ほなさんの汗かき日記

かくれ肥満の解消に50歳を超えてはじめた健康徒歩ゴルフ。登場する個人名、会社名、内容はフィクションである。

再録「汗かき日記」第三部(中々)

2010年11月10日 | 日記
(「ほなさんの汗かき日記」のアメブロに載せた
 ものを再録)

        「昼メロ医師」登場

 古い地元の病院で、診察してくれた外科医師は、そのまま
「お昼のメロドラマ」に出ても遜色ないほどの二枚目役者風
だ。セットした髪があまりに見事で、患者の間でも有名な話
だったが、はからんや中身もよく、人柄と腕は病院の看板を
担っている人物との評判だ。

 その昼メロ先生は、ソフトな口調で「今からあちこち診た
上で、、。」と話すと、いよいよ検査開始となった。看護婦
から「アレルギーはないか?」と訊かれたので「ない。」と
答えると、動脈からなんらかの物質を入れる点滴注射をし、
「何か変化があったら呼んでください。」と優しく言ってく
れた。そう丁寧に言ってくれるなら、少々のことはガマンし
ますよと、心の中で返事したが、変化といってもどんな変化
が起こったら呼べばいいのかわからない。不安をよそに、5分
おきに若い医者や看護婦が、様子を見にきて「異常はないか」
と声をかけてくれる。
 15分も経ったころだろうか、背中かお尻の辺りが痒くなっ
てきた。やってきた看護士に、何の気なしに、「あのー、ち
ょっと痒(かゆ)いんだけど」と言ったら、その看護士は慌
てて詰め所に帰って、「患者さんが痒いと言ってます。」と
報告し、それが次から次へと伝達されて大騒ぎ。この注射は、
おいおいそんなおおごとだったのか。その緊迫感に、となり
で喧しくしゃべっていたおばちゃん連中も大人しくなった。
大騒ぎの原因の「痒い」という一言が、注射と関係なかった
らどうしよう、もう一回痒いかどうか空いてる手をねじって
そっと触ってみた。やっぱり少し痒かったのでほっとした。

 昼メロはここ20年前ぐらいまでとても人気があり、「ライ
オン奥様劇場」(?)は子供でも知っているほど有名だった。
朝、旦那と子供を送り出し、洗濯、お掃除、夕食の準備まで
の合間にほっとする時間帯だから、お昼は専業主婦のゴール
デンタイムだった。
 ほとんどのあらすじは、夫をもつ主婦がふとしたことから
恋に落ち、その不倫の愛を、善良な夫、子供との間で悩むも
のと相場が決まっていた。そして必ず悪い奴が登場した。ヒ
ロインを脅したり、悪辣(あくらつ)な場合は、主婦が愛し
た相手が悪者だったりと、どこからみても分り易い筋立てな
のも良かったのだろう。一世を風靡した。早く帰った小学生
が、吉本のお笑い番組のあと、ラブシーンを仕方なく見てい
たときもあった。それもだんだんハードになって、まだお昼
だというのにベットシーンが売りもののドラマもあった。出
てくる男優の特徴は、今で言うスポーツ系のイケメンは出て
こない。ムードがあり、ソフトな物腰、落ち着いたオールバ
ックのハンサムと、あくまで主婦役のヒロインを引き立たせ
るために、あまり癖があってもいけない。主人公をよぶ「奥
さん」というセリフが、やがて「○○子」と呼び捨てられる
にしたがって、ドラマは筋を進んでいった。

 どこまでも主婦を喜ばすための番組だったが、主婦が社会
進出を果たし、お昼にドラマをみることができなくなってブ
ームは過ぎた。昼メロもよき時代の想い出だ。

 別の医師がやってきて、点滴を中止し痒い箇所をみて、「
すでに薬剤の6割くらい入っているから、このままMRIにかけ
ます。」と言う。看護婦に「ほなさんは、次からアレルギー
があるというのよ。」と注意された。MRIは、金属をこするグ
ラインダーのような音が大きくなったり小さくなったりする機
械だった。でもあとで、これはすごい機器だと知った。昼メロ
医師が、MRIで撮ったものをノートパソコンに写し、3Dの動く
画面で見せてくれた。私の胆管がぐるっと回転するのだ。腹腔
胸手術をするにはいくつかの条件があって、その第一に、胆管
に胆石が落ち込んでいないことだという。

