ほなさんの汗かき日記

かくれ肥満の解消に50歳を超えてはじめた健康徒歩ゴルフ。登場する個人名、会社名、内容はフィクションである。

シニア杯(8)

2010年06月26日 | 日記
誰か有名人が出ると、「私が見出した」と言う
人や親戚を語る人が増えると言いますが、ほな
さんが先に書いたことは、まさしく同レベルの
こと。

橋本さんは迷惑に思われるでしょうが、嘘では
ありませんので、ほなさんというなんでもしゃ
べりたおす人と知り合いだったことを運命だと
諦めてくだはい。
日本人は数代さかのぼるのとみなどっかで繋が
っているとか言われますからね。

まぁそれにしても、チャットモンチーがあれほ
ど売れるとは、当時の私を含めてみな思わなか
ったのです。それを信じていたのは、リーダー
の橋本さんだけ、彼女だけは周囲の反対をもの
ともせず、プロへの道を模索していました。ソ
ニーの社長さんでさえ、まさかここまで売れる
とは!と思ったことでしょうが、デビュー当時
から、力の入れようはすごいものがありました。
(聞いた話では)

サッカーワールドカップの日本の監督、岡ちゃ
んも、誰もが考ることができなかったシーンを
ずっと思い描いていたんですね。
3-1で予選ラウンドを勝ち抜いた試合をみて
そう思いました。こんなに強い日本をわれわれ
ははじめて見るかもしれないが、岡ちゃんの頭
にはたくさんのシーンがあり、そのひとつがこ
れだったんだと。誠に、おみそれしました。

想像すらしないで、成果を生み出すことはない
のでして、こうなる!という願いと共に、その
シーンを頭に浮かべた人がいるのです。その方
は賞賛されてしかるべきです。

恋もそうですが、思い描く、これはすべての基
本、大事なことです。ここからはじまります。
想像したもんが勝ちなのです。
こらこら、そこのあなた、そういうこと想像し
たら、、、。でもまぁ想像だけですから、特に
許しましょう。結果はあとで私に教えてくださ
いね。

さて8番ホールのバンカーとの境、ラフにかか
ったボールは、どうやったら良いのでしょうか。
片足をバンカーに、片足はラフに置くと、ほぼ
体は45度になりました。SよりもAをあててみ
ると、ボールはへそ辺りにあり、クラブを振る
事ができませんでした。

うまく当たれ!こう念じてクラブを動かすと、
球の手前の草をかすり、球の頭を叩き、ボール
は逆方向、バンカーの中へ滑り落ちました。
失敗です!
こんなん、うまく行くはずがないわ、とほなさ
んは思いました。

つづいてほなさんの番です。堅いバンカーの砂
にドスンとヘッドを入れましたら、うまくピン
方向へ球は飛び出ました。ピンまで1mの距離、
バンカーショットは最高でした。

ほなさんはパターを持ってグリーンへ上がって
行きました。72歳の爺さん、といっても私よ
りも大柄で、みるからにスポーツマン然のMさ
んが、すれ違いざま、
「さっきのは、ウッドで打ったほうがよかった
 な」
と言いました。

あっ!そうか、、、。そういう手もあった。
ほなさんは、自分の想像力の無さに、愕然とし
ました。思わぬことは、実現するはずもないの
です。

チャットモンチー秘話

2010年06月23日 | 日記
「チャットモンチー」という若い女性グ
ループのバンドをご存知ですか?
初老のほなさんとチャットモンチーとの
つながりはどこからみても無い!と思わ
れることでしょう。
今日は、そう私の自慢話です。

地元の春のイベント「はなはるフェスタ」
で優勝し、その時はじめて知り、ミーハ
ーほなさんは、リーダー橋本さんのご両
親と親しかった関係で、CDをわけても
らい、ファンになりました。

