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kan-haruの日記

大田区界隈 第1京浜国道立体交差工事 南蒲田立体交差事業現場見学会 その1

2008年03月22日 | 大森町界隈あれこれ イベント
kan-haru blog 2008

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第1京浜国道南蒲田立体交差事業
南蒲田立体交差事業は、南蒲田交差点の渋滞解消をめざし、京急の連続立体事業と連携しながら、第1京浜国道が環八通りの下を潜る立体工事を行い、交差点の通過時間をゼロとし、地域の抜け道通過車両を減少させ、京急蒲田駅や東口駅前広場整備など環境の改善を図る事業です。
工事は、国土交通省関東地方整備局川埼国道事務所の管轄で、平成16年5月に起工式が行われ立体化事業が始動しています。

   南蒲田交差点地図(地図拡大)

・蒲田立体交差事業見学
川埼国道事務所では、蒲田立体交差事業の見える化を図り、「今を見る現場見学会」の募集があり、応募して2月23日に見てきました。
見学会は、午前と午後の2回開かれ、南蒲田の環八踏切(京急蒲田第5踏切)脇の「なんかまふれあい館」に午後1時に集合しました。

   京急蒲田第5踏切      なんかまふれあい館  なんかまふれあい館展示場   

見学はまず、2階の会議場で蒲田立体交差事業の概要説明を聞いた後、見学者をA班とB班の2班に分かれて現場工事説明用受信機を各自携行しての現場見学です。A班は交差点北東側の工事現場から環八通りのアンダーパスとなる第1京浜国道工事の地下に入り交差点のBOX区間を見学し、地上に戻りU型擁壁区間の地下を掘るために土を押さえる鋼矢板の圧入工事を見ました。

        蒲田立体交差事業の概要説明            見学グループ

大田区界隈の主要道路交差点
第1京浜国道の大田区界隈の主要道路の交差は4道路があり、東京都市計画道路幹線街路環状第7号線(環七通り 大森東交差点)と国道131号(大森警察署前交差点)の2道路は立体交差していますが、東京都道311号環状八号線(環八通り 南蒲田交差点)と東京都道11号大田調布線(多摩堤通り 東蒲田二丁目交差点)の2道路は平面交差で交差しています。
・南蒲田交差点
この南蒲田交差点の平面交差点の交通状況は、平成14年12月の調査では、第1京浜国道の川崎方向への交通量が約1万4千台/日で渋滞が1770mの14分待ちで、品川方向への交通量が約1万2千台/日で渋滞が2560mの22分待ちです。環八通りの羽田空港方向への交通量が約1万8千台/日で渋滞が1980mの24分待ちで、高井戸方向への交通量が約1万3千台/日で渋滞が560mの18分待ちです。
この交差点では、京浜急行空港線と京浜急行本線の2か所に近接して踏切があるため、慢性的な渋滞が発生しています。

 南蒲田交差点

第1京浜国道
第1京浜国道は、現在中央区日本橋から神奈川県横浜市神奈川区に至る延長約29kmの国道で、江戸時代の東海道のルートであり、箱根駅伝のコースとして知られています。
ルートは、港区から京浜急行電鉄に寄り添う形で大森町を南北に縦断しているメイン国道であり、1952年(昭和27年)以前は国道1号であったが、以降は国道36号であった第2京浜国道が国道1号に変更され、第1京浜国道が一般国道15号と変更されました。
地元では、先に出来た第1京浜国道を「いちこく」と呼び、第2京浜国道の国道1号を「にこく」と称呼しています。

 第1京浜国道(国道15号)

環八通り
環八通りは、大田区羽田空港から世田谷区、杉並区、練馬区、板橋区を経由して北区に至る環状の都道です。環八の構想は、1927年(昭和2年)に東京市の計画に含まれていたが凍結され、戦後の1946年(昭和21年)戦災地復興計画で決定されたが、1956年(昭和31年)に着工され瀬田交差点近くの既存の僅かな区間の道路が拡幅した程度でありました。
1965年(昭和40年)に第3京浜道路が開通した頃から、沿線の宅地化が進み自家用車の普及で交通需要が急増し、地価の急増で用地取得が進まず工期がかさみ、一部を地下ルートにするなど大幅に完工が遅れ、平成18年5月に最後まで残った練馬区のトンネルと交差点が供用され、着工から50年で全線が開通した道路です。

 環8通りと京急蒲田第5踏切

京急電鉄の主要道路踏切
京浜急行電鉄本線と支線空港線と大田区界隈の主要4道路が交差する踏切には、第1京浜国道が京急蒲田駅からカーブしてすぐ交差する京急蒲田空港線第1踏切があります。この踏切は、先述の箱根駅伝通過時のアキレス腱であり、去る2月11日20時過ぎに羽田空港行き8輌編成の列車に大型トレーラが衝突し、翌朝まで電車と国道が交通止となった事故が発生しました。
環八通りは、第1京浜国道の南蒲田交差点から約200mのところに京浜急行本線の京急蒲田第5踏切があり、平日は上り下りの各電車が6百数十本以上通過しています。

 京急蒲田空港第1踏切

京浜急行連続立体交差事業
京浜急行電鉄本線の平和島駅から六郷土手駅までの事業区間4.7kmと、空港線の京急蒲田駅から大鳥居駅間の事業区間1.3kmの区間を、連続的に立体交差化する事業が進められています。
京浜急行連続立体交差事業については、高架化工事の記録を区間ごとに区切ってブログに掲載中ですので、次に示す工事および周辺関連の記録記事を参照して下さい。
大森町界隈あれこれ 京浜急行関連総目次

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大森町界隈の風景 大森町駅付近の正月年始風景

2008年01月03日 | 大森町界隈あれこれ イベント
kan-haru blog 2008 箱根駅伝復路応援風景

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大森町近辺の初参りや正月年始風景と、恒例の新年イベントなどを回って見てきました。

初参り
毎年初参りは、家内安全と健康を祈願して、数か所の神社仏閣に参詣に行きます。特に大森町から近い、恵方で宗派が同じである神奈川県川崎市にある川崎大師には、毎年参拝しますが、3が日は混雑するのでずらして行きます。この他、神社仏閣詣りは、今まで参詣したことのない所にも、リクレーションを兼ねて出かけることにしております。
・氏神様初参り
元旦に、氏神様の諏訪神社(「大森町界隈あれこれ 大森町の社寺 諏訪神社例祭」参照)に参詣してきました。
今年の元日は、風もほとんど無く温かい大みそかに恵まれて、紅白歌合戦が終わってから地元の氏神様に初参りと出かけました。神社に着くと、本殿神殿前には、参拝客が3列に整列して、年明けを待つ行列ができており、後尾に並んで参詣を待ちました。
初参りの行列は、増え続け境内の外の道路まで並びました。毎年の参詣者の話では、初参り客は、このところ年々増え続けており、今年はいつもの年より多いと言っておりました。
午前0時になると、神官が本殿の太鼓を鳴らして、初参りの開始です。

