今年も、10月15日、16日と高校時代の同級会が開かれました。
《しゃもじ会》といいます。
担任の先生のお顔が、しゃもじにそっくりで先生の綽名を
頂いて会の名前にしました。
場所は、群馬県の磯部温泉です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/b9/4ba5c224ebf5032464b5e55df639b7d7.jpg)
大きなホテルでした。
集ったのはクラスメート41名の内17名。6名の方がお亡くなりに
なってしまわれました。
高校卒業後50年目の同級会です。同期の学年は6クラスありましたが
私たちのクラスだけが同級会をしています。
それには、幹事さん達のご努力がありました。
生みの親の高見澤大輔さん、ありがとうございます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/86/f24ea17a4b9f0d5388f8fc5bd26aa617.jpg)
今年の幹事さんたち。 お世話になりました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/6d/4a01a1cd91e9f08a942da640edd41bf5.jpg)
ご馳走の数々。地元特産のこんにゃくの天ぷらが珍しかった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/70/4dbb0e66629323feaa58b4d136fc0bc4.jpg)
湯量が豊富で、顔がつるつるしました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/db/7e2af6fdac490f3187dd4241c1567dae.jpg)
このホテルは「すずめのお宿」といわれています。
なんでも、明治の童話作家、巌谷小波が、ここで舌切り雀のお話を
書いたからだそうです。
翌日は、ゴルフに行く組と市内見学組みに別れました。
私は、見学組。
横川の鉄道博物館に行きましたが、生憎、休館日でした。
そこで、2000年に発行された群馬県のふるさと切手、
横川の「めがね橋」のFDCをアップします。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/96/08864193ba95da0b8d6065420e4f128d.jpg)
この切手は、信越線が長野・新潟まで走っていた頃の
碓氷峠の「めがね橋」と、列車を走らせるための「丸山変電所」を
描いています。
現在は、長野新幹線、上越新幹線にとって変わられ、
ここは使われていません。
めがね橋は、昔は、信越線の汽車の窓から眺めることが出来ました。
「富岡製糸場」
次に、地元の鷹野さんのご案内で、富岡製糸場に行きました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/5f/19ec124b30256477499f91bb7cf84611.jpg)
富岡製糸場は明治5年(1872年)、明治政府が日本の近代化のために
最初に設置した製糸場です。世界に生糸を輸出するために、日本政府は
最新式製糸機械を備えた模範工場を作り、品質の良い生糸の作り方の
見本を示すことにしました。
そして、明治3年横浜のフランス商館勤務のポール・ブリューナを招請し
各県を調査し、富岡に製糸場を作ることにしました。
何故、富岡にしたかというと
1、富岡付近は生糸を作るのに必要な繭が確保できるから。
2、広い土地があるから。
3、製糸に必要な水の確保が出来るから。
4、燃料の石炭が、近くの高崎で採れるから。
5、地元の協力が得られたから。
だそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/2c/0123ffed954255b8d5ad38955fb32965.jpg)
ポール・ブリューナです。奥さんと2人のお子さんを伴って、富岡に
やって来ました。
ブリューナは技術者をフランスから連れてきたり、様式機械を日本人の
体格に合うように注文して取り寄せたりしました。
富岡製糸場は、明治26年(1893年)に三井家に払い下げられ、
明治35年(1902年)横浜の生糸商・原合名会社(原三渓)に渡り、
昭和14年(1939年)片倉製糸紡績会社(長野・諏訪)の所有になり
昭和62年(1987年)まで操業を続けました。
今は、富岡市に寄贈されています。
長野県→富岡製糸(群馬県)→横浜の関連が判りました。
平成17年国の史跡に指定され、平成18年(2006年)には明治8年以前
の建物が重要文化財に指定されました。
平成19年(2007年)に国の世界遺産暫定リストに加えられました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/99/f6361a27d7e6d37da10ed38c70356c25.jpg)
繰糸場の前でパチリ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/88/7af761d28292e13122f0922c924907ae.jpg)
明治の操糸場。女工さんと外国人の指導者たち。
見学が終わって、とても寒かったので、地元名物のうどん
《おっきりうどん》を食べました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/22/4f644a74809729fad48b4e044e123e2a.jpg)
具だくさんで暖かくて、美味しかった。
食事後、鷹野さんのお知り合いの磯部煎餅製造
販売元に行きました。お店は休日でしたが、
特別に開けて下さいました。
名物、磯部煎餅をお土産に買いました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/3f/c5ede63a6ee1d2a477c3ed9e0e90fad7.jpg)
このお煎餅は、温泉水を使って作っています。
ゴマ入り、青海苔入り、味噌入りなど味も
豊富です。美味しかったよ~。
このお店のご主人が、松の盆栽を数多く作っていて
見せて貰いました。樹齢300年もある立派な盆栽も
ありました。
これで、同級会は終わりました。
来年は、私を含めて3人が幹事だそうです。
皆さん、横浜でやりたいとの事。
責任重大![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_ase2.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/atten.gif)
皆さん、ご協力を。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hamster_2.gif)
《しゃもじ会》といいます。
担任の先生のお顔が、しゃもじにそっくりで先生の綽名を
