ほなさんの汗かき日記

かくれ肥満の解消に50歳を超えてはじめた健康徒歩ゴルフ。登場する個人名、会社名、内容はフィクションである。

自分のことができなくても(7)

2011年11月29日 | 日記
新郎は意外とサバサバと答え始めました。

東日本震災の発生時、新婦は仕事で横浜に居た
といいます。わが娘のぴより、ufoさんらが体験
した、自宅へ帰れないこと、この先どうなって
行くのだろうという地震、津波、建屋爆発の不
安感をぬぐうため、新郎は大学で原子力が専門
だったことから、この間、新婦へいちいち説明
したそうです。

原子炉建屋の水蒸気爆発が、政府発表の程度で
収まるはずもないことも、原子力の研究室でい
たものならよくわかっていました。

話は中断しますが、前に紹介した福島県のみな
み相馬の商友からFAXがきましたので書き移しま
す。

「ご無沙汰しておりますが、みな様お変わりあ
 りありませんか?
 震災から早くも8か月が過ぎてしまいました。
 本当に皆様に心配やら、あたたかいご支援を
 頂き、ありがとうございました。

 避難していた1か月余りは、今のようにお店が
 再開できるとは夢にも思いませんでした。
 第二の人生を探さなくてはと思い、4月に原町
 へ帰ってきましたが、また避難先の山形へ戻る
 つもりでした。

 お店も当時はシャッター1枚ようやく開けての
 再開でした。社員もみんな避難しているので、
 主人と私と82歳になる母と3人でどうにかやり
 くりしてきました。

 30キロ圏内には何も入ってこないので、隣町ま
 で荷物や生活物資を買いに行くのが何か月も続
 きました。普段の生活も放射能の恐怖に怯えな
 がら、窓は開けない、外に出る時はマスクや帽
 子、全身囲いながらの毎日でした。

 今振り返ると本当に大変な生活でした。お店は
 お陰さまでお客様が来てくれました。気が張っ
 ていたのでしょう、3人でよく頑張ってこれたと
 思います。

 8月から9月にスタッフが避難先からようやく戻
 ってきて、今は1人づつ交代で出勤しています。
 それでも毎日2人態勢なので、なかなか思うよう
 には進みません。

 しかし、これからの街の状況を考えると前のよう
 な体制に戻るのは難しいと思います。9月末に緊
 急時避難区域は解除されましたが、状況は何一つ
 変わっていません。若い人たちは戻ってくるのが
 難しいでしょう。

 今は普通に生活していますが、みんな放射能の恐
 怖に心のどこかで怯えながら過ごしています。で
 も20キロ圏内の、家があっても戻れない人たち、
 津波で全てを失った人たちからすると、自分の家
 で生活できて、仕事もできることは幸せなことで
 す。家族が元気で過ごせているのでそれが一番で
 す。          
             原文のまま<後略>」

自分のことができなくても(6)

2011年11月25日 | 日記
ほなさんには昔の輝いていた時代の新郎の印
象が強くあったのですが、女房にはじめて紹
介した数年前は、いかにも’独りやもめ’に
写ったそうでした。

それがこのところ、女房をして、
「いい男じゃない、だれ?」
と別人に見間違えるほど輝いてきたそうです。
ほなさんは、それが新郎の本来の姿だと説明
しました。
となると、それほど輝きはじめたのは、結婚
がからんでいることは間違いありません。

新婦へお祝いの花束を渡しますと、たいそう
喜んでくれました。落ち着いた大人の雰囲気
を醸し出す紙を使ったランピング、注文した
私の想像以上の大きさに、その派手さに困っ
た顔をされるとかもと思っていますと、
「やっぱり、お花をもらうとうれしくて。」
「ラッピングのセンスもいいわ。」
と新婦は結婚の実感を確かめるように、お花
を眺めてくれました。

