味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

小人貧しければ斯に約し、富めば斯に驕る。

2015-01-02 12:50:14 | ブログ
第2197号 27.01.02(金)
.
小人貧しければ斯に約し、富めば斯に驕る。『礼記』 
.
 小人は、貧しい生活をしているときは、どこかせかせかしており、また富裕になると、にわかに驕りたかぶる。
 心の養いのない人間の、貧富における態度はこういうものである。283

.
 【コメント】人間はときとしてそういうことがあるものです。これは君子、小人の別ではないと思います。だから漢籍等を繙かなければならないのです。過去半世紀に亘って「人間学」の精神を門下生に教えてきましたが、そういうのが理解できるのは三割いるのでしょうか、疑問なしとしません。
.
 今朝は24歳になった上村さんが挨拶を兼ねて来てくださいました。そこに心があるかないかの差なのですが。上村さんの素晴らしさについて拙著『礼節のすすめ』でもご紹介してあります。立派にご成長した上村さんみたいな人格者の伴侶になる人はお幸せになることだろうと思います。
.
 近くを通っても挨拶をする人、知らんぷりをする人、この違いに天はどう対応すると思われますか。長い一生では相当の差が出てくるのです。

.
 私が32歳の時大根占電話局に赴任しました。その頃、田代町のある旅館の敷地の角にある電柱の建て替えをしなければならなくなりました。そこで家主様に工事をさせてくださいとお願いしました。そしたら即、断られました。それでも何回も何回もお願いに行きました。最後は私のお願いを聴いてくださいました。
.
 工事が終了してから、近くを通る時はお茶菓子を自費で購入し、大変お世話になりましたとご挨拶に伺いました。その後、別の所にある電柱の建て替えをする際挨拶に行ったら、私の後からついてくるではありませんか。そしてそこの地主さんに、この人はいい人ですから、協力をしてくださいと助言をして戴きました。一年9ケ月してから鹿児島に転勤になった時も、ご挨拶に伺いました。
.
 その時から43年経ちました。そして万巻の書を繙いてきました。天風師が訓戒する「天の理」が働くのだということがわかりました。そんなことがあるもんかとお笑いになる方は、ご自由に。分けが分らず蔑視する人には不幸という天の制裁が下るのです。そこに読書の意義があるのです。
.
 年賀状が届きました。私は超多忙のため先ほど新年会の日時を書いたものだけ投函してきました。荘内の先生方からも戴きましたが、後ほど書きたいと思います。大変申し訳なく思います。
.
 『南洲翁遺訓』をはじめとして荘内の先生方の訓戒ほど素晴らしいものはないと断言致します。かわいいお子様、お孫さまのために『南洲翁遺訓』はじめ荘内南洲会にある文献を御読みください。ただしすぐにはわかりません。私は20年位、読み筆写し続けているのです。
.
 私のブログを見てこまめに年賀状に書いてきてくれた藤本先生、有り難う存じました。この藤本先生は、物すごい読書家なのです。20年前一緒に仕事をして教えられることばかりでした。
----------------
菅原兵治著『大学味講』(第35回)
.
 (3) これに対して陽明学では、「物」とは、自分の活動の対象となるもので、それは必ずしも外物に限らず、事も、人も、そして時には己が心中の消息もすべてそれが「物」であるとするのであります。だから例えば、親に仕える場合は、どうすれば親に対して孝道を全うすることが出来るか。自分の考え方なり、自分の態度なりが、これでよいかどうか、それを徹底的に究明することが「物を格す」---即ち「格物」---であるとするのであります。
.
 随って、この場合の「知を致す」の「知」は、一般でいう「知識」ではなく、孟子のいわゆる「良知」(良心)であるとし、「致良知」---「物」に対して良知を致すこと、即ち良知を以て行うこと----が「致知」であるとするのであります。
 (日本陽明学の祖といわれる中江藤樹の筆になる見事な「致良知」の文字があります。)

------------
『論語』(第135)
.
子曰はく、質、文に勝てば則ち野。文、質に勝てば則ち史、文質彬彬として然る後に君子なり。
.
 (きじ)が文(かざり)より過ぎると田舎者のようになる。文が質より過ぎると文書を掌る役人のようになる。文と質とが平均して初めて人格の完成したた君子となるのである。
---------------------
『農士道』(第19回)
.
 ------従来保持し来れる傳統文化を培養して、更に創造的積極的なるこの新生命を有らしめねばならぬ。それを若し傳統国粋の保持培養體としての農村農家までが、其の本来の精神を以てしては生活も経営も出来ぬとあっては、東洋の指導者たる日本の面目何処に在りやを憂ふる時、日本農村の日本国家及び東洋に對する参賛的使命の如何に重きかを覚知せずには居られぬであろう。頁6
--------------
短歌
.
高尾野に 在し人々 指導する
  藤本師匠の 声感動す 7025