(「ほなさんの汗かき日記」のアメブロに載せた
ものを再録)
おしっこ騒動
夕方個室に入ったものの、なにもする事がないという。息子
にゴルフ雑誌を3冊ほど買ってきてもらった。翌日、しゅっと
う医の昼メロ先生と術後担当の女医さんが挨拶にきてくださ
ってから、急に身辺があわただしくなってきた。手術は午後
2時からの1時間の予定だ。
看護婦がやってきて、言いにくそうに、全身麻酔だから、わ
が「ムスコ」にゴムチューブを入れるという。どこかでみたと
記憶のある地元の看護婦さんが、遠慮がちなしぐさと裏腹に、
慣れた手つきでグイグイとチューブを差し込んでいく。
「あっ!」とも「うっ!」ともつかない言葉の連発。うまく入
れてくれたのか、間もなくおしっこがビニール袋に流れ出た。
ほっとしたのもつかの間、おしっこをしている感覚がないとい
うのは奇妙で、出そうで出ない、出ないようで出ている、結局、
精神状態が不安定になる。困った。
幼い頃から、おしっこの飛ばしっこに生きがいを感じてきた私
に、このダラダラというのはとうていガマンができない。この体
の奥のむず痒いような感覚も困る。痛いなら痛い、とかはっきり
したものがないのだ。ベットの周りを袋をぶら下げたまま、散歩
して気分をまぎらわせようと試みた。いますぐ麻酔をかけてくれ
と言いたいのを我慢して、点滴とおしっこ袋を手にもって、ソワ
ソワ、ウロウロ。このまま2時間以上も辛抱できないよ。
そういう私の苦境を、妻は大笑いし、義父はそんな我がままを言
うなんてと眉をひそめる。そのうち、先生に、おしっこ袋をはず
してもらえないか頼んでもらったら、なんと快く承知してくれた
ではないか。ゴムチューブを抜いた後は、おしっこを絞り出すた
びに痛かったが、それよりもあのなんとも言えない感触から解放
されて、本当に助かった。
「直前逃亡」事件
妻が大笑いしたのには理由があった。なにを隠そう、いやすでに
お気付きの通り、私はものすごい小心者なのだ。以前、歯が痛く
て辛抱たまらず行ったクリニックで、自分の番になって名を呼ば
れたとたん、不安にかられて逃げ帰った過去があるのだ。
あのキューンという歯をけずる機械音のするほうから、「アッ!」
という患者の小さな声が聴こえたのだ。それを聴いてしまっては
怖くて怖くて、もう診療室へ入る勇気を無くしてしまった。一目
散に家に帰ったら、家族中から大笑いされた。
それいらい、人として当たり前の勇気を取り戻すのに、約10年の
歳月がかかった。この「直前逃亡」事件があってから、顔なじみの
クリニックの先生は「ちょっと痛いけれど、麻酔なしでやりましょ
うか?」なんていう得意のブラックジョークを、私には絶対に言わ
なくなった。そう言われると、私がすぐさま帰ってしまう小心者だ
と知ったからだ。そしてまたこの男は10年も来ないのだから。
手術開始
まだTVが白黒の時代、しかもドラマといえば洋物ばかりの頃に、
大ヒットした「ベン・ケーシ」の番組の冒頭を想い出していた。
私はベットに乗せられたまま、右へ左へ、手術室を目指して運ば
れていく。天井しか見えないので、どこをどう行くのかわからな
いが、着いた所は、薄暗い部屋だった。数メートル横に、器具が
集まっているから、あそこで手術されるのか。
一本線の入った帽子をきた看護婦が、「このベットが最後ですよ。
入れ替えるから、移って下さいね。」と私を覗き込みながら言うの
で、仰向けのまま移動した。この部屋に大勢の人が集まってきた。
昼メロ先生が「はじめますよ、ほなさん。次に目を覚ましたら、
もう治ってますから安心して。ただし癒着がひどかったら開腹し
ますよ。」と優しく念を押した。「お願いします。」と私。
先生が準備に向こうへ行った隙に、私は神頼みをはじめた。熱心な
信者さんが聞いたら怒り出してきそうな、困ったときの神頼みだっ
た。
「なんみょうほうれん、なむあむだぶつ」、急いだ時は、南無だけ
でもよかったっけ。でも仏教だけじゃ足りない。
「私を救いたまえ、アーメン」「悪しきをはろうて助けたまえ天理
王のみこと」と知っている限り古今東西の神と仏に頼んでいたら、
枕元に来た先生が
「○○を○ミリ入れて」
