毎日のできごとの反省

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書評・売国奴・黄文雄・呉善花・石平 ビジネス社

2020-02-16 20:31:56 | Weblog

 売国奴とは皮肉なタイトルを付けたものである。呉善花と石平の両氏は、祖国の痛烈な批判をし日本を擁護しているからである。だから当時は祖国からみれば売国奴と言うべき人たちであった。このタイトルの真意は別なところにあるのだろう。三氏とも嫌いな日本人の筆頭に大江健三郎をあげている。大江は民主主義以外の一切の価値を認めないと国内で公言しながら、北京にいくと非民主的なことや人権侵害を批判せず、民主主義を一言も言わない。それどころか、民主主義を弾圧するボスの前でおそろしく媚を売っている。石氏は父親が共産党や毛沢東の乱脈政治で苦しんでいたのに、朝日新聞は毛沢東礼讃、文化大革命礼讃をしていたと憤る(P187)。彼らが真の売国奴であるというのだ。

 中国では汪兆銘などのように、人民のために平和を求めた人が歴史上売国奴と呼ばれるから平気である、と石氏が言うのに対して呉氏は、意識の上ではやましさを感じていなくても、売国奴だと言われると、自分が虫けらであるかのような気持ちになってしまうような気持ちになってしまうのが韓国人である、と言っているのは切ない。

 その後石氏も呉氏も日本に帰化した。当然であろう。祖国の民族性自体を信じられなくなって日本人の人間性にしか信頼をおけないのであれば、それが最も人として誠実な行為である。日本を侮蔑しながら、日本国籍を捨てない大江健三郎の不誠実さとは真逆である。両氏が祖国に決別したのには深い思いがあろう。今の中華人民共和国という国家自体に正当性がないと思い、個人としても中国人としても今の中国を決して自分の国とは思っていない(P43)。また、石氏は日本人か中国人か、と聞かれると関西は落ち着ける場所で、「私は関西人です」と答える(P167)。だから当時の石氏は、まだ祖国を捨てたのではなく、中共という体制を否定していた段階で、まだ中国と日本の中間の関西という場所にいたのであろう。

 この書の多くはメンバーからして日中韓の比較論である。中韓に共通点が多いのに対して、大抵の場合日本は異質である。中韓は父系血縁共同体で農耕村落を形成していたのに対して、日本は父母双系の非血縁で血統ではなく、家の存続を目的とする疑似血縁社会であるという(P29)。私事であるが私の実家は、つい最近までの数百年間、田植えや冠婚葬祭は特定の血縁グループだけで行っていた。労力だけではなく金銭も互いに出し合う濃密な血縁コミュニティーであった。甚だしい場合は近隣の二軒の家で婚姻を続けている場合さえあった。今考えてみればこのコミュニティーは私の生家を本家とする同姓だけの親族であったから、日本では例外の血縁共同体であったのに違いない。

兄も私もこのコミュニティーから逃げる事ばかり考えて、その心理から未だに近隣のコミュニティーに参加することを嫌っている。深読みすれば日本人として最も不自然なコミュニティーを本能的に嫌っていたのではなかろうかとも思えるのである。実際このコミュニティーは、付き合いは極度な濃密な関係にありながら、精神的には各家ごとに仲たがいしていた。やはり日本人の精神風土には合わなかったのだろう。ある資料を調べたら、我が家の祖先は主君が戦争に負けたために元の領地に逃げ帰って定住した、とあるから一種の落人であったのに違いない。防衛本能から周囲から遮断して一族だけで生活すると言う不自然なコミュニティーを形成したのである。

 閑話休題。中国と韓国の共通点は、建前は儒教的な血縁の倫理道徳でありながら、モラル崩壊によりお金のためには血縁すら騙すのようになったという(P141)。石氏はそれどころか中国では血縁から騙す(P143)と言っている。特に中国は毛沢東が倫理道徳を破壊した後に鄧小平が資本主義を導入した。だから西洋がプロテスタンティズムの精神が、日本では武士道精神が資本主義の倫理を支えているのに、中国では騙し合いの資本主義になってしまった(P143)というのは理解できる話である。

中韓の反日には、道徳的には両国が上だから反日になる、という共通点があるものの、根本的に違う部分が多いという。中国では元々共産党に正統性がない上に、天安門事件で学生たちを多数殺して弾圧して、共産党に対する信頼が完全に失墜したから、その後政権についた江沢民は愛国主義を高める必要があり、そのために反日を利用した(P197)というのが石氏の見解である。だから共産党政権が崩壊して言論の自由を回復して、嘘から作られた反日がばれれば、時間はかかるが反日は消えるという(P219)。

韓国の場合は、民族主義そのものが反日の原因だから、民族主義がいらない国家システムができるまで続くと呉氏は言う。経済力が日本を超えれば蔑視は残るが反日は少なくなるという。本当に反日を捨てるのは、日本の敗戦に相当する大敗北をする時であろう、ともいう(P219)。いずれにしても両国に共通するのは、反日が国益に反するようになれば反日はおのずと減る、ということは日本人は理解しておいた方が良い。また、毛沢東・周恩来・鄧小平らの世代は日本と戦った経験があるから日本の凄さが分かっており、当時の江沢民は知らない世代である(P204)。そんなことにも反日の根底にあるのだろう。だが現在の習近平は反日を都合により適当に使い分けている。それが支那人の本質であろう。

朝鮮には伝統的にハヌニム(天様)という唯一絶対神に似たものがあるから一神教のキリスト教を韓国が受け入れやすい(P147)、という指摘は中国とも日本とも異なる事情である。

韓国は外国を侵略したことがない、という韓国人についての呉氏の見解は面白い。李氏朝鮮時代には、対馬侵略の計画があり、元寇のときにも朝鮮は大々的に派兵した。また、済州島にたてこもって、日本の協力でモンゴル軍と対決しようとした高麗の武人を高麗朝はモンゴルと一緒に攻め滅ぼした(P119)などというのは侵略以上の恥ずべき歴史である。その時日本が頼られていた、というのは面白い事実である。現実にはその後の韓国は日本の竹島を敗戦のどさくさにまぎれて侵略した。これが朝鮮人というものである。

ハングルというのは作られた当時からの正式名称は「訓民正音」と言い、漢字を知らない民衆でも使える文字として出あったが、知識人は侮蔑して四百年間使われていなかった、とここまでは良く知られている。しかしハングルという言葉自体は日本統治時代に作られたものである(P137)というから呆れる

中国にもインチキな話はある。現在の中国では中国人は黄帝の子孫だと言っているがこれは日本が明治維新を成功させたのは、万世一系の神話が重要な役割を果たしたので、清朝崩壊以後に民族のアイデンティティーを作るため日本の真似をしたと言うのだ(P60)。確かに石氏の言う通り、中国は易姓革命の世界で、新王朝は歴史を書き改めて自分たちの祖先を始祖としていて、旧王朝とは断絶している。王朝間の歴史は断絶しているから、遥か昔の皇帝が自分たちの祖先であるなどということは清朝以前は考えてきていなかったのである。中華民国にしても滅満興漢のスローガンのもとに異民族王朝を否定するところから始まったのだ。つまり中国は変質したのだ。檀君神話というのも同様なのであろう、というのも理解できる。