ほなさんの汗かき日記

かくれ肥満の解消に50歳を超えてはじめた健康徒歩ゴルフ。登場する個人名、会社名、内容はフィクションである。

落ち着ける場所(3)

2011年06月30日 | 日記
趣味にしろ住む場所にしろ、長く続くには
人それぞれの相性がある。それを世間では
「ご縁」と呼ぶ。ご縁があるかないか、あ
くまで結果だから誰にもやってみないとわ
からない。

父の釣りは、数人の弟子と呼ばれた仲間と
鳴門の潮風を友とし、オゾン一杯の中で3
0年以上も健康な生活がおくった。これは
もう強烈なご縁があったというほかないだ
ろう。

父は落ち着く場所に落ち着けたおかけで、
天寿をまっとうし、老衰で亡くなれたのだ。
父より苦労した母は、特にそうあってほし
いと家族全員は願っている。

空に星が輝く時間になり、母は、そうとう
焦っていた。脚の不自由さに合わせ、自分
の記憶のあいまいさに、この数時間の疲労
が重なり、自信がもてなくなっていた。

ほなさんは、迷うときは同じく迷うことに
している。この動きの先に答えがあるのか
ないのか、まったくの徒労であるのか、喧
嘩しながら母と一緒に迷えばよいと思った。
それが親子なのだとも、、、。決めるのは、
母なのだ。

もう最後にしようと母が言い出した時、時
刻は8時半を回っていた。電球のない田舎
道はまっくらだった。
一軒だけあるコンクリート作りの家に入っ
た。人懐っこい顔の年配のおやじさんが、
下着姿で出てきて相手をしてくれた。

母はその時、何を思ったのか、財布の中か
ら紙の切れ端をだし、この名に覚えはない
かと尋ねた。
すると、この名の知っている人は、正反対
方向へ20キロも行ったところにある、と
教えてくれた。

このご主人にあったのもはじめて、
紙の切れ端があることも知らなかった、
ほなさんは、ひとり驚いた。
どういうことなのだ?

落ち着ける場所(2)

2011年06月29日 | 日記
体が弱く長く生きられないと言ってた父の
リタイアと引き換えに、
「何がしたいか?」
「長く続けられることを探してほしい」
と言うと、何日かして父は、
「海っぷちで産まれたから、余生は釣り
 がしたい。」
とこたえました。

自由奔放な父と、同じ血をひく息子のコン
ビでは、とうてい鼻ッからうまくゆくとは
思えません。ほなさんは、この際、父にリ
タイアをうながし、その引き換えとして、
釣りが十分にできる生活の保障を引き受け
たのでした。

ほなさんが商売をはじめた頃は、家族全体
の収入が月7万円しかありませんでした。
新しい投資を行うにも、その資本金が最初
からマイナスでした。31年前のことです。

しかし父には毎月25万円を支払うことを
約束し、そのことを実行してきました。2
8歳の息子が58歳の父を扶養家族にした
のです。結果として、父以外の家族には、
そうとうな無理を強いてしまいました。

もう一度同じことをするかというとわかり
ませんが、虚弱体質だった父が90歳まで
元気に生きたことをみれば、父の居場所探
しは、非常にうまく行ったのだと思います。

人や物の落ち着く場所を探しあてる、これ
はとても大事なことです。特に「人事」は
寿命を延ばしも縮めもします。
父に続いて今度は、母の「居場所」を探さ
ねばなりません。母の病状を横目に見なが
ら、対処策をさがしはじめました。

落ち着ける場所(1)

2011年06月29日 | 日記
父が90歳の天寿をまっとうし、この春三回忌を
終えることができました。ほなさんは馬鹿だか
ら、当初、三回忌は3年経ってやるものだと思
っていましたら、葬式直後、親しい方との会話
で、死後2年のうちにやるものだと知り慌てま
した。

あれから2年ちょっと、父に代わって整理しな
ければならなかったことを、ひとつづつ片付け
てきました。
それは、それぞれの落ち着く場所を探すことで
した。
まず、母の居場所でありました。

軽度の認知症の母と、数年ぶりに暮らしてみて、
普通の生活にほとんど問題は無いとわかりまし
た。たまに迷子になり、どこかでケガを負って
心配したこともありましたが、、、。