新年には、神社の鈴には色鮮やかな五色の「鈴の緒」が奉納されます。新しく綺麗な鈴の尾を振り、二礼二拍手一礼の参拝が済むと、参詣者には樽酒のお神酒か甘さけが振る舞われます。丁度、近所の方も参詣に見えられましたので、甘さけを一緒に頂き、お焚き火のそばで暖をとりながらご馳走になり、初参りですがすがしい気持ちで帰宅しました。


・穴守稲荷神社初参り
昨年、初めて3が日の後の1月7日に穴守稲荷神社を初参り(「風景・風物詩 初詣風物詩 穴守稲荷神社」参照)しましたが、訪れる参拝客がほとんど見当たらず、寂しい思いがしました。
明治・大正頃羽田空港にあった穴守稲荷は、参拝客が大変多く参道には沢山のお店が並び、今の江ノ島のように大繁盛していたと云われています。戦前の微かな想い出の穴守稲荷は、場所柄羽田の漁師町で、お土産屋や食べ物屋さんの店先にはサザエの貝殻が高く積まれており、新鮮な江戸前の魚貝類が名物の繁華街でした。

今年は、穴守稲荷神社に初めて3が日の1月2日の午後に初参りの参詣に出かけました。
京浜急行電鉄空港線の穴守稲荷駅を下車すると、かなりの乗客が下車して穴守稲荷の方向に向い、神社に着くと拝殿には参拝者が行列しており、露天も10数店軒を連ねて結構賑わっているお稲荷様を初詣りしてきました。


羽田空港でテイタイム
初参りの穴守稲荷の付近には、テイタイムを過ごす店が駅前に一軒しか無く、前回に寄った所なので今回は2駅先の羽田空港に足を延ばしてみました。
2日の午後の空港は、まだ帰省客も少なく混雑しておらず、ゆっくりとお茶を楽しみ、展望デッキで温かい日差しを浴びて、遠望の山々がはっきりと見えるなか、ジェット機の発着を見て楽しんできました。

      (写真拡大)             (写真拡大)

大森町は風物箱根駅伝で正月を迎える
2日午前8時に東京大手町をスタートした第84回箱根駅伝は、8時25分頃第一京浜国道(国道15号)の大森町駅付近城南信用金庫大森支店前を、一団となって通過して行きます。今年は、母校が予選落ちで出場できませんが、学連選抜に明大選手もランナーに入り奮闘しました。こうして、大森町では恒例の東京箱根間往復駅伝競走の選手を迎え、スタート直後の駆け引きの団子集団と、3日の復路の優勝校ランナーの雄姿と10位以内のシード権争いを見て、新たな年を迎えるのです。


箱根駅伝の往路は、早稲田大学主将の駒野が5区で6位でもらったタスキを、山登りで5人抜きして5時間33分8秒の成績で、往路の優勝を果たしました。また、予選落ちした大学のランナーでのチームの関東学連選抜も、実力を発揮して4位に食い込みました。


復路は、有力選手を温存した駒沢大学が、往路優勝の早大との1分14秒差を追い抜いて、11時間5分0秒の成績で総合優勝を飾りました。

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大森町界隈の風景 大森町駅付近のゆく年の風景

2007年12月31日 | 大森町界隈あれこれ イベント
kan-haru blog 2007

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大森町近辺の年の暮れゆく風景や、師走に行われたイベントなどを回って見てきました。

大みそかの大森町商店街風景
・風物年越しそばとおせち料理の売り出し
大森町商店街には、何軒かの日本そばのお店があります。その中の「満る賀」やと「つちや」そば店では大みそかの開店とともに、恒例の年越しそばを、通りすがりの買い物客に声をかけて売り出しを行っておりました。
年配者には、お正月のおせち料理は欠かせません。大みそかにも商店街の「にしはら」惣菜店やスーパーの「サミット」と「マルエツ」には沢山の正月用品の買い物客で混雑しておりました。


・京急高架化工事関連で薬やさん閉店
大森町商店街の大森町駅東口正面で、50年の間開店していた「ホケン堂」薬局が、12月31日をもって閉店となります。
閉店の「ホケン堂」薬局は、京浜急行線路際に位置し、高架化工事と大森町商店街通り拡幅工事(「大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 大森町駅付近(第9回)」参照)の両方にかかり、立ち退きのため閉店となり、長年の馴染みのお店が無くなることは、地元住民にとっては大変に寂しい思いがします。



変わりゆく大森町駅周辺
大森町駅周辺は、京急高架化工事と関連道路新設及び拡幅工事や内川護岸工事と大森諏訪公園移転整備工事(「大森町界隈あれこれ ニュース 大森町周辺の秋のイベント(2007.10.22)」参)等により、よい方向に改善されるものと失うものとがあり、町並み等が大きく変化していきます。


大森町駅周辺の過去の記録は、殆んど見当たりません。これからは、大森町駅周辺の保存しておきたい記録と、変わりゆく姿をできる限り残すようにしていきたいと思っております。



大森西3丁目町会お楽しみ会
大森西3丁目町会では、これまでの町会運動会に変わり、師走の12月9日に開桜小学校体育館で「お楽しみ会」を開催しましたので見てきました。
お楽しみ会では、焼きそばが配られ、子供と大人の輪投げ大会と「星和彦のマジックショー」が行われ、輪投げの参加者には景品が渡され、成績高得点者の発表がありました。



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大森町界隈あれこれ イベント 地場演劇公演「山わろ~呑川へきたかっぱのこと~」

2007年10月30日 | 大森町界隈あれこれ イベント
kan-haru blog 2007

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2年ぶりに大田文化の森で公演する、東京都大田区を拠点に活動している演劇を愛する集団の、「区民とつくる地場演劇の会」は第18回目を迎え、「山わろ~呑川へきたかっぱのこと~」を、10月20日14時と18時30分の2回にわたり開演し満員の盛況でした。今回、初めて地場演劇の観劇の機会をえて、14時の公演を見てきました。

