フォレスタの散歩道(パート4へ) 東日本大震災の20日前、2011年2月にスタートしたこのブログも1000回を超えた

概ね2~3日毎の更新、1回に3題の記事をめどとして来たが、以後間隔や記事の数などに捉われずに更新することとしたい。

いよいよ白内障の手術/命の水

2016-10-18 14:36:25 | 日記

   いよいよ白内障の手術が明日(右眼)と明後日(左眼)に迫った。私にとっては待望の手術である。”待望”というのは白濁した水晶体を除去したあとに人工レンズを入れるのだが、そのレンズで私の強度の近視の程度を弱めることが出来るからである。今まで眼鏡なしではプールや温泉の大浴場では人の顔が分からないし、海水浴では帰る場所も分からなくなる。それが弱い近視に矯正できるというのである。但し私は眼鏡無しで暮らせることは望んでいない。60年近くかけている眼鏡はもう顔の一部であり、私の人相であるからだ。今日これをブログに取り上げたのは手術前の状況を記しておいて、術後にどう変わったのか分かるようにするためである。
   その現状であるが、①近視としては左右とも視力0.05程度 ②眼鏡による矯正で左1.0、右0.7程度である ③字や物がにじんで見える。右眼では少しにじみ、左だけでは字が二重になる。とにかく景色が見づらく落ち着かない ④右眼で空を見上げると青空にならず白いカスミがかかる。左ではまあまあの青空として見える ⑤薄暗くなったり、蛍光灯だけだと新聞・書物やパソコンの字が読みにくくなり、眼鏡をはずして棟方志功のような格好で読むようになる ⑥総合してとにかく鬱陶しい
   さあて手術後はどうなるだろうか。

[中国旅行余話] 命の水

   先月の中国旅行から帰国してひと月以上が経ってしまい、話題の色も褪せてしまったが、予定の「余話」が残っているので”消化”しておく。
   中国で気が付くのは飲み水の大切なことだ。日本ではいつでもどこでも飲み水には苦労しないが、それは例外的なことなのかもしれない。いわゆる水の硬度が高く、飲料に適さない国が少なくない。中国もそうだが、水道水は始めから飲用になっていない。飲み水は「鉱泉水」、日本で言えばミネラルウォーターを飲む。家庭でも鉱泉水を飲用や料理に使う。外ではペットボトルの鉱泉水を持ち歩く人が多い。私に言わせれば「命の水」なのである。中国では街頭や駅などに自販機はなく、その代り鉱泉水を売っている店が大変多い。ホテルには必ずペットボトルがサービスとして置いてある。因みに中国では無人の自販機を置くなど考えられないという。現金が盗まれるからだ。
   それはともかく旅行3日目、北京から山東省濰坊市に移動する時に「命の水」を実感した。朝6時半にホテルをチェックアウトしてから午後1時過ぎまで一滴も水が飲めず、本当にノドがカラカラに乾いたのだ。北京南の新幹線駅の待合室で買うチャンスもあったのだが、新幹線内でサービスにペットボトルが配られたことを思い出して買わずに乗った。しかしサービスで配るどころか、社内販売にも来なかったのだ。周りの客は当然のように皆ボトルを持っている。車内には飲用水はないのに、カップラーメンに使う熱湯は無料で使えるようになっている。日本と違う文化の中で私は日干しになりそうな渇きを経験したのである。
   余話の中の余談だが、研修生として日本に来ていた教え子を東京案内などをしていた時のこと、彼女らは決まって自販機で飲料を買い、私にも持たせた。私には邪魔な持ち物なのだが、彼女らがボトルを持って歩くことはもう染みついた習慣なのだと、遅ればせながら気が付いた次第である。

 

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ノーベル文学賞/ホームカミングデイ/バスで

2016-10-16 23:38:27 | 日記

   選考委員も粋な決定をしたもんだなと思った。今年のノーベル文学賞がボブ・ディランに決まったことだ。日本人としては今年こそ村上春樹の名を聞きたかったので、またしてもお預けに終わってしまったのは残念至極である。いつまで待たされるのであろうかと思う。
   だが冒頭の私の感想そのものが昨日の新聞の投書欄に載った。曰く「実に粋なノーベル文学賞!・・」とあった。私は別にディランのファンでも何でもなかいが、アチラの曲のBGM(聞くともなしに聞こえて来る)的存在だった。ということで改めて彼について書くようなものは持ち合わせていない。

