ついてるついてる ハッピーライフ! ~どんな時も笑顔といっしょ~

ハッピー介護トッシーのブログ。Webは「ハッピー介護みいつけた!」 https://happykaigo.jp/

アッパレ!イチロー選手、素晴らしいのひと言で~す! 

2013年08月22日 | 感動

toshiです。いつもありがとうございます。

 

さあ、ではパソコンを開けてっと・・・。

で、ヤフーの画面で、まず目に飛び込んで来たのがこの写真でした。

イチロー選手が、日米通算4000本安打にあと1本、ということは昨夜のニュースで知ってはいましたが、ついに達成しちゃったんですね~4000本安打を・・・。

流石、イチロー選手ですねぇ~。

大記録達成というプレッシャーなどどこ吹く風、サラッとやってくれました。

こんな嬉しいニュースは直ぐに更新せねば・・・と、まずは、ここで更新させていただきます。

4000本安打達成、おめでとうございま~す!

 

 

ということで、ひとまず、ここで・・・。

またねぇ~。toshiで~す。

いつもありがとうございま~す。何もかも、嬉しいこと、いっぱいで~す。

 

え~と、こんばんは~。

ここから先、今日、2回目の更新です。

9時のNHKニュース、残念ながら途中からでしたが、やはり、イチロー選手のこと、やってました。

toshiが見た中で印象に残ったことは、この写真の場面でした。

「記憶に残るのは、うまくいったことではなく、うまくいかなかったこと」

この言葉が心に響いたのは、toshiもまったく同じことを思っていたからです。

上手くいかなかったこと、その後も、ず~と記憶に残ってるんです。

 

まっ、定年後のtoshiの場合、一番時間を使ってることが笑いヨガ。

で、ぎふ笑いヨガクラブを離れて一人で活動し始めた3年ほど前、ちょうど、ある高齢者施設へ夏祭りで行った時のことです。

なんとも思いがけない展開となり、そんな経験のなかったtolshiはそれにうまく対応出来なかったんですね。

全てが 「アレッ?、アレアレッ?」。 今から思えば散々でしたね・・・。

さぞかし期待されていたであろう施設の担当者のお気持ちを考えると、本当に申し訳なかったです。今でもその時のことは、よ~く記憶に残ってるんです。

 

ただ、その時の苦い経験が、toshiのその後の笑いヨガにとても役に立っていることは間違いありません。

そんなことから、今日のイチロー選手の言葉、イチロー選手らしい素晴らしい言葉ばかりでしたが、そんな中では、先ほどの、

「記憶に残るのは、うまくいったことではなく、うまくいかなかったこと」

toshiには、この言葉が一番心に響きました。

 

イチロー少年愛用の自転車、見てきま~す。

 

明日は、瑞浪市にある、公益財団法人モラロジー研究所中日本生涯学習センターに行きます。センター講座2日目の選択コースで、笑いヨガ講座があるからです。午後1時30分からと午後3時からの各1時間ずつ。

ここへは、センター講座がある月1~2回、出かけています。

実は、その中日本センターの中に、イチロー選手が使っていた自転車が展示してあるんです。

toshiは、そこを通る度に、チラッとは見るんですが、特に熱心に見たことはありません。

いつも同じ風景になってると、そんなもんでしょうか。

きっとtoshiの頭には、最盛期を過ぎたイチロー選手・・・というイメージで見ていたからでしょうね。

でも、それはtoshiのとんでもない間違いだったことに、今日、気がつきました。

今の成績だけで判断して、もうイチローは・・・。

でも、イチロー選手の偉大さはそんなもんではなく、とてつもなく大きな記録を今も作り続けているんですね。

明日行った時には、その自転車を、ジ~と、ジ~と、見てきますね。(笑)

写真も撮ってきて、このブログにも掲載させていただきたいと思います。

どうぞ、楽しみにしていてくださいネ。

 

ということで、今日はこれでおしまいです。

イチロー選手、本当におめでとうございました。

すばらしいで~す!

いつもありがとうございま~す。toshiで~す。

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FC岐阜が負けても、実は、とっても嬉しかったんで~す!