と指示した声を境に、一瞬で意識が途切れた。
私に呼ばれ仕方なしにやってきた古今東西の神様、仏様は、その願
いの厚かましさ、無節操さにあきれはて、五月蝿い(うるさい)から
そのぐらいでやめさせたようだ。
どこかで呼ぶ声が聴こえる。「○○さん、、、、終わったよ」と女
性の声がして、右肩を何度かゆすられた。何か言ってくれているが、
判断がつかない。寒い、ものすごく寒い。氷の中に閉じ込められたよ
うに、寒くて筋肉が硬直している。自分の体はどうしたんだ、もがく。
それにしても寒い。
病室のベットに戻され、おむつをはずしてくれ、ガチガチ震えている
体に電気毛布をかけてくれた。終わった、無事に帰ってきたみたいだ。
寒くて動かなかった体が体温を取り戻すにつれ、だんだん平常になっ
ていった。
体が動く、穴をあけた4箇所の傷口はさして痛くなかった。二枚目
の昼メロ先生と術後担当の女医さんが様子を見にきてくれた。手術は
うまくいった、と表情からも読み取れる笑顔をしていた。
「中の癒着がひどくて、いちいち剥がしながらの作業だったよ。」
「以前だったら、間違いなく開腹していた」
と説明してくださった。
「傷口は痛くないか」と言うので、
「痛くない」と返答すると、
「痛くないはずはないから」と笑われた。
しかしホントにところ、痛みはたいしたことなかった。お腹の調子が
悪かったりとか、2日くらいの便秘したときよりも、痛みは軽い気が
した。
術後2時間もすると、驚くほど回復し、なんとか自分で立ってトイレ
に行けそうな気がしてきた。もちろんダメだといわれ、一晩、尿瓶(
しびん)のお世話になった。
それにしてもこの内視鏡手術の軽さには驚いた。術後、2時間もする
と自分の体が動くようになり、体を動かしても痛みが少ない。翌朝か
ら自分でトイレに行けたから、クーラーの利きぐあい以外、何も困っ
たことは起きなかった。
嫌なことは、ポコ○○に入れたゴムチューブの気持ち悪さ、麻酔が切
れた後の寒さだけだった。どちらもなんともいえない気分を味わった。
ものを再録)
おしっこ騒動
夕方個室に入ったものの、なにもする事がないという。息子
にゴルフ雑誌を3冊ほど買ってきてもらった。翌日、しゅっと
う医の昼メロ先生と術後担当の女医さんが挨拶にきてくださ
ってから、急に身辺があわただしくなってきた。手術は午後
2時からの1時間の予定だ。
看護婦がやってきて、言いにくそうに、全身麻酔だから、わ
が「ムスコ」にゴムチューブを入れるという。どこかでみたと
記憶のある地元の看護婦さんが、遠慮がちなしぐさと裏腹に、
慣れた手つきでグイグイとチューブを差し込んでいく。
「あっ!」とも「うっ!」ともつかない言葉の連発。うまく入
れてくれたのか、間もなくおしっこがビニール袋に流れ出た。
ほっとしたのもつかの間、おしっこをしている感覚がないとい
うのは奇妙で、出そうで出ない、出ないようで出ている、結局、
精神状態が不安定になる。困った。
幼い頃から、おしっこの飛ばしっこに生きがいを感じてきた私
に、このダラダラというのはとうていガマンができない。この体
の奥のむず痒いような感覚も困る。痛いなら痛い、とかはっきり
したものがないのだ。ベットの周りを袋をぶら下げたまま、散歩
して気分をまぎらわせようと試みた。いますぐ麻酔をかけてくれ
と言いたいのを我慢して、点滴とおしっこ袋を手にもって、ソワ
ソワ、ウロウロ。このまま2時間以上も辛抱できないよ。
そういう私の苦境を、妻は大笑いし、義父はそんな我がままを言
うなんてと眉をひそめる。そのうち、先生に、おしっこ袋をはず
してもらえないか頼んでもらったら、なんと快く承知してくれた
ではないか。ゴムチューブを抜いた後は、おしっこを絞り出すた
びに痛かったが、それよりもあのなんとも言えない感触から解放
されて、本当に助かった。
「直前逃亡」事件
妻が大笑いしたのには理由があった。なにを隠そう、いやすでに
お気付きの通り、私はものすごい小心者なのだ。以前、歯が痛く
て辛抱たまらず行ったクリニックで、自分の番になって名を呼ば
れたとたん、不安にかられて逃げ帰った過去があるのだ。
