ロシアのプーチン氏が初めて首相に指名され、権力者になってから9日で満十年を迎える。ロシアのマスメディアは今も実力者として君臨するプーチン氏について特集しているが、「巨大な権威者」と絶賛するメディアと「エリツィン初代大統領の大いなる間違い」とけなすメディアに分かれている。
プーチン氏が故エリツィン氏から首相に指名されたのは1999年8月9日だった。当時は連邦保安局長官を務める閣僚だったが、国内でもほとんど無名に近い存在だった。世界中が「プーチン、フー?」(プーチンって誰?)と驚いた、異例の首相指名だった。
ところが、4ヵ月後にはエリツィン氏が突如大統領を辞任、プーチン氏を大統領代行に任命、3ヵ月後には大統領選に当選したのだ。それから2期8年間、大統領を務め、ロシアを文字通り復活させたのだ。任期満了を機に側近のメドベージェフ氏を後任に指名、自分は首相に戻って二人体制で国政を運営している。
プーチン氏を絶賛する独立新聞は「プーチンの最初の十年―分離主義の断末魔から国家神話へ」というタイトルの署名論文のなかで、長期政権の要因として歴史的な好条件のめぐり合わせと、有権者の気分に合わせる類いまれな勘の良さを挙げている。具体的に言うと、どんなときでも相手に即応できる能力を持っていて、役者に負けない感動的な場面を生み出せると、べた褒めしている。これがいまだに政治家の中で一番高い支持率を維持している秘訣らしい。
ところが、モスコー・タイムズ紙に掲載された政治アナリスト・キセリョフ氏の論文よると、プーチン氏は内政面では権威主義を推し進め、汚職と民主主義では世界最低レベルの国に入っており、外交面では日露戦争前夜のような「戦争と革命」が迫っている状況にある、ということになる。
プーチン氏がソ連崩壊を「歴史的な誤り」と決め付け、「大国ロシア」復活に向けて献身的に働いていることは間違いないが、その影で民主主義や国民の基本的人権が犠牲になっていることも明らかだ。今後、プーチンとメドベージェフの二人体制で現在の経済危機を克服し、次のステージに上がれるかどうかが正念場だ。
プーチン氏が故エリツィン氏から首相に指名されたのは1999年8月9日だった。当時は連邦保安局長官を務める閣僚だったが、国内でもほとんど無名に近い存在だった。世界中が「プーチン、フー?」(プーチンって誰?)と驚いた、異例の首相指名だった。
ところが、4ヵ月後にはエリツィン氏が突如大統領を辞任、プーチン氏を大統領代行に任命、3ヵ月後には大統領選に当選したのだ。それから2期8年間、大統領を務め、ロシアを文字通り復活させたのだ。任期満了を機に側近のメドベージェフ氏を後任に指名、自分は首相に戻って二人体制で国政を運営している。
プーチン氏を絶賛する独立新聞は「プーチンの最初の十年―分離主義の断末魔から国家神話へ」というタイトルの署名論文のなかで、長期政権の要因として歴史的な好条件のめぐり合わせと、有権者の気分に合わせる類いまれな勘の良さを挙げている。具体的に言うと、どんなときでも相手に即応できる能力を持っていて、役者に負けない感動的な場面を生み出せると、べた褒めしている。これがいまだに政治家の中で一番高い支持率を維持している秘訣らしい。
ところが、モスコー・タイムズ紙に掲載された政治アナリスト・キセリョフ氏の論文よると、プーチン氏は内政面では権威主義を推し進め、汚職と民主主義では世界最低レベルの国に入っており、外交面では日露戦争前夜のような「戦争と革命」が迫っている状況にある、ということになる。
プーチン氏がソ連崩壊を「歴史的な誤り」と決め付け、「大国ロシア」復活に向けて献身的に働いていることは間違いないが、その影で民主主義や国民の基本的人権が犠牲になっていることも明らかだ。今後、プーチンとメドベージェフの二人体制で現在の経済危機を克服し、次のステージに上がれるかどうかが正念場だ。