2013年08月19日 | ハッピーライフ!

toshidです。いつもありがとうございます。

 

昨夜は、岐阜市の長良川競技場で開かれた、FC岐阜と水戸ホーリーホックの試合を見てきました。toshiが、プロのサッカーの試合を見たのは初めです。

自分ではまともにやったことがなく、Jリーグについてもひいきのチームがあるわけでも無いtoshiのこと、サッカーの詳しいルールなど知る由もありません。

初めて見たサッカーは、どうだったか?と言うことですが・・・。

ひと言でいえば、先ずは、本当に行って良かったぁ~っということですね。

知らない事ばかりで、とてもいい勉強や刺激にもなりました。大げさに表現すれば、心身共に細胞ごと大喜びした感じ。テレビで見るサッカーとは比べようもないほど楽しかったですね。

実際に会場で体験する試合を360度の角度に例えるなら、テレビで見る場合は30度ぐらい・・・という感じ。うん、それぐらいの大違い。

実際に競技場へ行くことで味わえる、試合が始まる前の周りの雰囲気、そこに集う、というか、関わる人たちのイキイキとした姿、特に小学生の子供たちの参加は、ある意味大きな衝撃でした。

そして、試合が始まれば、実際にぐる~と360度の全方向から、大きな歓声が聞こえるんです。

FC岐阜の応援団は、ちょうど真向いでしたが、威勢のいい太鼓に合わせてとってもいい感じで素晴らしいなと思いました。

3,700名を超す観客の試合でこれだけ凄いと思ったtoshiが、もし大きな大会を観戦したら・・・。もう想像するだけでワクワクしてきます。

こんな想像も、やはり実際に経験しないとなかなかできないことですね。

なんでも経験するって、とっても大切なことなんですねぇ~。

 

知らなかったよ~!

 

サッカーを観に行く楽しみって、ただ試合を観るだけだと思ってたよ~。

あんなに競技場の外が楽しい広場になってるとは知らなかったよ~。

小学生の可愛い女の子たちのパフォーマンスは、大きな驚きでしたぁ~。

競技場内の駐車場から出て最初に出会った光景が、その子たちの元気な練習風景でした。これを見た瞬間、何かとっても楽しい予感がありましたね。

昨夜の試合は、「花フェスタ記念公園サンクスマッチ・可児市ホームタウンデー」ということで、外の広場でも可児市を紹介するブースがありました。競技場内では、試合前に、可児市の市長さんやサッカー少年たちも紹介され、何も知らずに行ったtoshiたちは、「へぇ~、ちょうどいい日に来たんだね。ラッキー!」(笑)

地方の自治体も参加してのこんな仕組みになってるとは、知らなかったよ~。

チャンスの時には、観客が一斉に「ワァ~!」と大歓声。あんな迫力だなんて知らなかったよ~。

惜しくも点が入らなかった時は、その盛り上がった大歓声がす~と小さくなる・・・。

まるで、寄せては引き返す大きな波のようだなあ~。

そうそう、それよりも、フルオーケストラの演奏を連想しちゃったよ~。

もしこれが何万もの大観衆だったら・・・。

そういうの、一度は体験したいですね~。

 

一番嬉しかったのは・・・

 

そんなFC岐阜のサッカー観戦でしたが、一番嬉しかったことは実は他に。

昨夜の観戦は、masaと姉との3人。

そんな観戦で一番嬉しかったことは、実は、姉とこういう交流が出来たこと・・・。

過去にはいろんなことがありましたが、今ではお互いに、たった2人の姉と弟として、こういう機会を持てることが、やはり何よりの喜び。

何よりの、何よりの感謝で~す。

 

試合は、1対4で負けました。

でも、前回、姉が観戦した時は点が取れず、あまり盛り上がらなかったとか。

「今日は盛り上がって、本当に良かったよ~!」

満足そうな姉の笑顔が、良かった良かった・・・。

姉を家まで送ってから帰宅したのは、10時半を少し回っていたかな?

昨日のサッカー観戦、この夏休みの時期にどこへも行かなかったtoshiには、何よりの嬉しいひと時でしたね。

感謝で~す。

 

負けても負けてもちゃんと声援を送り続けるFC岐阜のサポーターの皆さんに、チョッピリ感動。

出来れば、もう少し勝ってもらえれば・・・、ねェ~(笑)

楽しかった昨日を思い出しながら、書かせていただきましたぁ~。

いつもお読みいただき、ありがとうございま~す。toshiで~す。

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「おじいちゃんとおばあちゃんにいつも護られてるよ!」

2013年08月16日 | ハッピーライフ!

