明るく楽しい日々を願って。

毎日の平凡な出来事を、日記のように綴ります。趣味の切手も時々アップします。
どうぞ宜しく・・・。

 碌山美術館

2012年10月27日 | Weblog

安曇野行き3日目は、朝から本降りの雨になりました。

宿のご主人に最寄駅の信濃松川駅まで、車で送って戴きました。

宿のガーデンハウス安曇野とは、今日でお別れです。

大変お世話になりました。また来たいです。

     

大糸線 信濃松川駅は、1時間に1本の割合で上下線とも走っています。

穂高駅まで乗ります。

 

今日は、雨ですから無理しないで碌山美術館見学だけにしました。

穂高駅から、赤レンガの歩道を歩いて7分のところに碌山美術館があります。

 

私は、去年来ましたが、

今年は紅葉が始まっていて、また趣がありました。

 

碌山美術館に入って、まず目に付くのはこの像です。

     

碌山はフランスへ行き、ロダンの彫刻を見て、絵画から彫刻に転じました。

この『労働者』像は、ロダンからの影響を見て取れます。

 

     

入口の左にある碌山美術館本館です。

ここに、碌山のメインの彫刻が、数々陳列されています。

 

     

本館を横から見たところです。

塔の先端に黒く見えるのは、フェニックスです。

丁度、正午の鐘が鳴りました。

大きな音響が鳴り響き、

私はこの鐘の音を初めて聞きました。

30万人の人の力で出来たこの建物の

存在感が伝わってきます。

 

 展示のメインは、やはり国の重要文化財に指定されている『女』像です。

荻原碌山の援助者であった相馬黒光をモデルにしていると言われています。

     

こちらは、東京国立博物館にある荻原碌山の『女』の石膏像です。

碌山美術館には、この像から起こしたブロンズ像が展示されています。

何回見ても、この像の魅力に取り付かれてしまいます。

 

この像は、切手になりました。

近代美術シリーズの第8集目に竹下夢二の『黒船』と共に昭和55年に発行されました。

     

私のリーフから取り出してアップしました。

 

その他、多くの碌山の作品や、高村光太郎の『手』『高村光雲』像、

交友のあった彫刻家達の作品など、ゆっくりと鑑賞しました。

 

更に、碌山館のできるまでのビデオも見て帰途につきました。

 

碌山のパトロンであった相馬黒光は、新宿中村屋を起こし、

実業家でもありました。

今でも、黒光と碌山を記念するお菓子が発売されています。

     

黒光まんじゅうと黒光羊羹です。

 

     

碌山まんじゅうです。

黄身餡にくるみが、ちょこんと乗っています。

 

わぁー。

食べたくなりました。

 

これで、安曇野行きの旅は終わりました。

旅の計画を立て、宿との交渉をしてくださったAさん、

旅の会計係をしてくださったYさん、に御礼申し上げます。

とっても楽しい旅でした。

また、どこかへ行こうね。

 

 


安曇野行き2日目

2012年10月26日 | Weblog

2012年10月22日、安曇野で迎えた朝、

宿のおばあさまが焼いた手作りのパン・チパを戴きました。

 

チパは南米のパンで、発酵させないで作るのだそうです。

     

安曇野ガーデンクラブのおばあさま。

     

これが、チパ。

もちもちしていて、お餅のような食感でチーズが入っています。

珍しい!

 

     

その他、胚芽パンも。

     

朝食のデッシュ。

     

コーヒー紅茶は、お代わり自由。

 

朝食の後、宿の御主人が車で「ちひろ美術館」まで送ってくださいました。

     

ちひろ美術館遠景です。

大型バスで乗り付けるツアー客が絶えません。

 

館内は撮影禁止ですから、

特別展のパンフレットをアップします。

     

日中国交回復40周年協賛事業として、

中国の絵本原画展が開催されていました。

 

私は、ここで思いがけなく「BIBブラティスラヴァ世界絵本原画展」で

金のりんご賞を貰った蔡皋(さいこう)さんの『宝儿』の絵本原画を

見ることができました。

 

