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空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

ジタバタはしないが

2016年01月15日 10時33分44秒 | 思考試行

生きているということは、いろんな不具合とも遭遇する。それをどうとらえるか、小生の場合は、不整脈を起こしたことで、冠状動脈のつまりが発見されたし、生活環境も外部の支援をうけることができる条件ともなり、そのことで、生活の質は、格段にあがった。

妻もしかりで、おかげで、趣味の世界にトライできる環境もできた。人間らしい生活にようやくなってきた感がある。母も当初は、家に戻りたい気分をみせていたが、今や、施設の職員の暖かい処遇に感謝し、同時に我々夫婦に対しても、従来のような召使的な感覚からは、すっかり脱して、感謝のことばが自然にでるようになってきた。

そう考えると、不整脈は、苦しかったけれども、結果的に「よかった」とも言える。病気がいいというのは、おかしいけれども、悪いことばかりではないということは出来る。

そう考えると、もう、年齢も年齢だし、友の幾人かはあの世にいっていることから、だんだん現実のものとして、生存期間が幾ばくも残されていないことに気付く。そして、それもまた、人生の仕組であり、受け入れる感覚もできてきているような気もする。

残された期間、世のため人のために、なすべきことをしていかなくてはならないが、これは、まだまだで、自分にできることを探し、実行していきたい。


困難を困難とせずに生きる

2016年01月14日 09時53分14秒 | 思考試行

常人ではできないことをして、常人とは違う境地にいたり、そこから芸が生まれる、と考えている風の芸人がいる。芸人といえば、リスペクトしている呼称のイメージがない。時に滅茶苦茶をするのが芸人というイメージである。

タレントといえば、かなり、その地位があがりそうだ。才能というのだから、それは、肯定的であることは確かである。いずれにしても、多数の観客を笑わせたり、楽しませるのは、容易なことではなく、ために、莫大なギャラが発生するのであろう。人を笑わせ、楽しませることが、価値あることと認められているのである。

確かに、健康のために笑いは、人間の体にとっていいことのようだ。いつも、くよくよ悩んでいるよりも、通常常識的に考えて、誰もが困難と思えることがあっても、ニコニコ笑っていられる人は、幸せだろう。

概ね、人生は楽しく過ごせるならば、それに越したことはない。どんな困難があろうと、それを楽しくとらえられるならば、それは、困難とは言わない。

それが、悟りという境地だろうか、科学技術の進歩とともに、考え方のことでも進歩して、人類社会がよりよいものになるように願うばかりである。


信用してはいけない人

2016年01月13日 22時32分41秒 | 思考試行

どうあっても、結論を変えずに、対処するとすれば、こういう相手は、まことにやりにくい。嫌なものは嫌であり、その嫌な相手がどう反省しようと、改善しようとそんなことは、関係なく、ともかく嫌とするのである。

こんな相手にであったら、どうするのが正解だろうか。こういう相手は、もはや敬遠するしかない。敵対する必要はなく、すみやかに、離れることである。相手に意図がある場合は、なおさらである。

こういう相手こそ、敬遠しなければならない。この相手は、無条件に、何でも自分の言うことを聞くようにする意図を持っているのである。相手が喜ぶことは、こちらが奴隷になることだけである。

こんな相手に合うのは、まさに不幸な状況であるが、こちらがそれを見抜いた時に、すみやかに、対処しなければならない。相手は、さまざまな力を行使してくる。策略を講じてくる。これら全てを見抜いて、対処していかなくてはならない。

こういう変な相手は、けっこういる。注意深く見なければならない。そして、この判断を間違っている人も、結構いる。一人の人間として独立していないのである。どこかに帰属して、そこを頼りに生きているのである。奴隷になっているのである。こういう人は信用してはいけない。と私は思う。


一人では何もやれないと思っているのか?

