6丁目のつぶやき

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山城 七尾城跡

2019-09-24 | 
能登守護畠山氏の居城 長尾城
室町時代は砦のようなものであったが
その後169年間の間に
応仁の乱、一向一揆、百姓の強訴
などあり
徐々に山全体が城の様な
強固な山城になっていった

山の下の城下町は
禅僧が住み北陸を代表する
戦国都市であったと
最近わかってきた

それを上杉謙信が1年間猛攻して
畠山氏の重臣の内通により
落城 畠山氏滅ぶ

以後謙信はここへ居住
信長と対戦する為
平地まで降りて
有名な手取川の戦い
信長は実際には
この地に出撃していなく
秀吉も途中で引返し
柴田勝家だけが戦い敗れ去った

戦国の英雄 謙信は城から
七尾湾の絶景をみながら
詩など作り
春日山城へ戻り半年後に
あっけなく脳溢血で死んだ

その後信長の配下である前田利家が
能登の領主となり
もはや山城の時代ではないと
廃城にして
小丸山城に移る

以上歴史を踏まえ
日本100名城でもある
山城七尾城へ
登って見なくてはと・・・

能登半島の
JR七尾線七尾駅より
七尾城史料館まで循環バスで
そこから登り始める

以前に
越後上杉謙信の本家本元の
春日山城を喘ぎながら登って
山城の防御と厳しさに浸ったが
能登守護畠山氏の七尾城も
本丸まで標高300mの急峻な山道が
続く連郭式山城だつた

城はまだ高い石垣を
築く技術が無く
本丸に続く低い野面積みの石垣が
段々に繋がり


見た限りでは
難攻不落とは思えないが
この標高では攻めきれないのか
今は樹木が生い茂っていた


調度丸と桜馬場間の圧倒する石垣






本丸からの展望は七尾湾が一望でき

堀切、竪堀等を体感しながら
下山道の所々に門跡を見て
難攻不落の城だったなぁと
改めて知る


あいにく麓の懐古館は休館で
観られなかったが
厚い茅葺屋根が豪雪地帯の
風情をいまだに伝えていた










コメント (1)
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