フォレスタの散歩道(パート4へ) 東日本大震災の20日前、2011年2月にスタートしたこのブログも1000回を超えた

概ね2~3日毎の更新、1回に3題の記事をめどとして来たが、以後間隔や記事の数などに捉われずに更新することとしたい。

中止が相次ぐ花火大会の事情/平尾昌晃さん逝去/国会閉会中審査で疑惑晴れぬまま逃げ切り

2017-07-25 17:33:09 | 日記

   夏本番の花火シーズンを向かえて各地の花火大会が中止の危機に直面しているとテレビで取り上げていた。理由は協賛金が集まりにくくなってることもあるが、警備費用が嵩んでいるからだという。事故やトラブルを防止するための警備の強化が主因になっているようで、観る側のマナーにも問題があるようなのだ。荒川河川敷で開催される足立花火大会では土手や草原にカラースプレーで陣取りをする不心得者がいることを前にテレビ放送で視たことがあるが、今では開催3日前から警備員を配置してこうした違法の取締をしているそうだ。自分さえよければいいという観衆が自らの首を締めることになるということだろうか。


 歌手で作曲家の平尾昌晃さんが亡くなった。ロカビリーの寵児としてもてはやされた以降歌手として、作曲家としての輝かしい歩みや結核による療養生活を経験してからの人生などはテレビや新聞などで詳しく報じられている。それらの報道では「瀬戸の花嫁」、「霧の摩周湖」、「よこはま・たそがれ」などのヒット曲を飛ばした作曲家としての業績が紹介されているが、私にとっては歌手として歌った「星は何でも知っている」と「ミヨチャン」の2曲の方が懐かしい。中学生2年から3年頃に流行った曲で前者は「生まれて初めての甘いキッスに・・・」という歌詞が恥ずかしくて自分で歌うことはためらわれた。一方「ミヨチャン」の方は親しめる失恋の歌で、これはよく歌った記憶がある。
   その後人気作曲家となり、歌謡コンテストなどの審査員によく登場してアマチュアの出場者には優しいコメントを送っていて、遠慮なく辛口の評価をする故船村徹さんとは好対照をなしていたことを思い出す。
   享年79歳、死因は肺がんだったという。


   昨日・今日、国会の衆参両議院で加計学園問題や稲田防衛相に関する疑惑を巡って閉会中審査が開かれたが、多くの国民にとって疑惑が晴れることはなかった。野党側議員の質問に対して安倍首相や政府・官邸の答弁は「知らぬ・存ぜぬ」一点張りで、質問者側も決定的”証拠”を突き付けらず、疑惑が晴れないまま逃げ切られた感じである。 

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