隅田川の両国橋を渡れば、この巨大な碑がいやでも目につく。久しぶりにママチャリで両国橋を渡ったのである。しかし、この辺りには、隅田川や両国橋についての観光案内看板はあるが、表忠碑に関する説明はない。それどころか、近くに建てられたエリアマップにさえ、表忠碑の記載はない。忘れられた碑、と嫌味を言う次第である。
だから、表忠碑の意義を知るには、碑自体に刻されたものを読み解くしかないのである。漢字は全て現代表記とした。碑の表の文字を墨書したのは、日露戦争の英雄の大山巌元帥である。
碑の裏の頂点には「明治三七八年役戦病死者」と大書されている。当時は日露戦争を明治三七八年戦役などとも言いならしたことが分かる。
その下には、「本所区陣没者弔魂祭兼凱旋軍人歓迎会 会長 海軍中将 榎本武揚」とある。いわば、この碑は当時の東京市本所区からの出征者の栄誉を記念するとともに、戦没者を弔うために建てられたものである。榎本武揚は当時は隣の向島区(今は本所区と合併して同じ墨田区となった)に住んでいたから、その縁であったのだろうか。
このような碑を見るたびに、戦争に関する記念碑は、現代日本では故意に無視されている、ということが悲しい。厄災を故意に忘れてしまおうとする者は、再び同じ厄災に会うであろう、というのは小生が勝手に発明した箴言であるが、箴言が正しからざることを祈る。