新婦の笑顔いっぱいをみて、新郎も喜んでい
ました。お花作戦は大成功です。そこで、
「ほんで、結婚を決めた理由は?」
ほなさんは、いよいよふたりに尋ねました。

年齢がある程度になると、結婚という形をとら
ずとも夫婦として過ごしている方々は、世にた
くさんおられます。
ある意味、結婚という面倒な事態をあえてとり
たいと思い至るまでに、二人の間に何があった
かに、ほなさんの極めて個人的な興味が湧いて
いたのでした。シャイな二人には、この機会し
か聴けません。

自分のことができなくても(5)

2011年11月23日 | 日記
過去に大恋愛があり、それをひきずったのか、
その辺りは、ほなさんのように、あることない
こと言うようないいかげんな新郎じゃありませ
ん。
たぶん性格は、高倉健さんを地で行くような男
でございます。だから、ほなさんの好きな男な
んですが。

新婦の方は、クラスで目立つ存在じゃないけど
、のんびりした風貌としっかりした行動で、必
ず、クラス委員になるような娘でした。
お父さんの家業をつぎ、自分の思う形にして、
なかなか面白い事業をやっている今は社長さん
です。お子さんひとりの再婚です。

本人らはあまり言いたがりませんが、この二人
が過去につきあっていたのか、そうでなかった
のか、そのあたりは、本人らもはっきりしなか
ったもようです。
お子さんである御嬢さんが、最近結婚した際に、
新郎も一緒にと要望し、結婚へのはずみとなっ
たようでした。

ほなさんの大好きな『鬼平犯科帳』のキザなセ
リフじゃござんせんが、
「惚れた、というのは命をかけて惚れること」
でありますから、若い時の好きという感情は、
いつでも後に引ける、また別の人生が待ってい
るかもしれないと互いに思いながらの駆け引き
、とは異なります。

気分や感情だけではない、銭勘定まで含めた人
生の幕引きをどうやってしようかとなるのです
から、静かな落ち着いた空気が漂う、祝う会と
なりました。
若い時にそういうことに重きをおいたなら、計
算高いと批判されますが、年金や保険の受取人
に他人を書くより、配偶者を書くと何事も問題
なく進むことも事実です。

あまり誉めないひとりの同席者が、
「こんな結婚、いいなぁ。」
と思わず言いました。60歳の大人たちを
いいなぁ、と思わせたのですから、この恋は
本物です。

自分のことができなくても(4)

2011年11月22日 | 日記
ゴルフバムさん、コメントありがとうござまし
た。
老年の恋(本人らに自覚症状なし)、というの
も、本人らが思っている以上に、傍からみると、
なかなか素敵でいいものでございました。
これが大人の恋というものですね。

居酒屋の店長さんの計らいで、静かな半地下の
部屋、奥まったところに花が活けてくれてあり
ました。椅子席は10人ほどがひとつの楕円形の
机を囲むようになっています。われら6人なら
服が横におけて、なかなかいい気配りでした。
ありがたいですね。

主賓のお二人からぜひともの方々へはすでに連
絡済だから、何もしないでほしい、そっとして
おくように頼まれ、周りの、それこそ新婦と仲
の良かった森さんらへも、お祝いごとで迷惑を
かけるなと宣言されておりました。幹事はなに
をすればよいのでしょうか。

新郎、新婦とも、ほなさんの中学のクラスメー
トでしたが、特に新郎は級長であり、親分の発
言に逆らえる私ではありません。
新婦への花もお断り、と言われました。
でもね、女房にも言いましたら、
「そんなお花も無いのでは、お祝いになるの?」
と。怒られることを覚悟しつつお花だけ注文し
ました。これが唯一のお祝いの印です。

初婚の新郎は秀才の上、人柄も良く、スポーツ
もその長くない足でバスケットが得意、トラン
ペットは楽団に入るほどの腕前。彼を好きだと
いう女の子の話は、いくつか耳にしたことがあ
りました。
ほなさんの単純な疑問は、
なんで結婚しなかった?