この本は日本でも翻訳されて、今年10月31日付に出版されます。

もう売店で販売されていましたので買ってきました。

     

お話の内容は、中国の清朝時代に書かれた『聊斎志異』から採られています。

パオアルという少年が、お母さんに取りついたキツネを退治するというものです。

 

パオアルの書き方が、鮮やかな赤い服で書かれ、

目の色が場面で変わるので、

面白いと思いました。

     

黒い目のパオアルです。

お父さんに買って貰ったキツネのしっぽをくくりつけて、

「ぼくもキツネだよ。」と言って、キツネを騙すところです。

 

     

青い目のパオアルです。

キツネの召使の後をつける緊張した場面です。

 

私は、学生時代に中国文学演習で『聊斎志異』をかじりました。

昭和30年代の頃です。

テキストは、中国から出版された本で、

神田の内山書店から買いました。

当時、中国の本は紙の質が悪く、

書きこみをすると破れそうでした。

今、こんなに鮮やかな絵本が出版されているとは、

中国も進歩したものです。

ずっと中国文学から遠さかっていたので、

吃驚です。

 

その他にも蔡皋さんの本の原画がありました。

     

これは、日本で既に出版されています。

元のお話は、『孟姜女』という中国の民間伝説に登場する女性を描いています。

夫が強制的に万里の長城の建設に連れて行かれ、孟姜女が訪ねて行った処、

強制労働に耐えられず夫はすでに亡くなっていました。孟姜女の流す涙で、

洪水が起き、建築中の万里の長城が崩れたというお話です。

 

原本と日本語に翻訳された本とが並べられて展示してあり、

手に取って読むことができます。

 

その外、沢山の絵本の外国の絵本の原画を見ることができました。

ドゥシャン・カーライの絵本の原画もありました。

 

許されるなら、何日もここに通って絵本を読みたいと思いました。

 

ところで、お腹が空きました。

ちひろ美術館のレストランで、「炊き込みおこわ」と「ごぼうのスープ」を

戸外のベンチで戴きました。

なかなか美味しかったですよ。

     

 

ちひろ美術館の庭は松川村の村営で、

村の人たちがボランテアで手入れをしているそうです。

     

ブルーサルビアと、遠くに雪を載せた北アルプスの山脈が見えます。

     

向こうに、ちひろさんの黒姫山荘を移築した建物が見えます。

小川の水は透き通って綺麗でした。

     

赤とんぼが飛んできて、Aさんの肩に止まります。

 

     

ちひろ美術館の近くにリンゴ畑がありました。

リンゴがすずなりです。

     

こちらは赤いリンゴ。

 (やさしく白き手をのべて リンゴを我に与えしは 

 うすくれないの秋の実に ひと恋そめし 初めなり)

 藤村の詩を思い浮かべながら、リンゴを眺めました。

 

帰りは安曇野アートラインと名付けられた道を歩きました。

     

 

3キロくらい歩いたでしょうか。

「トンボ玉美術博物館」がありました。

     

古来からのトンボ玉の展示がありました。

 

トンボ玉を作る工房もありました。

     

インストラクターに手伝ってもらってトンボ玉を作るHさん。

素敵なトンボ玉ができました。

 

宿に帰って今日の日程は終わりました。

夕食のメインデッシュは、これ。

     

牛フィレの信州ソースです。

信州ソースには、お味噌が使われていました。

見た目よりもボリュームがあって美味しかったです。

 

お部屋に戻って皆さんとおしゃべりをして、

良く歩いたのでぐっすりと眠りました。

 

 

     


安曇野行き 一日目

2012年10月25日 | Weblog

2012年10月21日、女性ばかり5人で安曇野へ行きました。

「歩む会」という古典を読む会の有志達です。

平均年齢75歳のメンバーですから、

無理しないで ゆっくりと行くことにしました。

 

スーパーあずさに乗って出発です。

     

 

松本で大糸線に乗り換えです。

     

