明るく楽しい日々を願って。

毎日の平凡な出来事を、日記のように綴ります。趣味の切手も時々アップします。
どうぞ宜しく・・・。

『映画付き』年賀はがき

2011年10月27日 | Weblog

パソコンを開いたら、

郵便事業会社とソニー・ピクチャーズが

映画付き年賀状を、12月1日に発売するという記事が

目に入りました。

 

年賀状に印刷された番号を、

地上デジタル放送対応テレビやパソコンに

入力すると、映画30本のリストから1本選んで

1回だけ見る事ができるそうです。

例として上げられているのが、

「スパイダーマン」「アイアンマン」などの洋画です。

子どもさんがいる家庭なら喜びそう。

 

通常の年賀状の窓口で12月1日から販売し、

1枚300円。

 

郵便事業会社が、年賀状の売上アップを

狙って発売するそうです。

 

初めての試みですから、

買ってみようかと思いますが、

選べる映画の内容が、詳しく判ってから

考えます。

 

横浜の「崎陽軒のシューマイ」が、

35年前から、シューマイを贈れる年賀状を

出しています。こちらをご覧下さい。

今年も、出すでしょうか?

 


九州ジュニア切手展の小型印

2011年10月24日 | Weblog

今日、小型印の作者、澤口尚子さんから、

『第29回 全九州ジュニア切手展』の小型印

を押印したお葉書が届きました。

澤口さんは、『全九州ジュニア切手展』の小型印を

2002年から作成なさっていらっしゃいます。

今まで作成なさった小型印は、今回で99個目。

素晴らしい快挙です。

     

お葉書の宛名面です。

絵も、勿論、澤口さんの作品です。

 

     

お葉書裏面です。

絵もフォントも、きちっと美しく印刷されています。

自分で葉書を作成してみると良く判るのですが、

なかなか、この様には出来ません。

 

100個目の小型印も、これから出るのですね。

100個で終りという事がないように、

どうか、これからも、美しい小型印を作成なさって下さい。

お待ちしています。

 


サンタクロース切手を買って、被災地を支援

2011年10月22日 | Weblog

郵便受けに『Merry Christmas』のシールが貼られた

ポスパケットが届いていました。

 

     

「おや?」ドキドキしました。

もう、クリスマスプレゼント?

 

中を見て、判りました。

これは、日本・フィンランドサンタクロース協会からのもの。

以前、注文したグッズでした。

忘れていました。

 

    

 

     

   

     

日本・フィンランドサンタクロース協会のロゴが入った

フレーム切手と丸型ポストカードです。

 

これは、《被災地に届けよう!サンタクロースの心》という

キャンペーンで、東日本大震災復興支援チャリティの

グッズです。

 

サンタクロースが被災地を訪れた際に、

気持ちを届けてくださるそうです。

 

今年も、フィンランドからサンタクロースが

訪れてるのですね。そして、東北へ行って

子ども達にプレゼントを贈ってくれるのでしょう。

 

少しでも、子ども達が元気になるお手伝いが

出来ると嬉しいです。

 

日本・フィンランドサンタクロース協会の

サイトはこちらです。

 

 


正岡子規フレーム切手

2011年10月21日 | Weblog

昨日、早稲田大学へ行ったついでに、

切手の博物館へ寄りました。

そこで、正岡子規のフレーム切手が出ていましたので

求めました。

     

これは、郵便局株式会社四国支社が、

2011年9月16日に発行したもので、

正岡子規の没後110年と子規記念博物館開館30周年記念

として作成したものです。

 

私は、このフレーム切手を求めたいと思い、

ずっと狙っていました。

 

ご当地フレーム切手は、郵頼しないので、

主にスタマガネットで買っています。

このフレーム切手は、

スタマガネットになかなかアップしないので、

昨日、買うことができて良かったです。

(今日、スタマガネットをチェックしましたら

 アップされていました。)

 

子規記念博物館には、

かれこれ20年前に行きました。

女性の学芸員の方が

丁寧に説明をして下さいました。

もう一度行って見たいです。

 

フレーム切手の左上段の写真は、

明治7年、子規が6、7歳の頃の写真です。

よーく見ると、髷を結っているように

見えます。

産経ニュースによりますと

髷を結っている少年時代とあります。

http://www.museum.or.jp/modules/topNews/index.php?page=article&storyid=1627

 