自分のことができなくても(3)

2011年11月20日 | 日記
大成功の人生が8勝7敗、
失敗続きの人生が7勝8敗なのだそうですから、
その差はほとんど無いに等しいのです。

偉い方の言葉ですから、本当のことでしょう。
するべきことはひとつ、他人に迷惑をかけない
なら、自分の思ったように実行することです。

実は今週、ふたりの同級生の結婚を祝う集い
の幹事をさせていただきました。シャイな二
人は、大袈裟なことを嫌いましたから、連絡
した友は、ただの4名。

60歳にもなりますと、若い時の派手な結婚
を祝う会とまったく異なります。

話は逸れますが、若い時、結婚を祝う会を20
ぐらいお手伝いしたように思います。お金の
無い奴ばかりでなく、お金があっても友達の
前で結婚式をしたいという「人前結婚」も多
く、参加人数の規模は、小さいので5-60人、
大きいもので500人を超えた盛大なのもありま
した。

おかげで私の日曜はすべて埋まり、一日2箇
所の時もありました。お祝いの会費がふたつ
も必要になり、こいつらとは何の知り合いだ?と言
いたくなるようなたいへんな出費でした。

ちなみに、ほなさん自身は、その後まったく
普通の結婚式をしました。というのも、新郎
新婦本人らが、結婚式を楽しみたいと思うか
どうかで決まります。ほなさんは、結婚とい
うものは「式」(=披露宴)で決まるものじ
ゃなく、あくまでその後の生活が大事だ思っ
ていましたから、見合い結婚でもありました
し、相手のご両親と親戚が納得してくれたら
十分でした。終わった後は、やれやれ終わっ
た、と思ったのでした。

さて、幼馴染のふたりが、なぜいまさら結婚
という形をとったか、これが注目の的であり
ぜひとも伺いたいと思ったので、肩の凝らな
い茶話会程度の「お祝い会」をしたかったの
でした。
ちょうど、先の友達から、
「幹事はお前がやるしかないだろう」
と言われたのを機に、、。

自分のことができなくても(2)

2011年11月19日 | 日記
ぷりんさん、貴重な体験談をありがとう。
知り合いに裏切られたのは、辛かったでし
ょう。お金以上のものを失いますから。

ぷりんさんは、最近では、趣味にはりこん
だ、高価なバイクに火をつけられ、無くし
てしまいましたね。あれも大変だったです
ね。

世の中には、平気で悪いことをする人もい
ます。こちらは気をつけていくしかありま
せんが、悪いことをしても捕まらない、そ
の場は得をしたと思っている人が多いのも
事実です。

スーパーのレジで、安価な商品の計算忘れ
をしてくれたことに気付いたら、「儲けた」
ともらってしまう、もうひとりの自分もい
ます。
杓子定規にばかりが人間ではありませんか
ら、たまにはこのぐらいはいいかとだんま
りを決め込むこともありますが、このこと
を指摘されたら、素直に謝まろうと思って
います。

『自分のことができなくても』を書いたの
は、私自身が他人を許せるような優しい人
だと述べたかったのではありません。ほな
さんはそういう良い人ではありません。
自分の片付けさえできない、だらしのない
人間で、生活力が欠落した、これが「ほな
さん」という人の本性です。

ただ、人との交わりで、相手のことを熱心
にやっていたら、なんとなく生きてこられ
ました。
もちろん、良い時代だったからですが、お
客様のための仕事をしなければということ
から、手抜きの仕事ができませんでした。

こういう中で、不思議なのは、先日の大阪
でのことですが、仕入している最中に4色
ボールペンを紛失し困っていると、初対面
のパートさんが、自分の持ち物の4色ボー
ルペンを差出してくれました。
ロートルのみじめな商売人に同情してくれ
たのです。

