戦前は、二二六事件などのテロ事件が頻発している。そこでテロの犠牲者について奇妙な事に気付いた。テロの犠牲者を大別すれば、政治家、銀行家などの企業家、軍人と言った人たちが殺され負傷している。だがその中には新聞などのマスコミ関係者はただの一人もいないのだ。
朝日新聞などは現在、新聞などのマスコミは右翼や軍部から言論弾圧を受けたと主張している。元朝日新聞記者の後藤孝夫氏は「辛亥革命から満洲事変へ」と言う大著でこの事件の間に大阪朝日新聞が右翼や軍部から弾圧をうけたことについて多くの紙幅を割いている。その中に書かれている物理的被害とは
①1931年頃の在郷軍人会による朝日新聞不買運動
②1928年の右翼の編集局乱入騒ぎ
これだけである。「直接行動で右翼恫喝」(P380)という仰々しいタイトルの項を見れば、最大のものは内田良平が大阪朝日の調査部長と会談したことと内田の公言した「民間団体の直接行動」計画が大阪朝日に大きな衝撃を与えた、というものである。計画だけで怯えたというのだから、「勇気を持って真実を書く」などと言うのは大言壮語である。
人間緒方竹虎という本には、二二六事件の際に大阪朝日新聞を襲った軍人たちが、「国賊朝日をやっつけるのだ」と言って帰って行った、また軍人がやってきてカネを貸せと言って何千円か持って行った、活字のケースがひっくり返された、と言う被害である。怪我人どころか発砲もされていないのだ。彼らは僅かな被害を持ちださなければ、自分たちが犠牲者である、と言う証明ができないのだ。
私には新聞関係者だけが殺害の対象にすら成らなかったことは奇異ではない。新聞関係者は、右翼や軍部と敵対していたのではないからだ。それどころか軍人や国民を戦争に煽っていたのだ。もっと正確に言おう。当時のマスコミは国民の意向を反映していたのである。そして陸軍も国民の意向を反映していたのだ。当時の不景気や満洲における支那側の相次ぐ暴力行為や条約破りを政党政治は何もしなかったのである。
実際緒方竹虎は戦後「五〇人の新聞人」という本に、満洲事変頃から大新聞が皆で話し合って反戦の運動をすれば軍の暴走を防げたと堂々と言ってさえいる。軍部に弾圧されたのではないと言っているのだ。だから戦後の大新聞は針少棒大に軍部や右翼に弾圧されたという事を言わなければならない。
このブログに興味をお持ちの方は、ここをクリックして小生のホームページも御覧ください。
朝日職員が書いた「辛亥革命から満洲事変へ」には、大阪朝日幹部には右翼と気脈を通じた者がいて、社長と右翼幹部の面談のセットをしたことさえ書かれています。グルだったのはバレバレです。朝日新聞は昔から、今でいう「日本式リベラル」だったのでしょう。