俳句改革の先駆的役割を果した子規は、

慶応3年生まれですから、

幼い頃は、髷を結っていたのでしょう。

 

急速に進んだ日本の近代化は、

文学の世界にも大きな変化をもたらしました。

正岡子規は、その先鋒に立った一人です。


早稲田大学 源氏物語展

2011年10月20日 | Weblog

早稲田大学で、源氏物語展を開催しているとの

お知らせを横浜中央郵趣会のKさんから戴きました。

Kさんは稲門フィラテリーの会員でもあります。

 

今日は、暇ができましたので、急に思い立って

早稲田大学へ行ってきました。

     

大隈講堂です。

 

     

大隈重信像です。

ここを通り過ぎて、源氏物語展の会場である

中央図書館へ向います。

 

     

中央図書館です。

ここで、『源氏物語~語り継がれる王朝絵巻~』展を

やっています。

 

     

図書館の展示看板です。

 

この展示は、中野幸一先生(早稲田大学名誉教授)が、

収集された源氏物語を中心としたコレクション(九曜文庫)を

展示しているものです。

中野幸一先生は、この資料を早稲田大学図書館に寄贈されました。

インターネットで、その一部を閲覧することが出来ます。

http://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/ga_genji/index.html

 

中野幸一先生は、横浜高島屋友の会や

NHK横浜のカルチャーセンターで、

時々、ご講義をされて居られ、

私はそのご講義を拝聴しました。

 

今回の展示で、私が一番興味があったのは、

下記の資料です。

     

(パンフから、一部アップさせていただきました。)

これは、『偽紫田舎源氏』文政12~天保13年(1829ー1842)の版本です。

源氏物語の舞台を室町時代に移し、

和歌を俳句に変えて翻案したものです。

江戸時代の大ベストセラーになりましたが、

主人公足利光氏の生活が将軍家斉の大奥を

描いたものとされ、発禁となりました。

 

私も、活字本になった『偽紫田舎源氏』を読んでみましたが、

大立ち回りあり、殺人あり、賑やかです。

芝居の脚本を読んでいるようで落ち着きませんでしたので、

読むのを中止してしまいました。

 

最近、ご当地フレーム切手に『偽紫田舎源氏』由来の絵が、

採用されているのが、散見されます。

源氏物語の近世の享受として見逃せないので、

現在調べていますが、その絵が何を表しているか

なかなか判りません。

今日も、展示場に居合わせた図書館司書の方に

聞きましたが判りませんでした。

 

他に、ミニ源氏物語の巻子本や、

豆本が展示されており、その精巧な作りと、

可愛らしさに吃驚しました。

 

小さな展示でしたが、得るところが沢山ありました。

お教え下さいました、Kさんに、改めて御礼申し上げます。


横浜中華街風景印 2

2011年10月19日 | Weblog

今日、横浜中華街郵便局から、

郵頼していた風景印が届きました。

 

ところが、期待に反して印影の薄い風景印が

混じっていました。

 

こちらは横浜山下町局の印影が、ほとんど見えません。

パソコンにアップしましたら、薄く見えますが、

肉眼では、殆ど見えないのです。

 

こちらは、綺麗に押印されていますが、

綺麗に押印されているのは僅かでした。

 

聞くところによると、横浜中華街局には、

ダンボール4個分もの郵頼があったそうです。

 

押印する人も大変だったでしょうが、

押印を依頼する方としては、

1枚、1枚、心して押印して欲しかったです。 

 

きちんと押印して下さった方も居られたでしょうが、

不慣れな方が混じっていて、いい加減に押印した

のでしょうか。

 

これでは、風景印を差し上げるとお約束した人に

何といってお詫びをしたら良いか~。 


横浜中華街風景印

2011年10月18日 | Weblog

2011年10月17日(月)に、

横浜中華街局の風景印が出ました。

前からある横浜山下町郵便局が移転し

それに伴って局名が「横浜中華街局」に

変更になりました。

 

横浜中央郵趣会のKさんから、

下のようなカバーが送られてきました。

     

風景印の局名が変っただけです。

 

他に、横浜中央郵趣会の会長さんからと

横浜旭郵趣会のHさんからも、

横浜中華街局の風景印お葉書を戴きました。

有難うございます。

 

