第2209号 27.01.14(水)
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義は人の大本なり。『淮南子』
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義は人間万事の行動の大本である。434
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【コメント】「義」とは人の踏み行うべき正しい道、と漢語辞典にはあります。我々日本国民は、お互いを理解し折角の人生を楽しく意義あるものにして行きたいものだと考えます。少なくとも歴史的に定着したものを個人の名誉欲と利害のために世の中を引っ掻き回すことはすべきではないと考えます。
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「西郷南洲顕彰会の伝統及び西郷南洲と菅臥牛翁の徳の交わりを広める会」の「ご挨拶とご報告」を述べ75通発送しました。この組織は西郷南洲顕彰会の正常化を憂慮する人々の任意団体なのですが、私ごときが会長を務めることは甚だ任が重過ぎるのですが、たまたま顕彰会の評議員をしていたこと、『南洲翁遺訓』を我が道場の文武両道の文の骨格に据え、40年間子どもたちに教えて来たことで荘内南洲会の先生方との「徳の交わり」と言っていい交流をしていることがきっかけで、このような仕儀に相成った次第でございます。
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私の苦労は、荘内南洲会前理事長・小野寺時雄先生が、味園さん、よくやってくれたと黄泉路で評価してくださっていることと思っています。
私の人生を大きく展開してくれたのは、『南洲翁遺訓』との出会いがご縁でございます。これほど素晴らしい出会いはなかったと思い、門下生の保護者の方々にもご紹介しているのです。
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1月10日・土曜日、日本空手道少林流円心会の新春の宴の際は、3歳児・まさだかなこちゃんに一人で『南洲翁遺訓』第一章を発表していただきました。同席した松田勝美先生のお葉書には次のようにお礼をしたためてございます。
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.「昨日は味園道場の新年会へ出席させていただきありがとうございました。三才の子供が『南洲翁遺訓』第一条を唱和したのには驚きました。これだけで出席した価値がありました。」
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世の保護者の皆様、偏差値向上も大事ではありますが、精神を磨き強固な肉体を養成するのが先決だと私は思うのですが、如何ですか。
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『大学味講』(第47回)
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第三節 本 と 末
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さて八条目を述べた後に次の一節があります。
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天子より以て庶人に至るまで、壱是に皆身を修むるを以て本と為す。其の本乱れて、末治まるものはあらず。其の厚くする所のもの薄くして、其の薄くする所のもの厚きは、未だこれあらざるなり。此れを本を知ると謂ふ。此れを知の至りと謂ふなり。
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庶人----一般の民衆。壱是---一切すべて。本----身を修むるをいう。末----斉家、治国、平天下をいう。
厚くする所----身を修むるをいう。薄くする----斉家、治国、平天下をいう。
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『論語』(第147)
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子貢曰はく、「如し博く民に施して能く衆を済ふことあらば如何。仁と謂ふべきか。」子曰はく、「何ぞ仁にとどまらん。必ずや聖か。堯舜も其れ猶これを病めり。それに仁者は己立たんと欲して人を立て、己達せんと欲して人を達す。能く近く譬を取るを、仁の方と謂ふべきのみ。」
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子貢が「もし広く人民に行き亘ってよく衆人を救済することが出来たら、仁といえましょうか。」とお尋ねしたので、孔子が言うには、「それが出来れば仁どころではない。強いて謂ふならば、聖か。堯舜のような聖天子でさえ、それができないとて御心配なされたことである。お前は仁なるものを大層むつかしいことに考えているようだが、さような聖天子でなければできないような事ではない。
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仁者は自分についてかくあれかしと思ふことを人にもかくあらせんとし、自分が成就したいと思うことを人に成就させる。すなはち人を見ることおのれの如く、人我のへだてのないのが仁である。言い換えれば。高遠な事に思いを馳せるのが仁ではなくて、目の前の自分に引きくらべて人にしむけるのが、仁に至る方法であるぞよ。」
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『農士道』(第31回)
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一陰一陽之を道と謂ふと、易経にも説いているが、植物に於いても-----従って生きとし生くる一切のものに於て、此の一陰一陽の作用が順調に循環せられる處に、眞の健康が存するのである。
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「質」より「文」へ----
而して復び
「文」より「質」へ----
其處に始めて文質彬彬たる君子---永遠の生命----「天常立」(あめのとこたち)なる命があるのである。
それを若しも「文」なり「質」なりの一方に偏して、生命の作用の信行を停滞せしむれば、必ず狂疾を生じ、遂には枯死するに至る。(人生に於ける、国家社会に於ける、亦然りである。)かくて生命の健やかなる進行の為には、どうしても「文質彬彬たる君子」の道によらねばならぬのである。
