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イベント 都営交通100周年 荒川電車営業所で記念イベント開催と33年ぶりの「花電車」運転 その1

2011年10月06日 | イベント
kan-haru blog 2011 都電5500形運転席   
     
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10月1日は東京都交通局の「荒川線の日」で、荒川電車営業所において都営交通100周年を記念したイベントで「花電車」の撮影会及び出発式が行われましたので見てきました。

 荒川線の日2011

都営交通100年
都営交通(東京都交通局)は、1911年(明治44年)8月1日に、東京市が東京市電気局を開局し、路面電車事業と電気供給事業を開始したのが始まりで、2011年に創業100周年(「イベント 都営交通100周年記念特別展 東京の交通100年博~都電・バス・地下鉄の“いま・むかし”~その1、4」参照)を迎えました。
1942年(昭和17年)には、王子電気軌道株式会社(現在の荒川線の前身)を含む路面交通事業者8会社10事業を統合し、旧市内路面交通の公営一元化が図られました。翌1943年には都内を41系統が縦横に走り、一日約193万人が利用する市電最盛期を迎え、東京都制の施行に合わせて、東京市電気局から東京都交通局と名称が変わりました。

 都電41系統図

都電は、1955年(昭和30年)に一日約175万人の利用を記録するなど、戦後しばらく、東京における代表的な公共交通機関として活躍していましたが、自動車交通量が急速に増加し、交通渋滞に路面電車が巻き込まれ、その輸送機能が著しく低下しました。結果として、軌道事業の経営状態が極度に悪化した為、1967年(昭和42年)12月から1972年(昭和47年)11月までの間に、合計35系統の路線を撤去しました。(東京都交通局から)

 昭和46年都電系統図

・荒川線
現在の荒川線の前身は、1906年(明治39年)5月に発起人松本錬蔵他29名が東京府北豊島郡王子町を中心とする電気軌道の敷設及び営業を内務省に出願して、特許(営業免許)を得て、1910年(明治43年)4月に王子電気軌道株式会社設立しました。1911年(明治44年)8月に巣鴨車庫を竣工して、飛鳥山上(現飛鳥山)―大塚間で軌道事業を開業しました。1913年(大正2年)4月から10月にかけて三ノ輪(現三ノ輪橋)―飛鳥山下(現梶原)―栄町間が、翌々年の1915年(大正4年)4月に王子 ―飛鳥山間が開業ました。
関東大震災(1923年9月)により山谷変電所と送電線の一部、軌道側柱、電車待合所が被災したが、3日後には電車線は復旧しました。
大塚駅前 ―鬼子母神前間と、栄町 ―王子間が1925年(大正14年)11月に開業し、三ノ輪 ―王子―大塚駅前間の直通運転が開始されました。
王子柳田 ―神谷橋間[1926年(大正15年)3月]、神谷橋 ―赤羽間 [1927年(昭和2年)]と鬼子母神前 ―面影橋間[1928年(昭和3年)]が開通して、王子 ―大塚駅前― 面影橋間の直通運転が開始されました。
面影橋 ―(仮)早稲田間[1930年(昭和5年)]、(仮)早稲田 ―早稲田[1932年(昭和7年)] が開通しました。
1942年(昭和17年)電力統制と交通統制により王子電気軌道株式会社は清算して、東京市に事業譲渡して軌道事業は東京市電となり、翌年には都制施行により東京都電車となりました。27系統(三ノ輪橋~赤羽間)及び32系統(荒川車庫前~早稲田間)については路線の大部分が自動車交通の影響を受けない専用の軌道であり、低公害な交通機関である事、沿線住民をはじめ都民からの路線存続の強い要望があったことなどから、王子駅前 ―赤羽間は廃止して、1974年(昭和49年)には、都電荒川線(三ノ輪~早稲田)に呼称を変更しました。(Wikipediaから)

 荒川線路線図

「荒川線の日」記念イベント
2011年10月1日の荒川線の日は、都営交通100週年記念イベントが荒川電車営業所(都電荒川線「荒川車庫前」下車すぐ)で開催されました。

 荒川車庫都電展示スケジュール

王子駅から荒川線に乗り荒川車庫前に下車したのは、11時40分頃で花電車を見る沢山の人で荒川電車営業所は込み合っておりました。11時からは、車庫前の出庫線に都電8800形車両が展示されていました。

 荒川の日イベント1(:荒川車庫前、:都電8800形車両の展示)

イベントの2つめは、東京都交通局、南海電鉄、阪堺電車共同PRステージが行われて、都電荒川線マスコット「とあらん」、阪堺電車マスコット「ちん電くん」、南海電鉄「ラピートちゃん」が登場して、3社局合同のクイズ大会でステージを盛り上げていました。

 荒川の日イベント2(:三社局合同のクイズ大会、:3社マスコットのとあらん、ちん電くん、ラピートちゃん)

イベントの3つ目は12時30分から都営交通100周年記念「花電車」の撮影会ですが、時間が少し間があり、荒川車庫都電入出庫線路の東側にある「都電おもいで広場」に入り、かって活躍した5500形(5501号車)と7500形(7504号車)が展示してありましたので、乗車して見学しました。5500形都電は、戦後すぐの中学生時代に1系統の品川―上野間で利用した想い出深い電車で、1954年(昭和29年)に造られたもので、1967年(昭和42年)までの13年間走り続けました。

 都電おもいで広場のかって活躍した5500形都電(写真拡大)

1956年に8000形が131両造られたが、構造を徹底的に簡素化・軽量化して設計されたためすぐに老朽化が始まり、その乗り心地についても簡略化した構造の台車が原因で発生するビビリ振動の大きさ故に不評でありました。そこで1962年(昭和37年)に造られたのが7500形都電で、形式の数字が逆戻りする形となったが、これは性能を7000形に、スタイルを8000形に準ずることから、間をとって7500形と命名されました。7500形は新造当初、全車が青山車庫に配置され、6・9・10系統で使用されました。その後、各地の路線が廃止されると、荒川車庫に集結しました。(Wikipediaから)

 かっての都電7500形展示車(写真拡大)

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