「骨の記憶」楡周平 文藝春秋 2009年(初出別冊文藝春秋2006年11月号~2008年9月号)
「Cの福音」で犯罪の世界を描いて本読みたちの話題をさらって以来10年の年月が経過した楡周平。「Cの福音」以降は彼の作品を読んだ記憶がない。読んだ可能性もあるが、その内容に全く記憶がない。新作が出ても決して手にも取らない作家の一人になっていた。そんな楡が今までのテイストとは違う作品を出してきた。その表紙からパラパラめくった中身から何やら泥臭い臭いがツーンと漂っており、それがこの「骨の記憶」を読む理由となった。
時代は昭和33年から現代にまで至る長い戦後史と言ってもよいだろう。いわゆるネタで読ませるミステリーではないので何を書いてもネタバレにはならないと思うが注意して以下にレビュー&感想を書いていこう。
冒頭、岩手の貧しい風景から始まる。年老いた妻清枝には重い病気を患う夫がいる。妻が身を削って夫に尽くす姿には心を打たれる。思わず本をギュッと握り締めてしまった。その妻の元に一通の手紙と宅急便が届く。そこには自分が15歳のときに失踪した父親について詳しく書かれていたのだ。父はとっくに死んでいてその死の真相には自分の愛する夫が関わっていた。それを読み、彼女はそれまで自分を大切にしてくれた夫への思いと、父の死に関わったという夫に対する葛藤を感じる。プロローグはここで終わり。
第一章からは当然、彼女と夫と彼女の父親の関係が描かれていくと期待した。しかし流石は楡周平。第一章から延々と続く物語は、上記の手紙を送ってきた、夫とは同級生だった男の視線から描かれる。最初はなぜこいつ長沢一郎の視点から描かれるのかその必然性を疑いながら読んでいた。しかし読み進める内にその疑問は解け、そして読後長沢一郎の視点から描かれたからこそ面白い物語になったのだろうと納得した。
長沢一郎はとても貧しい境遇にある。金持ちの弘明(後に清枝の夫となる)とは仲良し。彼と遊んでいる内に教師をしている清枝の父親の死に関わってしまう。そのトラウマを抱えつつ、集団就職で東京は中野のラーメン屋に勤める一郎。しかし金銭的にも肉体的にも非常に厳しい職場。そこで一郎はその後の自分の人生を大きく変える事態に遭遇する。それは彼にとって幸運な事態だったか、それとも深刻な不幸を巻き起こす事態だったのか。
いやいやいや。こういう本は久しぶりに読んだ。感覚としては宮本輝の「流転の海」シリーズを読んだ感覚と極めて近い。金とそれに絡む人間、いや日本人を泥臭くも熱く語るシリーズだ。この「骨の記憶」は長沢一郎という一人の男性の東京での生活、流転を通して重厚長大な戦後日本を垣間見ることが出来る傑作人間ドラマだ。
ミステリーとして捕らえることが出来るのは、冒頭に清枝宛に届いた手紙の差出人は行方不明になったはずだと彼女は思う。その行方不明になるまでの過程がミステリー的文脈で語られるということが一つ。もう一つは清枝の父の死の真相。さらにもう一つはこの貧乏な長沢一郎は今後どうなっていくのだろうかというドラマが「謎が提示されそれが解決されるカタルシスをミステリーと言う」(新保博久氏)だとすればギリギリミステリーのボーダーラインに乗っていると思う。
戦後すぐの貧しく混沌とした日本。それが未曾有の好景気になり、バブルへと向かう様と長沢の生涯とが実に上手くクロスオーバーしてる。背景を書きすぎると単なる薀蓄小説になるし、経済の背景を書きすぎればビジネス駄作小説となる。背景を書かなすぎると、今度は特に近頃の若者にはよく分からない小説となっていまう。「骨の記憶」はこのジレンマを実に上手く回避しほどよい描写となっているのがまた良い。
書かれている事柄は実はとても幅広い、運送業や不動産ビジネス、代議士の口利きというった裏側から、男女の愛情、憎悪、男の嫉妬。人間を動かすその動力源とは何なのか、自分を他人をモティベート出来ない人には特にそれがこの「骨の記憶」から学び取ることが出来る骨になる。
しかし第六章、終章そしてエピローグで展開される人間の業。憎悪の行き着く先。ストーリー展開が非常に現実的な話だっただけに尚更背筋が凍る思いをした。
※ 余談
とても些細な事であるのだが、目次が間違っている。
となっているが、
実際には394頁から第六章が始まる。目次など間違っていてもこの本に関しては何の影響もありはしない。改版のときあるいは文庫化の際には訂正してもらいたいものだ。天下の文藝春秋もこんなミスをするのかと思うとそれもまた面白い。
さて、「骨の記憶」というタイトルの意味をずっと考えていた。最終頁でまるで骨が記憶の中から何かを語ったようだった。この本全体が骨が自分の記憶を語ったという風に私は解釈した。「骨と沈黙」というレジナルド・ヒルのミステリーと何か関連があるかと思ったが特にないようだ。
では、また。
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てか、てかてか、すみません…この人の名前、なんて読むんでしょうか^^;
「にれしゅうへい」と読みます。
「楡」なんて漢字なかなか読めないし普段使わないですよね。
楡が木の種類だとは分かりますが、どんな木だか分かりません。
まず、杉下清枝の父の名:
28ページ3行目「杉下良治」
66ページ6行目「杉下徳治」
105ページ最終行「杉下良治」
そして、全編にわたって登場する「弘明」:
235ページ10行目「弘信と一緒に杉下を埋めたこと。」
ずいぶんあちこち間違ってますね。
現在私が読んでいる本にもあります。
印刷の方法が昔と変わったことがその原因なのでしょうか?
誤字だったのが、そうではなくて何か意味があると「わざとそうした」と思うことありますよね。何の作品だか忘れてしまったのですが、わざとそうした作品を読んで驚いた記憶があります。
楡周平さんの本はほとんど読了しているつもりですが、本書の傾向の変遷は
ある意味面白いな~と
(最近、好きな作家さんが傾向変化して、ワタシ好みじゃなくなっただけに、
傾向変化しても、感興覚える楡周平さんに高評価してます)
誤字については気付きませんでしたが・・・・
それでも、読了して満足感タップリ。
ラストの展開にいろいろと言いたいことがあるのも然りだと思います。
が、読者に想像させてくれますね~ と。
おっしゃる通り、読者に想像させてくれる=いい小説 だと思います。
逆に想像の余地がない、誰もが同じようにしか感じないような画一的な
小説には最近興味がなくなってきました。
作家が傾向変化して、好みじゃなくなることってありますよね。うんうん。
ミステリーから時代ものに移行する作家が多いのですが、それも
良かったりそうでもなかったり。
ここは特に読書ブログだとは謳っていないのですが、本のレビューは
割と多いです。気が向いたらまた読んでみて下さいませ。