JAZZを聴きながら ふたたび

恥も顧みないで再々開、よろしければお付き合いを

親友とよべる友

2005年10月07日 | p-r

住宅街をなにげに歩いていると、キンモクセイの香りがあちらこちらからただよい、山々も紅葉までにはまだ幾時かありそうですが、それでも秋本番を思わす風情となってまいりました。私が料理担当日の10日のメニューは「栗ご飯」と「戻り鰹」にしようと、密かに決めております。

今年の4月にインドネシアから来日した知り合いが(幸いにもテロ事件で家族等に影響はなかったそうですが)
「○△さん、ちょっと元気ないねぇ」というので
「秋だから物思いにふけってるんだよ、心配ない心配ない」と答えたのですが
「もの思いって何ですか?」「どうして秋だとそうなるんですか?」
南国育ちの彼には、秋の風情も通じるわけもなく、説明するのにしばし時間を取られてしまいました。

ベタですが秋といえば読書、
以前に、読書で自分を磨こうというお話しを記事にしましたが、自分は磨けていないものの、多少の読書を続けております。二日ほど前から読み始めたのが遅ればせながら「ダ・ヴィンチ・コード」、合間に「コルトレーンの生涯」の読み直しをしています。

「コルトレーンの生涯」を読み直しし始めたのは「ROUND ABOUT MIDNIGHT」と「THELONIOUS MONK QUARTET WITH JOHN COLTRANE AT CARNEGIE HALL」2枚のアルバムのせいでしょうか、つい本棚から引っ張り出してきてしまいました。
今日、読んでいたのは1955年あたり、ソニー・ロリンズの話を引用します。

”1950年、ニューヨークで私はトレーンと初めて会った。そこで私たち二人は、たまにマイルスの演奏に参加することができた。私はジョンの演奏を注意深く聴き、この男はどういうつもりでこんな演奏をしているのだろう、いったい彼はどのような方向に進むのだろうかとしばし考えさせられたものだ。彼にそんな質問をしてはいけないと思い、なおも熱心に彼の演奏に耳を傾けているうちに、彼の音楽をよりよく理解できるようになった。その後、私は彼と親友になった。彼から金を借りたこともあった。正直な話、私が借金をたのむことができたのは、コルトレーンとモンクの二人だけだった。”

1950年といえば、マイルスがパーカーの元を離れて間もない頃ではありませんか、この時期にこの3人に接点があったのでしょうか?

ともかく、コルトレーンと二つ年下で5㎝背の高かったロリンズは、無二の親友でありました。音楽的にはまったく違う方向へ進んだ二人ですから、共演が聴けるのは今日のこの一枚、しかも一曲目だけです。

コルトレーンが自分が最も尊敬する四人のミュージシャンにロリンズを加えていたのはもちろんですが、「ライク・ソニー」という曲まで作曲し贈っています。テナー奏者の巨人、二人は強い絆で結ばれていたのでありました。

あら?秋の話が結局コルトレーンの話になってしまいました、まあよろしいじゃないですか、マイルスの「黄金のクインテット」、コルトレーンの代わりにロリンズが加わっていれば、このアルバムの2曲目以降にマイルスが加わった布陣ということになります、想像するのは難しいですけどね。

TENOR MADNESS / SONNY ROLLINS QUARTET
1956年5月24日録音
SONNY ROLLINS(ts) RED GARLAND(p) PAUL CHAMBERS(b) PHILLY JOE JONES(ds)
JOHN COLTRANE(ts) 1のみ
1.TENOR MADNESS
2.WHEN YOUR LOVER HAS GONE
3.PAUL'S PAL
4.MY REVERIE
5.THE MOST BEAUTIFUL GIRL IN THE WORLD

おまけ、
ちなみにこの録音の13日前にはロリンズ以外のメンバーはマイルスのマラソン・セッション1回目、約一ヶ月後にロリンズは「SAXOPHONE COLOSSUS」を録音しています。
親友といえば、明日は親友(悪友ともいいますが)二人と飲み会の予定、馬鹿話が楽しみです。