明るく楽しい日々を願って。

毎日の平凡な出来事を、日記のように綴ります。趣味の切手も時々アップします。
どうぞ宜しく・・・。

野沢北高校同級会《しゃもじ会》

2007年10月17日 | Weblog
 今年も、10月15日、16日と高校時代の同級会が開かれました。
《しゃもじ会》といいます。
担任の先生のお顔が、しゃもじにそっくりで先生の綽名を
頂いて会の名前にしました。

場所は、群馬県の磯部温泉です。


大きなホテルでした。

集ったのはクラスメート41名の内17名。6名の方がお亡くなりに
なってしまわれました。
高校卒業後50年目の同級会です。同期の学年は6クラスありましたが
私たちのクラスだけが同級会をしています。

それには、幹事さん達のご努力がありました。
生みの親の高見澤大輔さん、ありがとうございます。



今年の幹事さんたち。 お世話になりました。



ご馳走の数々。地元特産のこんにゃくの天ぷらが珍しかった。



湯量が豊富で、顔がつるつるしました。


  
このホテルは「すずめのお宿」といわれています。
なんでも、明治の童話作家、巌谷小波が、ここで舌切り雀のお話を
書いたからだそうです。


翌日は、ゴルフに行く組と市内見学組みに別れました。
私は、見学組。
横川の鉄道博物館に行きましたが、生憎、休館日でした。
そこで、2000年に発行された群馬県のふるさと切手、
横川の「めがね橋」のFDCをアップします。


この切手は、信越線が長野・新潟まで走っていた頃の
碓氷峠の「めがね橋」と、列車を走らせるための「丸山変電所」を
描いています。
現在は、長野新幹線、上越新幹線にとって変わられ、
ここは使われていません。
めがね橋は、昔は、信越線の汽車の窓から眺めることが出来ました。


「富岡製糸場」

次に、地元の鷹野さんのご案内で、富岡製糸場に行きました。



富岡製糸場は明治5年(1872年)、明治政府が日本の近代化のために
最初に設置した製糸場です。世界に生糸を輸出するために、日本政府は
最新式製糸機械を備えた模範工場を作り、品質の良い生糸の作り方の
見本を示すことにしました。

そして、明治3年横浜のフランス商館勤務のポール・ブリューナを招請し
各県を調査し、富岡に製糸場を作ることにしました。
何故、富岡にしたかというと
   1、富岡付近は生糸を作るのに必要な繭が確保できるから。
   2、広い土地があるから。
   3、製糸に必要な水の確保が出来るから。
   4、燃料の石炭が、近くの高崎で採れるから。
   5、地元の協力が得られたから。
だそうです。



ポール・ブリューナです。奥さんと2人のお子さんを伴って、富岡に
やって来ました。
ブリューナは技術者をフランスから連れてきたり、様式機械を日本人の
体格に合うように注文して取り寄せたりしました。


富岡製糸場は、明治26年(1893年)に三井家に払い下げられ、
明治35年(1902年)横浜の生糸商・原合名会社(原三渓)に渡り、
昭和14年(1939年)片倉製糸紡績会社(長野・諏訪)の所有になり
昭和62年(1987年)まで操業を続けました。
今は、富岡市に寄贈されています。

長野県→富岡製糸(群馬県)→横浜の関連が判りました。

平成17年国の史跡に指定され、平成18年(2006年)には明治8年以前
の建物が重要文化財に指定されました。

平成19年(2007年)に国の世界遺産暫定リストに加えられました。



繰糸場の前でパチリ。


明治の操糸場。女工さんと外国人の指導者たち。

見学が終わって、とても寒かったので、地元名物のうどん
《おっきりうどん》を食べました。


具だくさんで暖かくて、美味しかった。

食事後、鷹野さんのお知り合いの磯部煎餅製造
販売元に行きました。お店は休日でしたが、
特別に開けて下さいました。
名物、磯部煎餅をお土産に買いました。


このお煎餅は、温泉水を使って作っています。
ゴマ入り、青海苔入り、味噌入りなど味も
豊富です。美味しかったよ~。

このお店のご主人が、松の盆栽を数多く作っていて
見せて貰いました。樹齢300年もある立派な盆栽も
ありました。

これで、同級会は終わりました。

来年は、私を含めて3人が幹事だそうです。
皆さん、横浜でやりたいとの事。
責任重大

皆さん、ご協力を。







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