 

toshiです。いつもありがとうございます。

 

外から帰ってきたと同時に、toshiの姪から電話がありました。

お墓詣りに行けなくてごめんね…という内容でした。

いいよいいよ気にしないでいいよ。

そんなことなどを、しばらく話していました。

 

この姪のYちゃん、すごいです。

結婚直前に交通事故を起こして、生死をさまようほどの大怪我をしたのです。

その結果、命が助かったものの脳に障害を起こし、知能はぐっと下がってしまいました。話す言葉など、まるで小学生のよう・・・。

そんなYちゃんも、それまでお付き合いのあった人と結婚できました。

幸いにして脳の障害もどんどん良くなり、今では介護施設で働くまでに。

年に数回程度、会ったり電話などをしていますが、話す言葉もどんどん回復し、本当に良くなったのです。

それだけでなく、今までになかった、とても素晴らしい面も・・・。

 

ナント、心がとっても優しくなり、本当に素晴らしい子になったんです。

子ではないですね、今では高校1年生を頭に3人の子供の母親ですからね。

そんなYちゃんの口から出る言葉に、いつも感心するんです。

それは、いま生活しているいろんな場面で、おじいちゃんおばあちゃんに護られている、助けられているよ・・・と、いつも話してくれるんです。

電話でも、会った時でも、まずそんな話が必ず出るんです。

すごいなあ~Yちゃんは・・・。

 

今日の電話でもやっぱり出ましたね。この言葉。

で、toshiは言うんです。

「Yちゃんは素晴らしいよ。お墓に来れなくても、いつもそういうふうに、おじいちゃんやおばあちゃんに感謝して生活しているんだから、こちらに来れないからと言って、気にしなくていいよ。Yちゃんの気持ちは十分に分かっているし、おじいちゃんやおばあちゃんも喜んでいるから、気にしなくていいよ。ホントにYちゃんは素晴らしいよ」

そして、その後でYちゃんの口から出た言葉に、また感心しました。

「それでも、お盆がどういうもので、お墓詣りにもこうして行くんだよ・・・ということを、私の子供たちにもちゃんと教え、経験させてやりたいと思ってるの・・・」

実はこの言葉、Yちゃんから、初めて聞きました。

「へぇ~! Yちゃんはすごいね。本当にYちゃんはすごいねぇ~。」

Yちゃんは、どんどん成長してます。

 

交通事故を起こす前と後で、こんなに性格が変わることってあるんですね。

交通事故で大怪我をする前は、そういうことを口に出す子ではなかったように思います。

どんなことでも、例え交通事故でも、全てのことには意味がある・・・。

そういうことを、いろんな人から聞きますね。

物事には、無駄なことは何一つない。

起きることは、全て必然、必要、ベスト。

全てのことは、その人を成長させるために起きている。

このYちゃんを見ていると、そんなことを改めて思ってしまいますね。

Yちゃんの場合も、何か大きな意味があるようです・・・。

ほんと、Yちゃんは素晴らしいです。

 

今日も一日、ありがとうございましたぁ~! toshiで~す。

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8月15日って・・・、忘れられない日ですね~!

2013年08月15日 | 大切なこと

toshiです。いつもありがとうございます。

今日は8月15日。68回目の終戦の日ですね。

toshiは昭和24年7月生まれの64歳、終戦後4年目に生まれています。

終戦後4年・・・。

この4年という歳月を今の生活の中で考えてみると、ついこの前のことって思えます。

ということは、toshiが生まれた頃は、戦後を迎え世の中が激変して間もない時代で、さぞかし両親も大変だったろうな、ということが容易に想像されますね。

う~ん、やっぱり、感謝ですねぇ~。

 

お昼にNHKテレビで、全国戦没者追悼式の一部を中継していました。

toshiも、画面を観ながら正午の時報に合わせて、1分間の黙祷をさせていただきました。

戦争で亡くなった方は、民間人を合わせて実に310万人にも・・・。

戦後の日本の素晴らしい復興、豊かな生活を築くことができた背景には、このような多くの犠牲になられた方がおられることを決して忘れてはいけないですね。

 

