めてだ。しか
も枯れた芝ではなかった。Nカントリーは、K師匠が先達をし
てくれたが、今日は銀行さんに頼るわけにはいかない。自分
の目でみて、とりあえず見える方角に打っていくしかない。
キャリア不足で、頭の中に、コースのイメージが描けなかっ
た。教えてくれなければ、コースの反対側へ打ったとしても、
私は気付かないだろう。それだけにコースの形、どっちがグ
リーンの方角なのか気になる。

遠近両用メガネの奥から藪睨みをして、コースを見ている私
の姿は、なんとも異様だったのだろう。若いキャディさんは、
「おはようございます」
を言ったきり、私のほうには目をくれなかった。
風はアゲインストだ。

本コースへ行くとわかってからの数日は、ドライバーをナン
トか形にしたいと練習してきた。禁煙サイトの大先輩ゴンキ
チ氏曰く、
「ドライバーをスカッと打つところからゴルフがはじまる」
のだから、たいして飛ばない4番アイアンで刻んでいてはゲ
ームにならないと考えていたのだ。
朝もやの静かな空気を切り裂いて、ドライバーから打ち出さ
れたボールが、次々と空高く舞う、これこそゴルフゲームの
スタートだ。

銀行の三人がそれぞれドライバーを打っていく。支店長代理
の球は、シングル目前のフック回転の球筋で、いいポジショ
ンを確保した。
社会人野球でピッチャーをしていたという「O」さんのボー
ルは、当りが良すぎて、丘のむこうの凹部に飛んで行った。
一番若い行員さんがドンピシャリと、遥かなうねりの丘に届
き、皆を湧かせた。

そのあと私は思案のあげく、猛特訓でも当たらなかったドラ
イバーを抜くわけにもいかず、4番アイアンで力いっぱい打っ
た。自分にしては、空高く舞い上がるナイスショットなのだ
が、ボールはすぐに力尽き、距離からすると「ナイスちょっ
と」がいいところ。
うねりの丘のはるか手前の凹部に吸い込まれてしまった。

落ちたところはラフの海。打つわ、叩くわ、それはいつもの
とおり。
4番、5番、8番アイアンの連続ワザとなった。
アイアンのラインダンスの足上げをみてるようだ。すると調
子にのって肝心のグリーンを追い越した。やっと戻ってきた
ら、今度はグリーンが波打っている。ポテトチップスのよう
にデコボコだ。

さあパットが入らない。心の中の騒動が終わった頃、やっぱ
りスタートホールは二桁になってしまった。

次のホールは、池越えだ。
(「谷越え」は第二部をお読みください。)
はじめての池越えなので、実はとても楽しみにしていたのだ。
Nカントリーでは、谷という谷にボールを打ち込んだので、
真面目一徹の笑わないK師匠も
「ほんとに谷越えはアカンなぁ」
と大きな笑い声を出された。私のほうにしてみてれば、どう
せ力が入ってダメなんだから、笑っていただくほうが気が軽
い。
でも、いつまでもそういう状況というのもまずいので、次は
池越えにチャレンジして、うまくいけば自信回復をと、狙っ
ているのだ。

コースの左側に池があり、それがティグラウンドの先100ヤ
ードから150ヤードくらいの間に割り込んできている。つま
り、左側の全域とティグラウンドの先が池のOB区域だ。

「ほなさん、池ですね」
と、谷越えの第二部を読んだOさんが笑っていた。そのOさ
んは私の担当だった時期があって、私の「汗かき日記」を第
一部から全部読んで、ほなさんの弱点を知っているのだ。

再録「汗かき日記」第5部(神々の話)

2010年12月11日 | 日記
この前の手術の時のことをお話いたします。

ほなさんが厚かましくもイエス様から天理王のみことまで願
掛けしたものだから、呼び出された御方々は、狭い手術室に
入りきれなくて、神様仏様のがすし詰め満員電車状態。あま
りの混雑にうんざりしんながら、
「やあやあ、久しぶりだなぁ」
と神様仏様同士の挨拶がはじまった。
「いつも艶があっていいねぇ、弁天さん」
とモーゼが誉めたのを合図に、
「じゃあ、みんな集まったので久しぶりにいっぱいやりますか」
と、受付をしていた千手観音が準備をする。

