フォレスタの散歩道(パート4へ) 東日本大震災の20日前、2011年2月にスタートしたこのブログも1000回を超えた

概ね2~3日毎の更新、1回に3題の記事をめどとして来たが、以後間隔や記事の数などに捉われずに更新することとしたい。

大分旅行余話(続)=釣りの名人/朝ドラ”第二場”が楽しかった

2017-06-07 09:59:12 | 日記

   先の大分旅行の余話として2人のゴルフ名手の話をした。今回は釣りの名人の話である。
   私が工場勤務時代に最も好きになったことはゴルフではなく海釣りである。工場は旧海軍の飛行場跡地に県が誘致して建設された臨海工場で、のどかな時代には工場護岸で釣りをしたりウナギ取りをしていたこともあったそうだ。工場の沖合の海や近辺の浦々、突堤などは格好の釣り場であった。従業員の中には遊漁船を持つ者も少なくなく、私もそうした従業員によく釣りに連れて行ってもらった。中でもNさんにはいい思いをさせてもらっていたので工場のOB会でぜひ会いたかった。体調がよくないと聞いており、欠席なら家を訪ねたいと思っていたが出席者名簿に名があったので嬉しかった。彼もまた私の名を見つけて喜んだそうで、会場で見つけると室外に出て話を交わし互いに用意して来た土産を交換した。彼はやはり体調が良くないそうでそこで退席をした。
   さてNさんとの釣り話になるが、彼は工場の釣り好きの間では一番の名人と認められていた。工場の仕事が本職だが漁師の資格も持っていてその辺の海の事情についてはプロなのである。グラスボート(プラスチック製の軽量船)主流の時代になっても木造船に乗り続けていた。魚群探知機でその日の釣り場を見つけるのに対して、昔ながらのヤマタテ(周囲の山や島の位置から錨を打つ位置を定める)によっていた。コツコツかつ的確な仕事ぶりで職場や上司の信頼を得ていた男だが釣りでも共通していた。私と彼とは職場での上司・部下で始まったが、同い歳のよしみの方が深かった。気が合ってよく釣りに連れて行ってくれたのである。同じ船で釣っているとよく「来た来た来た!」とか「おおっ、また来た」「でかいぞ、これは!」などと声を上げる者がいるがこういうのは大した釣り手ではない。彼の場合は黙って淡々と・・である。そして上がってみると、明らかに彼の釣果は他を圧倒している。2人だけで何度も行った。イカの夜釣りに出た時、深夜に濃霧で全く何も見えなくなったこともあったが、彼と一緒なので不安が起きなかった。
   釣りだけでなく私の家に遠来の客があると、クルマエビやサザエなど朝獲れたものを届けてくれたりもした。海のいい思い出を残してくれたNさんであった。

   NHKの朝ドラ「ひよっこ」は第三場に入った。家内が毎朝視ている朝ドラの中でこのドラマは私も面白くてよく視る。第一場は主人公みね子が育った”奥茨城”が舞台、第二場ではみね子が集団就職で上京した工場での生活、特に「乙女寮」の同室の仲間の喜怒哀楽が描かれた。私はこの同室の仲間たちが大いに楽しかった。みね子と同郷で仲良しだった女優志望の時子は美人でかつ優しい。集団就職の列車で知り合った澄子は福島の生まれで気弱そうな少女。上野駅で合流した豊子は中学では体育以外オール5の成績ながら家の事情で進学が許されなかった青森出身の自信家。この4人に寮の部屋の先輩幸子が織りなす展開が面白かった。特に丸メガネをかけ、背を少し丸めて自信がなさそうな半面食欲旺盛な優子がたまらなく可愛らしかった。それに、みね子がまだ探しあてぬ父に対して心中を吐露するつぶやきに吹き出したりした。
   それが、就職して1年もせずして工場が倒産、4人はバラバラになって次の仕事に就いて行った・・・というところで第三場に入った。 

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