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マッカーサーが擁護した日本戦争責任

 

 日本は支那大陸に攻め込み、中華民国と戦闘を繰り広げた。そして、多くの中華民国の人々に被害を与えた。そのきっかけは満州国創立にある。

 しかし、日本が支那大陸に満州国を造った点を侵略と呼ぶ事に対しても、パル判事は欧米列強と同じような侵略的手段で、権益を手に入れた、と記している。その権益には、自衛、自己保存の権利があるとも述べている。

 今、この時代ではとても認められない手段が、大東亜戦争の時代は、強い国の常識だった。

 国際的見地からパル判事は、公正な判断を下しているように思える。ロシアが共産党国家ソ連となって、領土的野心と共に思想的野心をもって、支那大陸北方にあった事も、日本の危機感の源だったと指摘する。

 支那大陸でも中華民国の国家体制が揺らぎ、中国共産党が躍進しようとしていた事実をもとに、共産主義の攻勢から日本を守る必然性にも言及しているのだ。

 日本の地政学的環境を「東京裁判」の後知ったのは、他ならぬ「東京裁判」の主幹者であったマッカーサー元帥その人であった。

 マッカーサーは、中共が北朝鮮と共に突然韓国に攻め込んだ「朝鮮戦争」でも、最高司令官を務めた。

 共産軍、つまり中共と北朝鮮の攻撃の前に、アメリカ、韓国軍は圧倒され、一気に朝鮮半島南端まで押し込まれ、敗亡の瀬戸際に立たされたのだ。

 そのときマッカーサーは、日本にとっての朝鮮半島の意味を知ると同時に、満州という朝鮮半島と大陸との緩衝地帯の重要性を痛いほど思い知ったことだろう。

                

                 < 中 略 >   

                  

 1951年5月3日、アメリカ上院軍事外交合同委員会で、マッカーサーはこう証言している。

「したがって彼らが戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだったのです(Their purpose, therefore, in going to war was largely dictated by security.)」

 領土的野心からでもなく、侵略意志を持って大東亜戦争に入ったのでもない。

 日本の地政学的な、そして時代的な背景からみれば、大東亜戦争は自衛的手段であった。 

 連合軍の最高司令官がそのように証言した事実はあまり知られていない。

 不思議な事に今でも私たちの多くは、大東亜戦争の原因の全ては日本の侵略的野心からで、一方的に悪いのは日本だと信じている。

 戦争を賛美する訳もない。支那大陸・アジア諸国の惨禍は心に刻むべきだ。ただ、私たちは、多くの犠牲の意味を、そして、未だに悪い国と指摘されると、自虐的に首を垂れ、戦争の意味を論じる事すら避る、今を変える責任がある。

 東京裁判で裁かれ、6人の死刑者を出した。日本の罪、つまり侵略国家としての罪状は確定していると信じられている。しかし、そんな「東京裁判史観」の中核を未来のために今見直したいと考える。

 戦争に反対し、自分たちの祖先の選択を批判することは簡単だろう。

 しかし、忘れてならないのは、歴史をじっくり顧みて、過去に生きた日本人の必死さや、国の独立を守り被支配民族にならないように闘った人々の「思い」を知ることなのだ。

 それは、私たちが彼らから受け取ったものの大きさを知る事にもつながる。

 それを知ってこそ、私たちは、子孫に何を手渡していくべきかということに思い至るのではないだろうか。

 

                     S・Kワークス代表 佐藤芳直著 

                   「日本はこうして世界から信頼される国となった」

                   株式会社プレジデント社刊より                                       

 

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文中に出てくるパル判事とは、東京裁判の際、連合司令官マッカーサーにより任命された11名の裁判官判事の中で、唯一の国際法の権威者で、インド人です。

この本、少し前に長女が送ってくれたものです。なんと、お世話になっている会社の社長さんが全社員に支給された本です。

この本のサブタイトルは、「わが子へ伝えたい11の歴史」 となっています。

実は、著者の佐藤さんはとっても好きな方で、講演も聴いたことがあるんです。また、ちょうどこの本が発刊された今年の3月頃に、インタビューCDを購入していました。

そんな佐藤芳直さんの本が長女から送られてくる・・・。

まさにシンクロニシティ-ですねぇ~。

 

