今日の説教は、
ルカ1:5~23でした。
説教の準備をしながら、
私が教えられたことをシェア。
み使いのよき知らせに対して、
ザカリヤの反応はどうだったでしょうか。
v.18「私は、何によってそれを知ることができましょうか。
私ももう年よりですし、妻も年をとっております。」
なんとザカリヤにしてこの反応でした。
旧約聖書の中には多くの不妊の女性が
祈りの応えとして子どもが与えられています。
聖書のことをよく知っていたザカリヤは、
それらの奇蹟を頼りに
ずっと祈って来たのではないですか?
でもいざ、自分のこととなると、
常識から外れたことは
信じられないものなのかもしれません。
まだ人間的に見て可能性のある頃は、
期待して祈っていたかもしれない。
でも年々歳を重ねていくうちに、
いつの間にか、祈るのに疲れ、
祈りが形骸化し、
言葉では祈っていても心の伴わない、
お題目のような祈りになっていたのでしょう。
でも、そんな祈りでさえも、
神さまの前に覚えられていたのです!
み使いは言いました。
「あなたの願いは聞かれたのです!」
ここに神さまのご真実があります。
ですから私たちも祈るのをやめてはいけません。
弱い、小さな信仰でも、
時に習慣のようになってしまっていても、
私たちが祈ることをやめない時、
神さまは、その祈りに答えてくださるのです。
ですから祈るのをやめてはいけません。
習慣的であっても、
信仰が伴っていなくても、
祈るのと祈らないのとでは、
全然違うからです。
祈るのをやめてしまっては、
神さまも答えようがないでしょう。
神さまのご真実に期待して、祈り続けましょう!