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義は人の大本なり。『淮南子』
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義は人間万事の行動の大本である。434
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【コメント】「義」とは人の踏み行うべき正しい道、と漢語辞典にはあります。我々日本国民は、お互いを理解し折角の人生を楽しく意義あるものにして行きたいものだと考えます。少なくとも歴史的に定着したものを個人の名誉欲と利害のために世の中を引っ掻き回すことはすべきではないと考えます。
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「西郷南洲顕彰会の伝統及び西郷南洲と菅臥牛翁の徳の交わりを広める会」の「ご挨拶とご報告」を述べ75通発送しました。この組織は西郷南洲顕彰会の正常化を憂慮する人々の任意団体なのですが、私ごときが会長を務めることは甚だ任が重過ぎるのですが、たまたま顕彰会の評議員をしていたこと、『南洲翁遺訓』を我が道場の文武両道の文の骨格に据え、40年間子どもたちに教えて来たことで荘内南洲会の先生方との「徳の交わり」と言っていい交流をしていることがきっかけで、このような仕儀に相成った次第でございます。
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私の苦労は、荘内南洲会前理事長・小野寺時雄先生が、味園さん、よくやってくれたと黄泉路で評価してくださっていることと思っています。
私の人生を大きく展開してくれたのは、『南洲翁遺訓』との出会いがご縁でございます。これほど素晴らしい出会いはなかったと思い、門下生の保護者の方々にもご紹介しているのです。
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1月10日・土曜日、日本空手道少林流円心会の新春の宴の際は、3歳児・まさだかなこちゃんに一人で『南洲翁遺訓』第一章を発表していただきました。同席した松田勝美先生のお葉書には次のようにお礼をしたためてございます。
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.「昨日は味園道場の新年会へ出席させていただきありがとうございました。三才の子供が『南洲翁遺訓』第一条を唱和したのには驚きました。これだけで出席した価値がありました。」
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世の保護者の皆様、偏差値向上も大事ではありますが、精神を磨き強固な肉体を養成するのが先決だと私は思うのですが、如何ですか。
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『大学味講』(第47回)
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第三節 本 と 末
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さて八条目を述べた後に次の一節があります。
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天子より以て庶人に至るまで、壱是に皆身を修むるを以て本と為す。其の本乱れて、末治まるものはあらず。其の厚くする所のもの薄くして、其の薄くする所のもの厚きは、未だこれあらざるなり。此れを本を知ると謂ふ。此れを知の至りと謂ふなり。
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庶人----一般の民衆。壱是---一切すべて。本----身を修むるをいう。末----斉家、治国、平天下をいう。
厚くする所----身を修むるをいう。薄くする----斉家、治国、平天下をいう。
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『論語』(第147)
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子貢曰はく、「如し博く民に施して能く衆を済ふことあらば如何。仁と謂ふべきか。」子曰はく、「何ぞ仁にとどまらん。必ずや聖か。堯舜も其れ猶これを病めり。それに仁者は己立たんと欲して人を立て、己達せんと欲して人を達す。能く近く譬を取るを、仁の方と謂ふべきのみ。」
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子貢が「もし広く人民に行き亘ってよく衆人を救済することが出来たら、仁といえましょうか。」とお尋ねしたので、孔子が言うには、「それが出来れば仁どころではない。強いて謂ふならば、聖か。堯舜のような聖天子でさえ、それができないとて御心配なされたことである。お前は仁なるものを大層むつかしいことに考えているようだが、さような聖天子でなければできないような事ではない。
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仁者は自分についてかくあれかしと思ふことを人にもかくあらせんとし、自分が成就したいと思うことを人に成就させる。すなはち人を見ることおのれの如く、人我のへだてのないのが仁である。言い換えれば。高遠な事に思いを馳せるのが仁ではなくて、目の前の自分に引きくらべて人にしむけるのが、仁に至る方法であるぞよ。」
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『農士道』(第31回)
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一陰一陽之を道と謂ふと、易経にも説いているが、植物に於いても-----従って生きとし生くる一切のものに於て、此の一陰一陽の作用が順調に循環せられる處に、眞の健康が存するのである。
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「質」より「文」へ----
而して復び
「文」より「質」へ----
其處に始めて文質彬彬たる君子---永遠の生命----「天常立」(あめのとこたち)なる命があるのである。
それを若しも「文」なり「質」なりの一方に偏して、生命の作用の信行を停滞せしむれば、必ず狂疾を生じ、遂には枯死するに至る。(人生に於ける、国家社会に於ける、亦然りである。)かくて生命の健やかなる進行の為には、どうしても「文質彬彬たる君子」の道によらねばならぬのである。
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