認知症の自立支援をしてくれるグループホーム
に入るきっかけになったことをひとつお話をし
ますと、、、。

ある日、贈り物をするのが大好きな母が、○○
さんにプレゼントを渡すと約束したから、買っ
て持っていくと言いだした。その時すでに夕方
の5時でした。

母の記憶では、○○さん自体が誰なのかわから
ないが、家を見れば判別がつくという。
何かに急かされるように言いだした母の姿に、
周りの誰もが不安と異常さを感じ取っていまし
た。
晩秋の夕暮れに、認知症の母ひとりで行かせる
ことはできないので、息子のほなさんが付き合
うことにした。

そこはほなさんも初めて行く地域でした。お家
を外から観て、母の記憶だけを頼りに、
「この家かも。」
と見知らぬ地域の見知らぬお宅を一軒づつ尋ね
歩いた。農家の軒先から覗き込み、母の記憶と
照らし合わせ、あいまいなら中に入り声をかけ
る。また電気のついた民家は、玄関のベルを押
し、
「母がプレントを渡すとお約束していませんか」
と聞いてまわる。

もの売りと間違い心配顔した家人、事情を知り
気の毒そうにしてくれた方、あの向こうのお宅
かもしれないと親切に教えてくれたご主人etc、
夜の闇の中を、犬に吼えられながら訪ね歩きま
した。

当初、ほなさんは、母の思い違いの気まぐれに
適当に付き合えば良いと思っていましたが、夕
暮れがすっかり夜になるころには、母の記憶が
本物に思えてきたのでした。

もちろん、母の言い分がここ数日のできごとだ
とは思いませんが、過去の記憶をなんとか探り
だそうとしている母の、プレゼントの約束を果
たすことで、そのあいまいな部分をすっきりさ
せてやりたくなったのでした。

やげて母の記憶は、空想などでなく、
絶対に現実のものだ!と思えたのでした。

朗読芝居「怪談」せまる

2011年06月26日 | 日記
徳島で朗読芝居「怪談」がまじかに迫ってきました。

今回は、「あわ工芸座」の人形との競演が見ものです。
もうすでにリハーサルを何度も行ったと伺いました。

無機質で語るはずの無い人形の動きは、
「怪談 牡丹灯篭」をさらに怪しげな臨場感でもっ
て盛り上げそうです。
例年にまして暑い今年の夏、涼しくなること間違い
なし!ですね。


  第一部 朗読芝居 「耳なし芳一」ほか

  第二部 人形語り 「牡丹灯篭」


 時  2011年 7月 2日(土)
 開場 17時
 北島町立図書館 創世ホール
 前売り 2800円 当日3000円
 (収益の一部は震災義援金として寄付されます。)

後援 小泉八雲記念館(島根県松江市)
   東京労音ギター文化館
   NHK徳島 四国放送 徳島新聞社(株)あわわ

**森さんの練習風景が今朝の徳島新聞で大きく取り上げ
られています。6月25日(土)文化面をごらんください。

森優子さんという方、
新聞やポスターの写真をみますと、
かつてほなさんが知っている幼馴染の顔と、だんだん
変わってきているように思います。
仕事が人をつくるというか、ますます顔が変化してい
きそうな、作られていきそうな気がします。

人というものは、それなりの顔になっていくんだなぁ
と思いました。いろんな仕事をすることで、味わい深
い顔が産まれたら、それこそ冥利につきるというもの。
それが女優、語り手、芸人、なんというかその先が楽
しみです。

化粧品オンチ(3)

2011年06月23日 | 日記
だまこさん、カキコミありがとうございました。
炭が毛穴の汚れを落とすと聞き、温泉地でよく
見かけたチューブ入りの「炭せっけん」を使っ
てきましたが、日焼け止めを塗った場合、はじ
くばかりで全く落ちませんでした。

だまこさんのアドバイスのとおり、メイク落と
しも兼ねた洗顔だと、2度目で落ちました。そし
て、洗い終わった後は、ご指摘のように、顔が
パリパリになりました。日焼け止めの張り付き
方、皮膚に与える影響はすさまじいものですね。
だまこさんのアドバイス通り、化粧水は必需だ
と思います。