信濃大町行です。

単線ですから、すれ違う時は最寄駅で待っています。

     

 

穂高駅で下車。

     

穂高駅前には丸型ポストがありました。

     

一日3回取集です。

都会に比べて、気が長くないといけませんね。

 

    

駅前に道祖神がありました。

 

     

駅前の像・登頂。

父と子の登頂の像です。

子どもがヤッホーと叫んでいます。

穂高駅は山に登る入口の駅です。

大きなリックを背負った山ガール達が居りました。

 

昔、山ガールだった人も、今はタクシーを使います。

 というわけで、私たちはタクシーに乗って美術館めぐりです。

親切なタクシーの運転手さんに巡り合えて、

「待ち時間は料金はいらないよ。」と言ってくれました。

 

先ず、『森のおうち』へ。

     

絵本の美術館です。

本当に森の中にありました。

     

入場券です。

 

     

日韓絵本の架け橋展をやっていました。

韓国の作家と日本の絵本作家の原画が展示されていました。

領土問題は、ここにはありません。

     

ポラーノという喫茶室もありました。

宮沢賢治のポラーノ広場に因んだらしい。

 

タクシーを待たせているので、急いで次へ。

ジャンセン美術館へ行きました。

     

 

     

入場券です。

 

     

ジャンセンの代表作です。

アルメニア人のジャンセンは、アルメニア大虐殺のシリーズを描き、

フランスのレジオンドール勲章と故国アルメリアの国家勲章を受章しました。

絵は全般に暗く、アルメリアの苦悩を描いて心打つものがありました。

綺麗なばかりが絵ではありません。

 

今日は、ここまでにしてタクシーで宿のガーデンクラブ安曇野へ。

     

女性向のペンションです。

 

     

ヤギのYUKI君がいました。

 

     

ほととぎすがお庭に咲いていました。

     

ふじばかまも咲いています。

 

     

玄関のデコレーション。

 

     

室内は、安曇野を描いた絵が掛けられていました。

 

     

食堂の花です。

 

     

     

     

食堂の様子です。

 

この日は、宿泊客は私たちだけでした。

 

夕食前に近くの森を散歩しました。

森の香りがします。

あぁ。いい気持ち。

     

暗くなってきました。

熊がでるかも…というわけで急いで帰りました。

 

さあ、お待ちかねの夕食です。

     

夕食のメニューです。

ここは、イタリアンです。

すべて、安曇野で採れたものばかりでお料理が作られています。

 

     

まこもたけのやまいもグラタン。

 

     

安曇野にじますのハーブ仕立てです。

にじますは、大王わさびの近くで養殖しているそうです。

青いばってんは、四角豆だそうです。

美味しかったですよ。

 

その他、沢山ごちそうを戴きました。

皆さん、満足してお部屋に帰りました。

おやすみなさい。

 

明日は、2日目をアップします。

 

     


安曇野へ行ってきました

2012年10月24日 | Weblog

2012年10月21日から23日まで、

安曇野の美術館めぐりをしてきました。

     

21日と22日は、天気が良く安曇野の山々が見えました。

穂高駅に隣接する売店で、絵葉書を買いましたので

ここにアップしました。

 

宿の方々、タクシーの運転手さんなど

とても親切にしていただきましたので、

楽しく気持ちの良い旅ができました。

 

美術館では、思わぬ収穫もありました。

明日から、旅の様子をこのブログに書こうと思います。

 

今日は、ちょっと疲れましたので、この位にいたします。

 

     


マザーグース

2012年10月20日 | Weblog

今日は、マザーグースの切手を紹介します。

     

こちらは、2011年に発行されたアセンション島のクリスマス切手です。

マザーグースのおばあさんが、描かれています。

 

