フォレスタの散歩道(パート4へ) 東日本大震災の20日前、2011年2月にスタートしたこのブログも1000回を超えた

概ね2~3日毎の更新、1回に3題の記事をめどとして来たが、以後間隔や記事の数などに捉われずに更新することとしたい。

8月、私の甲子園観戦

2013-08-01 18:00:03 | 日記

   今日から8月。昨日テレビを見ていた家内が「ええっ、これから8月になるのか」と呟いたほど、真夏に入って相当日が経った気がする。夏はまだまだこれから続くのか・・・。

   夏の風物詩、甲子園の高校野球の出場49校が揃い、8日から熱戦が繰り広げられる。
   昨年の大会を沸かせた大阪桐蔭の藤浪投手や花巻東の大谷投手はプロ野球で既に活躍中、一試合22三振4試合68三振を奪った桐光学園の松井投手は予選で姿を消したが、春の準優勝校済美で熱投した安楽投手は再び甲子園に勇姿を現す。

   ところで私が実際に甲子園球場で観戦したことは一度しかない。親類縁者が出場するようなこともなく、遠路甲子園まで出かけて観戦する動機もなかったからだ。そのたった一度の観戦は九州(大分)勤務の時のことだった。
   1970年8月、折しも大阪万博が開催中のこと、東京出張の帰りの休日を利用して万博見物と併せ高校野球を観戦したものである。 その大会のお目当ては和歌山簑島高校の島本講平選手。春の選抜大会ではエースで4番として優勝し、前年夏の三沢高校の太田幸司選手フィーバーに続いてのヒーローになっていた。この大会でも随一の注目選手で特にそのバッティングに注目が集まった。私もこの簑島高校の試合を観戦、対戦相手やバッティングの結果は覚えていないが、島本選手が左打席に入ると右翼手がライトフェンス近くまで下がって深く守ったことをはっきり記憶している。
  その島本選手はプロでは外野手に転向。ドラフト1位で南海ホークスに入った後、近鉄バッファローズに移ったが大成はしなかった。
  今を去る43年前の甲子園である。  

[今日の花]

   
                オシロイバナ白粉花:オシロイバナ科)

  
    ヒマワリ向日葵:キク科)      アガパンサスムラサキクンシラン:ユリ科
                           分類法によりヒガンバナ科、アガパンサス科とも言う

 

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