 私の胆管は、少々グロテスクだが中はきれいなものに見えた。
昼メロ先生の説明は、そのセットした頭のように完璧だった。
そして「いつ手術しましょうか?」と尋ねるので、私が「いつ
でも」と答えると、「1週間入院しますから、仕事の都合もある
でしょう。」「ベットが空いてるか、聞いてきてくれ。」とそ
の場にいる看護婦に指示を出した。

      かってな思い込み

 えっ!1週間も入院するのか、そんなことは聞いてないよぅ。
内視鏡の手術というのは、ほんの2-3日だろうと予想していた
からだ。全身麻酔で1週間の入院、それってけっこう本格的な手
術じゃないか。
そしてベットは空いていた。手際のよい昼メロ先生は、最後に
おまけもつけた。「私がやった250例の中で、開腹手術にいたっ
たものが数例ありますから、最終的に開腹することもあります
よ。その場合は1ヶ月入院していただくことになります。」素人
判断による希望的観測は、専門家の前では、都合の良い思い込
みにすぎない。そりゃそうだ、歯医者の予約を取りに来たのとわ
けが違うよと、自らの甘い予測を反省した。

 胆石そのものは二人にひとりは持っているものらしいが、それ
が痛むから取らざるをえないのだ。痛む、痛まないは、石の大き
さと、場所の問題なのだ。胆嚢(たんのう)の役割は、日頃、肝
臓で作られた消化液(胆汁)を貯蓄しておき、十二指腸に脂など
の食物が到着すると、胆汁を降りかける仕事をしている。その際
、胆汁を搾り出すのだそうだ。胆石という石の入った皮袋をギュ
、ギューッ絞ったら、そりゃ痛いのは当たり前だ。さらに運悪く
石が胆管に落ち込むと、七転八倒の痛みになるという。

 手術というのは、胆嚢の中にできた石を取り除くことだと思っ
ていたら、なんのことはない、胆嚢という臓器そのものをとって
しまうことだった。もともと石ができるような体質、生活習慣は
手術で治るものでなし、臓器をとってしまえば、なるほど二度と
胆石ができることはないからだ。そうなると、全身麻酔、1週間の
入院、と宣告されても納得がいった。父の日明けの月曜日、夏台
風○号が過ぎ去るのをまって入院した。
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再録「汗かき日記」第三部(中)

2010年11月10日 | 日記
(「ほなさんの汗かき日記」のアメブロに載せた
 ものを再録)

       戦い終えて

 駈けずり回ったおかげで、日除けに被っていた帽子の半分
ほどまで汗がしみこんで色が変わっていた。気持ちの良いそ
よ風がプレーの間に何度も体の隅々を流れていったけれど、
乾く間もなく皮膚という皮膚が潤って、18ホール終わった時
は池に落ちた野鼠の様だった。

 セルフデーの早朝ゲームだったということからか、クラブ
ハウスはキャディさんも居ない、少数のスタッフだけの閑散
としたたたずまいだった。夏の日差しを浴びたクラブハウス
の中は、陰影がさらに濃くなった分、オーシャンビューのリ
ゾート地さながらに、ゆったりした時間が流れていた。ほっ
として、ベットがあればそのまま眠ってしまいそうな、塩と
新緑の香りに包まれていた。

 K師匠にお礼を言って、放心状態のまま家路についた。
バックミラーには、K師匠の車が猛スピードで去っていくの
が見えた。この受難の地から一刻も早く離れたいのだろう。
いや、この普通でない親子と一日を過ごした記憶を、一刻も
早く消し去りたいかのように。その異様な様を見ても、疲れ
きった二人は無口のままだった。アクセルを踏む足の感覚が
ないほどの疲労に、のろのろ運転が精一杯だったのだ。

 夜、ほなさんとその息子は、ビールの泡を飛ばしながら、
家族でただひとりの聴衆(妻であり母であり)に向かって、
交互に語りかけていた。それでも妻はいやな顔もせず、熱く
語る夫と息子の話を聞いていた。男というのはどこまでいっ
ても子供だとあきれつつも、家族で話に花が咲くことを喜ん
でいた。「コースがどんなに美しいか」「アップダウンの中
で、止まったボールを打つことがいかに困難か」と理解でき
ないことばかりだが、自分がK師匠を紹介しただけに家族が
躁状態でいてくれることは楽しく、今日の結果を素直に喜べ
たのだった。

