第2210号 27.01.15(木)
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君子の守りは、其の身を修めて天下平らかなり。『孟子』
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君子の執り守る要点は、ただわが身を修めるということだけである。だがそれが広く感化を及ぼして、ついには天下を治平するに至るので7ある。142
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【コメント】只今、午後2時過ぎであります。枕崎へお墓詣りに行ってきました。
ブログを書こうと思ってインターネットを立ち上げたら、お隣の中国では、偉い方々が自殺したり行方不明の方がたくさんおられるとか。 国家主席が悪いのは虎もハエも叩くと宣言したものだから、摘発から逃れたいということのようですが。
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人間誰しも権力を持てば、ワルをしたがるもののようです。だから私は、小さい子どもたちに『南洲翁遺訓』を教えることのみに専念しているのです。『南洲翁遺訓』を刊行した荘内の藩主を始め、菅臥牛先生、赤沢源也先生らの御苦労を踏みにじってはいけないのです。
人生をトータルで考えた場合、『南洲翁遺訓』を学ぶに如かずと私は思っています。
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私がご尊敬申し上げた故小野寺先生方が、如何に、命がけで『南洲翁遺訓』を守ろうとしたか、20年の間、一杯秘話を御聞きしてきました。鹿児島での『南洲翁遺訓』学修会はただ『南洲翁遺訓』を学ぶだけでした。
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30年前ご一緒に南洲会を組織していた先生方は、秘話は御存知でなかったからです。一番の大罪は『南洲翁遺訓』を改竄しようとする人間だと私は思います。『南洲翁遺訓』の刊行に際しては、学説とかなんとかいうものは関係ないと私は捉えています。
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忠篤公率いる荘内藩の藩士たちが、西郷屋敷を訪れ、西郷先生に直接お聞きした数々を記録して持ち帰り、後に菅臥牛先生を中心として修正添削すること幾百回に及び練り上げたものだと伺っていますし、『荘内藩の徳業を語る』にもそのように書かれています。
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『大学味講』(第48回)
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味 講
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(一) この一節は大学の眼目ともいうべき一節で、この中の「天子より庶人に至るまで、壱是に皆身を修むるを以て本となす」の一節は、中江藤樹が十一才で大学を読み、ここに至って深く感銘し、「聖人豈学びて至るべからざらんや」といって涙を流して衣をうるおし、かくて発憤勉学して、ついに近江聖人と称されるようになったという一節であります。
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そしてまた、私どもの提唱する「我づくり」も、その根拠とする所は、ここにあるのであります。
ここで、身を修めることが「本」で、斉家とか、治国とか、平天下とかいうことは「末」であるなどというと、いかにも個人主義的で、社会公共のことを軽んずるものではないか、などと思われるかも知れませんので、ここで「本」と「末」の関係について一応解明しておきたいと存じます。
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『論語』(第148)
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子曰はく、述べて作らず、信じて古を好む。ひそかに我が老彭に比す。
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孔子が言うには、わしは古人の已に言っていることを受け伝えてこれを述べるばかりで、まだ古人の言わないことを自ら作り出すことはしない。古人の作ったことにあらゆる理が備わっているから、わしは深くこれを信じて疑うことなく、篤くこれを好んで厭わないのである。
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昔、殷の代に老彭という賢人があって、古人の言ったことを伝えてこれを述べ深く信じ篤く好んだが、わしはひそかに自らこの老彭に比してこのようにしているのである。
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『農士道』(第27回)
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かくいふと文質の理などいふものは支那思想ではないか、日本的原理より見れば如何なるのかといふ疑問も無しとせぬであらう。思ふに文質循環の理は宇宙自然の大法則である。
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東西古今に通じての法則である。それは時と處によって制約を受くることなき普遍的原理である。唯説明に便利なるが故に、儒教的言辞を用ゐたまでのことである。
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君子の守りは、其の身を修めて天下平らかなり。『孟子』
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君子の執り守る要点は、ただわが身を修めるということだけである。だがそれが広く感化を及ぼして、ついには天下を治平するに至るので7ある。142
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【コメント】只今、午後2時過ぎであります。枕崎へお墓詣りに行ってきました。
ブログを書こうと思ってインターネットを立ち上げたら、お隣の中国では、偉い方々が自殺したり行方不明の方がたくさんおられるとか。 国家主席が悪いのは虎もハエも叩くと宣言したものだから、摘発から逃れたいということのようですが。
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人間誰しも権力を持てば、ワルをしたがるもののようです。だから私は、小さい子どもたちに『南洲翁遺訓』を教えることのみに専念しているのです。『南洲翁遺訓』を刊行した荘内の藩主を始め、菅臥牛先生、赤沢源也先生らの御苦労を踏みにじってはいけないのです。
人生をトータルで考えた場合、『南洲翁遺訓』を学ぶに如かずと私は思っています。
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私がご尊敬申し上げた故小野寺先生方が、如何に、命がけで『南洲翁遺訓』を守ろうとしたか、20年の間、一杯秘話を御聞きしてきました。鹿児島での『南洲翁遺訓』学修会はただ『南洲翁遺訓』を学ぶだけでした。
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30年前ご一緒に南洲会を組織していた先生方は、秘話は御存知でなかったからです。一番の大罪は『南洲翁遺訓』を改竄しようとする人間だと私は思います。『南洲翁遺訓』の刊行に際しては、学説とかなんとかいうものは関係ないと私は捉えています。
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忠篤公率いる荘内藩の藩士たちが、西郷屋敷を訪れ、西郷先生に直接お聞きした数々を記録して持ち帰り、後に菅臥牛先生を中心として修正添削すること幾百回に及び練り上げたものだと伺っていますし、『荘内藩の徳業を語る』にもそのように書かれています。
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『大学味講』(第48回)
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味 講
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(一) この一節は大学の眼目ともいうべき一節で、この中の「天子より庶人に至るまで、壱是に皆身を修むるを以て本となす」の一節は、中江藤樹が十一才で大学を読み、ここに至って深く感銘し、「聖人豈学びて至るべからざらんや」といって涙を流して衣をうるおし、かくて発憤勉学して、ついに近江聖人と称されるようになったという一節であります。
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そしてまた、私どもの提唱する「我づくり」も、その根拠とする所は、ここにあるのであります。
ここで、身を修めることが「本」で、斉家とか、治国とか、平天下とかいうことは「末」であるなどというと、いかにも個人主義的で、社会公共のことを軽んずるものではないか、などと思われるかも知れませんので、ここで「本」と「末」の関係について一応解明しておきたいと存じます。
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『論語』(第148)
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子曰はく、述べて作らず、信じて古を好む。ひそかに我が老彭に比す。
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孔子が言うには、わしは古人の已に言っていることを受け伝えてこれを述べるばかりで、まだ古人の言わないことを自ら作り出すことはしない。古人の作ったことにあらゆる理が備わっているから、わしは深くこれを信じて疑うことなく、篤くこれを好んで厭わないのである。
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昔、殷の代に老彭という賢人があって、古人の言ったことを伝えてこれを述べ深く信じ篤く好んだが、わしはひそかに自らこの老彭に比してこのようにしているのである。
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『農士道』(第27回)
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かくいふと文質の理などいふものは支那思想ではないか、日本的原理より見れば如何なるのかといふ疑問も無しとせぬであらう。思ふに文質循環の理は宇宙自然の大法則である。
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東西古今に通じての法則である。それは時と處によって制約を受くることなき普遍的原理である。唯説明に便利なるが故に、儒教的言辞を用ゐたまでのことである。
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