私は、葉書大の紙に10枚ほど郵頼しましたが、

まだ、到着していません。

実逓便ではないので、

遅くなっているのかも。

 

この風景印の図案について

説明いたします。

皆さん、ご存知とは思いますが…。

 

先ず、右手前に描かれているのが、

横浜中華街の牌楼です。

現在は、下の通りの門に建て替えられています。

    

この門の初代は、1955年(昭和30年)に建てられ、

その初代の門が、風景印に描かれています。

 

次に、マリンタワー。

      

これは、先日、港の見える丘公園に行く途中で、

谷戸坂から撮った写真です。

1961年に開業しましたが、

横浜ランドマークタワーが出来て、業績不振となり、

一時閉鎖されていましたが

2009年にリニューアルオープンしました。 

家族で昇った思い出のタワーです。

 

次に、『赤い靴はいていた女の子』像の説明です。

この像は、山下公園にあります。

 

      

童謡の『赤い靴はいていた女の子』は、

横浜の波止場から、異人さんに連れられて

いっちゃった事になっていますが、

実在した女の子は、きみちゃんと言って、

宣教師とアメリカへ行く事になっていましたが、

日本で、結核で亡くなってしまいまいた。 

 

JR横浜駅の中央コンコースに

この像のレプリカがあります。

 

 

次は、桜木町駅の近くに係留されている

日本丸の写真をアップします。

     

総帆展帆された時に撮った写真です。 

 

日本丸は、昭和4年(1930年)に建造された商船学校の

練習帆船でした。昭和60年(1985年)4月から、現在地に

保存されています。

乗船して見学することができます。

 

風景印の遠景には、みなとみらい地区が描かれています。

     

こちらの絵葉書は、横浜の新聞博物館で求めました。

画家の佐久間善行氏の作品です。

 

 

こうして見ますと、横浜中華街局の風景印は、

横浜の港の名所が詰まっていることに

気が付きました。

 

郵頼した私の風景印が、早く戻ってきますように。

 

今度、郵頼ではなく、実際に横浜中華街局へ行って

押印して来たいと思います。

 


林芙美子展

2011年10月17日 | Weblog

昨日、神奈川近代文学館で開催されている

林芙美子展に行ってきました。

          

 神奈川近代文学館へ行く途中の、

《港の見える丘公園》は、

バラの花が咲き残っていました。

     

バラ園と向こうに見える建物は、

1937年に建てられたイギリス領事館だった建物です。

 

バラ園とイギリス館を過ぎて

大仏次郎記念館の後ろに

神奈川近代文学館があります。

     

     

これは、神奈川近代文学館入り口の看板です。

 

     

入場券です。

 

 

展覧会は、林芙美子の生涯を

写真や絵画、文物をまじえて紹介していました。

 私は『放浪記』の芙美子しか知りませんでしたので、

驚くことが沢山ありました。

 

林芙美子は、絵も描いていたのに吃驚。

何点かの絵が展示されていました

 

林芙美子が、義理の父と母に育てられ

貧しく行商で暮らしていたのに、

何故、『放浪記』が書けたかと

疑問でしたが、

この展覧会を見て、

林芙美子は、大勢の方のバックアップが

あったのを知りました。

 

林芙美子は、1930年に『放浪記』がベストセラーになると、

印税で中国旅行に出かけ、

1931年6月には、浅草のカジノ・フォーリーで

『放浪記』が上演されます。

同年、11月には、『放浪記』の印税で

フランスへ旅立ちます。

芙美子28歳の時でした。

 

     

これは、2000年(平成12年)に発行された

20世紀デザイン切手第5集の林芙美子のMCです。

フランスへ旅立った時の写真です。

 

バックの絵は、林芙美子の小説『放浪記』の

表紙で、改造社から出版されました。

装丁は、古賀春江です。

という事も、この展覧会で判りました。

 

1時間30分ばかり、展示を拝見して、

お昼は、文学館の中の

喫茶店へ。

     

     

ここで、和風サンドを戴きました。

スライスチーズに海苔、オリーブ漬けがサンドされています。

 

午後からは、太田治子さんが、

林芙美子について講演会をして下さいます。

          

 

 

太田治子さんのお父様は、太宰治です。

お小さい時に、林芙美子さんが養女にしたいと

言ってこられたそうですが、

それとは無関係に、林芙美子のご研究をされて、

本を出版されました。

     