その時の感じは、「しいなりんご」風で
あったように思います。いくつかの曲を
聴いてみると、けっこういいんじゃない
のと思い、車に乗せておりました。

「花春フェスタ」で優勝したものの、審
査員の評論のどれもが、
「素人バンドとしては良いが、プロでは
 まず通用しない」
というものでしたが、リーダー橋本さん
のやる気は本物でした。お父さんの、
成功するはずがないから、諦めさそうと
とした時、ほなさんは、
「やらせてみるべきだ」
とキッパリと答えたのでした。

以後、ソニーと契約でき、猛練習がはじ
まりました。1年で驚くほど楽器の腕は
成長し、音が前に出て、ぐいぐい響くま
でになりました。

ほなさんが、やらせてみたらどうかと、
お父さんに勧めた理由は、
チャットモンチーが若い娘達の応援歌を
歌っていたからでした。

ライブでの橋本さんの歌声をきくと、元
気になる!と聴いたことがあります。「
ゆず」もそうですが、若い子達が生きて
ゆくには、特に応援歌がかかせないもの
ですからね。

チャットモンチーのメンバー誰もが知ら
ない話

シニア杯(7)

2010年06月20日 | 日記
8番ホール(パー3)はグリーン手前に大きなバン
カーがあり、それを越えたあたりの、約80Y地点に
落とすとピン傍に転げこみますが、ピン直撃では大
きすぎ、グリーン奥へ行ってしまいます。
こうなると奥からの急傾斜は難しく、ボギーなら上
出来、ダボも十分にありえるホールです。

無難に行くならティーグランドからみて、バンカー
を避けた、右、左のラフに入れるのが懸命です。よ
ほどピンに寄せれたら1パットもありえますが、グ
リーンを外したら、2オン2パットのボギーが妥当
な線です。
パーを狙ったワンオンは、バンカーのすぐ後ろに落
とす技術と勇気が試されるホールです。

今日は年に一度のシニア杯2日目です。ほなさんは
もちろん、バンカー奥にみえるピンを、直接狙って
いくことにしました。
風はアゲンストのようです。「A」をもってフルス
イングをしようというのです。「P」なら大きすぎ
ますから。

ほなさんの打った球は、まっすぐ飛んで行きました
。でもちょっと当たりが浅かった。アゲンストの風
にぶちあたると、ちょうどバンカー上の空中で停ま
り、しばらく後に真下へ落下、堅い砂で跳ねかと思
うと、今度はバンカーとラフの境にくっつきました。

誰の目にもかろうじて停まっていると見え、やっか
いそうです。
「あれは、どうやって打つのだろう?」
と後ろの方が言いました。
その球を打とうとしたら、片足はバンカーの砂、片
足は50cmもある淵に置かなくてはなりません。

後ろの二人は、
「あんなの打ったことないぞ。」
と囁いています。
うーん、バンカー付近の球を打つのは、私は「S」
か「A]です。これ以外で打つことをした経験が
ありませんでした。
「そんなに驚かさんといて」
とほなさんは、後ろに向かって言いました。

シニア杯(6)

2010年06月16日 | 日記
あーあ、たった50cmもないパット、これが入
らなかったのですよ。登り下り、前上がりまた
は前下がりなどの傾斜なら、難しいことでしょ
う。この場合は、ただまっすぐ、打てば良かっ
ただけやのに、それができません。

ほなさんのボールは、カップを右にかすめて停
まりました。’ひっかけ’というのでしょうか。
周りから
「あー、、、、モッタイナイ」
というため息が聴こえました。いつものことな
がら馬鹿野郎の私であります。

ここ一番が決められない、かっくん親父なのであ
ります。
(かっくん親父の絵は見つけれませでしたが、作者
滝田ゆうさんの雰囲気をみてもらえばと思います。)

それに比べ、わが女房殿は男前であります。
つい最近の武勇伝は、バンカーから三度で出なかっ
たので、
「もう!」
と言うなりグリーンへボールを投げたのありました。
グリーンを転がるボールをみて、言葉がでませんで
した。

また、息子殿は、怒り心頭した時、クラブを投げ捨
て、すべてをそこに置いて、帰り始めたことがあり
ました。数歩ののち、われに返った彼は、バッグを
取りにきました。ほなさんは、
「帰ろう」
とだけ声をかけました。

