JAZZを聴きながら ふたたび

恥も顧みないで再々開、よろしければお付き合いを

萩の花に墓参りを想う

2007年09月21日 | g-i

暑い毎日が続き、狂い咲きの桜があったり、季節外れの云々のニュースも各地で聞かれるようですが、はや9月も下旬お彼岸ですから、初秋から秋本番へと季節は進まなければいけないはずです。どうぞ、かんしゃくを起こしているお天気の神様、お怒りはごもっともでしょうがここのところは穏便に済ませてはいただけないものでしょうか?

「バブさん、やっぱ連休はお墓参りに行くんですか? うちは全員で行くみたいな変な決まりがあって、俺も行かなくちゃいけないんですよ。めんどくさくて。なんで彼岸には墓参り行かなくちゃいけないんでしょうね?」
若いE君がこんな事を言ってきました。

たしかに、ついこの間『お盆』に墓参りしたばかりのような気もしますが、本来は毎日でも参るべきものを、ほぼ行事日ぐらいしか行かなくなっている現代、『お彼岸』に参るぐらい面倒がっちゃいけませんよね。

そもそも『お彼岸』とは、太陽が真東から上がり真西に沈む日(春分の日、秋分の日)に、日が輝いて沈む西方、つまりは向こう岸(彼岸)に阿弥陀仏が住む西方浄土、極楽涅槃(ごくらくねはん)があって、我が先祖もそこに至って欲しい、そして自分も現世、こちら岸(此岸(しがん))から、煩悩を解脱して彼岸にたどり着きたいと祈るもので、ですから、墓に入っている人だけのためでは無いわけです。

「だからね。そんなめんどくさがらないで、現世でオイタばっかやってるE君は、なおさらお参りしたほうがいいんだよ。」(笑)

彼岸といえば『おはぎ』ということになるのでしょうか。
我が家も子供たちがいる頃は、『自家製おはぎ』を作っておりましたが、なにしろ私があまり得意な食べ物でないもので、最近はパック詰めの出来合いで済ませています。
春は『ぼたもち(ぼたんもち)』、秋は『おはぎ』、呼び名を花にたとえるなんざぁ、いかにも日本人ぽくっていいですやねぇ。
ちなみに『おはぎ』『ぼたもち』には、他にもいろんな呼び名があるそうで
餅米を全部潰さないので『半殺し』、やわらかいから『やわやわ』、餅のようにペッタンペッタンと音を出さずに作るので、隣も気づかず『隣知らず』、洒落たところではあんこが何処に付くか分からないから『夜船』(暗くて何処に付くか分かんないでしょ)なんて呼び名もあるそうで、こんな言葉遊びもいかにも日本人って感じですよね。

そうそう、もう一つ私が好きな呼び名がありました。『奉加帳(ほうがちょう)』ってんですがね、『奉加帳』ってぇのは、そもそも寄付金なんかを「誰それがいくら」みたいに書き込む帳面、家それぞれで書き込まれる金額は違うわけでさぁ。しかるに家によってあんこの厚みが違う『おはぎ』『奉加帳』ってわけで、うめぇこといいやさぁねぇ。
あれ?口調がちょっとおかしいような・・・・・・・・余談ですが、こんないらぬ知識も大好きな落語で教わったんで、今日は五代目古今亭志ん生の命日です。合掌。

ともかく、めんどうがらずに『お彼岸』には『おはぎ』を持って、お墓参りに出かけましょう。

さて、今日の一枚は、ユタ・ヒップです。Vol.1を紹介して、ずいぶん間のあいたVol.2の紹介ですが、何故に今?

じつは昨夜、昨年5月に発売されたスイング・ジャーナルの増刊号『ジャズ・ジャイアンツ栄光の軌跡』のなかのS.J.1956年7月号の記事「話題の女性ピアニスト トシコとユタ」を読んでおりまして、思い出したように就寝前にこのアルバムを聴いたものですから。(笑)

ユタがドイツからアメリカに渡ったのが1955年11月、一方秋吉敏子は1956年1月、なるほど二人は異国の地から同時期にジャズの本場を目指した女性ピアニストであったのですよね。
この時の記事には、ニューヨークで初対面した二人の模様が記されています。
そんな中、今後のことについて、
トシコは「日本では私の様にこちらで勉強したいミュージシャンは沢山います。私は日本に帰って後輩に指導するつもりです。」と答え、ユタは「ドイツには帰らないつもりで母親と技師志望の弟を呼び寄せたいと望んでいる。」と答えています。

じつに皮肉なものだと思うのは私だけではないでしょう。
結果をみれば、ユタは失意の中、事務員までしてアメリカに留まろうとしたものの、ドイツに帰る運命にあったし、トシコは日本のミュージシャンへの指導を模索したものの、日本自体がそれを拒み(結果論ですが)、結局アメリカでの音楽活動を続けることになる、人生とはそんなものなのでしょうかねぇ。

緊張しきりのヒッコリー・ハウス、ステーキ・レストランでの彼女の演奏を、真剣に聴き入っていたお客はどの程度だったのでしょうか?それでも半年もの間、同店でのハウス・ピアニストを勤めたことは、彼女の実力によるものに他ならない訳ですし、もう少し、その後の活躍も見たかったと私なんかは思ってしまいます。

ブルーノートに残る三枚のアルバム、ドイツに帰った彼女には、どんな思い出だったのでしょうかね。

AT THE HICKORY HOUSE Vol.2 / JUTTA HIPP
1956年4月5日録音
JUTTA HIPP(p) PETER IND(b) ED THIGPEN(ds)

1.GONE WITH THE WIND
2.AFTER HOURS
3.THE SQUIRREL
4.WE'LL BE TOGETHER AGAIN
5.HORACIO
6.I MARRIED AN ANGEL
7.MOONLIGHT IN VERMONT
8.STAR EYES
9.IF I HAD YOU
10.MY HEART STOOD STILL