味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

道は自然に法る。

2015-01-28 10:01:25 | ブログ
第2223号 27.0128(水)
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道は自然に法(のっと)る。『老子』
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 すべては自然にのっとっている。草木の生えるのも自然であり、春夏秋冬の移り変わるのも自然である。人間の踏み行うべき道も、やはりこの自然にのっとるのが最もいい。323
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 【コメント】またまた人を殺してみたいとして殺し、女子大生が逮捕されるという痛ましい事件が起きました。そしてネットには、その昔大事件を起した人々の誕生日等々が書かれ、それなりに話題を呼んでいるようです。
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 なぜこういう事件が立て続けに起きるのでしょうか。

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『大学味講』(第61回)
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 〇では、その「徳」を形成する要因は何でしょうか。
 ”「才」の要因を「知識」と「技術」としたように分析的にいうならば、「徳」の要因は「体質」と「性質」ということになるでありましょう。”

 〇その「体質」とか「性質」とかいうものは先天的のもので、なかなか改まらないものではないでしょうか。
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 ”それは確かにその通りです。しかし絶対に変化しないというものではありません。けれどもそれは、読んだり聴いたりして、それを大脳の表皮細胞に記憶しさえすれば、それであぼえるというような「知識」の収得とは違って、「体質」の変化「性質」の変化となると、全身の全細胞の全変化を来さねばならぬので、試験勉強の一夜漬けのようには参らぬのでありまして、そこに「我づくり」のむずかしさがあるのであります。
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 しかし、だからといって、それが出来ないということはありません。現に若い時は弱い体質の人が、摂生と鍛錬とで中年以後に健康になり、長生きしている人もあり、また、生来短気者で、ちょっとのことでもすぐカンカンとなるような人でも、努力の結果落着いた人になっている人もあるのでありまして、「我づくり」の努力の結果は、その人の「人がら」を変化させるものであります”

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『論語』(第161)
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 冉有曰はく、「夫子衛の君を為(たす)くるか。」子貢曰はく、「諾、吾将に之を問はんとす。」入りて曰はく、「伯井叔斉は何人ぞや。」曰はく、「古の賢人なり。」曰はく、「怨みたりや。」曰はく、「仁を求めて仁を得たり。又何ぞ怨みん。」出でて曰はく、「夫子は為けじ。」
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 冉有が「先生は衛の君の出公輒をお助けになるだろうか」と言った。子貢が「よし、わしがひとつお尋ねしてみよう」といって、部屋へ入って、「伯井・叔斉はどういう人でございますか」と問うた。孔子は「昔の賢人だよ」と答えた。
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 子貢は「伯井・叔斉は、互いに国を譲りあって父の後を継がなかったのみでなく、後には餓死さえしたのであるが------後で悔い怨んだのでございましょうか」と尋ねた。すると、孔子は「共に仁を求めて仁を得た----すなわち、人たるの道を求めて、人たるの道を行い得たのだ。心に何の悔い怨むことがあろうや、何も遺憾としなかっただろう」と答えた。
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 子貢はこの孔子の言葉を聞いて、部屋から出て来ていうには、「先生は衛の君、出公輒をお助けにならないよ」と答えた。

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『農士道』(第45回)
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 更に政治に於て之を見んか。政治に於ける「質」は為政者の人格を中心とせる徳治政治たることは明瞭である。だから政治の本質に於ては、士階三等茆茨剪らざる堯舜の政治を以て理想とする。然しさればといって全然法律制度を必要とせぬということではない。其の徳治政治の結果、必要に応じて其処に次第に法律も制度も生じて来るであらう。然し外部より見ゆるは「文」たる法律制度である。
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