ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

これだけは伝えたい夢機械

2015年09月04日 | 通信-科学・空想

 先週金曜日(28日)は沖縄の重要伝統行事、旧盆の最終日ウークイ(御送り)であった。旧盆の初日から供える菓子や果物も、私は母が例年やっていた量の10分の1も供えていない。ウークイの日は重箱を供える。箱の一つには沖縄で言うシシカマブク(肉と蒲鉾)の他、煮物、天ぷらなどの御馳走が詰められる。その他、中味汁(豚の臓物の汁)や酢のもの、サーターディンガク(サトイモに砂糖とショウガを加え、煮たもの)など手間のかかる料理も母は供えていた。私はそれを極端に単純化し、供えるのはシシカマブクの入った重箱のみ、それもスーパーで売られていた最も小さいものにした。
 供え物が少なく小さいのには正当な言い訳がある。寺に位牌を預けてあるが、そこの仏壇がコインロッカーみたいなもので小さいのだ。小さいのでたくさんは置けない。それともう一つ、実家で旧盆をやっている頃は、親戚の数人が集まった。供え物の重箱料理もお菓子も果物も、何人かで分けてそれぞれ持ち帰った。寺での旧盆は私一人でやっている。食べ物は全て私一人で持ち帰る。したがって、供える量は私一人で食える分となる。

 旧盆は3日間の行事だが、去年は、ウンケー(御迎え)の日とウークイの日にしか私は寺へ行かなかった。その両日はお迎えと見送りという具体的な意味合いがあったからだ。であったが、今年は旧盆前に、「旧盆中は先祖がそこにいる、3日間ともおもてなしをしなければならない」と思い出し、「ナカヌヒー(中日)はぜんざいを供える」とラジオから聞いて、ナカヌヒーである27日も、ぜんざいを買って寺へ出かけた。
 その時、同じ寺の同じ部屋に位牌を預けてある従姉のK子に会った。K子は自分の仏壇のやるべきことを一通り済ませた後、私の仏壇にやってきて、「あんた、泡盛はウサゲ(御捧げ)ないの?あんたのオジー、酒好きだったさぁ」と言う。母の好きなワイン、父の好きなビールは供えたが、祖父母の好きなものはすっかり忘れていた。「そうだな、オジーオバーにもたっぷり世話になったからな、明日は供えるよ」となった。
 祖父の好きなものは泡盛、それは私もよく承知している。祖父が存命だった頃、まだ小学校低学年だった私は、酒を買いによく使いに出された。では、祖母の好きだったものは何だったか?と脳味噌を探る。豚肉の脂身を思い出す。が、それは重箱料理に入っているので他に何か?と考え、「あっ、そうだ、オバーは煙草好きだった」と思い出した。
          

 先週のガジ丸通信『これだけは伝えタイムマシン』を書きながら、「あー、あの時あーしていれば・・・」と、私の個人的な悔いが頭の中をいくつか巡った。
 今から30余年前、それまで何度かデートしていたM女に偶然出合い、しばらく立ち話をして別れたが、別れ際の彼女の表情が気にかかった。その時それを一大事と感じていれば、私は彼女に「こんな俺で良ければ」と伝えたかもしれない。それから間もなく彼女は結婚した。これだけは伝えたい夢マシンがあれば、そのことに先ず使いたい。
 「オバーは何が好きだったっけ?」と考えている時、「俺はオバーに冷たかったな」と思い出した。祖母は後妻ということもあって遠慮していたのか、家の中ではとても大人しかった。父や母の言うことにあまり逆らわなかった。子供の私にはそれが「弱い人」と映った。なので私は、祖母を少しバカにしているところがあったように思う。祖母は優しかった。今思えば後悔だ。「ありがとう、そして、ごめん」と祖母に伝えたい。 
          

 記:2015.9.4 島乃ガジ丸


果実酒4

2015年09月04日 | 飲食:飲物・嗜好品

 私が借りている300坪の畑、その北側境界にはバンジロウの木が30本ばかり生垣のように列植されている。バンジロウとは耳馴染みが無いだろうが、一般にはグヮバという名で良く知られた果物。この約30本のグヮバは、この畑の前の借主、友人のTが植えたもので、私が彼からバトンタッチした3年前から既に実を着ける成木であった。
 グヮバには品種がいろいろあって、Tの植えたグヮバはTによると「グヮバ茶用の品種で、葉をお茶にする」もの。だが、「だけど、実も美味しいよ」とTは言っていた。一昨年は台風にやられ食べることができず、去年も台風にやられほとんど収穫できなかったのだが、1個だけ台風の難を逃れた実を食うことができた。まあまあ美味かった。
 今年、そのグヮバは多くの実を着けていた。「今年は豊作だ、売れるかも」と新米農夫はほくそ笑んでいたのだが、またも台風。それでも「多く」の内の2割くらいは残った。残ったけれど、熟してくると何者か(カメムシの類か?)に齧られる。齧られると売り物にならない。ならばどうするか?と考えるまでも無く酒の材料にした。