お話の内容は、大体は、この本に書かれていますが、

林芙美子を巡る人々について

展覧会にも、本にもないお話をなさいましたので、

大変面白く拝聴しました。

 

          

     

講演会の後、本をお持ちになったり

買ったりした人にサインをして下さいました。

     

     

私も、本を会場で求めてサインを戴きました。

 

お話を聞いた人の中には、

遠方からお見えになった方も多く、

茨城や名古屋方面からお越しの方の

居られました。

 

私は、帰ってから、この本を読んで、

夜更かしをしてしまいました。

今日は、いまいち頭がすっきりしません。

 

改めて、文学とは何かを考えさせられました。

   


源氏物語 宿木

2011年10月14日 | Weblog

昨日は、『源氏物語を読む会』でした。

まだ、49帖『宿木』を読んでいます。

この会は自主的に立ち上げた会で、

先生は居られません。

それぞれが、自分に割り当てられた段落を

読んでは訳していますから、予習が必要。

その分、勉強になります。

 

昨日は、巻名『宿木』の出所の歌を読みました。

   やどりきと 思いいでずは 木(こ)のもとの

          旅寝もいかにさびしからまし

薫が宇治に居て、独り言のようにお詠みになった歌です。

 

私は、宿木とは、このようなものと思っていました。

     

よく見かける、桜の木などに寄生している宿木です。

 

ところが、源氏物語の『宿木』はのことだったんです。

     

 これは、松の木に這いかかる蔦の葉です。

(二つの写真は、WEBの中のフリーの写真を拝借しました。)

蔦の葉は、木に宿っているように見えます。

 

薫は、宇治の山荘の紅葉した蔦を取って、

京の二条の院に居る中の君に送ります。

中の君は、匂宮の妻となって懐妊中ですが、

匂宮(源氏の孫)は、他に夕霧右大臣(源氏の息子)の

娘・六の君を妻に迎えて居ます。

 

中の君は鬱々として過します。

そこへ匂宮が訪れて、中の君を琵琶を弾いて慰めます。

 

『国宝源氏物語絵巻』にあるこの場面は、

日本郵政が、大層お好きでたびたび切手になって居ます。

一枚一枚スキャンしてブログに載せるのは面倒ですので、

昨年、切手の博物館で催された『文学と切手展』に

出展したリーフをアップしました。

 

 『宿木』の切手は、この他にも2点ありますが

またの機会にアップしようと思って居ます。

 

『源氏物語』を読みはじめて15年。

メンバーの中には、お亡くなりになった方や

お身体を毀された方、

ご家族がお身体を悪くされた方が居られますが、

無理しないで、読み進めて参りましょう。

 

『源氏物語』は、日本人の読んで見たい本第1位だそうです。

しかも、原文で読み進めているグループはそう多くない

と思います。

皆さん、宜しくお願いします。


北海道・羊が丘に羊を放つ

2011年10月12日 | Weblog

今日は、上天気。

北海道の羊が丘に羊を放ちました。

 

といっても、パソコン上で、フリーの写真を加工して

バーチャルで画像を作成したのです。

 

今日は、パソコン通信教育の日でした。

「写真をカンタンに切り抜く」方法と、

その画像を、別の写真に貼り付ける方法を学びました。

 

私が選んだのは、フリーの写真素材の中から

北海道の羊が丘の写真です。

 

それから、羊と子犬の写真。

この写真を、「Picture Cutout Guide」というソフトを

使って切り抜きます。

その写真を「PictBear」というソフトを使って

羊が丘の写真に貼り付けます。

この二つのソフトは「無料」ソフトです。

 

     

先ず、羊を貼り付けました。

     

次に、子犬を貼り付けます。

子犬は、ゆくゆくは、羊の番をさせようと思っています。

もう一匹、羊を貼り付け、

奥の方に小さく二匹の羊を貼り付けました。

子羊も、お母さん羊の後ろに貼り付けて完了。

よ~く見ると、あらが目立ちますが、

今日は、これで勘弁して下さい。

 

楽しかったです。

この方法を使って、私が、世界の国々へ

旅行したように見せることも出来ますし、

大好きなスターの横に立っているように

見せることも出来ます。

 

でも、それは公開しません。フ・フ・フ。

 