   昨日は母校大学のホームカミングデイというイベントに出かけた。お目当ては落語研究会OBによる寄席。例年楽しみにしているのだが、特に今は私の携わるコミュニティ活動の行事「初笑い寄席」でここのメンバーの一員に出演していただいているので顔繋ぎという面もあった。今年は時間を取って構内のメインストリートである銀杏並木の模擬店で買ったビールと焼き鳥を片手に大道芸などを楽しみ、その後落語を聞きに入った。どの出演者も本当に玄人はだしの芸なのである。(写真はガマの油の大道芸、南米音楽の演奏、落語の高座)
  

   母校のイベントに行くのに新宿直行のバスに乗った。一時間ほどかかる路線である。幸い空席があり座れたのだが、乗車口の近くなので乗り心地が悪い。お年寄りが乗って来たら席を譲る羽目になるからだ。案の定10分くらいで私より年長の方が乗って来たので席を譲った。周りには私より若い乗客がいるけど知らんぷりだ。そこまではまあ想定の範囲だった。だがそのあとのこと、席を譲った人が降りる時に私の横に立っていた人が素早くその席に座った。譲られた人も一言「ありがとうございました」と私に告げてくれればこんなことはなかったはずだが・・。結局終点の一つ前まで立つ羽目になった。72歳の私、そのバス内では年配者だったけど、日本ではそんなもの気遣いの対象ににはならないのだろう。そう言えばつい最近、優先席に座った若者が年配者や障がい者がいてもスマホに夢中を装って無視するのを嘆いた投書を目にしたが、そういう光景は十分に想像できる昨今である。

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やっと運動会が/東京で大停電/ポーランドの古都の思いで

2016-10-13 18:32:57 | 日記

   暦の上では秋真っ盛りというところだが、今年はどうもぐずついた天気が続いている。私が見守り当番を勤める小学校の運動会も天気に祟られた。本番に向けての練習にも支障があったたが、8日(土)の本番では開会ほどなく雨が降り出して中止になったと聞いた。9日(日)の予備日に順延になったが、その予備日も雨で開催見送りになり、本来振替休日であった11日(火)にやっと実施された。3度目の正直といったところか。
   ただ平日の開催だけに仕事を持つ保護者の参観が懸念されたが、思ったよりはたくさんの参観があり、盛り上がっていた。私は用事があって午前の一部しか見られなかったが、見られた限りでは児童たちが一生懸命練習をした成果が出ていたな、と思い嬉しかった。  

  

  首都東京で58万軒と言うとてつもない規模の停電が発生した。昨日のことである。戦時中の空襲でもあるまいに、と思った人も多いのではなかろうか。何でも埼玉県新座市の地下で東電の送電用ケーブルの漏電で火災が発生し、送電が止まったのだと言う。テレビのニュースではもうもうと上がる黒煙や電車休転の光景が映し出されていた。幸い我が家には影響がなかったので他人事に思えて傍観するだけだったが、こんな事故(?)で電気が止められた側にとってはとんでもない災いであろう。生活のインフラとしてはガスや水道、あるいは交通手段などいろいろあるだろうけれど、電気に勝るインフラはないのではないか。極端に言えば電気無しでは生活のシステムが成り立たない。新聞には信号が止まっている写真があったが、安全装置の停止や誤作動、コンピューター制御のコントロール不能や暴走など考えたら恐ろしい。今回そうした二次被害が報じられていないのは不幸中の幸いとすべきか。

   昨日の新聞(朝日)でポーランドの映画監督A・ワイダ監督の死が大きく取り上げられていた。私は代表作である「灰とダイアモンド」という作品名くらいしか知らないのだが、日本の文化に造詣が深いことを知らされた。
   ただブログに取り上げたのはそういうことではなく、氏の活動の拠点であるクラクフという古都のことである。かつてはポーランド王国の首都が置かれていて日本の京都にあたるような歴史的な都市で、私も一度訪ねたことがあるがとても印象深い。とりわけ市の中心部にあり、周囲の堀に映る光景が美しいヴァヴェル城が見どころなのだが、現地の人が案内につけてくれたガイドの妖精のような顔・姿ときれいな英語がワイダ氏の記事で懐かしく思い起こされた次第である。