区民とつくる地場演劇の会
「区民とつくる地場演劇の会」は、会の図書などによると、大田区に住む俳優の江角英明(えすみ えいめい)氏が、地元に伝わる歴史に興味を持って書いた一冊の芝居台本からスタートして、1990年に行われた旗揚げ公演では、仲間さがしや劇場探しの手探りの活動が、大田区の文化振興協会の目にとまり支援を受け、公演は大規模な開催となり、思いがけずの大成功を収めました。

           (拡大)                      (拡大)
その後、芝居づくりの楽しさを知った人々が集まり、試行錯誤を続けながら、一般市民と演劇人の共同作業の中で、風通しの良いコミュニケーションと運営にこだわり、アマチュアとプロが刺激しあって生まれる新鮮な表現、さらに観客にとって魅力ある市民演劇を目指してきました。

        (拡大)             (拡大)             (拡大)

・江角英明氏
江角英明氏は、1935年10月5日に島根県で生れ、多摩美術大学を卒業し黒澤明監督の映画からアニメの声優、刑事ドラマの悪役、日活ロマンポルノのキャストに至るまで幅の広い俳優活動を行い、2004年8月22日に胃癌により68歳で亡くなられました。

2年ぶりの大田文化の森公演
巨大都市東京の片隅で、「わが町発見、自分発見」を合言葉に、演劇面の成長や互いの信頼関係を求めて活動しましたが、2004年に代表の江角英明さんを失い、一時は解散を考えました。しかし、私たちの活動を励まし協力を惜しまない演劇人と、地域に軸足をおく舞台に共感を抱く観客が確実に増えており、その期待に押されて今年も公演をと思い、2年ぶりの第18回目の開演を迎えました。現在の会員は、10代から70代と年齢も個性も幅広いグループで、20名の構成メンバーです。
このメンバーの中には、わが町の住民の方も参加しており、とても親しみの深い地場演劇であり、近隣では誘い合っての観劇参加です。


・「山わろ」
公演の「山わろ~呑川へきたかっぱのこと~」は、旗揚げ公演以来、脚本を書いてきた江角さんの夫で、前代表の英明さんの遺品を整理していた昨年10月、偶然見つけたもので、英明さんが10年前に原稿としてまとめたものと分かり、えすみ友子さんが脚本の構成を行なったものです。

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タイトルの山わろとは、カッパの別名に由来し、サブタイトルの呑川は大田区内を流れ、東京湾に注ぐ長さ約15キロの小さな河川です。物語はその昔、小さな穴の中で仲間と交わした約束を実行するためカッパが川を下ります。
約束を果たすためには、人間の協力も必要になるが、下るに従い、川の汚染もひどくなり、カッパの頭にのっている皿の部分が乾き出します。かっぱと人間の交流のファンタジー作品の中で、皿の乾きが地球温暖化で自然破壊への警告という内容も盛り込まれています。

・文化の森
文化の森(大田区中央2-10-1)は、 旧大田区役所跡に大田区が、区民による自主運営による文化創造の拠点として、利用しやすく親しみのもてる施設を目的に、2001年11月3日に開設した区民の文化支援のための中心施設です。
施設の設備は、5階建ての集会棟の2階には情報館を設け、ホール(定員259人)、広場(185㎡)があり、事業運営は、任意登録の文化プレーヤーよって実施する「直接企画」と、公募した区民によって実施する「公募による事業」の2種類があり、大田区から委嘱された区民による運営協議会が行っています。

呑川
「呑川(のみかわ)」は、東急田園都市線の世田谷区桜新町付近を水源とし、世田谷区、目黒区、東急東横線都立大学駅付近、大田区の東京工業大学付近、石川町、雪谷、久が原、池上、JR蒲田駅付近を流れ、糀谷を抜けて東京湾に注いでおります。

支流は、世田谷区上馬付近を水源として、都立大学駅付近で本流と合流する「柿の木坂支流」、駒沢オリンピック公園付近を起点とする「駒沢支流」、世田谷区奥沢の浄真寺(九品仏)付近を水源として東京工業大学付近で合流する「九品仏川」があり、大田区清水窪を水源のひとつとする洗足池から流れ出る「洗足流れ」も注ぎ込んでいます。

下流は、大田区東蒲田付近で旧呑川と新呑川に分流し、今の本流は洪水や氾濫を防ぐために直線化した新呑川となり、羽田空港との間の海老取川に注ぎ込んでいます。
旧呑川は、京急蒲田駅近くの東蒲中学校あたりで新呑川から分流し、昭和島の目の前に河口がありましたが、1976年(昭和51年)に全区間が暗渠化され、緑道となって整備されました。

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大森町界隈あれこれ ニュース 大森町周辺の秋のイベント(2007.10.22)

2007年10月24日 | 大森町界隈あれこれ イベント
kan-haru blog 2007

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大森町界隈あれこれ ニュースは、大森町界隈の地域密着のローカルイベントをお伝えする第2号です。
大森町周辺地域(大森町周辺地図参照)は、北端の京浜急行電鉄の大森海岸駅付近から、同梅屋敷を南端とし、西端は東海道本線が境で、東は平和島、昭和島付近までの地域を対象とします。

大森西三丁目町会総合防災訓練(10月21日)
恒例の秋の防災訓練が大森西三丁目町会主催で、10月21日に開桜小学校校庭で開催しましたので訓練に参加しました。当日は、朝から快晴で暑い日差しが照りつける中での訓練で、先ず17部町会ごとに指定された一時避難場所に8時30分集合し点呼をとり、疑似訓練の歩行不能者を乗せた介助車を先頭にして、全員がロープに摑まり1列縦隊で開桜小学校に向かいます。


小学校に着くと、到着順に煙を充満させた体験ハウスのテント内を通り抜けてから、参加者全員が校庭中央に整列して、3班に分かれて消火器取り扱い、人口呼吸とAED操作、119番消防署通報体験の訓練の開始です。


続いて、町会・消防署消防団による、災害家屋に閉じ込められた被災者救護訓練、婦人・町会・消防署消防隊の放水訓練を見学してから、非常食などのおみやげを頂いて12時過ぎに総合防災訓練が終了しました。


大森コラボ子ども交流センターの駄菓子やすみちゃん(10月18日)
NPO法人大森コラボレーション(大田区大森西2-16-12)の大田区子ども交流センターでは、活動の一環として毎週木曜日に「駄菓子やすみちゃん」を開き、子供たちに駄菓子を売って買い物を通じて社会勉強と交流を図っていますので、その活動の模様を10月18日に探訪して見せてもらいました。