マザーグスって何でしょう。

ここに、北原白秋訳の『マザーグース』を、

青空文庫からお借りして

引用させていただきます。

  「お母さんがちょうのマザア・グウスはきれいな青い空の上に住んでいて、

  大きな美しいがちょうの背中にのってその空を翔(か)けったり、

  月の世界の人たちのつい近くをひょうひょうと雪のようにあかるく

  とんでいるのだそうです。

  マザア・グウスのおばさんが白い羽根をむしると、

  その羽根がやはり雪のようにひらひらと、地の上に舞(も)うてきておちる、

  すぐにその一つ一つが白い紙になって、その紙には子供たちのなによりよろこぶ

  子供のお唄が書いてあるので、イギリスの子供たちのお母さんがたは

  これを子供たちにいつも読んできかしてくだすったのだそうです。」以下略。

  つまり、マザーグースはイギリスやアメリカで古くから伝承されてきた童謡です。

 

この外にも、マザーグースのおばあさんを描いた切手がありますが、今日はこれまでにします。

 

お散歩していましたら、金木犀が花盛り。

     

あたり一面良い香り。

寒くなく、暑くなく、今が一番良い季節です。

 

 

 

 

 


ウエブ連載『老嬢物語』

2012年10月19日 | Weblog

今日は、昨夜からの雨が上がって、秋晴れの良い天気でした。

 

パソコンを見ていましたら、

ウエブエッセイ『老嬢物語』を見つけました。

     

このウエブエッセイは、こちらをご覧ください。

この中で、「第1話 聖母と美神ポッポー」が

面白かった。

 

そうだ、切手の中の老嬢を見つけようと思って

切手帳をめくりました。

 

切手には、若くて美しい人が、沢山取り上げられていますが、

老嬢を見つけるのは難しい。

 

ですが、老婆の切手がありました。

こわーいおばあさん。

     

こちらは、アイスランドのクリスマス切手です。

真ん中の右側の切手の老婆が、

山に住むトロルであるグリーラです。

 

グリーラには、13人の息子がいます。

周囲に描かれているのが、その息子たちです。

息子たちは、クリスマスが近づく12月12日から

一人づつ山から下りて来て、全員が揃うのが

12月24日です。

そして、12月25日から、一人づつ山に帰ります。

 

アイスランドの子供たちは、窓辺に靴を置いて、

毎日一人づつからお菓子などのプレゼントを入れて

くれるのを待ちます。

ただし、悪い子供にはお菓子ではなく、生のジャガイモを

入れていくらしい。

 

老婆のグリーラは、悪い子供をシチューにして食べてしまいます。

グリーラは3度も結婚していて、最初の夫はグリーラが食べてしまった。

2番目の夫は行方不明。

現在の夫レッルージは、怠け者のため、グリーラは夫の分も子供を

さらって来るという。

こわーいですね。

 

欧米のクリスマスは、よい子供にはプレゼントが届くが、

悪い子供には、罰が与えられるという物語が多いです。

 

明日は、老嬢の切手として、

マザーグースを取り上げようと思います。

 

 

 


鉄道記念日

2012年10月14日 | Weblog

今日は、鉄道記念日でした。

新橋→横浜間を、初めて鉄道が走ってから140年。

横浜駅や桜木町駅では、いろいろな行事が開催された模様です。

(私は、行きませんでしたが。)(~o~)

 

     

こちらは、1972年(昭和47年)に発行された鉄道100年記念の切手です。

切手図は、三台広重の「鉄道開業図」の一部分です。

切手の右上には、「汐留ヨリ横濱迄鐡道開業御諸人拝禮之圖」と

書かれています。

 

     

こちらが、切手になった浮世絵全図です。

1872年10月14日に、明治天皇の乗ったお召列車が、

新橋駅を発車するところです。

 

     

図を拡大してみました。

こちらは、150テンダ機関車です。

 

     

こちらは、前から2両目の明治天皇がお乗りになっている車両です。

昔から日本では、貴人の姿は描かない事が多い。

 

列車は、すべてイギリスから輸入されたものです。

正式開業時の列車本数は日9往復、全線所要時間は53分かかりました。

運賃は、上等が1円12銭5厘、中等が75銭、下等が37銭5厘でした。

 