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阿蘇山の噴火に思う/孫娘のブラバン(吹奏楽)が金賞

2016-10-10 12:54:19 | 日記

   今年は大地震に台風被害と災害が続く熊本県で今度は阿蘇山が噴火した。36年ぶりの爆発的噴火ということだが、広い範囲にわたる降灰の被害だけで幸い死傷者が出なかったことは救いである。「火の国」と呼ばれる熊本のシンボルである阿蘇山だが、実は「阿蘇山」という名の山頂はない。今回噴火した中岳を中心にして並ぶ5峰を「阿蘇5岳」と呼んでいる。九州の大分と熊本の両工場に勤務した私は何度もその火口を訪ねているが、噴火の危険から時に登山禁止に遭うこともあった。巨大なすり鉢のような火口を覗くと異様な地肌と地底から発するような轟音及び噴煙に身じろぎするほどの迫力がある。日頃は火口近くまで車やロープウェイで上ることができ、写真も撮れる観光スポットであるが、一旦噴火となるとその爆発力はもの凄いものだろうということは想像できる。
   火山噴火の降灰については、鹿児島の桜島の思い出がある。鹿児島市に出張した日、「天文館」という繁華街で会食に向かっている時に、晩時だというのに日傘を差して歩くご婦人の姿が目に入った。「何でこんな時間に日傘?」と思ったのだが、翌朝その謎が分かった。ホテルの外は一面真っ白になっている。夜の間に桜島の灰が積もっていたのだ。昨晩の日傘は降り始めた灰に対するものだった訳である。
   道を歩くと通り過ぎる車が灰を巻き上げている。道路はモウモウの灰塵。こんな時は店舗は大変なことになる。記事では読んでいたが、やはり「百聞は一見に如かず」である。その後帰りの時間まで観光バスでショート・トリップ。城山から眺めた市街地は灰まみれになっており、手洗いのついでに髪を梳いたらすごい量の灰がクシに残った。こういう所生で活をすることの大変さを知った。

   孫娘が中学の部活の吹奏楽コンクールで、千葉県大会ー東関東大会を勝ち抜き、昨日は最終の東日本大会で金賞に輝いたという。息子からの連絡で今朝の新聞を見たら各県代表の出場30校の中で他の8校とともに金賞を受賞したようだ(順位はつけない)。千葉県大会を聴いた時に身贔屓ではなく上手だと思っていたが、結果としては同県出場中学345校のトップに立ったということが出来る。さらに別の大会の全国器楽演奏コンクールの予選を突破して今月末の本戦に出場が決まったという。会場が都内なので私も家内と聴きに行くことにしたが、孫娘にとっては中学校生活の貴重な経験になることだろう。

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ラオックスでワンストップ・ショップを/大隅氏のノーベル賞受賞にあたり

2016-10-07 10:58:49 | 日記

   昨日投稿の続きになるのだが、私の教え子をはじめ中国人5人を引き連れて銀座を案内していた時のこと。目抜き通りに「Laox」の店明かりと「免税専門店」の文字がが見えた。私はラオックスは家電量販店としか考えていなかったので、「えっ? 秋葉原じゃあるまいし」と思った。それで今朝ネットで調べてみると、何んと今ではラオックスをは家電量販店ではなく「大手総合免税店」として扱われ、ラオックス自身も「国内最大規模の免税店」を看板としているのだそうだ。銀座には中国人旅行客等の”爆買い”を当て込んで出店(2軒)したものであろう。そういえば経営者も中国人に変わっているのだとか。その店舗まで行ってみると午後8時で閉店しており中には入れなかったが、店内案内表示には1~3階で家電製品のほか理美容品、化粧品、民芸品、服飾品など、中国人旅行客が買いたいものを一通り揃えているのが分かる。いわゆる「ワンストップ・ショップ」である。2日前には秋葉原のヨドバシに買い物の案内をしたのだが、これは知らなかった。銀ブラも合わせて楽しめるし、今後中国人の買い物はここに連れて来るに限ると思った次第。

   今年のノーベル賞ウィークが始まり、その先陣を切って「生理学・医学賞」で東京工業大学栄誉教授の大隅良典氏の受賞が発表された。最近は毎年のように日本人が受賞するようになり喜ばしい限りである。
   大隅氏は既にさまざまな賞を受賞していてノーベル賞も時間の問題だろうと言われていたようだが、私はその研究の「オートファジー」という現象など知りもしなかった。人間が一日に必要なタンパク質は食事で摂取するより体内の細胞の不要なタンパク質を分解して再利用する方がずっと多いのだそうだが、そうすると巷間叫ばれている食事の栄養っていうのは何なんだと思ったりする。
   氏の功績や経歴などは多く報道されているので触れないが、年齢からすると間違いなく学生時代のある時期私も同じキャンパスに通っていたことなる。全く見知り合いでないが、いささかでも”袖すり合う”縁があったのであろうか。研究紹介の記事には仕事で携わった時の用語などが懐かしく思い起こされた。

 

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