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ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

見聞録001妖怪VS三匹の侍

2015年09月07日 | ケダマン見聞録

 これはまた、こことはまったく時空の異なる世界での話なんだが、世情としては、倭国の江戸時代初期、まだ、戦国の名残のある頃を想像してくれたらいい。
 その異次元世界では人間も動物もほぼ対等に生活している。犬猫の哺乳類はもちろんのこと、蛇や蜥蜴などの爬虫類、蛙などの両生類、また、昆虫でも、ある程度(蛙ほど)の大きさのものであれば、互いにコミュニケーションが取れるほどの知能を持っている。人間もまた、彼らの誰とでも意思の疎通を図ることができる。
 その世界ではまた、妖怪と呼ばれるようなモノもたびたび出現する。妖怪の多くは、彼らの世界だけに暮らし、人間や動物に干渉することは無いのだが、中には人間や動物に悪さをするモノもいる。苦しみや悲しみが大好きで、人間や動物たちが殺し合いをしていた戦国時代は彼らの格好の活躍場所であった。世の中が平和になりつつある頃、彼らの数はだいぶ少なくなったが、それでもまだ数匹が残って、あちこちで悪さを働いていた。
 その内の1匹が、ある時からある村に出没するようになった。その妖怪は、人間の心の中にある善と悪とを操ることのできる恐ろしい妖怪であった。彼が現れてからというもの村はエライコッチャになっていた。村人の誰もが突然、心に潜む悪が普段の善を押しのけて表面に出てくるようになった。皆が妖怪に操られてしまっているのだ。人々は互いに不信感を抱くようになり、ギスギスした雰囲気に村は包まれていた。
 村人の中でも徳のある数人は、妖怪の魔力に負けずにいた。彼らはある日、同じく妖怪の魔力に操られにくい心を持つ動物たちを加えて集り、「このままでは村人同士の殺し合いになりかねない。どうしたものか。」と相談した。結果、「そうだ、強い侍を雇って、妖怪を退治させよう。」ということになった。映画『七人の侍』の真似である。
 そんなところへ、たまたま武者修行中の武士三匹がやってきた。まったく、「飛んで火に入る夏の武士」であった。村人たちは強い侍を探しに行く手間が省けたのである。ここは『七人の侍』とは違うところ。三匹は三匹とも真面目な性格で、いわゆる、正義の味方であったため、村人に妖怪退治を頼まれると、報酬無しでその仕事を快く引き受けた。この辺りもまた、『七人の侍』とは違うところ。そしてさらに、三匹は人間では無かった。知能を持った虫であった。名前をそれぞれカブトブシ、クワガタブシ、コガネブシという三匹の武士。これはまったく、『七人の侍』とは大きく違うところである。