運賃は高く、下等でも米が10キロ買えるくらいのお値段でした。

現在のお米の値段はピン・キリですが、

大体、10キロ4000円~5000円位でしょうか。

現在では、横浜→新橋間450円です。

 

三代広重の「鉄道開業図」は、

お祝いの旗が翻り、提灯が点灯され、

華やかな雰囲気に包まれています。

この列車の乗り心地は、どんなものだったでしょうか。

 

 

 

 


『老子』を読む

2012年10月13日 | Weblog

今日は、月に一度の古典を読む会でした。

現在は『老子』を読んでいます。

     

老子像です。

     

『老子』と言えば、「無為自然」としか知らず、

詳しいことは知らなかった私です。

 

何しろ紀元前6世紀の人の言葉です。

とても難しい。

 

でも、この章は解るような気がします。

 第四十六章(人も国も欲をかくとろくなことがないのだ)

     …人も国も、あれも欲しい、これも欲しいという欲求が

     強いほど大きい罪はない。

     これがわしらの土地だと強欲になるほど大きなわなはなく、

     これだ充分だという満足を知らないことより大きな不幸はない。…

      (翻訳は、『バカボンのパパと読む老子』から取りました。)

     

実際は、漢文の書き下し文で読んでいます。

 

『足るを知る』の老子の思想が、ここにも表れています。

 

『老子』を読んで後、

皆さんと昼食を戴きました。

     

{仕立て屋食堂」のレディスランチです。

お刺身、フライ、シラス豆腐、杏仁豆腐などなど。

美味しかったです。

 

カメラを持って行かなかったので、

携帯の写真で撮り、飾り枠をつけてみました。

 

そして、お話と情報交換を沢山して帰りました。

これが楽しいのです。

皆さん、有難うございます。

 

     

  

 


IMF世界銀行年次総会の切手

2012年10月12日 | Weblog

今日は、日本で開催されている

IMF世界銀行会議の切手が発行されました。

     

私は、横浜中央郵便局で記念押印しました。

最近は、押印する人が減る傾向にあります。

 

大判、小判の切手を選んで押印しました。

ーこれ小判たった一ト晩居てくれろー古川柳。

 

日本で開催されているIMF世界銀行年次総会には、

中国は欠席しました。

政治優先の中国では、

この様な例は今に始まったことではありません。

 

ノーベル文学賞は、中国の莫言氏が受賞しました。

莫言氏の小説は読んだことがありません。

 

村上春樹氏は受賞を逃しましたが、

ノーベル文学賞受賞如何に拘らず、

優れた小説だと思います。

 

 

 

 


村上春樹さんノーベル賞候補

2012年10月11日 | Weblog

村上春樹さんが、ノーベル文学賞の

有力候補に上がっているそうです。

今夜、8時ごろに受賞が決まるそうです。

 

私は、あっと思いました。

昨日、偶然に横浜市移動図書館の

「はまかぜ号」に出会い、

偶然に村上春樹の『ノルウェー森』を

借りたばかりでした。

     

文庫本です。

まだ読み始めたばかりですが、

青春のせつなさ、悲しさを描いて

読みやすい本です。

 

「はまかぜ号」は、

横浜市内21か所を巡回して、

本の貸借を行っています。

 

私は、月に1度は必ず横浜中央図書館へ行きますが、

片道1時間15分はかかります。

こうして図書館の方から来てくれると

本当に助かります。

 

     

「はまかぜ号」はこんな感じ。

写真はWEBからお借りしました。

 

村上春樹さんの受賞を願って、

これからも、村上春樹さんの本を

いろいろと読んでいきたいと思っています。

     

 


国際文通週間の切手

2012年10月09日 | Weblog

今日、国際文通週間の切手が3種発行されました。

 

1957年にカナダのオタワで開催された

第14回万国郵便連合(UPU)大会で決議された

“世界の人々が文通によって文化交流に努め、世界平和に貢献しよう”

