第2206(日)
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家の有亡(ゆうむ)に称(かな)う。『礼記』
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葬式の道具は、葬家の貧富に応じて加減すればよい。(孔子のことば)269
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【コメント】孔子の言葉に同感です。要は丁寧に懇ろに如何に弔うかということだと思います。葬儀屋のいいなりにするのもいいでしょうが、どっしりとした哲学を持ちたいものです。葬儀屋の周囲はビルを建てたり金を設けた証が見てとれるようです。
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昨夜は日本空手道少林流円心会新春の宴を開催しました。その準備に忙殺されました。昨日はインフルエンザ等々に罹ってお休みの方が十名欠席されました。
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日本空手道少林流円心会の修行成績は森永礼弥君が一位でした。森永君は三年連続チャンピオンでした。そして極めつきは三歳児・正田かなこちゃんの『南洲翁遺訓』第一章の単独での発表が座を飾ってくださいました。
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食べ物の残りはお持ち帰りするようにお願いしているのですが、結構残っていました。今朝は六時丁度に起きて、五時間かかって清掃をし借用したテーブルを返納したりと致しました。金野師範が応援に駆けつけてくださり大助かりでした。
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昨夜は閉会をしてから、凡そ二時間半語らいを致しました。老人の私は嫌われることを承知で準備等の応援がなかったので、いろいろ苦言を呈しました。誰かが教えてあげなければならないのです。
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『大学味講』(第44回)
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ところが、その「格物」を一生懸命にやっている間に、熟練してくると、自然に自動車と自分とが一体となってきて、格別に、それほどの意を用いなくても、ハンドルが自然に動くようになって、自動車の方で、こっちの思うように動いてくれるようになるものだそうでありまして、こうなった状態が、即ち「格物」----物の方でこっちに格り、そして物の方で格しく動くようになる---なのであります。
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『論語』(第144)
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子曰はく、君子博く文を学びて、之を約するに礼を以てせば、亦以て畔(そむ)かざるべきか。
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孔子が言うには、「君子たるもの、広く書を読んで文物を学ばなくてはならぬが、博学なだけでは散漫になる故、人生の物指したる禮を以てしめくくりをつけることが大事だ。そうすれば正しい道にそむかぬようになれるであろう。
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『農士道』(第28回)
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而して前者の分化発現の作用の所産が即ち「文」であり、後者の統一収蔵の作用の所産が即ち「質」である。
今この兩作用の如実の相(すがた)を私共は、いみじくも草木成長の運行に於て観得することが出来る。私共が謙虚に天地間の無声無臭の造化の大いなる律動に見入る時、春夏秋冬四季のうつろひと共に、其處に明らかに陰陽の消長を直観し得るであろう。
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生きとし生くる地上大方の草木の生育を見よ、彼等、-----例えば稲は、春から夏にかけては、ひたすらに地上へ地上へと伸び行く発現の作用によって、地中に埋れし一粒の種子より次第に数多の莖葉を分化し、やがて其の頂きに「文」(あや)なる花を開く。
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然しそれが秋から冬にかけては、生命の運行に転換を来して収蔵の作用となり、花が散り、葉が枯れ、莖が萎みして、やがて結実し、其の實は再び地中に帰して来る春を待つのである。
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短歌
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初春に 仲間が集い 盃交わす
この喜びが 永久につづけと 7027
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家の有亡(ゆうむ)に称(かな)う。『礼記』
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葬式の道具は、葬家の貧富に応じて加減すればよい。(孔子のことば)269
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【コメント】孔子の言葉に同感です。要は丁寧に懇ろに如何に弔うかということだと思います。葬儀屋のいいなりにするのもいいでしょうが、どっしりとした哲学を持ちたいものです。葬儀屋の周囲はビルを建てたり金を設けた証が見てとれるようです。
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昨夜は日本空手道少林流円心会新春の宴を開催しました。その準備に忙殺されました。昨日はインフルエンザ等々に罹ってお休みの方が十名欠席されました。
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日本空手道少林流円心会の修行成績は森永礼弥君が一位でした。森永君は三年連続チャンピオンでした。そして極めつきは三歳児・正田かなこちゃんの『南洲翁遺訓』第一章の単独での発表が座を飾ってくださいました。
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食べ物の残りはお持ち帰りするようにお願いしているのですが、結構残っていました。今朝は六時丁度に起きて、五時間かかって清掃をし借用したテーブルを返納したりと致しました。金野師範が応援に駆けつけてくださり大助かりでした。
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昨夜は閉会をしてから、凡そ二時間半語らいを致しました。老人の私は嫌われることを承知で準備等の応援がなかったので、いろいろ苦言を呈しました。誰かが教えてあげなければならないのです。
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『大学味講』(第44回)
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ところが、その「格物」を一生懸命にやっている間に、熟練してくると、自然に自動車と自分とが一体となってきて、格別に、それほどの意を用いなくても、ハンドルが自然に動くようになって、自動車の方で、こっちの思うように動いてくれるようになるものだそうでありまして、こうなった状態が、即ち「格物」----物の方でこっちに格り、そして物の方で格しく動くようになる---なのであります。
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『論語』(第144)
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子曰はく、君子博く文を学びて、之を約するに礼を以てせば、亦以て畔(そむ)かざるべきか。
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孔子が言うには、「君子たるもの、広く書を読んで文物を学ばなくてはならぬが、博学なだけでは散漫になる故、人生の物指したる禮を以てしめくくりをつけることが大事だ。そうすれば正しい道にそむかぬようになれるであろう。
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『農士道』(第28回)
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而して前者の分化発現の作用の所産が即ち「文」であり、後者の統一収蔵の作用の所産が即ち「質」である。
今この兩作用の如実の相(すがた)を私共は、いみじくも草木成長の運行に於て観得することが出来る。私共が謙虚に天地間の無声無臭の造化の大いなる律動に見入る時、春夏秋冬四季のうつろひと共に、其處に明らかに陰陽の消長を直観し得るであろう。
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生きとし生くる地上大方の草木の生育を見よ、彼等、-----例えば稲は、春から夏にかけては、ひたすらに地上へ地上へと伸び行く発現の作用によって、地中に埋れし一粒の種子より次第に数多の莖葉を分化し、やがて其の頂きに「文」(あや)なる花を開く。
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然しそれが秋から冬にかけては、生命の運行に転換を来して収蔵の作用となり、花が散り、葉が枯れ、莖が萎みして、やがて結実し、其の實は再び地中に帰して来る春を待つのである。
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短歌
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初春に 仲間が集い 盃交わす
この喜びが 永久につづけと 7027