第2211号 27.01.16(金)
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敬せざること毋かれ。儼として思ふが若(ごと)くし、辭(ことば)を安定にす。『礼記』
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【訳】人は常に、厳粛な気持ちで、畏れ敬うという敬の態度を保たなければならない。独りでいる時は厳かに端然として、常に思考を巡らすような態度であり、人に対応している時は、穏やかな口調で話し、心の平静さを持ち続けることが大事である。266
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【コメント】昨晩は今年最初の空手道の御稽古をしました。最近、『礼記』を読み始めましたら、平成21年11月29日、ブログ第273号ですでにご紹介していました。五年前のことです。
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そこで『礼記』の当該箇所をコピーして空手道場においでくださった保護者に渡して解説しました。皆さん、とってもお慶びになりました。学校では少しでも偏差値の高い所へ進学したいため、親も子も必死になっているようです。でも先に紹介した『礼記』の言葉等々をこそ教えなければならないと思うのです。
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今朝のインターネット情報によると中学校、高校の先生方が、女子生徒に抱き付きキスをしたとして、3人が懲戒免職になっています。大変悲しいことです。そうなってしまうと親も子も絶望でしょう。
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だから精神教育をしなければならないのです。私の道場の若手師範らは20年前、喧嘩をして人を殴るとか、女の子にいじわるをしたら「ナタ」で手を伐るぞといって、腕に「ナタ」を載せたものです。尤も腕を伐るようなことはしない訳ですけれどもそうやって非行防止をしたものでした。あのころの先生(私)は大変こわかったと述懐してくださいます。今思って大変有難いことだったと語ってくれます。年頃になると男の子は発情してきますので、性教育をしなければならないのです。
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翻って私の場合、母がとにかく厳しかったのです。言うことを聞かないと御飯を食べさせずに、1時間直立不動の罰を受けたものです。現代は、それが罪悪のように、いう人がいますが、人生を誤らないようにするためには、時に厳しさも大事なのです。
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昨夜、子どもたちに、人から悪口を言われようが、差別されようが、実害ではないので、気にせず堂々と過ごしなさいとお話しました。人をいじめるワルは、悉く早死にしています。天風先生の訓戒どおりだと思います。
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『大学味講』(第49回)行為、
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(二) まず生きている一本の木について考えてみることと致しましょう。
一本の木----それには根と本と末との三つの部分がありますが、その「本」を養うものが「根」であり、その根から吸収した養分を以て「末」の枝葉を養うものが「本」であります。
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それを大学の八条目でいうと、格物、致知、誠意、正心というのは、我が身の内面的教養の作用であるから、「本」を養う「根」に該当するものであります。
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『論語』(第149)
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黙して之を識し、学んで厭かず、人を誨(おし)へて倦まず、何れか我に有らんや。
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孔子が言うには、「口に出さずに心に刻み、自ら学んでいやにならず、人を教えてめんどうがらぬ、ただそれだけの事で、ほかにわしには何のとりえもない。」
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空手道と『南洲翁遺訓』を教える私の姿を、言ってくださつているように思います。
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『農士道』(第33回)
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日本精神に比すれば支那思想は確かに説明には長じている。だから説明に之を用ゐたたまでのことである。然し理論的な説明こそ無けれ、一度日本古典の随一たる古事記神代巻劈頭を一読すれば、以上の法則を單なる理論にあらずして、溌剌たる生ける神々の生命に於てあれしくも直ちに味識し得るであろう。私は日本人としての自覚の上より敢えて此処に敬んで之を抄録することとする。
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天地のはじめの時、高天原に成りませる神の名は、「天之御中主神」(あめのみなかぬしかみ)」。。次に「高御産巣日神」(たかみむすびのかみ)」。次に「神産巣日神」(かみむすびのかみ)」。この三柱の神は、みな獨神成りまして、身を隠したまひき。
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次に國稚く、浮脂の如くにして、水母(くらげ)なす漂へる時に、葦芽(あしかげ)のごと萌え騰(あが)る物に因りて成りませる神の名(みな)は、「宇麻志阿斯訶備比古遅神」(うましあしかびひこぢのかみ)」。
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次に「天之常立神」(あめのとこたちのかみ)」。この二柱の神も獨神成りまして身を隠したまひき。(古事記 巻上)