という趣旨に基づいて、10月6日から12日の一週間を国際文通週間と

定め,日本では1958年から、毎年、切手を発行しています。

 

 

私は、横浜中央郵便局へ行って記念押印をしてきました。

     

こちらは、90円切手です。

手押し印です。

MCは、すべて私が自分用に作成しました。

 

記念印の「つくばね」は、鏑木清方「初東風」の

女性の着物の紋から採っています。

     

 

 

年号の下のアンダーラインは、

旧郵便局株式会社のままですが、

表示が「横浜」だけになっています。

以前は「横浜中央」でした。

 

こちらが、旧郵便局株式会社の手押し印です。

     

 

 

 

     

こちらは、110円切手です。

旧郵便事業株式会社の手押し印です。

年号の下にアンダーラインがありません。

 

 

     

こちらは、130円切手のMCです。

機械印を押印しました。

 

記念印の桜は、この伊東深水「吹雪」の女性の着物の柄から採っています。

     

 

 

国際文通週間の切手は、

2010年から、美人画に変わりました。

それ以前の東海道五十三次の切手も

途中になってしまって残念でしたが、

美人画もいいですね。

 

 

 

 

 


グリム童話200年

2012年10月08日 | Weblog

グリム童話が、ドイツのヤーコブ・グリムと

ヴィルヘルム・グリムの兄弟によって

編纂されてから200年になります。

 

それを記念して、ドイツから豪華コインシートが発行されました。

     

これは、グリム兄弟をデザインした10ユーロ記念コインと、

グリム童話200年記念の切手10枚のフルシートに

ベルリン局初日印を押印したA4の解説付き台紙です。

記念印は、ベルリン局の初日印が押印されています。

 

     

こちらは、裏面です。

 

  (A4の郵趣品ですと、整理するのに困ることがあります。

  Ltterサイズのリーフを使っている私は、

  A4リーフに変えなければ、郵趣品を貼り込めません。厄介です。)

 

記念切手のMCもあります。

     

記念切手には、「長靴をはいたねこ」「シンデレラ」

「ブレーメンの音楽隊」「ホレおばさん」「かえるの王様」が

シルエットで描かれています。

 

記念印の日付は、2012年6月23日。

消印は、グリム兄弟の生まれた街にある

ハーナウ局の印です。

 

消印の模様は、グリム童話  第1巻(第2版)タイトルページの

口絵「兄と妹」から採られています。

     

これが、その口絵です。

 

泉の水をのんでしまい、鹿になった兄と、

靴下止めをほどいて、兄と自分を結び合わせた

妹を描いています。

 

グリム童話は、ほんとうは、怖いお話だそうですが、

現代の世でも、実の親が、子を殺してしまう事件が報道されたりします。

 

あぁ、グリム童話に似ているなぁと、思うことがよくあります。


島崎藤村展

2012年10月07日 | Weblog

今日は、神奈川近代文学館へ

『生誕140年記念ー島崎藤村展』を見に

娘と行ってきました。

     

島崎藤村展の看板です。

 

     

神奈川近代文学館の玄関です。

扉が原稿用紙の形をしています。

 

     

記念スタンプを押印しました。

 

     

こちらは、藤村展のチラシです。

 

展示は、撮影禁止ですから、

写真は撮りませんでしたが、

藤村の展示としては、

今までにないほど充実していました。

 

長野県小諸市にある藤村記念館の資料や、

岐阜県馬籠にある藤村記念館の資料、

各大学で所蔵している資料、

個人所蔵の資料など、

今までに見たこともない資料があって、

興味が尽きませんでした。

 

     

こちらは、平成5年に発行された島崎藤村の切手です。

背景には、「千曲川旅情の歌」が書かれています。

 

「千曲川旅情の歌」は、長野県小諸市の懐古園に

藤村自筆の石碑があります。

 

     

こちらが、藤村の「千曲川旅情の歌」の石碑です。

昨年、高校の同級会で、小諸懐古園に行った時の写真です。

 

 

     

