JAZZを聴きながら ふたたび

恥も顧みないで再々開、よろしければお付き合いを

日本のひばり、NYのヒバリ

2005年10月11日 | a-c

                  

今日お会いした、とある会社社長のお話をひとつ
彼は、私より年上でいらっしゃいますが、美空ひばりのファンで「ひばり展」なるものも開催してしまうほどの方です。一度だけ「ひばり展」に関わったことで知り合いました。何回忌だか忘れてしまいましたが、武道館までつきあわされたり、目黒のひばり事務所までお付き合いしたこともあります。

「バブ君はジャズ、詳しかったよね?」
「詳しいほどではありませんが、聴くのは好きですねぇ」
「ひばりさんのジャズは聴いたことある?」
(おいおい、「ひばり展」の時にいやというほどあなたに聴かされたではありませんか)
と2枚のアルバムを持ちだしていらっしゃいました。
そりぁ、昭和の歌姫ひばりさんですから、好みは別としてもすばらしい歌唱であります。またまた、1時間ちょっとひばり話につきあわされてしまいました。
               

彼には大変失礼ですが、私は「ヒバリ」というと、ソニー・クラークを頭に浮かべてしまいます。「NYC'S NO LARK」、クラークの早すぎる死を悼んだビル・エバンスの作品です。
1986年、第一回マウント・フジ・ジャズ・フェスティバルが開催され、私は2日目のその会場でうっとりとしていました。ジャッキー・マックリーン・クインテットが「クール・ストラッティン」を演奏し始めたときの歓声は、忘れることができません。
その後何かの記事で、その時の話として
” ステージ傍にいたマイケル・カスクーナ達アメリカ勢が、目を丸くした。本国アメリカではベスト・セラーどころか、話題作であったためしもない「クール・ストラッティン」に怒濤の歓声があがったことはもちろん、カスクーナによれば、その第一の理由は、「誰もクラークを知らなかったから」 ”というようなことが載っていました。

西海岸からニューヨークに出てきたクラークは、麻薬癖が原因でキャバレー・カードを取得できませんでした。2ヶ月後、ソニー・ロリンズのレコーディングにハンク・ジョーンズの代役として参加、ロリンズによってアルフレッド・ライオンに紹介されます。
26才の誕生日、クラークに魅了されたライオンは、彼の初リーダー・アルバムを録音しました。この「DIAL "S" FOR SONNY」です。
ブルー・ノートにリーダー、サイド会わせて20以上の録音を残したものの、麻薬癖は直らず、キャバレー・カードはついに発行されませんでした。現在でもそうかも知れませんが、アメリカでは「ライブあっての認知」という構図があり、クラークは認知の低いジャズメンということになってしまったのでしょう。

1963年1月13日未明、出演中のクラブの楽屋で、結局は麻薬が原因で心臓麻痺に襲われ、帰らぬ人となってしまいました。しかも倒れたとき、酒類販売許可証の没収を恐れたクラブ側の手でアパートに移され、その後救急車が呼ばれたといいます。人知れず高く飛んだニューヨークのヒバリは、こうして去っていきました。

DIAL S FOR SONNY / SONNY CLARK
1958年7月21日録音
SONNY CLARK(p) ART FARMER(tp) CURTIS FULLER(tb) HANK MOBLEY(ts) WILBUR WARE(b) LOUIS HAYES(ds)
1.DIAL S FOR SONNY
2.BOOTIN' IT
3.IT COULD HAPPEN TO YOU
4.SONNY'S MOOD
5.SHOUTIN' ON A RIFF
6.LOVE WALKED IN

追伸、
最初に録音された「SONNY'S MOOD」(テイク1)が始まると、「ああ.....この曲だった、SONNY'S MOOD !」とのライオンの声が響いたとか
ちなみに、私は「IT COULD HAPPEN TO YOU」が大好きであります。