第2199号 27.01.04(日)
.
之れを敬せよ之れを敬せよ。天は惟れ顕らかなり。命は易からざるかな。『詩経』
.
敬(つつ)しむうえにも敬んでいくがよい。天の神の眼は明らかなものであるから、敬を失えばいつ天命が変わらないともかぎらない。190
.
【コメント】天命が変わろうが変わるまいが、人の道を踏襲していけばいいのではないでしょうか。こういうのを読んで菅臥牛翁が『詩経』『書経』を読みなさいという意味がわかるような気が致します。
.
今朝のテレビ報道を見て、併合されているそれぞれの国で独立すべしとのナショナリズムの台頭が目立つような気が致します。このような時期であれば猶更のこと、国家国民が自らを律し、「敬」の精神を培うべきではないでしょうか。
.
こういう時に菅臥牛翁、菅原兵治先生がいてくれたらなぁと思いますが、荘内の先生方、如何ですか。戦争をしてはなりませんが、先の政権でみられた遊びごっこの政治はよくないと思います。国民より先に身を挺する覚悟が為政者になければならないのです。そういう透徹した精神は市民運道家には凡そ期待できないでしょう。
----------------
『大学味講』(第37回)
.
我と民(相手)とが「親しむ」---一体になる---のが、即ち「物に格る」であり、その結果として、その物に対する正しいすがたを知り、それに対する正しい在り方を把握し、実践するのが「物を格す」ゆえんであるからであります。
.
かくてこれを要約すれば、私どもの「物」に対する態度を、経過よりこれを見れば「物に格る」であり、結果より之を見れば「物を格す」となるでありましょうから、実際の生活、もしくは仕事の上についてこれをいえば、学派(学問的派閥)間の論争のような理論闘争的なことは、それほどの問題ではなくなると存じます。
.
このことは、各人おのおの自分の今現に真剣に取り組んでいる事物に究明すれば、おのずから明れかになることでありましょう。
---------------
『論語』(第137)
.
子曰はく、之を知る者は之を好む者に如かず。之を好む者は之を楽しむ者に如かず。
.
孔子がいうには、知るというだけでは、まだ、これを愛好することに及ばない。愛好するということは、これを楽しむことには及ばない。
.
人間社会は、上には上があるということなのでしょう。だから只管、『南洲翁遺訓』等々学ぶ必要があるということでしょう。
-------------
『農士道』(第21回)
.
畏くも
繼體天皇歡農の詔に
朕聞く、士,當年耕さざる者あれば、則ち天下其の飢を受くることあり。女、當年績(つむ)がざる者あれば、天 下其の寒を受くることあり。
と仰せられてあるが、一夫たる此の自分の耕し方の如何、一婦たる此の自分の績ぎ方の如何が、直ちに天下に影響するものであるとの自覚と熱意とを以て、心魂を籠めて己が仕事に精進したならば、一身一家の生計は其間に自づから将来せられるべきである。
.
眞に参賛までの熱意あらば、位育の生活は必ず其間に存するものと信ずる。
.
.
人々の幸せは、勤労と勤勉ではないでしょうか。先の不幸な大戦で大和民族が歴史的にヨシとしててきたものが、根こそぎ崩壊したような気が致します。右にある詔は、人々に生きている幸せ感を味わわせてくれるものであるように思いますが、穿った思考でしょうか。
藤本先生、ご感想をお願い致します。
--------------
短歌
.
泥まみれ 働きづめで きた我は
ああなつかしき 汗と汚れが 7026 博庵語録
--------------
先般読書通信に掲載されていた寺田一清先生の論考をこのブログにてご紹介しましたら、責任者の中島和之先生からお礼のオハガキを頂戴しました。
.
読書会の皆様は勤勉家で真面目で、人々を啓蒙してくださっています。何時もお導き戴いています。
.
之れを敬せよ之れを敬せよ。天は惟れ顕らかなり。命は易からざるかな。『詩経』
.
敬(つつ)しむうえにも敬んでいくがよい。天の神の眼は明らかなものであるから、敬を失えばいつ天命が変わらないともかぎらない。190
.
【コメント】天命が変わろうが変わるまいが、人の道を踏襲していけばいいのではないでしょうか。こういうのを読んで菅臥牛翁が『詩経』『書経』を読みなさいという意味がわかるような気が致します。
.
今朝のテレビ報道を見て、併合されているそれぞれの国で独立すべしとのナショナリズムの台頭が目立つような気が致します。このような時期であれば猶更のこと、国家国民が自らを律し、「敬」の精神を培うべきではないでしょうか。
.
こういう時に菅臥牛翁、菅原兵治先生がいてくれたらなぁと思いますが、荘内の先生方、如何ですか。戦争をしてはなりませんが、先の政権でみられた遊びごっこの政治はよくないと思います。国民より先に身を挺する覚悟が為政者になければならないのです。そういう透徹した精神は市民運道家には凡そ期待できないでしょう。
----------------
『大学味講』(第37回)
.
我と民(相手)とが「親しむ」---一体になる---のが、即ち「物に格る」であり、その結果として、その物に対する正しいすがたを知り、それに対する正しい在り方を把握し、実践するのが「物を格す」ゆえんであるからであります。
.
かくてこれを要約すれば、私どもの「物」に対する態度を、経過よりこれを見れば「物に格る」であり、結果より之を見れば「物を格す」となるでありましょうから、実際の生活、もしくは仕事の上についてこれをいえば、学派(学問的派閥)間の論争のような理論闘争的なことは、それほどの問題ではなくなると存じます。
.
このことは、各人おのおの自分の今現に真剣に取り組んでいる事物に究明すれば、おのずから明れかになることでありましょう。
---------------
『論語』(第137)
.
子曰はく、之を知る者は之を好む者に如かず。之を好む者は之を楽しむ者に如かず。
.
孔子がいうには、知るというだけでは、まだ、これを愛好することに及ばない。愛好するということは、これを楽しむことには及ばない。
.
人間社会は、上には上があるということなのでしょう。だから只管、『南洲翁遺訓』等々学ぶ必要があるということでしょう。
-------------
『農士道』(第21回)
.
畏くも
繼體天皇歡農の詔に
朕聞く、士,當年耕さざる者あれば、則ち天下其の飢を受くることあり。女、當年績(つむ)がざる者あれば、天 下其の寒を受くることあり。
と仰せられてあるが、一夫たる此の自分の耕し方の如何、一婦たる此の自分の績ぎ方の如何が、直ちに天下に影響するものであるとの自覚と熱意とを以て、心魂を籠めて己が仕事に精進したならば、一身一家の生計は其間に自づから将来せられるべきである。
.
眞に参賛までの熱意あらば、位育の生活は必ず其間に存するものと信ずる。
.
.
人々の幸せは、勤労と勤勉ではないでしょうか。先の不幸な大戦で大和民族が歴史的にヨシとしててきたものが、根こそぎ崩壊したような気が致します。右にある詔は、人々に生きている幸せ感を味わわせてくれるものであるように思いますが、穿った思考でしょうか。
藤本先生、ご感想をお願い致します。
--------------
短歌
.
泥まみれ 働きづめで きた我は
ああなつかしき 汗と汚れが 7026 博庵語録
--------------
先般読書通信に掲載されていた寺田一清先生の論考をこのブログにてご紹介しましたら、責任者の中島和之先生からお礼のオハガキを頂戴しました。
.
読書会の皆様は勤勉家で真面目で、人々を啓蒙してくださっています。何時もお導き戴いています。