駄菓子やは15時から開店ですが、15時前にはすでにお店が整い子供たちは待ちかねて詰めかけています。駄菓子やすみちゃんのお店は、駄菓子の販売のほか、ゲームも行えその得点により駄菓子の景品がもらえます。
15時半を廻ると施設の学童保育が終了し、駄菓子やは子供が詰めかけラッシュ状態の人気です。


大森コラボレーションとは、平成14年3月に統廃合校として閉校した旧大森第六小学校の跡地利用として、平成16年4月に大田区が「区民活動支援施設 こらぼ大森」を開設しました。こらぼ大森の施設には、シルバー人材センター、協働支援施設、展示室、軽食コーナー、おおもり子どもセンターなどがあり、大田区から学童保育と児童館事業を受託して運営しています。


11月4日日曜日には、『ポレポレECOまつり』(昨年開催のポレポレECOまつり「大森町界隈あれこれ イベント(1) ポレポレエコまつり」参照)が、「~江戸を遊ぼう!学ぼう!つなげよう!~」をテーマにして行われます。

大森諏訪公園整備説明会(10月16日)
元大森諏訪公園跡に隣接してあった大田福祉作業所(「ニュース 秋のイベント(2007.10.14)第33回大田福祉作業所ふれあい祭り」参照)を移転して改築が完了したことに伴い、元大田福祉作業所跡地に、場所を交換した形で大森諏訪公園を整備することとなり、その説明会が10月16日に同作業所の3階会議部室で開かれましたので説明を聞いてきました。

 大田福祉作業所前広場から見た新公園       新大森諏訪公園設計案(拡大)   

公園は、隣接の福祉作業所の前面の広場と行き来が出来るように接続し、オープンな公園を意識した広場の憩いの設計案が、大田区から提示されました。
案に対して近隣の意見としては、①公園をやめて福祉作業所の運動場にしたらどうか。②トイレが西側奥に配置されているが、公園の入り口に近いほうがが望ましい。③憩いの広場のテーブルセットは、酒飲みの場所になりかねないので、テーブルは不要であるなどの希望が出されました。

これに対して、区側の回答は、①は、現在大田区の公園面積は、予定に達していないので、今までの公園面積を減らすことはできない。②と③については、了解したので住民の希望に沿うように検討することとし、本年末には工事に着手し来春には完成するように努めたいとの回答がおこなわれた。

大森西三丁目大寿会第一クラブ誕生会(10月16日)
大森西三丁目大寿会第一クラブでは、8、9、10月生まれの方の誕生会を、10月16日に諏訪神社諏訪会館で開催しましたので、該当者として出席しました。


会長挨拶後、大森警察署交通課警部補 長南仁志氏の交通安全の話を聞き、8、9月誕生者各5名、10月15名の紹介があり、長老の乾杯を合図に食事をとりながらの懇親会がありました。食後のひと時を、カラオケ、合唱、舞踊などの余興で過ごし、楽しく散会しました。

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大森町界隈あれこれ ニュース 大森町周辺の秋のイベント(2007.10.14)

2007年10月14日 | 大森町界隈あれこれ イベント
kan-haru blog 2007 10月16日修正

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今回から、大森町周辺地域で開催したイベントを、不定期にニュース形式で掲載します。
大森町周辺地域(大森町周辺地図参照)は、北端の京浜急行電鉄の大森海岸駅付近から、同梅屋敷を南端とし、西端は東海道本線が境で、東は平和島、昭和島付近までの地域を対象とします。

開桜小学校運動会(10月3日)
9月30日開催予定が雨で流れて、10月3日に平成19年度運動会が開催されました。
開桜小学校(大田区大森西2-26-3 地図参照)は、大森第二小学校と第六小学校が統合して平成14年4月に開校した、内川に沿っている学校です。

・開桜小学校の沿革
小学校の沿革は、1875年(明治8年)2月12日に、大森村892番地に校舎を仮設、「第一第学区東京府管内第二中学区第十一番公立小学校大森学校」として大森で初めて開校し、3月30日に「第一大学区東京府管内第二中学校区第十七公立寄来学校(現大森第二小学校)」と「同第十六公立寄来学校(現大森第一小学校)」に分校して改称されました。

1878年(明治11年)に、中原451番地(今の京浜急行電鉄平和島駅と第一京浜国道の間)に校舎が新築され、翌年「東京府荏原群寄来小学校」と改称されました。
その後、「寄来尋常小学校」に改称され、さらに高等科が設けられ「寄来尋常高等小学校」となり、1898年(明治31年)に、大森町441番地(現環七通りの南側の第一京浜国道付近)に移転しました。4年後に、現京浜急行電鉄平和島駅の前身である、現環七通りの南側の寄来尋常高等小学校の裏に「学校裏駅」が出来ました。

1920年(大正9年)11月18日に、現在地に校舎を新築し「大森第二尋常小学校」と改称されました。
1940年(昭和15年)に、「大森第六尋常小学校」ができ分校して独立し、その後尋常小学校を国民学校と改称しました。両校共1945年(昭和20年)4月15日に世界大戦の大森町大空襲の戦災(「大森町界隈あれこれ(13) 鎮魂!大森町大空襲(第7、8回)」参照)により全焼し、入新井第二国民学校の教室を借りて学習を行いました。

1947年(昭和22年)に63制の新教育体制により、国民学校を小学校に改称し、2年後に焼け跡に校舎ができ、平成14年に統合により開桜小学校となりました。(変革史:開桜小学校開港5周年記念史わたしたちの郷土から)

・開桜小学校開校6回目の運動会
雨で流れた10月3日は、やっと涼しさが訪れ絶好の運動会日和のもとで、子供たちは熱心に競技に取り組んでおりましたが、ウイークデイ開催のため父兄の出足はやや少なめでした。対抗戦競技の結果は、970対946で白組が優勝でした。


平成19年度もり校会同窓会総会(10月6日)
大森学園高等学校(大田区大森西3-2-12 地図参照)の同窓会もりこう会の総会が10月6日に新校舎3階会議室で、懇親会が同8階パノラマラウンジで開催されました。
大森学園高等学校の沿革は、1939年(昭和14年)に旧大森地区の中小機械工場の協力により、大森機械工業徒弟学校を創立し、米沢勇作氏が初代校長に就任しました。1942年(昭和17年)に大森工業学校を開設し、1945年(昭和20年)に世界大戦で全焼により森ヶ崎の工場跡を借りて授業を行い(「大森町学びや もりこう会の集い(その1~4)」参照)ました。