こちらは、平成2年(1990年)に発行された馬籠・妻籠宿のFDCです。

藤村の生まれた家は、馬籠本陣の家でした。

藤村の『夜明け前』に登場します。

 

藤村は、身近な文豪として私の記憶の中にあります。

藤村のお孫さんとは、高校時代同学年でした。

 

展覧会を見終わって、

港の見える丘公園を歩きました。

 雨に濡れた秋のバラが咲いていました。

     

こちらは、ダイアナ・プリンセス・オブ・ウエールズと名づけられたバラです。

可憐な花で、ダイアナさんを想い出します。

 

     

こちらは、プリンセス・チチブ。

秩父宮妃殿下に捧げられたバラです。

 

     

こちらは、はまみらい。

横浜開港150年を記念して

平成19年に選定されました。

名前は公募して命名されました。

いつ見ても、綺麗で飽きません。

 

雨の中、港の見える丘公園は、

静かでしたが、

午後から雨が止むと

散策の人が増えてきました。

 

文学を観賞するのには

静かでよい日でした。

 

     

     

 


私の意見新聞

2012年10月06日 | Weblog

昨日は、パソコン通信教育の日でした。

かねてから、縦書きの新聞を作って見たかったので、

パソコン通信教育で、

『ぱそこんど~じょ~』の安田法晃先生にお願いして、

「意見新聞」を作ってみました。

   

新聞中の資料は、「農林水産省ーこども農林白書ー」から戴きました。

また、NHKアーカイブスも参考に致しました。

 

内容は、私の意見ですから、異論のある方も居られると思いますし、

舌足らずですが、第一回目のバーチャル新聞社の記事と思って

お許しください。

 

一見、簡単そうに見えますが、結構、難しかったです。

ちょっとしたところでつまずいて、先生にお教え願いましたので、

2回分のパソコン通信教育の時間を使いました。

手直しした方が良い部分もあると思いますが、

これはこれで、作成して楽しかったです。

 

安田先生に感謝申し上げます。


十二単を着た悪魔

2012年10月04日 | Weblog

内館牧子さんの著書『十二単を着た悪魔』を読みました。

ここに書かれている「悪魔」とは、

源氏物語に出てくる悪役の弘徽殿女御を指しています。

     

     

本の内容ですが、次の通りです。

 

主人公の「雷」は、二流大学を出て、50数社を受けても

採用されず、フリーターをしている青年です。

弟は秀才で、京大の医学部にストレートで合格します。

(源氏物語の朱雀帝と光源氏みたいですね。…草子地…)

 

弟のお祝いが、自宅で開かれるという時に、

「雷」は、思いもかけず源氏物語の世界にトリップしてしまいます。

「雷」が源氏物語の世界で、何を見、どう対処したかは、

この本を読んでのお楽しみです。

面白かったです。

ネタバレしてしまうので、書きません。

 

私は、この本を読んで、中国の古典・

唐の沈既済の小説『枕中記』を思い出しました。

 

それは、盧生という青年が、

邯鄲のとある旅籠に立ち寄り、

あわのお粥を注文し、

眠くなって、うとうとと眠ってしまった。

夢でかれは、名家の娘を嫁にもらって

とんとん拍子で出世し、宰相にまで昇りつめる。

一家は富貴繁栄を極め、

幸福な晩年を過ごした。

 

…というところで、目が覚めたら、

盧生は、もとの旅籠に寝ていた。

注文したあわのお粥さえ

まだ、炊き終わっていなかった。

 

という物語がありますが、

この物語に似ているなぁと思いました。

 

この物語と違うところは、

「雷」が、現実の世界に戻ってきても

平安時代の服装をしていたし、

何より、平安時代の言葉を理解し、

平安時代の変体仮名を読めたこと。

「雷」は、これによって国立の

超難関大学の大学院に入学して、

源氏物語の研究をしようと思ったことです。

「雷」に幸あれ。

 

私は、一条天皇の平安時代にトリップしてみたいです。

紫式部にお目にかかって、

聞いてみたいことが山ほどありますので。