おかあちゃん牧師の日記

新船橋キリスト教会の牧師です!
日々の生活のこと、教会のこと、
家族のことなどを書いています!

父 その4

2010-09-02 10:42:34 | 家族
父が聖書と格闘する日々が続いた。
そんな父の中で、
もっと聖書を学びたい、
もっと神さまのことを知りたい、
という思いが、日増しに強くなっていった。

そして、ある日、
キリスト教雑誌か何かに載っていた、
「半年(3ヶ月?)で聖書を学べる!」
といううたい文句の神学校?の広告を見つけた。

父は、その広告に飛びつき、
早速、宣教師に相談した。
ところが、宣教師は首を縦に振らなかった。

そして、別の神学校を父に紹介したのだった。
それが、福島県の須賀川にある「中央日本聖書学塾」だった。
この神学校は、安藤喜市先生と羽鳥明先生が、
共同で始めた神学校だった。
学歴も不十分、経済的にも何の保障もなかったが、
宣教師に勧められるまま、
父は、この神学校に飛び込んだ。

もちろん、神学校というからには、
牧師を養成するところだ。

これは、以前父が言っていたことだが、
父が牧師を志した理由の一つに、
とにかく、先に述べたような
メティカフ宣教師の日本語が、
あまりにわからなかったことがある。
こんなに素晴らしい福音を、
もっとわかる日本語で伝えたい。
この深い聖書のみことばを
わかりやすく、人々に解き明かしたい。
いつしか、父の胸の中に、そんな思いが芽生えてきていたのだ。

それにしても、メティカフ宣教師の日本語の足らなさは、
致し方ないことだろう。
語学研修をどれぐらいしたかわからないが、
日本語を学んですぐに、津軽弁の真っ只中に入って行って、
福音宣教を始めたのだから!
まわりの人が彼の日本語を理解できない以上に、
彼が、どれほどまわりの人の話す津軽弁が理解できたか!

宣教師の端くれとして、
むしろメティカフ宣教師が、
神さまに導かれるまま津軽の片田舎に来てくれたことに、
ただ、ただ、敬服するばかりだ。

さて、父が神学校に入学したのは、19歳のとき。
当時の神学校は、貧しかったからか、神学生の訓練のためか、
ほとんど自給自足だった。
寒い東北福島で、暖房さえもなかったという。
そして、悪いことには、
父が入学して2年後には、教育方針のずれからか、
神学校が分裂。
羽鳥先生と何人かの神学生は、
東北聖書学校を去って行き、
東京で、「中央日本聖書学院」を立ち上げた。

父は、福島に残った。
そして、紆余曲折はあったが、
無事神学校を卒業し、その後津軽の五所川原の教会に赴任。

23歳の若い牧師が誕生した!

かつては、半年で6回仕事を変えた父が、
すでに牧師になって50年。
主任牧師は退いたものの、
今も現役で毎週説教をしている。
娘の私が言うのも何だか、
父の説教は、
平易な言葉を用い、
聖書を忠実に解き明かすわかりやすい説教だ。
まさに、父が目指していたそれである。

当時の甘ったれた、気の弱い少年が、
神さまの御手の中で、取り扱われ、
牧師としての生涯をここまで送ってきた。
そして父を通して、
恐らく、100人以上の人が信仰に導かれた。
私だって、その一人。
父が毎週語る説教で、長く養われてきたのだから。


この夏、短い時間だったけれど、
こうやって、父の証しが聞けて、
本当に良かった。
うちの子どもたちも一緒に聞いた。
我が家の信仰のルーツだもの。
みんなで聞かなきゃね。

ホントに、
メティカフ宣教師に感謝です。
角田さんにも感謝です。
よく、よく、父に福音を伝えてくださいました!

そして、何より神さまに感謝です。
父を取り巻く全ての出会いが、
神さまの不思議なご計画の中のことだったのですね。
感謝、感謝です!!
ハレルヤ!!

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 父 その3 | トップ | 風邪ひき3人 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

家族」カテゴリの最新記事