学制改革により1947年(昭和22年)に大森工業高等学校(新生高校)と大森学園中学校(新生中学)と改称し、翌1948年に現在地に廃工場建屋を移築して古巣に移転しました。大森学園中学校は、1951に廃校となりました。(10.16修正)
平成17年に新校舎を新築し通科を併設して、大森学園高等学校に改称しました。平成19年に講堂棟の新校舎を新築し普通科を共学制にして、創立以来初めての男女共学になりました。


第33回大田福祉作業所ふれあい祭り (10月7日)


大田福祉作業所(大田区大森西3-3-9 地図参照)は、今年2月に隣接の内川添いの諏訪公園跡に移転新築の新しい建屋で、10月7日にふれあい祭りを開催しました。


ふれあい祭りのテーマは、このまちに広げようふれあいの輪ということで、近隣住民に呼びかけて多数の見学者が来場して、模擬店・バザーの物品販売や食堂のおふくろの店で飲食をし、ふれあいステージの演芸を楽しんでおりました。


大森第八中学校開校60周年記念式典(10月12日)
大森第八中学校(大田区大森西2-21-1 地図参照)では、開校60周年記念を迎え10月12日に開校60周年記念式典が、体育館3階アリーナで行われました。
大森第八中学校は、1947年(昭和22年)に63制の新教育体制により都立大森実践女学校に併設して開校して、開校時は現山王小学校の教室を借りて授業を行いましたが、現在地に大森実践女学校独立校舎落成し、同校舎に併置して移転しました。

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大森町界隈あれこれ 大森町共栄会 2007年サマーフェスティバル

2007年07月25日 | 大森町界隈あれこれ イベント
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大森町サマーフェスティバル
大森町商店街(共栄会)では、毎年恒例の2007年大森町サマーフェスティバルを、真夏日の7月22日日曜日に開催しました。孫が夏休みに入り泊りがけで遊びに来ていたので、夕刻にぶらりと見に行ってきました。


昨年のサマーフェスティバル(「大森町界隈あれこれ(M30) 大森町商店街 大森町サマーフェスティバル」参照)までは、8月に入るとサマーフェスティバル第2弾として、約600人が参加する恒例の流し踊りが、大森町駅から大森町商店街を東邦医大通りまで練り歩いたのでしたが、何故か今年は中止となりました。

サマーフェスティバルの催し
縁日の出し物は、15時15分から大東京信用組合前の特設舞台で、地元児童館の子供達のソーラン踊り、四次元太鼓(太鼓番社中)、三輪ふれあい太鼓、真夏のジャズ演奏(明治大学ニューウェーブジャズオーケストラ)などが出演しました。
18時からは、西児童館の子供達、舞舞連(ブログ「からだで感じる」阿波踊りから)と大田区くすのき連の約120人の阿波踊りが、大森町商店街通り(地図再掲参照)を東邦医大通りからスタートして、大森町駅付近までの約700mを2時間をたっぷりと息のあった踊りを見せて錬り歩きました。


縁日は、商店街の中程で焼きそばやカキ氷、ポップコーンや景品が当たるくじ引きのゲームコーナや玉すくいなどが設置され、買い物やゲームの参加には1枚100円の「もりも券」が必要です。また、商店街の商店では、サマーフェスティバル商品としておもちゃなどを売っており、孫は買い付けのお茶屋さんの「小坂園」で花火などを買って、おまけを貰い喜んでおりました。
また、商店街中央のセブン・イレブンでは、16時から1人5個までのパンをどれでも1個50円で売り出しを行い、沢山の人が行列して買い求め、短時間で売れきれる人気でした。


クワガタ虫の抽選会
孫がくじ引きや玉すくいなどで遊んでいると、共栄会よりサマーフェスティバルの放送があり、それによると「16時20分から、共栄会館前でクワガタ虫が当たる抽選会を行いますので、お集まり下さい」との放送が入りました。
2006年のサマーフェスティバルではクワガタ虫を貰ってましたが、今年は話題に上がって無くクワガタのイベントは行わないものと思っていたところに放送があり、孫がそれを聞き大喜びして共栄会館へと跳んで行きました。

昨年の抽選方法は、ジャンケンの勝ち抜き戦で当ったのですが、今年は回転式の抽選方式により、赤色の玉は外れでボトル入りのお茶が貰えます。黄色の玉が出ると13人にクワガタ虫のつがいが貰えますので、もりも券を渡して抽選の列に並びました。
抽選が始まり、早いうちに女の子2人が当選しましたが、その後暫くは赤球が続き、孫の番が来て抽選器を回すと黄色の玉で、なんと2年連続してクワガタを貰え喜び勇んで家に向かいましたが、当たった興奮からかのどが渇いて途中カキ氷を食べながら帰りました。


今年のサマーフェスティバルも、孫にとっては大変楽しいものであり、地元の人も沢山見にきてすっかり定着した夏の風物詩の祭りとなり、小さくても楽しい大森町の休日でした。

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大森町界隈あれこれ 国道拡幅により現境内での貴船(貴菅)神社盆踊り大会

2007年07月23日 | 大森町界隈あれこれ イベント
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貴菅神社盆踊り大会
第一京浜国道の本宿の脇にただずむ貴船(貴菅)神社では、例年通り7月21、22日に境内で盆踊り大会が開催されました。
昨年神社を訪ねたのは、盆踊り大会が済んだ翌日の役員さんが跡片付けをしている時でしたので、今年は盆踊りが開催している7月21日金曜日の夕食を済ませた20時頃に行って見ました。

現境内での盆踊り
貴船(貴菅)神社(大田区大森西5-27-7)は、前回のブログ(「大森町界隈あれこれ(L31) 大森町の社寺 ささやかに鎮座する貴船(貴菅)神社」参照)記載にある通り第一京浜国道(国道15号)に接しているので、決定済みの道路が拡幅されると現在の境内が縮小されるため、神社裏側の路地先の空き地へ移動することを町会で検討をしている様です。
そのため、例年開催の現境内での恒例の盆踊りの実施は工事立ち退きまでとなり、以降は移転場所での盆踊り大会となります。

盆踊り大会
貴管神社の氏子は、本宿町会の一つの町会の纏まりのある地域ですので、現境内での盆踊り大会も、いつか先には移設される本殿横の馴染みの深い小さな広場で、例年のように多数参加して開催されました。