 親子の会話はさらに続いて、「翌週の初コンペとは?」を
語る段になると、もう夜もとっぷりと暮れていた。バイパス
を走る車のタイヤの、遠くできしむ音が聴こえる。夏の夜は、
まどろみの中で朝を迎える準備をしていた。


       新緑の景色

 私の住む町は、万葉集にも歌われた山が市街地の真ん中に
せり出してきている。おかげで町の発展は遅れたらしいが、
春には山桜のピンク、夏は新緑の緑、秋は紅葉の赤と、あた
かもPCモニターの背景がかわるように移り変わっていく。な
にげに山を見たら、あまりの美しさに心を奪われ、遠回りし
てしまった経験は私だけでないだろう。この山にもいくつも
の神社とお寺がある。そのひとつが、私のホームドクターが
いる診療所の待合室からみえる。

 診療の順番待ちをしていると、ガラス越しに、神社のとり
わけ大きな石灯籠と長い石段が、そこだけ山の新緑を切り取
ってみえた。若葉の間をくぐってもれる陽射し、ひんやりと
した石畳が、離れたここまで感じられるほど静寂な空間だっ
た。

 持病の胆嚢が傷んでいるのは、自分でもわかっていた。き
まって夜の12時になると、胃のあたりがうーん、うーんと痛
むのだ。常備薬の胃薬が効かなくなって、もう2ヶ月目を迎え
ていた。脂汗が出て、かけている眼鏡に汗が水滴となってた
まることにも慣れ、時間さえたてば何事も無かったかのよう
に忘れてしまうが、その時ばかりは眠気と痛みにはさまれ、
クタクタになって朝方眠りにつく日々が続いた。

 そのうち週1、2度の痛みが、毎日起こる生活の一部になっ
て、夜中の12時から2時まで、判で押したような規則正しい痛
みがくるようになった。ホームドクターをお願いしてきた先代
の医者からも、「いずれ胆石が悪さ(わるさ)をするかもしれ
ないよ。」と教えられていた。十数年前、十二指腸潰瘍の検査
のおり、エコー写真の一点をドクターがずっと見ていたので、
何事かと思って尋ねた答えがそうだったのだ。


       マンションの悲劇

 老医師が亡くなった後、私のカルテは若先生に引き継がれた。
気さくな若先生は熱心さと育ちの好さを兼ね備え、地域診療を
旨とするホームドクターにはうってつけだと、患者たちから好
感を持って受け入れられた。

 私が呼ばれてドアを開けると、いつもと変わらぬ穏やかな表
情の若先生がいた。私が自覚症状を言うと、2、3質問をした
だけで、聴診器もカルテも手にしようとはしない。若先生の態
度をみて、やっぱりそうかと確信した。若先生は、病気の説明
したあとに、私がさてどういう行動に移るのか、それを図りか
ねているようだった。それで、私のほうから口にした。
「胆石なら切ったほうがいいんでしょう?先生のご判断に沿い
ますよ。」「ご紹介の病院はどちらですか?」と。方向は決ま
った。

 出かけに妻が、よく診てもらえと何度も口にしていたが、私
はどうもせっかちな性格だからそういうことにならない。痛み
の原因は胆石だから、「こういう時は切っちまえばいいんだ」
と、住んだこともない俄か仕立ての「江戸っ子ほなさん」が誕
生する。さらには、胆石の2,3個とってしまう手術など、チ
ョチョイのチョイで終わってしまうとね。

 先週あった初ゴルフコンペの成績で、はじめてスコアという
ものを目にした。「140」と書いてあった数字は、間違いなく
私の汗の結晶ではあっても、他人には言えない恥ずべき結果で
あった。「早く治して、練習せねば」という心の内なる叫びは
、胆石をも乗り越えた。

 さぁ手術だ。翌週、紹介された総合病院の門をくぐり、手術
のための検査をうけることにきまった。ところが、トントン拍
子に進む話についていけない女房は、心配が怒りとなって攻撃
開始。深夜、ここに座ってきちんと説明しなさいと女房は言い、
となりの部屋で正座して待機の姿。

これは経験上まずい、爆発寸前だ!
しかし、こういう時にかぎってうまく説明できないのだ。
そして、狭いマンション暮らしに逃げ場はなかった。
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