それをさすがに貰うわけにいかない、と私
がいうと、
「使いかけだけど、ご遠慮なくどうぞ。」
と勧めてくれ、私は甘えることになりまし
た。素晴らしい方がいるもんですね。

ほなさんの場合、困った時に、期待してい
なかった、こういうことがたくさんありま
す。

大きな盥の水のように、自分の方に集めよう
とすると横から逃げ、向こう側へおくる作業
をくりかえすと、いつかは自分の方にくるの
が人生だと、昔、私の師は教えてくれました。
その講義のあとで、
「先生、私の盥は大きそうですから、むこう
 にばかり水をおくっていると、一生、自分
 のところに返ってこない。」
と文句を言いました。先生は笑っていました。

成功した人生が8勝7敗なら、ぷりんさんは
、今は損してるかもしれませんが、そのうち
きっと、大きな得となって返ってきますよ。
楽しみにしていてください。

(1)の最初で、私をいいやつだと言ってく
れた友達に、ほなさんはこう言いました。
「お人よしだけで自分のことができない、で
 きそこないの私でも、こうやって生きてこ
 れたのだから、お礼をいうのは私の方だと
 思うよ。」と。
心底、こう思います。

自分のことができなくても(1)

2011年11月17日 | 日記
昔からの男友達が、ほなの顔をしみじみ見つめ、
「お前はいいやつだなぁ」
と言いました。還暦を迎えた友達ふたりが結婚し
たというので、お祝いをしようとあちこち連絡を
とっていた時のことです。

顔を見つめられた段階で、
「好きだ」と男から告白されたどうしようと、ど
うその期待に応えたらよいのか?と頭をよぎりま
したが、そういうことでなくてほっとしました。

ほなさんは自分で認める「お人よし」です。
女房、息子なんかは、お金のことなどでは損をし
ないかとハラハラしている節があります。

ある時は、二十年ぶりに会った友から、
「みな自分のことばかりしていたのに、クラスの
 中で、お前だけが人のことを気にかけていた。」
と言われました。担任の先生は、
「いいかげん、自分のことをしたらどうだ。」
と周りにかまけて遊んでばかりいるほなさんを叱っ
てくれました。

商友の応援をしたとき、別の商友から、
「ほなさんのように、なんでもタダ働きというの
 はできない。」
(今回のような場合、ほなさんならタダ働き、すべ
て自前で済ますだろうけど、)
と商友は断りを入れてきました。他人がどう判断し
ようと、私はそれでよいのでしたが、この商友は断
りを入れなくては心苦しいと感じたのでしょう。

とにかく、ちっとは他人の世話や、お役にたつこと
をしなさいと言われた記憶はありません。すべて、
自分のことをせよ!と、学業やら仕事の心配をして
くれたのでした。
学業はおかげであきませんでしたが、それで食えな
くなるような困ったことは一度もありませんでした。

他人のためになることをすること自体、もとより好
きなことでしたから、相手も公平にするか、または
相手が有利になることをしておくようにしてきまし
た。

レジで釣銭を間違え、数千円もたくさん渡してしま
ったとスタッフの一人が、店長の私に誤りにきまし
た。先日のことです。
この時、ほなさんは、次から気をつけるようにと言
ったあとで、
「多く渡したことを気づいたお客様は、あの店に行
 くと、またお釣りをたくさんくれるんじゃないか
 と、必ず来てくれる。でも反対なら、絶対に来な
 くなる。間違うなら、多く渡したほうがいいよ。」
と言いました。
誰も間違おうと思ってする人はいないのですから。

ある有名な方の言葉です。
「人生は7勝8敗か、8勝7敗だ。」

100が切りたいぞ(涙の18番ホール)

2011年11月13日 | 日記
パー4を6打のダボでも、100が確実に切れるよう
にと、18番ホール、ほなさんはグリーンへ3オン
しようと考えました。前回はじめて、唯一のパー
をとったホールでありましたが、2オンを狙う
と、絶対に池かバンカーの餌食になると想像し
たからです。
なんとしても100を切るぞ!、この決意の表
れが、このたくらみであります。