  (拡大1)          (拡大2)          (拡大3)本殿横での盆踊り

盆踊りは、21、22日共19時から21時まで天気にも恵まれ、町内の皆んな揃って納涼盆踊りが、何時もの本殿横広場で繰り広げられました。この場所での、踊りの様子を想い出の記録として残しました。

  (拡大1)          (拡大2)          (拡大3)現境内最後の盆踊り

第一京浜国道の拡幅

 第一京浜拡幅前の貴管神社(拡大)   貴管神社境内の第一京浜拡幅予定(拡大)

現在、第一京浜国道は、東京都都市計画道路(幹線街路放射第19号線)による拡幅工事を、大森町駅付近から多摩堤通りまでの区間の1190mの工事計画で、幅員は約35~50mに広げることで進められてます。

        東京都都市計画道路(幹線街路放射第19号線)拡幅工事 再掲

間(あい)の宿
品川宿と川崎宿の中間に当たる東海道の大森には、馬子人足の休息のために立場茶屋(「大森町界隈あれこれ(N31) 大森町風景 旧東海道(三原通り) その1」参照)が設けられ、旅行者の増加に伴いそれらの人々にも供せられ、間(あい)の宿とも呼ばれました。立場は、東大森村の貴管神社付近の谷戸(やと)の立場と雑色村の花の立場(現在の六郷二丁目、仲六郷二丁目付近)の二か所にありました。
立場には、馬子人足の溜場や、旅行者の休息のための煮売茶屋がありました。後になって、歩行不能となった旅行者に、宿泊を提供する煮売茶屋がでてきたので、宿駅を保護するために煮売茶屋の旅籠行為と、立場付近の村民による馬による運送業務の禁止令がだされました。
しかし、1820年頃の江戸後期には、東海道は相当数の社寺参詣者が通行して、大森の間(あい)の宿ではかなりの旅籠の類似行為が行なわれていたと云われてます。

貴管神社は、江戸時代には大森村のうち東海道に面した本宿の鎮守であり、明治42年7月東海道をはさんで当社の真向かいに祀られていた菅原神社を合祀した神社です。
旧東海道は、1922年(大正11年)に第一京浜国道の建設が行われ、谷戸では国道の東端面が旧東海道に沿って造られましたので、鳥居の建之が大正14年と銘打っておりますので、この時点で境内の整理の造作が行われたものと思われます。
今回の第一京浜国道の拡幅は、85年振りの工事で境内の縮小が時代の要請で進められております。

最後に、神社の例大祭は、八月最終の土・日曜日に定めれておりますので、現境内でのお祭りの記録も残して置きたいと思っております。

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大森町界隈あれこれ イベント 平和の森公園フィールドアスレチック

2007年04月12日 | 大森町界隈あれこれ イベント
kan-haru blog 2007

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春休みで孫が遊びにきたので、平和島にある平和の森公園の大田区立フィールドアスレチック(大田区平和の森公園2-1 )に4月1日に行きました。

平和の森公園
フィールドアスレチックのある平和の森公園(地図参照)は、大森本町と平和島との間の接触面に位置したところの、以前には運河であった埋め立て地にあります。このため、平和の森公園は、南北に細長い形状の公園であります。
平和の森公園は、中央に環七通りが通っておりますので、南北の2つに分離しております。
北側の公園は、平和島競艇場が北端で、この公園の少し離れた東側にある平和島公園(地図参照)とともに競艇場などを会場として、毎年11月の土・日の2日間にわたり区民がつどい、楽しみ、ふれあえる「OTAふれあいフェスタ」(「大森町界隈あれこれ イベント(2) OTAふれあいフェスタ(その1~2)」参照)が開催されます。 

平和の森公園には、京浜急行電鉄の平和島駅の東側に降り第一京浜国道を渡り、環七通りを東に進むと大森消防署が見えます。消防署の角の環七通りの北側には公園環七北口が、南側には公園環七南口がありますので、南口から入りますとフィールドアスレチックのある南側の平和の森公園です。

フィールドアスレチック
フィールドアスレチックは、休園日が年末年始と月曜日で、開園時間は9:30から15:00までですが、16:30が退場時間となります。入園料は、小・中学生が100円、高校生以上が360円で、内部施設として男・女更衣室と休憩所があります。園内は飲食禁止ですが、休憩所では飲み物の自販機が利用できます。

  種目左から:①貝塚発掘、②磐井の井戸探検、③三原通り歩き、④森が崎鉱泉もぐり

フィールドアスレチックのコースは、全部で45の種目がありなかなか整っております。小学生の孫とは何回か来ておりますが、毎回張り切ってチャレンジしており、設備も随時補修されているようで破損箇所は見当たないようです。コース内には、2個所の水飲み・休憩所とトイレが設置されております。

  種目左から:①森が崎鉱泉もぐり、②旧中原街道横断、③洗足池もぐり

45種目のコースは、小学低学年では難しいものもありますが、高学年や中学生では全種目がチャレンジできます。しかし、種目は体力のある高学年であれば容易いとは限らず、就学前の重心が低い幼児のほうが難なくこなせるものがあります。また、重心が高いと思わずバランスを崩して、池に嵌りこみそうになり、それがアスレチックの面白さです。
コースのチャレンジは、種目毎に出来た場合は5点、出来なかった場合には0点とし、合計得点で成果を表します。
アスレチックの参加は、春休みでしたので幼児から中学生までが沢山来ておりましたが、なかなかマナーが良く追い越したり、列を崩すことなく順番待ちをして熱心にチャレンジしておりました。

  種目左から:①新田めぐり、②多摩川横断、③羽田の渡し

アスレチックの種目は、大田区が設置しましたので地元大田の地域・歴史・風物にマッチしたネーミングが付けられており、何個かのユニークな種目名を見てみましょう。

  種目左から:①矢口の渡し、②六郷横断、③丸子の渡し

水止舞に挑戦:1429年(永享元年)の旱魃の時に、雨乞いしたところ、雨が多く降りすぎてこまったので、獅子舞をして龍神をこらしめ、雨を止める祈りをしたのが厳正寺の由来といわれます(「大森町界隈あれこれ(L30) 大森町の社寺 巌正寺の水止め舞」参照)。
三原通りあるき:大森の美原通りは、通称三原通りといわれる旧東海道にあたりますが、往時の幅員を比較的残している街道筋として都内でも貴重です(「大森町界隈あれこれ(N31) 大森町風景 旧東海道(三原通り) その1」参照)。
海苔ひびつたい:1715年(正徳5年)から1839年(天保10年)に到る海苔ひび場(養殖場)をめぐる野口家保管の4冊の史料から、大森、糀谷、羽田の海苔採取業の歴史をうかがい知ることができます(「大森町界隈あれこれ 大森海苔物語 のり祭り」参照)。
梅屋敷でひと休み:梅屋敷公園は、1817年頃(文政年間の初め)に、和中散売薬所の店主が庭に梅の木の名木を集めて東海道を往来する旅人相手の休み茶屋を開いた屋敷跡の一部です(「大森町界隈あれこれ(N32) 大森町風景 梅屋敷公園」参照)。

