6丁目のつぶやき

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総石造りの太田金山城

2019-07-25 | 
群馬が誇る日本100名城 太田金山城は
標高239mの金山に
金山城本丸を新田一族
(鎌倉幕府討幕の立役者新田義貞の一族)
が1469年に築いた

その後下克上によって由良氏が
城主になり
由良氏の時代が全盛
上杉謙信、武田勝頼など有力大名から
10数回攻撃を受け
一度も落城することなく
その堅固さを誇っていたが
北条氏の謀略に落ち
その支配下となり
豊臣秀吉の北条征伐で金山城は廃城

以上の歴史を踏まえ
金山城に登る

三の丸、南曲輪迄タクシーで
行くこともできるが
山城は歩かなければ
防禦の地形がわからないとあえて
アスファルト舗装の道を避け
取っ付きから山道を
歩くこと90分

西城モータープールから
やがて急登の階段を登り
土塁、堀切、石垣が突然現れ
防禦施設として良く計算された
場所だったと・・・




三の丸、南曲輪には
あらゆる所に精緻な石垣が現れ
通路まで石敷き、土塁石垣で
また儀式が行われていた大きな池
二ヶ所ほど
石で囲まれ今も水を湛えていた







推定樹齢800年と伝えられる
大ケヤキが本丸手前に立ちはだかるが
金山城の興亡を
ずーと見てきたに違いない


山頂の本丸は見晴らし台に
なっていたが
晴れた日には遠く富士山、日光男体山、
赤城山、榛名山、妙義山、浅間山
関東平野を見られるとか
若かりし頃登った山々が見られず
残念!


帰りは見付出丸の土塁をみて
麓の大光院まで山路を歩く




本丸から尾根を削り
曲輪を造り石を積み
堀切、土塁で堅く守った
総石造りの落城しにくい
戦国山城だった




コメント (1)
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