なにしろ千手というぐらいだから、その手早いこと。一方で酒
を用意し、一方でお酌をしていく。熱燗、ぬる燗、何でもござ
れだ。

えびすさまの鯛が立派なので、それを調理したいと言ったら、
あれは商売道具の看板なので、フェイクなのだという。そのか
わり宝船に魚を入れたクーラーを積んであるから、ちょっくら
とってこようとおっしゃった。色っぽい弁天さまの酌を受けた
仏陀が
「前にこれだけ集まったのはいつだったか」
とみんなに問うたので、
「誰、誰の葬式はいつだったか?」
という話になった。

そのうち隅のほうから、
「日本で末法思想とやらが広まったおりに、それでは世も末だ、
 と対策会議をしたではありませんか。あの時いらいではない
 ですか。」
と透き通る優しい声がした。赤ちゃん姿のイエス様を抱いたマ
リア様だった。

マリア様は、神々の世界ではマドンナなので、威厳があり、一
同ウンとうなずく。マドンナのマリア様が呼ばれてきていると
いうので、関係ない神様まで、これは一大事と駆けつけてくる。
人間の世界ではキリストはスーパースターだが、神々の世界で
は、マリア様が超人気で、男の神様は、みんなあの腕に抱かれ
て眠ってみたいと密かに思っているのだ。

マリア様が病院に来ているという噂は、瞬時に広まったために、
気の早いものは次男か長女がおできになるのではと「祈願 安
産」と書いたお札や、「出産祝い」の籠盛りを持参してくるも
のまで出てくる始末。そんなこんなで、ほなさんの入院してい
る病院の周りは、人間には分らないが、上を下への大騒ぎとな
っていた。やがて地獄から閻魔大王の手下、鬼どもが呼ばれて
雑踏整理とあいなった。

中でもホッテントットの神様などは、飛行機の都合で遅れてき
たものだから、とうとう部屋にも入れなくて、
「呼ばれて来たのに、神としてこんな扱い受けたことないぞ。」
と何度も鬼に文句を言うが、アフリカの言葉が通じなくて諦め
てしまった。本来先にくるべき鬼専門通訳の桃太郎が、桃の出
荷が終わった直後で、スポンサーJA岡山の慰安会参加の営業
があり来れなかったようなのだ。

やがて宴会が終わり、世界中の神様仏様はさすがに良い方ばか
りで、こんな図々しい男のために、それぞれがきちんとお祈り
をして下さり、ほなさんは予想以上、早期の回復となった。た
だ、狭い場所でそれぞれの神々がお祈りの言葉を言うものだか
ら、一時は騒然としたが、「踊る宗教」の神様だけは、狭いか
ら手術室の外でやれと文句がで、表の一方通行の道路上で祈祷
されたと聞く。この神様の場合、ストリートダンスはお手の物
だからちょうど良かったのかもしれない。

「神様、仏様、どなたさまにもお世話になり、ありがとうござ
 いました。」
退院時、ほなさんが手を合わせたら、
「しばらく呼ぶなよ。」
と声がしたような、、、。

再録「汗かき日記」第5部(前編)

2010年12月10日 | 日記
もともと内臓にたまった脂肪は、燃焼することもなく、
ほなさんは、ちょっと見た目では太くない「かくれ肥満」
のひとりでありました。それが「汗をかく」ことの必要性
を特に感じるようになったきっかけは、禁煙をはじめてい
らい、ことごとくズボンが合わなくなったからです。

するとその年の身体検査では、コレステロール、糖尿、肝
臓、エトセトラ、エトセトラと異常値が出ました。それで
も禁煙できて体調が良くなってきていたので、やがて肥満
のピークを過ぎたためか、ゴルフ練習場通いが効を奏した
のか、少しは体重が下がりました。それが、第4部で書い
た手術をして退院してきたら、太る前の体重に戻っていま
した。体重の問題だけは、「一件落着!」(とみえを張る)
となったのでありました。

ただ、退院時に二枚目「昼メロ」先生から、「これといっ
て食べてはいけないものはないが、脂ものを食べると、胆
汁という消化液が間に合わないから軟便になるかも。」と
聞いていました。
私はそれでなくとも、胃腸が弱いのです。
これは、見事に的中、当たりました。
よそ様が急行電車なら、ほな様は特別急行電車であります。

退院後しばらくは、出勤時、何度かお腹が痛くなり途中で
よく引き返しました。ある日の出勤途中にもよおし、車を
反転させるために、名も知らぬお宅の駐車場へ強引に乗り
入れました。ちょうどその時、中から車で出てこようとし
ていた家人がおりました。
フロントガラス越しに見えるほなさんの顔の迫力が常軌を
逸していたのか、家人のほうから
「すみません」
と詫びました。