写真は、ベッドでの生活が始まった頃に写した父の写真です。

厳しかった父でしたが、ベッド上での生活になってからは、不平不満な言葉を聞いたことがありません。うん、そんな記憶です。驚くほど優しい父にヘンシ~ンしました。(笑)

この写真は、息子のtoshiにはそんな変身した父の優しさが感じられる、好きな写真です。

 

そんな父が68年前に満州で終戦を迎え、無事日本へ帰ってきて、今のtoshiがあります。

そんな父がまだ生きていて、孫から送られた佐藤芳直さんのこの本をもし手にしたら・・・。

ふと、そんなことを想像してしまいました。

 

今日の8月15日、よくよく考えたら、早いもので、定年退職して丸4年が経ちました。 

やはりこの4年間も、アッ!と言う速さに思えます。

いろんな思いが浮かんできた、今日8月15日終戦の日でしたね・・・。

いろいろ考えれば考えるほど、今の幸せに感謝、感謝、感謝です。

いつもありがとうございま~す。toshiで~す。

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「いま、この瞬間を生きる」 そうなんですよね~!

2013年08月14日 | ハッピーライフ!

toshiです。いつもありがとうございます。

toshiの携帯電話やパソコンには、毎日いろんな言葉が届きます。

おそらく、それぞれに素晴らしい言葉、文章ばかりと思うのですが、残念ながらじっくり読めないことも多くあります。

そんな中にあって、今朝届いた文章はとても心に残りましたので、ご紹介させていただきます。

ついてるねっと、8月14日のメルマガです。 

 

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いま、この瞬間を生きる

 

かなりの部分、私たちの心の安定は、いまこの瞬間をどれくらい生きているかにかかっている。

昨日や昨年起きたこと、明日起きるかどうかわからないことに関係なく、toshiさんが生きているのはこの瞬間なのだ-いつも!

言うまでもなく、私たちの多くはさまざまなことを心配しながら生きるというノイローゼの術を身につけている。

いまのこの瞬間より過去の問題や将来の不安を優先させたあげくに、不安や欲求不満や失望に取りつかれてしまう。

その反動として、「いつかきっと」いまよりもっとよくなると信じて感謝や幸せを先送りにしてしまうのだ。

ジョン・レノンはこう言った。

「人生は、ぼくらがほかの計画を練っているあいだに過ぎていくんだよ」

私たちがほかの計画を練っているあいだに、子供たちは勝手に育ち、愛する人たちは引っ越したり他界したりと去っていき、私たちの体型は崩れ、夢が指からすべり落ちていく。

人生を来たるべき本番の舞台稽古でもあるかのように生きている人が多い。

そうではないのだ。実際、彼なり彼女なりが明日もここにいるという保証はないのだ。

私たちには今しかない、コントロール出来るのは今しかない。

いまこの瞬間に焦点をあてれば不安を押しのけることができる。不安は将来起こるかもしれないことにくよくよすることで生まれる。

不安をなだめる最善策は、いま、このときを考えること。

マーク・トゥエインは言った。「私は人生の苦難を味わってきたが、実際に起きたのはほんの少しだった」と。

これ以上うまい言い方は私にはできない。

いまこの瞬間を意識する練習をすること。その努力が生き方を左右する。

                     ついてるねっと メルマガ 8月14日より 

 

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今が一番大切。

というか、生きてるのは今しかないんですね。

だって、明日といっても、明日になればやはり生きるのは今その時しかないんですものね。

「今」にいかにフォーカスして生きるか、それしかないんですものね・・・。

 

麗澤大学の名誉教授の言葉で、こんな素敵な言葉があります。

「今が最高の喜びの時」

まさに、今というものをどういうふうに考えて毎日を生きるか。

今が最高の喜びの時と考えて生きるのか、最高の時は未来にあると考えて生きるのか・・・。

その辺のことをとても上手く表現した、今日のついてるさんのメルマガだったと思います。

 

toshiはどうか?ですが・・・。

「今が最高の喜びの時」 

「今が幸せ~」

こういう言葉を思いながら、口癖になるよう意識しながら、毎日毎日を楽しく暮らしています。

 

今日もいいこといっぱいありました。

毎日毎日が、本当に幸せで~す。

いつもありがとうございま~す。toshiで~す。

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