 さて、三匹の武士は、村に着いたその日は妖怪の情報を村人に聞きながら、村人たちのご馳走する料理や酒を味わい、唄い、踊り、しまいには酔って、管巻いて、だらしなく寝たのであるが、さすが武士、翌朝はしゃきっとして、さっそく妖怪退治に出かけた。
 三匹は妖怪が出没するという林の中へ分け入った。妖怪はまるで三匹を待っていたかのように、あっさりとそこにいた。妖怪は三匹をジロッと睨んで、そして言った。
 「誰だお前ら、何しに来た?」
 「お前を退治しに来たんだ、覚悟しろ!」とコガネブシが言う。
 「お前らが俺をか、ハッ、ハッ、ハッ、笑わせやがる。」そう言う妖怪を黙って、じっと見つめていたカブトブシは思い出した。その妖怪には覚えがあった。以前、今、目の前にいるのと同じ形をした妖怪の話を聞いていた。悪名高き妖怪であった。カブトブシは、
 「さてはきさまウタマサタマ。」と叫んだ。妖怪はそれに答えず、逆に訊く。
 「何だそれは、早口言葉のつもりか?」
 「何を言うか、真面目な戦いだぞ!早口言葉なんて言うものか!」
 「ほー、そうかい。じゃあ、今の言葉を3回繰り返して言ってみろ。」
 「さてはきさまウタマサタマさてはきさまウタマサタマさてはきさまウタマサタマ」
 「おー、なかなかやるな。オマエはどうなんだ?」とクワガタを見る。クワガタも
 「さてはきさまウタマサタマさてはきさまウタマサタマさてはきさまウタマサタマ」と少し危なかったが、何とかつっかえずに言えた。妖怪はコガネの方を向いて、
 「三匹目のオマエはどうだ?」と言う。
 「さてはきさまウタマサタマさてはきたま、うたまたまった、またたたっ・・・」とコガネはつっかえてしまった。金色の顔が青くなり、額から汗が流れた。
 「ハッ、ハッ、ハッ、何だそりゃあ、ちっとも言えていないじゃないか。顔を洗って出直して来い。今回は俺の勝ちと言うことだ。ハッ、ハッ、ハッ。」と高笑いを残して、妖怪ウタマサタマはスーッとその場から消えた。
 「ちっ、ちくしょう」とコガネはその場に崩れるようにして膝をついた。「無念」と唇を噛んで悔しがる。クワガタがコガネの肩を叩きながら声をかける。
 「しっかりしろコガネ。しょうがない。俺たちの負けだ。修行のやり直しだ。」
 「そうだな。修行の旅を続けようぜ。」とカブトも優しく言う。そして、三匹は村人たちに別れも告げず、その場を去っていった。
     
 
 近くで戦いの一部始終を見ていた村の娘、お鼻(誤字では無い、可愛いけれど、鼻だけがやけにでかいのでそういう名)が傍にいた長老に向かって、
 「戦いって、早口言葉の戦いだったの?」と訊いた。長老は怪訝なそうな顔で、
 「さー、わしにも何だかさっぱり解らん。」と答え、そして、
 「とにかくつまり、結局、妖怪は残っているってことだ。困ったもんだ。」と続けた。で、長老の言う通り「困ったもん」はその後も長く村人たちに悪さをし続け、村人たちのいがみ合い、憎しみ合いは長く続き、しだいに酷くなって、しばらくして、村は荒廃し、住む人もいなくなったということである。恐るべし、妖怪ウタマサタマなのであった。

 以上がユーナに語った『妖怪対三匹の侍』の物語であるが、その話が終わると、
 「物語って、最後に必ず正義は勝つってことになっているのに、これは違うね。正義が必ず勝つわきゃ無いってことを言ってるんだね。」との感想を述べた。さすが、この半年私と付き合ってきただけのことはあるようだ。賢い少女に育っているようである。

 語り:ケダマン 2006.11.3


これだけは伝えたい夢機械

2015年09月04日 | 通信-科学・空想

 先週金曜日(28日)は沖縄の重要伝統行事、旧盆の最終日ウークイ(御送り)であった。旧盆の初日から供える菓子や果物も、私は母が例年やっていた量の10分の1も供えていない。ウークイの日は重箱を供える。箱の一つには沖縄で言うシシカマブク(肉と蒲鉾)の他、煮物、天ぷらなどの御馳走が詰められる。その他、中味汁(豚の臓物の汁)や酢のもの、サーターディンガク(サトイモに砂糖とショウガを加え、煮たもの)など手間のかかる料理も母は供えていた。私はそれを極端に単純化し、供えるのはシシカマブクの入った重箱のみ、それもスーパーで売られていた最も小さいものにした。
 供え物が少なく小さいのには正当な言い訳がある。寺に位牌を預けてあるが、そこの仏壇がコインロッカーみたいなもので小さいのだ。小さいのでたくさんは置けない。それともう一つ、実家で旧盆をやっている頃は、親戚の数人が集まった。供え物の重箱料理もお菓子も果物も、何人かで分けてそれぞれ持ち帰った。寺での旧盆は私一人でやっている。食べ物は全て私一人で持ち帰る。したがって、供える量は私一人で食える分となる。