頂いて会の名前にしました。
場所は、群馬県の磯部温泉です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/b9/4ba5c224ebf5032464b5e55df639b7d7.jpg)
大きなホテルでした。
集ったのはクラスメート41名の内17名。6名の方がお亡くなりに
なってしまわれました。
高校卒業後50年目の同級会です。同期の学年は6クラスありましたが
私たちのクラスだけが同級会をしています。
それには、幹事さん達のご努力がありました。
生みの親の高見澤大輔さん、ありがとうございます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/86/f24ea17a4b9f0d5388f8fc5bd26aa617.jpg)
今年の幹事さんたち。 お世話になりました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/6d/4a01a1cd91e9f08a942da640edd41bf5.jpg)
ご馳走の数々。地元特産のこんにゃくの天ぷらが珍しかった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/70/4dbb0e66629323feaa58b4d136fc0bc4.jpg)
湯量が豊富で、顔がつるつるしました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/ab/e06c8afbd08939f5a05bc7a87d0aee96.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/db/7e2af6fdac490f3187dd4241c1567dae.jpg)
このホテルは「すずめのお宿」といわれています。
なんでも、明治の童話作家、巌谷小波が、ここで舌切り雀のお話を
書いたからだそうです。
翌日は、ゴルフに行く組と市内見学組みに別れました。
私は、見学組。
横川の鉄道博物館に行きましたが、生憎、休館日でした。
そこで、2000年に発行された群馬県のふるさと切手、
横川の「めがね橋」のFDCをアップします。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/96/08864193ba95da0b8d6065420e4f128d.jpg)
この切手は、信越線が長野・新潟まで走っていた頃の
碓氷峠の「めがね橋」と、列車を走らせるための「丸山変電所」を
描いています。
現在は、長野新幹線、上越新幹線にとって変わられ、
ここは使われていません。
めがね橋は、昔は、信越線の汽車の窓から眺めることが出来ました。
「富岡製糸場」
次に、地元の鷹野さんのご案内で、富岡製糸場に行きました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/5f/19ec124b30256477499f91bb7cf84611.jpg)
富岡製糸場は明治5年(1872年)、明治政府が日本の近代化のために
最初に設置した製糸場です。世界に生糸を輸出するために、日本政府は
最新式製糸機械を備えた模範工場を作り、品質の良い生糸の作り方の
見本を示すことにしました。
そして、明治3年横浜のフランス商館勤務のポール・ブリューナを招請し
各県を調査し、富岡に製糸場を作ることにしました。
何故、富岡にしたかというと
1、富岡付近は生糸を作るのに必要な繭が確保できるから。
2、広い土地があるから。
3、製糸に必要な水の確保が出来るから。
4、燃料の石炭が、近くの高崎で採れるから。
5、地元の協力が得られたから。
だそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/2c/0123ffed954255b8d5ad38955fb32965.jpg)
ポール・ブリューナです。奥さんと2人のお子さんを伴って、富岡に
やって来ました。
ブリューナは技術者をフランスから連れてきたり、様式機械を日本人の
体格に合うように注文して取り寄せたりしました。
富岡製糸場は、明治26年(1893年)に三井家に払い下げられ、
明治35年(1902年)横浜の生糸商・原合名会社(原三渓)に渡り、
昭和14年(1939年)片倉製糸紡績会社(長野・諏訪)の所有になり
昭和62年(1987年)まで操業を続けました。
今は、富岡市に寄贈されています。
長野県→富岡製糸(群馬県)→横浜の関連が判りました。
平成17年国の史跡に指定され、平成18年(2006年)には明治8年以前
の建物が重要文化財に指定されました。
平成19年(2007年)に国の世界遺産暫定リストに加えられました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/99/f6361a27d7e6d37da10ed38c70356c25.jpg)
繰糸場の前でパチリ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/88/7af761d28292e13122f0922c924907ae.jpg)
明治の操糸場。女工さんと外国人の指導者たち。
見学が終わって、とても寒かったので、地元名物のうどん
《おっきりうどん》を食べました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/22/4f644a74809729fad48b4e044e123e2a.jpg)
具だくさんで暖かくて、美味しかった。
食事後、鷹野さんのお知り合いの磯部煎餅製造
販売元に行きました。お店は休日でしたが、
特別に開けて下さいました。
名物、磯部煎餅をお土産に買いました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/3f/c5ede63a6ee1d2a477c3ed9e0e90fad7.jpg)
このお煎餅は、温泉水を使って作っています。
ゴマ入り、青海苔入り、味噌入りなど味も
豊富です。美味しかったよ~。
このお店のご主人が、松の盆栽を数多く作っていて
見せて貰いました。樹齢300年もある立派な盆栽も
ありました。
これで、同級会は終わりました。
来年は、私を含めて3人が幹事だそうです。
皆さん、横浜でやりたいとの事。
責任重大
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_ase2.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/atten.gif)
皆さん、ご協力を。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hamster_2.gif)