これだけ暑くなると、日焼け止めを塗ったって、
その効果たるやいかほどと思いますが、ゴルフの
日は、塗らずに南国の太陽光線を浴びる勇気はあ
りません。(一日、ほぼ6時間以上、日陰は帽子
だけなんです。)
だって、若い頃にように、日焼けしたその皮が
剥け、その下から新鮮な初心な色した皮がのぞ
くようなことは絶対にないのです。

友人が話のついでに、
「ほなさん、体調はどう?」
と言い、ほなの顔のあまりの黒さに、
「悪いことはなさそうだな。」
とひとり言葉をいいました。ほなさんが返事を
するまでに、、、。

ほなさんの顔面は、暗く、そして黒く、さらに
ずず黒く、焼けこんでいくばかり、そして一年
が過ぎ、また黒くなり、その迫力を増してきて
おります。暗黒星雲の黒さ並に、、、。

私達が若いと言われた、そのむかし、、
ヒッピーが流行り、ミニスカートと自然に帰れと
謳われました。男も女も長髪で、夏は肌を焼くも
のだといわれ、肌を焼くための「サンオイル」が
発売され、異常に売れました。

しかし、長くは続きませんでした。今もサンオイ
ルは売っていますが、やはり、焼いていられるの
は子供と青年期までなのです。
肌はどこまでも白くが値打ちあり、貴重品ですね。
女性の気持ち、理解できます。

芸能界のように、人前に出るときは、白いLED
のビームライトで顎下から顔面を照らしてみたい
と思う今日このごろです。
夏の夜の亡霊じゃありません、念のため。
妻には離縁されること、間違いありません。


化粧品オンチ(2)

2011年06月21日 | 日記
「V(ヴィクトリー)」の顔になった一時は、「ド
モフォルン○○」とかいう化粧品でも塗らないと治
らないかと思い、女房に尋ねると、
「あの化粧品高いのよ、、、。」
と言われ、やっぱり「ニベ○」を選んだのだった。
「モモの花」でも良かったが、それは無かった。

ぷりんさんはコメントで、ほなさんの肌のことを書
いてくれてあった。もし、ぷりんさんにそう見えた
のなら、うれしいかぎり、ニベ○でも隠し通せた経
済性は他の追随を許さないだろう。

ニベ○を使い始め、化粧品(ニベ○が化粧品という
かどうか?)を知らなくてはならなくなった。
年中真っ黒に日焼けした、ほなさんの顔、それは夏
の日焼け止めクリームの必要性を感じさせるものだ
った。

暑い日、水性の日焼け止め液を塗ると、汗でほとん
ど流れてしまうものだが、あとでシャワーを浴び、
石鹸で顔を洗ったぐらいでは、あのしつこい油がと
れないのだった。
かさかさ肌に慣れ親しんだ私にとって、油絵の具を
顔に塗りたくったようで、どうも気持ちが悪い。

若い頃は、お姉ちゃんの化粧した頬をとても爽やか
に感じ、頬摺りしたくてたまらなかったのに、この
顔面の油はなんともイヤなものだ。
汗をかいても、油の間から湧き上がり、ちっともす
っきりしないなぁ。
こんなことを言うと、化粧の先輩、女房殿は、
「メイク落としを使わなくちゃ、、」
とアドバイスをくれた。

メイク落とし?
ほなさんのやっているのは、メイクなの?

化粧品オンチ(1)

2011年06月20日 | 日記
15年ほど前まで、整髪料や顔につける化粧品
は必要なかったので、まったく知らないでき
た。
若い頃は「男は○○!」なんて宣伝文句につ
られ、「男は、、」という自分の性が書いて
あると判りやすいので買ったことはあっても、
1瓶使用するのに3年もかかり、使いきる前
に油が分離して、気持ち悪くなって半分ほど
入った容器をそのままゴミに出すことが、毎
度の作業でした。

旅行に行くにも、髭剃り以外は何も持たずに
行けた。
洗顔はせっけんをタオルにつけ、それで顔か
ら体を全体を均一にゴシゴシやり放題、ひり
ひりする顔は、常にカサカサとしており、そ
れが当たり前となり、顔の表面を油の膜で覆
うなんてのは、オンナだけがすることだとお
もってきた。