 旧盆は3日間の行事だが、去年は、ウンケー(御迎え)の日とウークイの日にしか私は寺へ行かなかった。その両日はお迎えと見送りという具体的な意味合いがあったからだ。であったが、今年は旧盆前に、「旧盆中は先祖がそこにいる、3日間ともおもてなしをしなければならない」と思い出し、「ナカヌヒー(中日)はぜんざいを供える」とラジオから聞いて、ナカヌヒーである27日も、ぜんざいを買って寺へ出かけた。
 その時、同じ寺の同じ部屋に位牌を預けてある従姉のK子に会った。K子は自分の仏壇のやるべきことを一通り済ませた後、私の仏壇にやってきて、「あんた、泡盛はウサゲ(御捧げ)ないの?あんたのオジー、酒好きだったさぁ」と言う。母の好きなワイン、父の好きなビールは供えたが、祖父母の好きなものはすっかり忘れていた。「そうだな、オジーオバーにもたっぷり世話になったからな、明日は供えるよ」となった。
 祖父の好きなものは泡盛、それは私もよく承知している。祖父が存命だった頃、まだ小学校低学年だった私は、酒を買いによく使いに出された。では、祖母の好きだったものは何だったか?と脳味噌を探る。豚肉の脂身を思い出す。が、それは重箱料理に入っているので他に何か?と考え、「あっ、そうだ、オバーは煙草好きだった」と思い出した。
          

 先週のガジ丸通信『これだけは伝えタイムマシン』を書きながら、「あー、あの時あーしていれば・・・」と、私の個人的な悔いが頭の中をいくつか巡った。
 今から30余年前、それまで何度かデートしていたM女に偶然出合い、しばらく立ち話をして別れたが、別れ際の彼女の表情が気にかかった。その時それを一大事と感じていれば、私は彼女に「こんな俺で良ければ」と伝えたかもしれない。それから間もなく彼女は結婚した。これだけは伝えたい夢マシンがあれば、そのことに先ず使いたい。
 「オバーは何が好きだったっけ?」と考えている時、「俺はオバーに冷たかったな」と思い出した。祖母は後妻ということもあって遠慮していたのか、家の中ではとても大人しかった。父や母の言うことにあまり逆らわなかった。子供の私にはそれが「弱い人」と映った。なので私は、祖母を少しバカにしているところがあったように思う。祖母は優しかった。今思えば後悔だ。「ありがとう、そして、ごめん」と祖母に伝えたい。 
          

 記:2015.9.4 島乃ガジ丸


果実酒4

2015年09月04日 | 飲食:飲物・嗜好品

 私が借りている300坪の畑、その北側境界にはバンジロウの木が30本ばかり生垣のように列植されている。バンジロウとは耳馴染みが無いだろうが、一般にはグヮバという名で良く知られた果物。この約30本のグヮバは、この畑の前の借主、友人のTが植えたもので、私が彼からバトンタッチした3年前から既に実を着ける成木であった。
 グヮバには品種がいろいろあって、Tの植えたグヮバはTによると「グヮバ茶用の品種で、葉をお茶にする」もの。だが、「だけど、実も美味しいよ」とTは言っていた。一昨年は台風にやられ食べることができず、去年も台風にやられほとんど収穫できなかったのだが、1個だけ台風の難を逃れた実を食うことができた。まあまあ美味かった。
 今年、そのグヮバは多くの実を着けていた。「今年は豊作だ、売れるかも」と新米農夫はほくそ笑んでいたのだが、またも台風。それでも「多く」の内の2割くらいは残った。残ったけれど、熟してくると何者か(カメムシの類か?)に齧られる。齧られると売り物にならない。ならばどうするか?と考えるまでも無く酒の材料にした。