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敬せざること毋かれ。儼として思ふが若(ごと)くし、辭(ことば)を安定にす。『礼記』
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【訳】人は常に、厳粛な気持ちで、畏れ敬うという敬の態度を保たなければならない。独りでいる時は厳かに端然として、常に思考を巡らすような態度であり、人に対応している時は、穏やかな口調で話し、心の平静さを持ち続けることが大事である。266
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【コメント】昨晩は今年最初の空手道の御稽古をしました。最近、『礼記』を読み始めましたら、平成21年11月29日、ブログ第273号ですでにご紹介していました。五年前のことです。
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そこで『礼記』の当該箇所をコピーして空手道場においでくださった保護者に渡して解説しました。皆さん、とってもお慶びになりました。学校では少しでも偏差値の高い所へ進学したいため、親も子も必死になっているようです。でも先に紹介した『礼記』の言葉等々をこそ教えなければならないと思うのです。
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今朝のインターネット情報によると中学校、高校の先生方が、女子生徒に抱き付きキスをしたとして、3人が懲戒免職になっています。大変悲しいことです。そうなってしまうと親も子も絶望でしょう。
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だから精神教育をしなければならないのです。私の道場の若手師範らは20年前、喧嘩をして人を殴るとか、女の子にいじわるをしたら「ナタ」で手を伐るぞといって、腕に「ナタ」を載せたものです。尤も腕を伐るようなことはしない訳ですけれどもそうやって非行防止をしたものでした。あのころの先生(私)は大変こわかったと述懐してくださいます。今思って大変有難いことだったと語ってくれます。年頃になると男の子は発情してきますので、性教育をしなければならないのです。
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翻って私の場合、母がとにかく厳しかったのです。言うことを聞かないと御飯を食べさせずに、1時間直立不動の罰を受けたものです。現代は、それが罪悪のように、いう人がいますが、人生を誤らないようにするためには、時に厳しさも大事なのです。
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昨夜、子どもたちに、人から悪口を言われようが、差別されようが、実害ではないので、気にせず堂々と過ごしなさいとお話しました。人をいじめるワルは、悉く早死にしています。天風先生の訓戒どおりだと思います。
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『大学味講』(第49回)行為、
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(二) まず生きている一本の木について考えてみることと致しましょう。
一本の木----それには根と本と末との三つの部分がありますが、その「本」を養うものが「根」であり、その根から吸収した養分を以て「末」の枝葉を養うものが「本」であります。
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それを大学の八条目でいうと、格物、致知、誠意、正心というのは、我が身の内面的教養の作用であるから、「本」を養う「根」に該当するものであります。
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『論語』(第149)
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黙して之を識し、学んで厭かず、人を誨(おし)へて倦まず、何れか我に有らんや。
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孔子が言うには、「口に出さずに心に刻み、自ら学んでいやにならず、人を教えてめんどうがらぬ、ただそれだけの事で、ほかにわしには何のとりえもない。」
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空手道と『南洲翁遺訓』を教える私の姿を、言ってくださつているように思います。
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『農士道』(第33回)
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日本精神に比すれば支那思想は確かに説明には長じている。だから説明に之を用ゐたたまでのことである。然し理論的な説明こそ無けれ、一度日本古典の随一たる古事記神代巻劈頭を一読すれば、以上の法則を單なる理論にあらずして、溌剌たる生ける神々の生命に於てあれしくも直ちに味識し得るであろう。私は日本人としての自覚の上より敢えて此処に敬んで之を抄録することとする。
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天地のはじめの時、高天原に成りませる神の名は、「天之御中主神」(あめのみなかぬしかみ)」。。次に「高御産巣日神」(たかみむすびのかみ)」。次に「神産巣日神」(かみむすびのかみ)」。この三柱の神は、みな獨神成りまして、身を隠したまひき。
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次に國稚く、浮脂の如くにして、水母(くらげ)なす漂へる時に、葦芽(あしかげ)のごと萌え騰(あが)る物に因りて成りませる神の名(みな)は、「宇麻志阿斯訶備比古遅神」(うましあしかびひこぢのかみ)」。
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次に「天之常立神」(あめのとこたちのかみ)」。この二柱の神も獨神成りまして身を隠したまひき。(古事記 巻上)
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