それが40歳の半ばになると、とうとう、顔
の表面の角質の部分が全部剥離してしまい、
ごつごつの土台が顕になってしまった。ごつ
ごつした土台は、かつて観た「V(ヴイクト
リー)」という長編ビデオに出てくる宇宙人
の皮膚そのもの。爬虫類も人類の祖先のひと
つだと確認してしまった。

そうなるのも仕方ない、一時はナイロンタオ
ルでゴシゴシと顔面までやっていた、ほなさ
んが馬鹿なのだ。
皮膚科にしばらく通い修復し、それから初め
てクリームというものを塗った。
それが「ニベ○」だ。
観た女房は、
「それは手に塗るものじゃないの。」
と言うが、ほなさんは手に塗れるなら顔にも
安心して塗ることができる、と判断した。

なにしろチューブ入り「ニベ○」を買ってき
て、最初に塗ったものは、野球のグローブだ
った。本革といえば野球グローブ、子供の頃
一番大事だった皮なのだ。それに塗り伸ばし
て、これなら顔に付けられると、ほなさんは
判断したようなしだいだった。

梅雨の晴れ間に

2011年06月16日 | 日記
昔から、30歳、40歳、50歳、60歳という節目の
年齢は体の変わり目でもあるので、体調管理が
やっかいだと聞いてきました。平坦な道が、突
然、急な上りの坂道に変わったと思えるのが、
年齢の節目だそうです。

ほなさんは、40歳の頃は、仕事が忙しく大変な
思いをしながら駆け抜けましたので、50歳では
いよいよ体に変調があるだろうと予想しており
ましたら、ちょうど50歳から禁煙開始をしまし
たので、体調が良くなり、あたかもエンジンに
ターボをつけたみたい、夜2、3時間のこまぎ
れ変則睡眠でも元気な生活を送ることができて
きました。

それが、6時間以上も充分に寝たはずなのに、
どうも最近は疲れやすく、この5月最後の月曜
日の大阪出張は、朝からふわふわした状態で、
へたに動くと倒れそうか感じ。急遽、泊まりを
キャンセルしてもらい帰宅し、翌日、ホームド
クターの診察を受けると、150近くの最高血圧に
なっていました。

若い頃は低血圧で困っていましたのに、いつの
間に血圧が高くなった?と翌朝から血圧計で計
ると、毎度、正常血圧でありました。
片マヒゴルフのチャンピオン、木村さんと会っ
たので、このことを話すと、木村さんも平常血
圧であったのに、突如、左半身麻痺が起こった
そうで、血圧という奴は油断ならない反乱を起
こすことを知りました。

先週の神戸出張は、何も仕事らしいことをしな
かったにもかかわらず、帰宅すると疲れてしま
いました。気力が保てなくなった、体の変わり
目なのでしょうか。
気分屋の体は、ほなさんの性質そのもの。気長
につきあうことにしましょう。

人のいろんな顔

2011年06月11日 | 日記
このごろとみに、「怒りっぽく」なってきた
ような、同時に、涙もろくなりました。
要は、老人に近づいたということでありまし
ょう。

この前、ほなさんのルール違反の試合が現役
最後の試合だったと書きました。
そのことがショックでしたし、自分をずっと
許せずにおりました。

でもそれもいつの頃からか、
そういう自分、卑怯な顔もあるのだと思える
ようになりましたし、弱い自分を許し、それ
も認めることにしました。周りの方々へは、
謝罪の日々になりましたが、できるだけ、そ
うならないよう気をつけることですね。

表だけしか認めないというのも、どうなのか
と思います。表があれば裏がある、日陰の顔
も、その人のものなんです。
まぁ、どんな顔が自分の中にあるのか、それ
も楽しみにできるようになれば、人生の達人
といえるのでしょうね。

妙齢の女性から、
「ほなさんたら、Hなんだから、、。」
こんな風に言われたい願望で小鼻を膨らまし
つつ、現実は、前ハゲ派、または後ろハゲ派
のおっちゃんから
「ほなさん、暫定球打っときな。」
といわれる今日でありました。
(ちなみに、ほなさんは後ろハゲ派。)