ほなさんには、女房のような男前さもなく、息子殿
の蛮勇もできず、、ミスしたスコアカードを捨てる
ことなく持ち帰り、後悔の念でじっと見ているだけ
なのであります。

悪戦苦闘のまま、8番ホール(約90Y、グリーン手前
に大きなバンカー)にやってきました。

できないことなんかない

2010年06月12日 | 日記
障害者ゴルフの事務局長、シュガーさんのブログの
まる写しになってしまいましたが、、、、
その一文と、スポーツマン哲ちゃんの記録もお読み
ください。

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哲ちゃん達が自転車で走ったのはパースからシドニーの
5千キロ。
計2ヶ月間。アップダウンの激しいルートや交通量の多い
危ない道。

 哲ちゃんは片足で黙々とペダルを漕いでいた。

 途中、自転車レースのチャンピオンとかいう男が現れ、
「俺について来れるか」と挑発する。グループから一人
抜け出して男を負う哲。

 同等のスピードで走り、やがて男は哲ちゃんが片足だ
と知り、驚く・・・。

 とまあ、このドキュメンタリーは哲ちゃんの頑張りと
冒険心がたっぷり見られる。
    (「かけがいのないゴルフ人生」6月10日より)

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哲ちゃんらの
オーストラリア自転車横断のドキュメンタリー、

できないことなんかない

ぷりんさんのコメント

2010年06月09日 | 日記
シュガーさんのブログ拝見しました。
どうして医者は 諦めるような発言をするのでしょうか 
以前、瀬戸市に住んでいたのですが、住んでいた町内は 
若い人がおらず、私が 妊娠した事を近所の人が知り、
同級生を作りたい。という意思で 子供ができました。

そしてその子供とうちの子供と遊ばせる事ができました。
2歳の頃でしょうか…同級生の子が連日高熱を出し、脳
に菌が行き、いわゆる しょくぶつ状態になってしまっ
たと聞きました。

そんな中、母親は、毎日手をつかみ、声をかけ、看病をし
ていたと聞きました。 すると、医者が、『話かけても無
駄ですよ。理解ない状態ですから…』と言われたそうです。

その後、すぐに転移したと聞きました。(もちろんでしょう)
それでも諦めずに母親は何をするにも声をかけながら看病
をし、すると、目を動かして返事をするようになり、表情
も少しずつ変化が表れ、外出もできるようになりました。

私達には図りしえない苦労と努力もされたと思います。医者
って、どうして心ない言葉を発する人もいるんだろう…。治
したいと思って医者になったんじゃないの??と人間不信に
なりました。  

病気と闘っている人は 沢山いる世の中で、今、現在私は
薬も飲まずに生活できている事に感謝をしなけれは…と改
めて感じました。

ゴルフの話とは かけ離れてしまぃましたが ほなさんす
みませんでした

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ぷりんさんへ、

お医者様の真意はなんだったか、疑問をもたれたこと
はよくわかりました。
まずは、そのお子様が回復なさった、まだ完全じゃな
いかもしれませんが、心からお喜び申し上げます。ご
両親の思いは、いかばかりだったか、私などの想像を
はるかに越えていることでしょう。

お医者様の世界のことは存じませんので、私の知る
範囲でお話してみますね。

私の仕事は、物販業者です。
「店はお客様のためにある」という理念を肝に命じて
やれ!と亡くなった師から教わり、これを座右の銘に
おき、迷ったらここに立ち返り、損得より善悪を優先
させようと日々やってきました。

「あなたの生活のためにお客様がいるのではなく、お
 客様のお役に立つことがあなたたちの仕事なんだよ」
と教えられ、そのようにやっても、なかなか続きませ
ん。ふと我に返ると自己本位の自分が出、言い訳ばか
りの簡単な道、安易な道を通ろうとします。維新の志
士のように、志を高く背筋を伸ばしたと思ったら、現
実の中でいつの間にか背筋が曲がってきたのが、過去
30年でした。