アスレチックに挑戦して自己採点により今年はじめて出来た種目が増え、約1時間30分ほどで回って満足した孫は、ゴールゲートで高々とサインして帰宅しました。

  種目左から:①狛犬を撫でよう、②郷倉渡り、③土器まわり、④ゴールゲートでVサイン

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大森町界隈あれこれ イベント(2) OTAふれあいフェスタ(その2)

2006年11月26日 | 大森町界隈あれこれ イベント
OTAふれあいフェスタ(平和島公園地図平和島公園空中写真再掲 拡大して見られます その1参照)は、見るもの触れるものが沢山あり過ぎて2日間みても見切れないほどです。トップの図はクリックすると拡大して見られます。

・「水のエリア」を見る
大森町の平和の森公園を出て通りを渡ると「平和島」で、平和島競艇場バス乗降場横の「水のエリア」への通路は、観客や阿波踊りなどの出場者でごった返しておりました。
「水のエリア」は、平和島競艇場建屋を中心として、競艇場内中央のベイプラザ、東京テレシアターなどで観る、食べる、遊ぶスポットが盛りだくさんの出会いのエリアです。
競艇場観客席は大入り満員の中で、水のステージ上では、競艇ボート試乗会や「轟轟戦隊ボウケンジャー」 ショーと木遣りは終了しておりました。
競艇場の観客席入り口の前へと進むと、景気付けに獅子舞を先頭に、お囃子車に続いて、大森・六郷・萩中地区のお神輿パレード(神輿1神輿2神輿3神輿4)が練り歩いてきました。


続いて、160名が繰りひろげる「よさこい鳴子おどり」民謡流しが通り、その後競艇場観客席に行くと、助六連の阿波踊り(阿波踊1阿波踊2阿波踊3)が始まっておりました。


この後、ステージではメインのパレードの入場ですが、見るのを諦めて観客席を後にして外に出ました。
「お買い物ストリート」の自冶体交流コーナーや各地の特産品に区内各団体の相談・体験ブースなどをざっと一回りして、ストリートの出口付近で餅つき秋田の大森ワインなどいろいろな物が売っておりましたので、弁当とお土産用のワインを買いました。
ストリートの外の競艇場の中央広場では、くすのき連(大田区)、けやき連(板橋区)、さざんか連(杉並区)、目黒さんま連など各連の今年の見納めの阿波踊りを行っておりましたが、時間がないので横目でみながら、「ごちそうストリート」を通り再び競艇場の観客席に行き昼食をとりました。

食後、家から持参した空き缶を抽選券と交換し、ベイプラザーの抽選会場でお茶とテッシュペーパーを貰い、奥の虹のステージではジャズの演奏をしているのを横目で見て、2階に上がると大森学園高等学校(「大森町界隈あれこれ 大森町学びや もりこう会の集い(その1~4)」参照~4)」参照)のテクノワールドを出展しておりましたので、ちょっと覗いてみました。
まず目についたのは、もりこうかいの集いの時見た自動車部の各種の自動車(MITSUBAECONO POWER 260車名不明)が展示してあり、希望の子供には車に乗せておりました。


テクノワールドには、学科ごとの展示コーナー(電気科展情報科展機械科展)のほかお遊び的な展示コーナー(サイエンスショーチャイム・イライラ棒きんきらペン・ぷうぷうボール)もあり何れも大人気で、人が集まっておりました。

夕刻の予定がありましたで、残念ですが折角のOTAふれあいフェスタを後にしました。

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大森町界隈あれこれ イベント(2) OTAふれあいフェスタ(その1)

2006年11月24日 | 大森町界隈あれこれ イベント
OTAふれあいフェスタ
第17回を迎える、OTAふれあいフェスタ「おおたふれあいフェスタ」が、平成18年11月11日(土曜日)と12日(日曜日)の両日の10時から16時の間開かれました。
OTAふれあいフェスタは、区民がつどい、楽しみ、ふれあえる機会を創り出し、区民の連帯意識を醸成する目的で、OTA(おおた)ふれあいフェスタ実行委員会と大田区の主催で毎年実施し、30万人が集まる大田区最大のイベントです。

会場は、平和島を中心とした、平和島競艇場、平和島公園と平和の森公園の3会場(平和島公園地図平和島公園空中写真参照)を、3つのエリアの「水のエリア」(平和島競艇場)、「太陽のエリア」(平和島公園)、「緑のエリア」(平和の森公園)のテーマ分けして、それぞれのテーマ毎のふれあいコーナー、体験コーナー、乗り物コーナー、ゲームコーナー、スポーツコーナー、学習コーナー、ミニ動物園やフリーマーケット、模擬店などの一日では見切れないほどの催しが盛り沢山の他、JR大森駅東口から八幡通り、第一京浜国道を通って水のエリアまでのパレードや、水のステージでのショー、神輿パレード、民謡流し、阿波踊りなどが分刻みで催されました。

平和島公園地図と空中写真を拡大して見る方法
拡大して見るには、次の3月月間INDEXに方法が記載してありますので、参照して下さい。
番外編 ブログ記事の参照地図を拡大して見る方法[付 kan-haruの日記3月月間INDEX]4月1日

平和島
会場の内平和の森公園は、太平洋戦争時に捕虜収容所として埋め立てを開始し始めた、当時の島の拡張の跡であり、大森町に編入された場所なのです。
したがって、平和の森公園会場は、大森町のエリア(大森町エリア地図参照)でありますので、OTAふれあいフェスタは大森町も一翼を担っているのです。
その後、埋め立ては陸続きに拡張され、南北に首都高速1号線羽田通りとモノレールが通り、
平和島競艇場、平和島公園や東京流通センターを備え、平和の森公園以東を境にして「平和島」と命名した島が完成したのです。