 齧られた箇所、傷の着いた箇所、何かの原因で黒ずんだ箇所を削り採って細かく砕く。砕いたものを広口瓶に入れ、糖分が足りないと思い、加える。糖分・・・三温糖でもキビ糖でもなく今回はオリゴ糖。実家にあったもので賞味期限を確認すると2007年7月となっている。それでも、「アルコールになりゃ、腹を壊すこともあるまい」と使った。できあがり5合のグヮバ酒にオリゴ糖1000ミリグラム全部を加えた。酵母が着いていると思われる皮も半分は入っているので、イースト菌は入れない。
 仕込んだのは8月15日、絞ったのは22日、冷蔵庫に入れ寝かせて、25日に試飲。滓は瓶底に沈んでいたのだが、とろみがあった。アルコールは十分あるように感じた。不味くは無いが、やはりオリゴ糖の量が多かったのか、糖の全てがアルコールに変わったわけでは無いのか、私には甘すぎた。とろみも私には少々気になった。
     
     
     

 グヮバはまだあった。第1回醸造グヮバ酒を試飲した数日前には、前回の倍以上の量のグヮバが溜まっていた。生食でも不味くは無いが飽きる。で、やはり酒にする。
 前回、砕く作業が面倒で時間がかかったので、今回はスライサーで細かくスライスしたのだが、これもまた、面倒で時間がかかった。で、決心。電動機具を使うのは避けようと決めていたのだが、ミキサーを購入。貧乏人の財布の口は酒のためなら緩む。
 スライサーで細かくスライスしたのが入っている広口瓶に、ミキサーでとろとろにしたものをどんどん加えていく。たくさんのグヮバは3リットル入り広口瓶の8割方を占める量となった。今回はオリゴ糖では無くキビ糖を加え、軽く蓋をし、棚に安置。
 その翌朝、目覚めると部屋の中はグヮバの匂いで満ちていた。「まさか」と思いつつ棚を見ると、第2回醸造グヮバ酒は発酵して泡だって、蓋を押しのけて瓶から溢れ、流れ出ていた。戻せる分は瓶に戻したが、「あー、何てこと。1合は損した」だった。
 万が一溢れた場合を考えて、広口瓶は流しに置き、蓋は被せる程度とした。午後、家に帰ると、万が一のことが起きていた。「あー、これで2合は損だ」となった。広口瓶を流しに置いたまま1時間後に見たら、ブクブクと盛んに泡立っていた。
 8月26日に絞って、約9合のグヮバ酒ができた。翌日試飲。アルコール度数は第1回醸造グヮバ酒より低いように感じたが、甘ったるくは無い。香りはグヮバの香りで良いのだが、とろみが少々あって味はイマイチ。「何かもう一工夫必要だな」と感じた。
     
     

 グヮバはまだまだあった。三度(みたび)酒にした。ミキサーでトロトロにしてキビ糖を加えるまでは前回と一緒で、これに「一工夫」した。一工夫などと大げさに言うほどでは無いかもしれない。気になるとろみを薄めるために水を加えただけのこと。
 第3回醸造グヮバ酒は仕込んで数日後、蓋を開け匂いを嗅ぐとこれまでより強い刺激臭がした。臭いのでは無い、アルコールの刺激だ。「酒だ、酒に間違いない」と確信を持つ程の匂い。水を加えたことが「とろみを薄める」効果の他に、アルコール発酵を促進する効果となって現れたのかもしれない。化学は苦手だったので詳細は不明。
 第3回醸造グヮバ酒、仕込んだのは8月24日、絞ったのは9月1日、約1升のグヮバ酒ができた。冷蔵庫で冷やして翌日試飲、酸味が少々強い、苦味も少しある。そういったところが気になるが、前回のよりは飲みやすい。アルコールも十分。第1回より第2回、第2回より第3回が良くなった。まだまだ工夫すれば良くなるはずだ。
     

 グヮバはさらにあった。またも酒にした。第4回醸造グヮバ酒、仕込んだのは8月27日、これはこれまでと大きく違う点があったので、その報告は次回。

 記:2015.9.2 ガジ丸 →沖縄の飲食目次