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現実的に見れば、連合国から云々という副題は適切ではなかろう。連合国が敗戦国の政治家を恐れようもないし、本人もそんなことに価値を認めない人物だろうからである。ともかくもこれだけ外交官として適切な日本人はなかなかいない、という著者の称賛は当然であろう。マッカーサーが軍政を敷こうとしていたのを止めさせた(P28)というエピソードは、よくてせいぜいうまくGHQと妥協する、というのが当時の日本人の最善策であった実態に比べれば画期的な事である。
この本には重光の矜持と拮抗する西欧のエピソードがいくつか書かれている。このようなことは支那や朝鮮では考えられないであろう。例えば、第一次大戦で日本の英国船団護衛で殉死した66人の日本兵の名前がマルタ島の英海軍基地の墓碑に刻まれている(P79)という話である。反対に宋子文、王正廷、顧維欽ら戦前の中華民国外交官は中共が成立すると外国に逃れそこで客死している、という支那の冷たい現実がある。
重光は幣原喜重郎の軟弱外交とは違っていたが、「当時の中国は群雄割拠の状態にあったが、北京政府は馮玉祥の軍隊を背景に段祺瑞がかろうじて政権を保持していた」(P96)というのが支那大陸の実情であって、国際連盟に登録されていた中華民国というのは、誰が首班の政府であったのか不明である、という当時の支那の実態を記憶しておくべきである。
ワシントン条約体制について、幣原外相は忠実に守ろうとしていたが、重光は、この体制が事実より理想を求めたものであり、支那の共産勢力が排日を激化させていたこと、英米の目的は支那に進出した日本を妨害する目的であったことから、ワシントン体制は有名無実だと考えている(P98)。このことは九カ国条約のワシントン体制違反を口実に日本を弾劾した東京裁判と真っ向から対決するものである。
日本人が大陸で心底から貢献した事実も示されている。福民病院は、日本人医師の頓宮寛が国籍・人種を問わず人命を救う事を理想とした病院である。頓宮は五ヶ国語を話し、魯迅とも親しく、魯迅の妻はここで出産している(P149)。こういった日本人の献身は例外ではない。日本の侵略を宣伝する中共はいかに非人間的な政府であろうか。それに騙される現代日本人はいかに愚かであろうか。平成24年の尖閣国有化の際の中共政府が行った、民衆による反日暴動の野蛮な行動を見てもまだ目が覚めないのであろうか。
吉田茂を重光と比較して、戦略がない、として経済優先の短期的戦術には成功したが、アジア解放を志向した重光のような戦略がない(P171)として憲法改正による再軍備をしなかった吉田を批判するがその通りである。未だに憲法改正をできず在留邦人の海外救出すらできない日本の現実を考えれば、吉田路線による高度経済成長はあだ花にすぎない。それどころか経済大国への執着が国民精神の堕落さえもたらしている。
共産主義については、初めより無理ある理論の実現に直進するのであるから、目的達成のためには手段を選ばぬことになる。共産革命は、常に闘争の観念がともなう(P173)、という。そして筆者は「西ドイツの憲法裁判所は憲法を破壊するような政党の結社はできないという理由から、共産党の活動を禁じた」と西独のアデナウアーが吉田に語った言葉を紹介している。観念的な日本の結社の自由など本当は意味をなさないことを論証した言葉である。GHQが共産党を容認させたのは日本を弱体化させるためであって、自由主義の普及のためではない。
吉田批判はまだ続く。重光が一時的にしろ英国の援蒋ルートを閉鎖させることができたのに対して、英国政府が吉田駐英大使の構想に次第に懐疑的になったことを紹介して、外交官の加瀬俊一が「ハムレットはいつしかドンキホーテになった」と酷評しているのを紹介している。平成24年にも「負けて勝つ」と題してNHKが吉田を持ち上げたドラマを作った。GHQ路線を走るNHKがよいしょするのだから、吉田の功績は推して知るべしであろう。
広田内閣が、軍部大臣現役武官制を復活させたのは、二二六事件の関係軍人を予備役に編入させ軍への関与を排除させるためであった、と単純に書いている(P207)。軍部による同制度復活のための口実だとするのが一般的であるが、軍を悪者にするための勘繰り過ぎないのかも知れない。重光は軍部が日本を支配して日本を破滅に追い込んだ、という史観を持たない。
重光の最大の功績は、やはり大東亜会議を構想実現したことであろう。会議ばかりではなく、実現しなかったが大東亜国際機構という組織まで構想していた。筆者も特筆しているが、これを最も支持したのは東條首相であった。小生が東條を単なる有能な官僚だと考えないのはそのためである。東條は重光と同じくきちんとした歴史観があったのは、東京裁判の宣誓供述書が如実に示している。資料もないどころか筆記具の入手にすら苦労した牢獄の、極めて不便な条件であれだけの歴史観を語れるのは今でも多くはいまい。
大東亜会議に関連して英国がアジアをいかに分断支配していたかも語られている。植民地ビルマは英国人、インド人と中国人、ビルマ人の三階層に分けて支配し、搾取されるビルマ人の怨嗟はインド人と中国人に向けられるシステムを作った。このため大東亜会議はビルマとインドの関係を考慮しなければならなかったのである。日本にビルマから放逐されたイギリスは、インドのベンガル地方を食糧徴発し、数百万の餓死者を出し、ナチスのごとき大量殺人を行った(P246)。現代日本人は日本の行った植民地解放までの、欧米の植民地支配がいかに残忍で非道だったかを認識すべきである。彼らが宗主国を非難しないのは世界で欧米の力がまだ圧倒的に強いからに過ぎない。
歴史学者のトインビーの「第二次大戦において、日本は戦争によって利益を得た国々のために偉大な歴史を残した。日本の掲げた短命な理想である大東亜共栄圏に含まれていた国々である(P253)」という大東亜会議についての言葉を紹介している。日本がアジアを解放した、というのは夜郎自大ではない、日本人が誇るべき事実である。この意識を多くの日本人が共有しない限り、経済的繁栄はあり得ても国際社会における日本の存在感はない。