味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

泰山其れ頽れんか。梁木其れ壊れんか。

2015-01-10 09:57:37 | ブログ
第2205号 27.01.10(土)
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泰山其れ頽(くず)れんか。梁木其れ壊(やぶ)れんか。『礼記』
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 泰山がくずれ、梁木が折れくじける。転じて聖賢哲人の死をいう。孔子は、おのれの死を予知してこの歌を歌った。269
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【コメント】今日は円心会の新春の宴を開催致します。その準備のため、一週間前から一人で頑張って参りました。さすがに昨日の三時頃はフラフラになり一時間蒲団に潜りました。どんなに忙しくても根を上げることはありません。
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 夕飯前、『礼記』第一巻を開きました。『禮記』 曲禮 上第一に、「曲禮に曰く、敬せざること毋れ。」とあります。
「曲礼にこうある-----常に(身心を引き締めて)敬の態度を保たねばならない。独りで居るときは端然として-----」
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 このところはブログ第273号 21.11.29日に書いてました。6年前です。安岡正篤先生が『礼記』を読みなさいと著書に書いていますが、読んでみてその素晴らしさに唸っているところです。
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 このブログを御覧になられている方は、お子様に、お孫様に、漢籍を読むよう勧めてご覧になりませんか。分からないながら繙いてきてこれほど楽しいことはありません。安岡先生は小学生時代、四書五経を暗記したということです。最初は難解ですが、年輪を重ねると理解力が深まり楽しさが倍化して参ります。藤本先生もお読みになりませんか。
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 フランスでテロを起こした方々もこういう漢籍を繙いたら、考えががらりと変わるのではないかと思うのですが、如何でしょう。

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『大学味講』(第43回)
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 実例を以て申しましょう。最近は大ていの人は皆自動車に乗りますので、自動車の運転のことについて申して見ましょう。天下国家、一身一家のためにもと、十分に考えて、自動車の運転を覚えようとしたとする。
 それにはまず、自動車その物について、正格にそれを運転することを覚えねばならぬのだが、これが即ち「格物」---物に格って、物を格す----なのであります。

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『論語』(第143) 
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 宰我問うて曰はく、「仁者は之に告げて井(せい)に仁(ひと)ありと曰ふと雖も、其れ之に従はんか。」子曰はく、「何為(なんすれ)ぞ其れ然らん。君子は逝かしむべきも、陥(おとしい)るべからず。欺くべきも罔(し)ふべからず。」
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 宰我が「仁徳のある人が、井戸に人が堕ちていると知らされたら、いきなりその井戸へ飛び込んで救うでしょうか。」と尋ねた。孔子が答えて言うには、」どうしてそのようなことがあろう。
 なるほど、君子も急を告げて井戸端までかけつけさせることはできよう。しかし、君子は無分別ではないから、だまされて井戸にはいることはしない。道理のあることで欺かれることはあり得るが、道理の無いことで、だまそうとしても、だまされるものではない。」と。

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『農士道』(第27回)
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 然らば「文」とは何ぞや、「質」とは何ぞや。先づ簡単に之を解説することとしょう。一體宇宙人生----従って生きとし生くる一切のものの生命力----即ち造化は、之を體として----其の本體的方面より之を見れば、息むこと無き「生々」そのものである。
 然し之を用として----其の作用的方面より之を見れば明らかに二つの方途がある。
 一つは分化発現の作用であり、一は統一収蔵の作用である。前者は「一」なる造化の本源より次第に分化し発現して「多」に至らんとする作用であり、後者は「多」を次第に統一し収蔵して生命の本源たる「一」に帰せんとする作用である。

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