生きているということは、いろんな不具合とも遭遇する。それをどうとらえるか、小生の場合は、不整脈を起こしたことで、冠状動脈のつまりが発見されたし、生活環境も外部の支援をうけることができる条件ともなり、そのことで、生活の質は、格段にあがった。
妻もしかりで、おかげで、趣味の世界にトライできる環境もできた。人間らしい生活にようやくなってきた感がある。母も当初は、家に戻りたい気分をみせていたが、今や、施設の職員の暖かい処遇に感謝し、同時に我々夫婦に対しても、従来のような召使的な感覚からは、すっかり脱して、感謝のことばが自然にでるようになってきた。
そう考えると、不整脈は、苦しかったけれども、結果的に「よかった」とも言える。病気がいいというのは、おかしいけれども、悪いことばかりではないということは出来る。
そう考えると、もう、年齢も年齢だし、友の幾人かはあの世にいっていることから、だんだん現実のものとして、生存期間が幾ばくも残されていないことに気付く。そして、それもまた、人生の仕組であり、受け入れる感覚もできてきているような気もする。
残された期間、世のため人のために、なすべきことをしていかなくてはならないが、これは、まだまだで、自分にできることを探し、実行していきたい。