ほなさんのドライバーショットは、まずまずの
出来でありました。右に曲げた薬局さんは隣の
ホールから二打目を打ちました。次はほなさん
の番です。左ラフから、フェアウエイを横切る
小川の手前に落としました。予定の三打目狙い
です。

フェアウエイを挟んで反対側の○藤さんは、二
打目で小川を越そうとし、右の池へ。まんまと
ワナにはまってしまいました。
「ほんなこと、わかっとるでないでぇ。やっぱ
 り狙わんで良かったワイ。」
心がブツブツ言いました。自分のことはわから
んでも、他人のことなら突っ込めます。

ゴルフというスポーツは、どんなに上手い人と
周っても、その方の下手な部分が分ります。
(プロはしりませんが。)
ナイスショットとミスショットの差は、傍でみ
たなら、やってる人ならすぐさま感じ取れる、
ミスが隠せない競技です。

従兄弟は、大胆に二打目をグリーンオンさせて
いきました。絶好調なのであります。
「あーあ、あんな球が打てたらなぁ。ほなけん
 ど、あんな打ち方でようけ飛ぶなぁ。」
と心が言いました。癖のあるスイングなので、
真似はできません。
広いコースを独りでゆくと自分と対話する機会
が増えますね。

さていよいよ、運命の第三打地点に来ました。
のぼりを含めるとあと120Yぐらいでしょうか。
小川を挟み、右に上ったところにグリーンがあ
り、それを挟んでバンカーが左と右に。どちら
も深そうです。グリーン奥に、クラブハウスが
見えています。この光景は、今日はもうここで
終わり、そんな安堵感が漂っています。

ゆっくり振り下ろした、ほなさんの第三打は、
クラブハウスめがけグーンと伸びて行きました。
旗は右の端に立っています。そこめがけて、
白い球が、、、、いけません!

グリーン手前の上空でいったん停止したかと
思うと、手前のあごの高いバンカーに糸をひ
くように落下してしまいました。
行ってみると、目玉でしかもアゴにへばりつい
ています。

あー、終わって、、、、しまいました。

カップインは、そこから5打かかりました。
もう何も言いますまい、「101」という三桁
数字を今回もまた書き込んだのでした。

いつになったら春はくる?

100が切りたいぞ(結末)

2011年11月04日 | 日記
18番ホールは、左から右から池越えとなるコー
スでありました。
最終ホールにドラマありと、コース説明に書
いてありました。

17番までトータル93点、余裕のダボでも
99点ですから、詳しい計算はできずとも、
前回ここはパーであがったこともありました
し、池まで飛ばない私には組しやすしのホー
ルです。

そこで、ほなさんのドライバーは、火を噴い
て唸りました。そこのあなた、ダフって地面
の石に当たったのと違いまっせ、念のため。

デイケアに通うおじいちゃんが、娘さんと買
い物に来られました。大寸の服をたくさん買
い、さらにLL寸のおしゃれな帽子が欲しい
と注文していただきました。ほなさんは、周
りのおばあさんが、ハット振り向くおしゃれ
な帽子を探してきました。(キャップじゃあ
りません。)

濃いグリーンと濃い茶色です。どちらもおじ
いちゃんによく似合いました。
そこで、「よっ、小林旭!」と掛け声をしま
したら、返事がありません。肝心なところで
外してしまいました。
もっと前の有名人、ディック・ミネあたりを
言えばよかったのです。アキラでは若過ぎた
と反省。

要は、ぴったりする言葉は、本人だけのもの
であります。18番のティーショットに関し
ては、ほなさんのドライバーは唸ったのでし
た。周りには蝶が止まるスピードと映ってい
ても、通販番組の説明と同じ、
「これは本人の感想です。」