その家人宅の駐車スペースで、ほなさんは自宅から出るよ
り大きな態度で車を回転させ、慌てて自宅方向へ走り事無
きを得ました。
しばらくは「出物、腫れ物、ところ嫌わず」を地でいく毎
日でした。

 ほなさんは、もともとトイレが近い、飲んだものがすぐ
出る性質(たち)だったので、町のどこどこにトイレがあ
る、とか、こういう建物の場合は、こちら方面にトイレが
あるだろう、とか、いわゆるトイレに関して「鼻が効き」
ます。「臭いだから鼻が利きやすい」などと、しょうもな
いつっこみを言ってはいけません。外国の見知らぬ建物で
も、たぶんこっちだろうなんて行くと、たいていその辺り
にありました。
神様は、人が生きていく才能を必要に応じて与えてくれる
のですね。口うるさい「この男」が、自分のお漏らしを神
様のせいだと罵るだろうから、早めにトイレの場所を教え
なければならぬと思ったのでしょう。

再録「汗かき日記」(第5部)がはじまるよー

2010年12月09日 | 日記
「ほなさんの汗かき日記」は、2002年からはじま
りました。Mさんに誘われ練習場へ行くが、練習
ばかりでコースに出れません。ゴルフ場へ行きた
いのに、練習場でクラブを振るばかりでは?とT
Vゲームを購入、コースに慣れようとしました。
今から思えば、なんという発想だったと思います
が、素人とはそんなものですね。

第一部(後)から第二部全編、第三部(中)まで
は、コースデビューのもよう(2004年6月)です。
この月の終わりに、胆嚢手術があり、秋のコンペ
にむけて頑張りました。ゴルフがしたいと一途な
おかげで、摘出手術が簡単に通過できました。
思い込みの効果です。

第四部は、2004年9月、二度目のコンペのもようで
した。海峡をつなぐ赤い橋がきれいで、ゴルフコー
スの風景が楽しみのひとつであると知りました。
しかし腕の方はひどく、自己流がきついので、師匠
のアドバイスから、コーチに習いに何度か行きまし
た。そして実践は、近くのパブリックコースへ。

いよいよ「ほなさんの汗かき日記」の再録の最終章
が、このあとからはじまります。
さて、どんな話がでるか、
おっと、そこのお兄さん、お嬢ちゃん、知っている
からって話のネタばらしはいけません。
お口にチャックでお願いしますよ。

では、、、、、


再録「汗かき日記」第四部(最後のおまけ)

2010年12月08日 | 日記
     草原の風に身をまかせ

「草原を渡る風をみたのは、いつのことだろうか。」と、
私はこの『汗かき日記 第一部』の最後に書きました。そ
して、その風を身体いっぱいに受けていたい、と。身体の
芯にたまったヘドロ化した脂汗を搾り出し、サラッとした
身軽な体になって、身体の隅々まで爽やかな風を通したい
と思ったのでした。
昔から云う、梅雨が終わったあとの「虫干し」を、自分の
体に行いたかったのです。体の奥に仕舞い込んできたもの、
長年たまりにたまったものがそれだけ多かったのでした。

風光明媚なゴルフ場のコースのようなわけにはいきません
が、このショートコースでも、爽やかな風に出会うことが
よくあります。山沿いを行き来する風が、コースのフェア
ウエイを吹き抜けていくからです。山から市街地を往来す
るこの風来坊は、汗をかいたゴルファーの身体を、背中か
ら押したり、正面から吹き付けたりと、やんちゃ坊主のよ
うな気まぐれをみせてくれます。

私の湿った肌とアンダーウエア、シャツのそれぞれの間に
割り込んで、生暖かい汗と空気を吹き飛ばしてくれるので
す。靴のメッシュの小さな穴さえも、平気な顔して通って
いきます。
誰も居ないフェアウエイでこの風来坊に出会ったら、私は
帽子を飛ばされないようにして、しばしその場に立ち止ま
り、大きく息を吐き出し、目を閉じて、全身を風に晒しま
す。

いつも聴こえる遠くの車や街の騒音、それさえも風が勢い
よくさえぎって、フェアウエイに残るのは、鳥のさえずり
と木々や草が揺れる空間だけ。
気持ちのよい至福の時を、私は見つけたのでした。
                   (第4部 完)