埋め立て陸地
平和島が完成しても埋め立ては継続され、平和島の南側に「昭和島」が誕生し、その東側に「京浜島」ができました。さらに、埋め立ては際限なく続き「平和島」の東に京浜運河を隔てて、東京港野鳥公園、中央卸売市場大田市場、大田スタジアムや臨海斎場が出来、その南東には「城南島」も出来ました。
中央卸売市場大田市場は、JR秋葉原駅の西側に隣接してあった「東京神田青果市場」(「続・秋葉原界隈(1) 秋葉原クロスフィールド完成」参照)が移転して来たのです。
これらの埋立地の北側には、品川区に所属する大井埠頭の埋め立て地へと続く、大陸地が誕生したのです。

OTAふれあいフェスタにふれあい参加
フェスタ初日の11日は生憎雨に見舞われましたが、二日目の12日は朝から快晴でふれあいに参加してきました。夕刻には、他に行く予定があるので、昼食はOTAふれあいフェスタでとるようにと自宅を12時に出て、徒歩で美原通りから環七通りを抜け平和の森公園入り口には30分程で着きました。途中の美原通りには、平成19年4月に開園予定の「大森ふるさとの浜辺公園」(「大森町界隈あれこれ(N30) 大森町風景 大森ふるさとの浜辺公園の砂浜開放」参照)の垂れ幕が掛けてあるのが見られました。
・「緑のエリア」を見る
先ずは、平和の森公園南の環七北口から入り、ひょうたん池沿いに北上して平和の広場芝生上の「緑のエリア」は朝からの好天気で、既に沢山の人が来ており、「青空大フリーマーケット」は大混雑でした。


このエリアでの幼児に大人気の「ミニSL」は、発車の整備をしておりましたが乗車希望者は長い行列です。


植木市や相談コーナーなどいろいろありましたが、ふれあう時間があまりとれないので、模擬店で小物日用品を買い平和の森公園を北口から出ました。

・「太陽のエリア」
「太陽のエリア」は、平和島公園にあり体験やふれあいコーナー、アマチュア音楽祭などがありますが、時間が取れないので残念ですが今回はパスとしました。

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大森町界隈あれこれ イベント(1) ポレポレエコまつり

2006年11月22日 | 大森町界隈あれこれ イベント
好天の11月5日日曜日に、地域活動の特定非営利活動法人 大森コラボレーションのこらぼ大森のグランドで、子供交流センター活動による「第3回ポレポレエコまつり」が開催されましたので、日頃大森コラボレーションがどんな活動を行っているのかを知るため見学に行きました。
こらぼ大森は、大森町の周辺を囲むように走るメイン通りの一辺の北側にある環七通り、東側にある第一京浜国道、南側にある大森町商店街通りに、さらに西側にある東邦医大通りの四辺形のほぼ中央部に位置したところにあり(地図参照)、ここは、元大森第六小学校の跡地で、イベントは校庭跡のこらぼ大森のグランド一杯に展開して行われておりました。自宅からは、徒歩10分ぐらいのところです。


こらぼ大森
平成14年3月に、大田区最初の統廃合校として閉校した旧大森第六小学校の跡地をどのように利用するかを大田区と地域住民・区民活動団体代表などが話し合いを重ね検討しました。
地域としては、①区民の自主的な活動を応援する場が欲しい、②高齢者を支える活動のできる場が欲しい、③中高生の居場所が欲しいといった区民の希望を反映して、大田区は平成16年4月「区民活動支援施設 こらぼ大森」が開設されました。
こらぼ大森には大型児童館・子ども交流センター、協働支援施設、区民利用施設のグラウンドと体育館棟、そしてシルバー人材センターの施設を設け、いろいろな世代の人、さまざまな目的を持った人々が集う場所として出来たのです。

・子ども交流センター
子ども交流センターは、「地域で子育てを!」というコンセプトで作られたNPO法人「おおもり子どもセンター」が大田区から学童保育と児童館事業を受託して運営しており、乳幼児と保護者が一日過ごせる「ファミリールーム」、子どもたちが体を動かす遊びができる二教室をつなげた「ホール」、子どもたちが手作り工作など行える図画工作室使用した「工作室」、中高生などのバンドが練習できる防音設計の「音楽練習室」があります。
ここでは、職員の他に大学生から高齢者までの幅広い年代のボランティア、アルバイトが支えて「地域の子育て・子育ちの拠点」を行っております。

また、シルバー人材センターの「作業室」では60~80代の高齢者の方が箱詰めなどの軽作業を行っり、「寺子屋」では退職後の先生と小学生が、学校の補習勉強を行っております。
協働支援施設では、団体間の情報交換や情報収集の資料をそろえ、活動の相談の「情報交流室」や、印刷やコピー、軽作業ができる「ワーキングルーム」と短時間打合わせに利用できる「ミーティングルーム」、会議・学習会に利用できる「会議室」および「共同事務室」などがあります。
一階には来館者が飲食、休憩や歓談のできる「ふれあいコーナー」や、高齢者配食サービスに利用する「調理室」と、会食会・展示会に使用する「軽食コーナー」などがあります。

ポレポレエコまつり
子ども交流センター「第3回ポレポレエコまつり~エコな江戸をあそぼうよ~」は、こらぼ大森グラウンドで12時30分から16時まで開催されます。
当日は、外出先からの寄り道で13時少し前に着いたところ、グランドは子供たちで一杯でした。
まつり風景(会場案内図参照)は、あそびの種類によりコーナが分かれており、「子どもあそび村」には、竹筒たおしや札所めぐり、江戸くじやなど13のコーナーと共に「エコ城」があります。「遊び・体験処」には丸太切、わら細工などの11体験コーナーがあり、「楽市~食の市場~」には、焼きそば、フランクフルトやお汁粉・甘酒など10種類の食べ物店があり、何れも大繁盛で食材を追加仕入れても売り切れたようです。

「工芸村」には、花のお江戸のワッペン作り、土鈴作りや木工クラフトなど5種類のもの作りコーナーでもの作りに汗を流しておりました。「幼児あそび処」には、わらプール、江戸おもちゃ工作紙芝居などの5種類のあそびコーナーで、その芝居小屋、子供みこし幼児迷路占いコーナーなど盛り沢山の江戸の遊び処が用意されておりましたので、参加した幼児、小学生などはあっという間に時間が経ったことでしょう。


ポレポレエコまつりの、遊びの準備や手伝い員は、周辺地域の町会、幼稚園父母会、大森学園高等学校(「大森町界隈あれこれ 大森町学びや もりこう会の集い(その1~4)」参照)の生徒など多数のボランティアで運営されました。

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