「パソコンど~しょ~」の安田先生、有難うございます。

出来の悪い生徒ですが、今後とも宜しくお願いします。

      

 


天地は無情

2011年10月08日 | Weblog

今日は、月に1度の古典を読む会(歩む会)の

例会でした。女性ばかりの会です。

現在、『老子』を読んでいます。

      

前にも、ブログにアップしましたが、

テキストは角川ビギナーズ・クラシックスの中の

一冊です。

初心者向けのテキストです。

 

私は、今日読んだ箇所で、テキストの第5章の

「天地は無情」という語句に共感しました。

原文を下に書きますと、

  『天地不仁 以万物為芻狗

   聖人不仁 以百姓為芻狗』

  意味は、天地は無情のもので、万物に対して

  わら細工の子犬の見るような扱いをします。

  聖人も同じく無情で、万物に対して

  (自分が治めなければならない)人民に対して

  わら細工の子犬を見るような扱いをします。

 と、書かれています。

 

3.11の大地震も9月の台風も、

天地は無情で、過酷なものでした。

家も、工場も、車も、みんな大津波や

河川に流されて、

まるで、わら細工のように、流されてしまいました。

自然を征服したと思っても、

それ以上に天地は、もの凄い力で人間に襲いかかります。

 

2500年以前に書かれた『老子』に

畏敬の念を抱きました。

 

            

 

『老子』読了後、

有志でお昼にスパゲッテイを頂き、

いろいろとお話をしました。

雑談の中に学ぶ事が沢山あります。

皆さん、有難う。

 

帰り道、Aさんが、ススキの群生している場所で

ナンバンギセルの花を見つけて下さったので、

携帯のカメラで写真を撮りました。

     

暗いススキの藪の陰で、ひっそりと咲いていました。     

        


国際文通週間の切手

2011年10月07日 | Weblog

今日は、国際文通週間の切手が発行されました。

昨年と同じく美人画の切手です。

東京中央局の初日印を押印しました。

     

 これは、上村松園の「鼓の音(つづみのね)からデザインを取っています。

原画は松伯美術館が所蔵しています。

 

こちらは、伊東深水の「楽屋」です。

原画は明治座が所蔵しています。

 

こちらは、鏑木清方の「たけくらべの美登利」です。

原画は京都近代美術館が所蔵しています。

(葉書絵をスキャンしましたら、何故か縦線が入ってしまいました。)

 

樋口一葉は「たけくらべ」を

明治29年(1896年)4月に文芸倶楽部に発表しましたが、

一葉は、この時、すでに肺結核に犯されていました。

同じ年の11月23日に病没してしまいます。

25歳の若さでしした。

 

一葉の文章は、読点で切りながら、

長々とセンテンスが続きます。

一葉は、15歳の時に、中島歌子の主宰する「萩の舎」に

入塾して、源氏物語を学びました。

センテンスが長いのは、源氏物語の影響でしょうか。

 

「たけくらべ」を読むと、明治の香りと源氏物語の

影響が見て取れます。

 

鏑木清方は、樋口一葉の絵を、

この他に2点残しています。

     

 これは、昭和26年4月10日に発行された文化人切手の

樋口一葉のFDCです。

カシェに描かれているのは

当時24歳の鏑木清方が描いた

「一葉女史の墓」の絵です。

築地本願寺の一葉女史の墓に、

「たけくらべ」のヒロイン美登利を幻想して

製作されました。

 

            

京橋局の5Fでの東京中央局の押印は、

年々、押印する人が少なくなっています。

高齢化で、郵趣をお止めになる方が増えている

のでしょうか。

 

綺麗な切手に、綺麗な消印を押印して、

友人に手紙を出すって、素敵ですよね。

若い方も、メールばかりでなく、

是非、記念印を押印して手紙を出してみてください。

 

 


レモンの日

2011年10月05日 | Weblog

1938年(昭和13年)の10月5日に、

高村光太郎の妻、智恵子が亡くなりました。

それに因んで、

今日、この日を『レモンの日』と決めたそうです。

 

 『レモンの日』の基になった高村光太郎の詩

『レモン哀歌』の抜粋を、ここに記します。

 