 齧られた箇所、傷の着いた箇所、何かの原因で黒ずんだ箇所を削り採って細かく砕く。砕いたものを広口瓶に入れ、糖分が足りないと思い、加える。糖分・・・三温糖でもキビ糖でもなく今回はオリゴ糖。実家にあったもので賞味期限を確認すると2007年7月となっている。それでも、「アルコールになりゃ、腹を壊すこともあるまい」と使った。できあがり5合のグヮバ酒にオリゴ糖1000ミリグラム全部を加えた。酵母が着いていると思われる皮も半分は入っているので、イースト菌は入れない。
 仕込んだのは8月15日、絞ったのは22日、冷蔵庫に入れ寝かせて、25日に試飲。滓は瓶底に沈んでいたのだが、とろみがあった。アルコールは十分あるように感じた。不味くは無いが、やはりオリゴ糖の量が多かったのか、糖の全てがアルコールに変わったわけでは無いのか、私には甘すぎた。とろみも私には少々気になった。
     
     
     

 グヮバはまだあった。第1回醸造グヮバ酒を試飲した数日前には、前回の倍以上の量のグヮバが溜まっていた。生食でも不味くは無いが飽きる。で、やはり酒にする。
 前回、砕く作業が面倒で時間がかかったので、今回はスライサーで細かくスライスしたのだが、これもまた、面倒で時間がかかった。で、決心。電動機具を使うのは避けようと決めていたのだが、ミキサーを購入。貧乏人の財布の口は酒のためなら緩む。
 スライサーで細かくスライスしたのが入っている広口瓶に、ミキサーでとろとろにしたものをどんどん加えていく。たくさんのグヮバは3リットル入り広口瓶の8割方を占める量となった。今回はオリゴ糖では無くキビ糖を加え、軽く蓋をし、棚に安置。
 その翌朝、目覚めると部屋の中はグヮバの匂いで満ちていた。「まさか」と思いつつ棚を見ると、第2回醸造グヮバ酒は発酵して泡だって、蓋を押しのけて瓶から溢れ、流れ出ていた。戻せる分は瓶に戻したが、「あー、何てこと。1合は損した」だった。
 万が一溢れた場合を考えて、広口瓶は流しに置き、蓋は被せる程度とした。午後、家に帰ると、万が一のことが起きていた。「あー、これで2合は損だ」となった。広口瓶を流しに置いたまま1時間後に見たら、ブクブクと盛んに泡立っていた。
 8月26日に絞って、約9合のグヮバ酒ができた。翌日試飲。アルコール度数は第1回醸造グヮバ酒より低いように感じたが、甘ったるくは無い。香りはグヮバの香りで良いのだが、とろみが少々あって味はイマイチ。「何かもう一工夫必要だな」と感じた。
     
     

 グヮバはまだまだあった。三度(みたび)酒にした。ミキサーでトロトロにしてキビ糖を加えるまでは前回と一緒で、これに「一工夫」した。一工夫などと大げさに言うほどでは無いかもしれない。気になるとろみを薄めるために水を加えただけのこと。
 第3回醸造グヮバ酒は仕込んで数日後、蓋を開け匂いを嗅ぐとこれまでより強い刺激臭がした。臭いのでは無い、アルコールの刺激だ。「酒だ、酒に間違いない」と確信を持つ程の匂い。水を加えたことが「とろみを薄める」効果の他に、アルコール発酵を促進する効果となって現れたのかもしれない。化学は苦手だったので詳細は不明。
 第3回醸造グヮバ酒、仕込んだのは8月24日、絞ったのは9月1日、約1升のグヮバ酒ができた。冷蔵庫で冷やして翌日試飲、酸味が少々強い、苦味も少しある。そういったところが気になるが、前回のよりは飲みやすい。アルコールも十分。第1回より第2回、第2回より第3回が良くなった。まだまだ工夫すれば良くなるはずだ。
     

 グヮバはさらにあった。またも酒にした。第4回醸造グヮバ酒、仕込んだのは8月27日、これはこれまでと大きく違う点があったので、その報告は次回。

 記:2015.9.2 ガジ丸 →沖縄の飲食目次