おかあちゃん牧師の日記

新船橋キリスト教会の牧師です!
日々の生活のこと、教会のこと、
家族のことなどを書いています!

出生前診断

2018-01-31 12:59:34 | 映画・ドラマ・本

「コウノドリ」二作目、
やっと昨日見終わりました。
産婦人科が舞台のドラマで、
昨今の日本の妊娠、出産事情がよくわかります。

いろいろつっこみたくなることもあるのだけれど、
でも、いのちが生まれる現場では、
たくさんの期待や不安が渦巻き、
実際、ひとつひとつの事例が、
ドラマになるんだろうなとも思います。

最近、日本でも
出生前診断をする人が多く、
それを拡大しようという動きも出ているようです。

新出生前診断、拡大へ 学会、実施施設など指針見直し

胎児の段階で、
いや、中絶できる段階(22週未満)で、
胎児に障害があるとわかったらどうするか、
多く人は、中絶を選択することでしょう。

ドラマの中でも
二組の夫婦が出生前診断を受けて、
一組は悩みながらも中絶を決意、
もう一組は生む決断をしました。

生む決意をしたものの、
内心不安で仕方がないお母さん。
そんなお母さんに一つの詩が紹介されます。
それが下記のもの。

私はよく「障がいのある子を育てるのってどんな感じ?」と、聞かれることがあります。 そんな時私は、障がい児を育てるというユニークな経験をしたことがない人でも、それがどんな感じかわかるようにこんな話をします。 

赤ちゃんの誕生を待つまでの間は、まるで、素敵な旅行の計画を立てるみたい。 例えば、旅先はイタリア。山ほどガイドブックを買いこみ、楽しい計画を立てる。コロシアム、ミケランジェロのダビデ像、ベニスのゴンドラ。簡単なイタリア語も覚えるかもしれない。とてもワクワクします。

そして、何カ月も待ち望んだその日がついにやってきます。 荷物を詰め込んで、いよいよ出発。数時間後、あなたを乗せた飛行機が着陸。 そして、客室乗務員がやってきて、こう言うのです。「オランダへようこそ!」 「オランダ!?」 「オランダってどういうこと?? 私は、イタリア行の手続きをし、イタリアにいるはずなのに。ずっと、イタリアに行くことが夢だったのに」

でも、飛行計画は変更になり、飛行機はオランダに着陸したのです。あなたは、ここにいなくてはなりません。 ここで大切なことは、飢えや病気だらけの、こわくてよごれた嫌な場所に連れてこられたわけではないということ。 ただ、ちょっと「違う場所」だっただけ。

だから、あなたは新しいガイドブックを買いに行かなくちゃ。 それから、今まで知らなかった新しいことばを覚えないとね。 そうすればきっと、これまで会ったことのない人たちとの新しい出会いがあるはず。 ただ、ちょっと「違う場所」だっただけ。 イタリアよりもゆったりとした時間が流れ、イタリアのような華やかさはないかもしれない。 でも、しばらくそこにいて、呼吸をととのえて、まわりを見渡してみると、オランダには風車があり、チューリップが咲き、レンブラントの絵画だってあることに気付くはず。

でも、まわりの人たちは、イタリアに行ったり来たりしています。そして、そこで過ごす時間がどれだけ素晴らしいかを自慢するかもしれないのです。 きっと、あなたはこの先ずっと「私も、イタリアへ行くはずだった。そのつもりだったのに。」と、いうのでしょう。

心の痛みは決して、決して、消えることはありません。
だって、失った夢はあまりに大きすぎるから。

でも、イタリアに行けなかったことをいつまでも嘆いていたら、オランダならではの素晴らしさ、オランダにこそある愛しいものを、心から楽しむことはないでしょう。

©1987 BY EMILY PERL KINGSLEY. ALL RIGHTS RESERVED.
翻訳 佐橋 由利衣 Yurie Sahashi


私はクリスチャンですから、
すべての赤ちゃんは、
神さまからの授かりもので、
この子にはこの親と、
神さまが選んでくださったと信じているし、
たとえ子どもが障がいももって生まれてきて、
子育てに苦労はしても、
また、その子の将来に不安があったとしても、
神さまが必ず助けてくださると信じているので、
出生前診断にも
それを受けての中絶にも否定的な立場です。

でも、生む前に障害、疾患の有無を
知らされてしまった妊婦の葛藤も想像できます。
勇気がいることでしょう。
まわりの理解と励ましは必須です。

そんな妊婦さん、お母さんに、
この詩が励ましになってたらいいなと
心から思ったことでした。


さて、話はちょっと違いますが、
旧優生保護法を適用され、

強制不妊手術をされた被害者が、
国を相手取り訴訟を起こしました。

強制不妊手術で国を提訴「尊厳侵害、違憲」

これももっともな話で、
おそろしいいのちの尊厳の侵害だと思いますが、
それでもあえていうなら、
それはおとなの尊厳であって、
子どもの、胎児の尊厳ではないのです。

おなかの赤ちゃんはいつも沈黙しています。
そして障がいや疾患のあるなしで、
いのちの価値がはかられ、
あるいのちは生まれ、
あるいのちは闇に葬り去られる…。

テレビのニュースを見ながら、
そんなことつらつらと考えたことでした。

主よ、
この世界をあわれんでください。

コメント
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