昨晩は、昔アルバイトで使っていた女の子(当時は高校生でしたが)が、1ヶ月ほど前お店出したということで、お祝いかたがた遊びに行ってまいりました。
こぢんまりとした店内は、カウンターが10席程度、それに6人掛けぐらいのボックスが一つといういたってシンプルなもの、そこに彼女を含め3人の女の子がいるといったお店でした。
彼女は、高校生の頃から少々派手な女の子で、幾度となく注意をしながら使った手のかかる(ある意味かわいがった)子でした。
高校卒業後は、仙台に就職し2年ほど仕事を続けていましたが、田舎に戻り結婚、2年ほど前に離婚を経験した女の子です。
「まさかおまえが店を出すとは思わなかったよ」
「昼間の仕事も考えたんだけどね、この仕事を一度始めちゃうと....」
離婚後、しばらくたってスナックに勤め始め、幾ばくかの資金をため開店にこぎつけたとのことでした。
それにしても、彼女のような女性を見ると、男性には無いたくましさを感じてしまいます。離婚後の切り替えの早さ、自分の店を持つという一念、どれをとっても女性は強い。
話は違うかもしれませんが、旦那を亡くした奥さんと、奥さんを亡くした旦那、早死にするのは後者の方が圧倒的に多いとか、男性とはなんとも情けない生き物ではありませんか。
まさにたくましきは女性、男性は「見栄」ばかりで生きています、虚勢をはって大きく大きく見せたがる、だからちょっと躓くとガタガタと崩れてしまうのでしょう。
そこで結論ですが、女性諸君、男性に優しくしてやって下さいね....ハハハハ
1955年11月18日、午前11時、マンハッタンの88埠頭に汽船ニューヨーク号が到着しました。タラップを降りたのはドイツ生まれのピアニスト、ユタ・ヒップ彼女でした。自分ではじゅうぶんにニューヨークでやっていく技術を持っていると思っていた彼女は、クラブで「本物」のそれを聴き、2ヶ月間ピアノの前に座ることさえ出来なくなってしまいます。まさに挫折だったでしょう。
やがて、彼女は「ヒッコリー・ハウス」という、ステーキが売りのレストランで仕事を始めました、無名だった彼女の演奏をアルフレッド・ライオンは、1枚ではなく録音した全20曲を2枚のアルバムとして発売しました。彼女は、「ヒッコリー・ハウス」の専属ピアニストとなります。
やがて、ズート・シムズとのリラックスした演奏をブルー・ノートに残し、事務員となった彼女は、2年後にドイツに帰っていきました。
その後の彼女がどうなったのか、私は知りません。でも、きっとたくましく生き抜いたのではないでしょうか、だって女性ですから。
AT THE HICKORY HOUSE Vol.1 / JUTTA HIPP
1956年4月5日録音
JUTTA HIPP(p) PETER IND(b) ED THIGPEN(ds)
1.GONE WITH THE WIND
2.AFTER HOURS
3.THE SQUIRREL
4.WE'LL BE TOGETHER AGAIN
5.HORACIO
6.I MARRIED AN ANGEL
7.MOONLIGHT IN VERMONT
8.STAR EYES
9.IF I HAD YOU
10.MY HEART STOOD STILL
さて!ワタクシもそのたくましい仲間でございます故
・・・(笑)
しかし・・それでもユタ・ヒップの挫折感はよくわかります。
自信持ってやってきたことがあっけなく崩れちゃうと辛いものがあります。
一時ピアノやめようかって真剣に考えたことありました(涙)・・・それも今は昔(笑)
僕は本作より、ズートと演奏しているBN 1530が大好きです。
ユタ・ヒップですけど、計3枚のアルバムだけを残して帰ってしまいましたが、きっとアメリカで何か大きなものを得て、帰国したのではないかとかってに思っています。
たくましいと同時に、女性はしたたかさも持っているから(失礼しました)
じつは私もズート・シムズとの共演盤の方が、リラックスしたピアノで好きなんですけど、ただジャケットが、どうもトミー・フラナガンとごちゃごちゃに、なったりしちゃたりして
じつにうらやましい
おさかなさんのおっしゃるとおりだと思います、是非愛し続けて下さい。
でも、男はとてもずに乗りやすい動物ですから
「おさかなさ~ん」なんて言われると
デレ~とするような事もなきにしもあらずですので、くれぐれも御用心を(これは蛇足です)