 わたしの手からとった一つのレモンを

 あなたのきれいな歯がかりりと噛んだ

 トパアズいろの香気が立つ

 その数滴の天のものなるレモンの汁は

 ぱつとあなたの意識を正常にした

 ………

 智恵子はもとの智恵子となり

 生涯の愛を一瞬に傾けた

 それからひと時

 昔山巓(さんてん)でしたような深呼吸を一つして

 あなたの機関はそれなり止まった

 写真の前にさした桜の花かげに

 すずしく光るレモンを今日も置こう

          昭和十二年四月作

 

「トパアズいろの香気」というフレーズが忘れられなくて

この詩を暗唱しました。

 

智恵子は、洋画家の道を進みますが、

病に犯され、病院で千数百点もの紙絵を作ります。

その一枚が「20世紀デザイン切手」の

耳紙に取り上げられています。

     

     

耳紙にパンジーの紙絵があります。

 

同じシートに高村光太郎の切手がありますので

MCをアップします。

       

高村光太郎の詩と彫刻は、

厳しいものと思っていましたが、

『智恵子抄』では、

愛に満ちたやさしさが溢れています。 

 

今日は、私もレモンティを頂き光太郎・智恵子を

偲びました。

     


同級会

2011年10月04日 | Weblog

信州小諸の山の温泉・常盤館で、

10月2日・3日と高校時代の同級会がありました。

     

東京駅を長野新幹線で出発。

 

     

東京駅新幹線ホームから、

工事中の東京中央郵便局が見えました。

真ん中の建物です。

随分、大きい。

 

     

     

軽井沢から、しなの鉄道に乗り換えて小諸まで。

しなの鉄道は第三セクターの運営です。

がらがらに空いていました。

 

小諸から、旅館のマイクロバスで、

常盤館へ。

 

常盤館は、森林の中で、空気が澄んでいます。

     

常盤館の窓から見た風景です。

 

ここの温泉は、ケーブルカーでゴトゴト山に登って、

大きな盥の露天風呂に入ります

丁度、昇ってきた三日月を眺めながら、

入った温泉は格別でした。

 

 ここは、私達の高校の同窓の方が経営者です。

     

大歓迎して下さいました。

そして、とってもサービスをして下さいました。 

 

     

夕食の数々です。

     

おつくりは信州サーモンが入っています。

  

          

信州牛の朴葉屋焼きです。

 

          

鯉の甘露煮です。

 

その他、天麩羅、茶碗蒸し等、食べきれない程。

 

男性諸君は、清酒にビール、焼酎などを

沢山、きこし召してご機嫌でした。

 

そうそう、参加者は13名。

最近の同級会は、だいたい十数名で、

参加者は決まってきています。

 

2次会の話題は、原発の話、最近の政治情勢などなど。

私達は、グレードの高いお話をしている…と自画自賛。

 

次の日は、希望者で小諸市内を見学。

 またまた、『マンズワイン小諸』へ。

     

ブドウ畑には、まだ葡萄が生っていました。

 

     

庭には、巨大な素焼の甕がありました。

この甕は、ドンキホーテとサンチョ・パンサで有名な

スペインのラ・マンチャ地方で、

今でも現役として使われている

ワインの発酵と熟成の容器だそうです。

 

     

ワイン工場の付属施設・万酔園のお庭です。

お茶室、あずま屋もありました。

 

     

こちらは、善光寺ぶどうの原木です。

善光寺の鐘の音が聞こえる範囲にできる葡萄で、

絶滅しかけた葡萄をマンズワインが再発見し

移植した葡萄の木だそうです。

樹齢は、約100年ということでした。

 

私は、ここで、甘口赤ワイン 

ルージュ・ルージュ・ルージュの小瓶と

ワインビネガーを買いました。

 

次に向ったのは、小諸懐古園です。

お目当ては、島崎藤村記念館。

      

 

     

藤村記念館と藤村の胸像です。

 

     

藤村の『千曲川旅情の歌』の歌碑の前でパチリ。

 

    

展望台から見た千曲川です。

 

   

小諸城の石垣です。

 

     

懐古園入り口にある郵便ポスト。

現役です。

 

     

お昼には、懐古園側にある、

「草笛」というおそば屋さんで、盛りそばを食べました。

信州蕎麦は、やはり美味しいです。

 

ここで、解散しました。

来年もまた、元気で会いましょう。

 

私は、しなの鉄道に乗って帰ります。

     

浅間山が、白い噴煙を上げて見送ってくれました。

「…ふるさとの山は有難きかな…。」