私のような怠け者には、間違えたらまた戻す、間違え
たらまた正すというくり返しの人生、お客様へお詫び
しながらであることは疑う余地がありません。

人は何のために仕事をしているか、それを忘れてしま
うのです。私たちは地域のお客様のために、公務員は
民のためになろうと思ったことを忘れてはなりません。
そのお医者様だって、患者のためになろう!と思った
こともあったはず。それを思い出して欲しいですし、
きっと思い出すことでしょう。
継続の中で、人は一人前の社会人に育て上げられてゆ
くことでしょう。

そう期待しつつ、ほなさんは自分の背筋が曲がってな
いか、今日もチェック、チェック。
あれ!背骨が無くなっている、、、。
(最後はジョークですみません)

シニア杯(5)

2010年06月08日 | 日記
おもわず感傷的な話をしてしまいました。
母子話に勝る話はありません。
肝心のゴルフを忘れてましたので、また脱線
しつつ、元のヘボ話を。

いわずとしれた不振の原因は我が脳、これが
ゴルフの正体であります。
なんとも言えないんですが、脳が再生するっ
ていう話を、シュガーさんが書いてます。

詳しくその先も興味津々で読みました。
さらに、渡辺さんのホームページを読んでみ
てください。

身近なK村さんの印象でも、
「この方、倒れる以前の健康体にしよう」
と思える瞬間があるんです。半身動かない人
をみていて、その貪欲さに頭がさがります。
ほなさんの脳も再生するんでありましょうか
と、元のレベルを疑いつつ、、。

さて5番は、ピンまで80Y少し、パブリックで
二番目に短く、若干の打ち下ろしとなったホー
ルです。今日の旗の位置は奥、グリーンの右半
分に落とすと、左へ転げる癖があり、場合によ
ってはグリーン外へ落ちることさえある、見た
目より難しいようです。それで左側は要注意、
アプローチウェッジの8-9分のふり幅でジャス
トの距離でありました。

ここで、ほなさんの球は、今日はじめてピン傍
にいきました。ピンにからんだのです。50cm
もありません。皆から、
「おっ!バーディチャンス」
と声がかかりました。

幸せになってほしい(後日談)

2010年06月04日 | 日記
「母の話題はしない」と決めた子供達は、
今では、
「お母さん!」
という言葉が家庭内を飛び交っていると、周りの
方々から伺いました。母の死を自分の責任と思い
苦しんでいた長男は、新しい母によく相談してい
るそうです。
新婦は、捜し求めたぴったりの方でしたからね。
本当によかったです。

さて、”ぴったり”というのは、本当に難しいの
ですね。今回の総理大臣じゃありませんが、椅子
にぴったりの人はなかなかいません。仕事でも、
人事がすべてのはじまりと言われますのも、その
器にぴったりかどうかは、仕事への熟練云々だけ
ではないようです。

人はどうしても高望みをしますから、ちょうど良
いかどうか、当事者には意外と判定できませんね。
欲望が、目を上下に揺らし、幸せを掴めないこと
が多いのです。

ほなさんには、かの爺と婆が、息子家族の幸せを
願うモノサシが間違ってない、つまり欲に左右さ
れることなく判断していると思いました。これな
ら、ベストの方にめぐり会ったら、必ずこの方だ
と気付きます。出会う必要のある方には、必ず会
わせてくれるのが、人生と言いますから。

以前紹介した人の話題です。
苦労して店を軌道にのせ、一昨年結婚した中部地
方の青年に、昨年、秋、男の子が産まれました。
かわいい写真を何度も送ってくれました。

青年の親バカぶりなんぞ見てやるものか、と思っ
ても、これがまたかわいい男の子なんで、ほなさ
んの家族は、
「いやぁ、かわいいなぁ。」
と見惚れています。

幸せな姿をみることは、他人のことでもうれしい
ものです。あなた様の幸せ、お祈りしております。

幸せになってほしい(終)

2010年06月03日 | 日記
他人が同情することは、余計なお世話、迷惑な
ことかもしれません。貧困は辛い、でも、お金
があっても、居るべき家族がいないのはもっと
辛いことなのだと、ほなさん夫婦は、改めて気
付かされました。あれ以来、幸せになってほし
い、そう願っておりました。