あのキューンという歯をけずる機械音のするほうから、「アッ!」
という患者の小さな声が聴こえたのだ。それを聴いてしまっては
怖くて怖くて、もう診療室へ入る勇気を無くしてしまった。一目
散に家に帰ったら、家族中から大笑いされた。
それいらい、人として当たり前の勇気を取り戻すのに、約10年の
歳月がかかった。この「直前逃亡」事件があってから、顔なじみの
クリニックの先生は「ちょっと痛いけれど、麻酔なしでやりましょ
うか?」なんていう得意のブラックジョークを、私には絶対に言わ
なくなった。そう言われると、私がすぐさま帰ってしまう小心者だ
と知ったからだ。そしてまたこの男は10年も来ないのだから。
手術開始
まだTVが白黒の時代、しかもドラマといえば洋物ばかりの頃に、
大ヒットした「ベン・ケーシ」の番組の冒頭を想い出していた。
私はベットに乗せられたまま、右へ左へ、手術室を目指して運ば
れていく。天井しか見えないので、どこをどう行くのかわからな
いが、着いた所は、薄暗い部屋だった。数メートル横に、器具が
集まっているから、あそこで手術されるのか。
一本線の入った帽子をきた看護婦が、「このベットが最後ですよ。
入れ替えるから、移って下さいね。」と私を覗き込みながら言うの
で、仰向けのまま移動した。この部屋に大勢の人が集まってきた。
昼メロ先生が「はじめますよ、ほなさん。次に目を覚ましたら、
もう治ってますから安心して。ただし癒着がひどかったら開腹し
ますよ。」と優しく念を押した。「お願いします。」と私。
先生が準備に向こうへ行った隙に、私は神頼みをはじめた。熱心な
信者さんが聞いたら怒り出してきそうな、困ったときの神頼みだっ
た。
「なんみょうほうれん、なむあむだぶつ」、急いだ時は、南無だけ
でもよかったっけ。でも仏教だけじゃ足りない。
「私を救いたまえ、アーメン」「悪しきをはろうて助けたまえ天理
王のみこと」と知っている限り古今東西の神と仏に頼んでいたら、
枕元に来た先生が
「○○を○ミリ入れて」
と指示した声を境に、一瞬で意識が途切れた。
私に呼ばれ仕方なしにやってきた古今東西の神様、仏様は、その願
いの厚かましさ、無節操さにあきれはて、五月蝿い(うるさい)から
そのぐらいでやめさせたようだ。
どこかで呼ぶ声が聴こえる。「○○さん、、、、終わったよ」と女
性の声がして、右肩を何度かゆすられた。何か言ってくれているが、
判断がつかない。寒い、ものすごく寒い。氷の中に閉じ込められたよ
うに、寒くて筋肉が硬直している。自分の体はどうしたんだ、もがく。
それにしても寒い。
病室のベットに戻され、おむつをはずしてくれ、ガチガチ震えている
体に電気毛布をかけてくれた。終わった、無事に帰ってきたみたいだ。
寒くて動かなかった体が体温を取り戻すにつれ、だんだん平常になっ
ていった。
体が動く、穴をあけた4箇所の傷口はさして痛くなかった。二枚目
の昼メロ先生と術後担当の女医さんが様子を見にきてくれた。手術は
うまくいった、と表情からも読み取れる笑顔をしていた。
「中の癒着がひどくて、いちいち剥がしながらの作業だったよ。」
「以前だったら、間違いなく開腹していた」
と説明してくださった。
「傷口は痛くないか」と言うので、
「痛くない」と返答すると、
「痛くないはずはないから」と笑われた。
しかしホントにところ、痛みはたいしたことなかった。お腹の調子が
悪かったりとか、2日くらいの便秘したときよりも、痛みは軽い気が
した。
術後2時間もすると、驚くほど回復し、なんとか自分で立ってトイレ
に行けそうな気がしてきた。もちろんダメだといわれ、一晩、尿瓶(
しびん)のお世話になった。
それにしてもこの内視鏡手術の軽さには驚いた。術後、2時間もする
と自分の体が動くようになり、体を動かしても痛みが少ない。翌朝か
ら自分でトイレに行けたから、クーラーの利きぐあい以外、何も困っ
たことは起きなかった。
嫌なことは、ポコ○○に入れたゴムチューブの気持ち悪さ、麻酔が切
れた後の寒さだけだった。どちらもなんともいえない気分を味わった。
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