行雲流水

ボランティア活動を中心に記録する

53年前の広島駅正面

2017-02-14 15:18:55 | 日記
 写真は、1964(昭和39)年1月広島駅南正面、原爆で残った鉄筋と原爆後に作られた木造駅舎である。右手木造部分に駅長室、パーキングマークの下には送迎用自家用車に限る、広島駅長とある。遠景左には駅前郵便局が写っている。
 当方この年の3月大学を卒業し、4月神奈川県川崎市に就職した。実は卒業直前パスポートを取得して沖縄旅行をしている。そのパスポートが今も残っていて、顔写真には邪魔くさいほど髪の毛があったが、いまバリカンを当てるとスプーン一杯程度の乏しさになってしまった。当時の外貨は、1$360円の固定相場制の時代で、52ドルの旅費を持たせてもらい鹿児島港から3月4日出国、3月13日同港へ入国している。若い方は信じられないと思いますが、沖縄が本土に復帰し沖縄県が発足したのが1972(昭和47)年5月15日だった。
 昭和39年4月川崎市立高津高校に勤務したが、初任給は21,400円だった。この年に東海道新幹線が開業、10月10日より24日まで94か国5,541人の選手が参加して東京オリンピックが開かれた。後に体育の日祭日の誕生につながった。
 私の亡き父は、郷土の移り変わりを写真に撮り後世に残そうと、広島市はもとより郊外まで自転車で出かけ40数年頑張ってきた。写真は市へ寄贈したが、フロッピーにいくらか取り込んだものの1枚である。

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