それから数年が過ぎました。
ある日、妻が事務所で伝票の整理をしていたほ
なさんを呼びました。挨拶に来いというのです。
何事?と思いながら行ってみると、そこには、
かの婆とにこやかな女性がいました。

新しいお嫁さんだと、紹介されました。新婦は
旦那さんより少し年上の、それはそれは柔らか
い、包み込んでくれそうな方でした。ほなさん
には、その女性の周りに子供達が上気した笑顔
でいると、容易に想像できました。

家族というパズルの、失われた大事な大事な一
枚が、やっと埋め込まれたのです。そして、で
き上がったところへ埋める最後の1ピースは、
本来とても難しいのものです。

新婦という人は、素の方でした。これなら子
供達が安心して信頼できる人だと一目で判り
ました。
「ぴったりのいい人で、努力が実ったね。
 おめでとうございます。これ以上の方はい
 ないでしょう。よく見つけたね。」
と婆に言いました。母という最後の1ピース
は、どこも隙間なく、はみ出ることなく見事
に埋まりそうでした。
「誉めてくれてうれしい」
と婆は嬉し涙を流していました。

今夜は、爺と婆は出かけ、家族水入らずで過ご
すそうです。
妻が、
「一緒にご飯を食べたらいいのに」
と不思議そうに言いました。
ほなさんは、
「爺と婆の出番は終わったんだよ。これからは
 新しいお母さんと家族達の大事な時間を作っ
 ていかないと」
まだ小さい末娘の、遠慮がちな甘えっぷりが目
に浮かびます。

「そのうち、お祝いに行こう」
とほなさんは妻に言いました。
家族の失われた時間を、この女性なら埋めてく
ださることでしょう。そう思うと、妻の目にも、
私の目にも涙がいっぱいで、もう話すことはで
きませんでした。
幸せになってほしい、強く、そう思った日であ
りました。

幸せになってほしい(2)

2010年06月01日 | 日記
爺と婆は、この不憫な子供たちを大事に育てよ
うと懸命に努力しておりました。爺と婆と申し
ても、ほなさんより少し上だけ、子育ての格闘
は容易に想像がつきます。

孫とは、自分達に責任がないから「かわいい」
とたまに相手をしておればよいのですが、責任
ある子育てとなると、これは体力的にも、精神
的に本当にたいへんなことです。でもやらねば
なりません、自分達が子達の砦なんですから。
爺は入退院を繰り返しておりましたが、共に老
夫婦の格闘の日々は、続きました。

地元では若いお医者さまをそのまましておけない
と世話する方がいて、お見合いの話がたくさん舞
い込みましたが、
「その気になれない」
とお断りをしているようでした。

それもそのばず、亡くなった奥様とは、直接は
一度だけしかお会いする機会がありませんでし
たが、私達のようなものへも頭を下げてくださ
る聡明な優しい方でした。妻として母親として、
とても出来た方という評でありました。

「お母さんが死んだのは、自分のせいだ」
と思い込んだ長男は、その後も続いていると伺
っておりました。そして、子供たちが母の話題
をいっさいしなくなったのは、母の話をすると、
周りの誰もが涙するからでした。こども心に、
皆が悲しむ話題はしてはならない、と三人は考
えたようでした。

なんと他人の痛みの判る子供達でしょう。こん
な素直な子達に罪があるはずもなく、それでも
自分のせいだ思わざるをえない人生の冷酷さ、
いつかは宿命として受け入れなくてはならない
とわかっていても、みている私達は、あまりに
過酷すぎ、あまりに不憫であると思いました。

婆はどこまでも祖母でしかありません。子供た
ちに母という存在が必要なのは目に見えている
だけに、母と呼ぶ、心底から頼りにできる人が
現れる日まで、それを夢見て子育てをがんばっ
ているとおっしゃっていました。

子達の話をするたびに共に泣き、最後に
「体に気をつけて、がんばってね」
というのが、ほなさん夫婦の精一杯の言葉であ
りました。