2016年01月12日 11時25分53秒 | 思考試行

一人では何もやれないか。そんなことはない。もちろん、限界はあるし、やり方がある。よくみれば、一人の力は偉大である。とりわけ指導者に、適任の人を得るならば、その効果は計り知れないほど大きい。

逆に、暗愚の指導者があらわれると、これは悲劇である。今の政治は、政治家がやるように見えているが、実は、中央省庁には、人事の継続があって、行政は積み重ねの実績のなかで、権力を握ったからといっても、おいそれと、変更はできない。

だが、積み重ねを否定し、論理を捻じ曲げるならば、なんでも可能になる。憲法があっても、議会の多数を占めたことで、憲法の解釈を変えて、集団的自衛権の名の元、戦争が可能とする法案を安部政権は、強行成立させた。

内閣法制局が積み上げてきた憲法解釈を投げ捨てさせ、いいなりになる官僚をトップにすえたのである。

もはや、なんだってできると、安部首相は思っているだろう。今度の参議院選挙で勝てば、憲法を変えると言い出している。マスコミは、平常どおり、国民もあまり騒いではいない。このままでは、果たしてどうなるのだろう。

小生は、もはや老人である。それほど自覚はないが、明らかに年齢はそうだ。いまから兵隊に行くことはないだろう。歩くこともバランスが悪く、注意が必要である。どうなろうと関係ない。

だが、若者達や、外国の無辜の民を思えば、戦争なんてしてはいけないのは当然だ。計り知れない悲劇を生み出すことは自明である。世界から、争いを根絶しなければならない。平和に暮らせるようにしなくてはならない。

日本は、戦争しないとはっきり決めている。おしつけられたものであろうと、敗戦で勝ち得たものである。今の憲法条文からは、どうやっても戦争はしないし、できないことになっている。これこそ宝物である。

これを持って、世界を説得しなくてはならない。エライ国なのである。それで、殺されるのなら、人類は存続を、継続する資格はない。堂々と死んでやろうじゃないの。


とんでもないことが進行

2016年01月11日 10時04分00秒 | 思考試行

地球環境の変化、政治情勢の不安、人類はかつてない存続の危機を迎えつつある。政治家は、この事実を知らないのか、まったく頓着していないように見える。とりわけ、北朝鮮の動向をみるならば、まったく関心がないようだ。

みづからを守るために必死であるともみえるが、粛清をどんどんやって、恐怖政治をやっているところをみれば、こんなところが火種になってしまいかねない。

日本政治も、経済のバラマキなどで、目くらましをしながら、憲法改悪を公然と表に出してきている。次回選挙で、議席の多数を締めれば、直ちに、実行に移すに違いない。

あちこちと、滅びへの道を歩み始めている。その命運をにぎるのは、ひとりひとりの国民である。こんどは18歳以上の人間にその投票権がある。戦争をしないさせない態勢を作ることができるかどうか、選挙の意味が非常に重くなっている。

 


殺し合いを認めたくない

2016年01月10日 10時10分38秒 | 思考試行

人々が生きていくのに、なぜ水爆が必要なのか。なぜ、拳銃が、ライフルが必要なのか、そんな世界から、脱却して、助け合いで生きていけるのなら、その方がいいではないか。

なんで、戦争しないという憲法をかえて、戦争できるようにするのか。選挙で、多数ともいえない支持でも議席さえとれば多数だなんていう制度を平気で実行している現状が放置されているのか。

こんなことをいつまで許しておくのか。選挙制度は、民意を反映する制度でなければおかしいだろう。そもそも民意なんてどうでもよくて、自分達が考える方向へと、政治をすすめることだけに、考えがいっている。

世界は、急速に怪しくなってきている。どこもかもが変調である。このままでは、本当に人類の存亡に関わる。このままでは、せっかくの人類の努力、成果がもろくも崩れ去る。

方向がおかしいと考える人もいる。アメリカでは、弱者に目をむけた大統領候補者がでてきた。当然であるが、今まで、出てこなかったのが不思議である。

それにしても、価値観の多様ななかで、誰もが納得できる生き方、価値観はできないものだろうか、それは可能だと思いたい。さもなければ、滅びるほかないのだから。


注目されると嬉しいものだ

2016年01月09日 09時25分36秒 | 思考試行

なんでもいいから、注目されると嬉しいもの。小生もそんな経験をしたことがある。とくにコンクールとか作品の応募とか、そんなもので、入選となると、嬉しいのである。

そして、そのことが、今後の生活に明らかに影響をもたらしそうである。身内が熱くなる感覚がある。そして、家族のうれしい反応。

すべて、いい方向へ向かう感じがある。

努力しようという気になる。オリンピックとか、そんな大きな舞台でなくていい。毎週発表される番組で、読み上げられただけのことであるが、それが嬉しいのである。

そういう意味で、何か趣味を持つことは、意味があると思う。特に老後は。


新しい傾向が見え始めている

2016年01月08日 08時57分40秒 | 思考試行

政治、経済についての政策は、どこで決められているのかは、庶民がその決定に参加していないのみならず、その意向も反映はしていない。

労働者と資本家では、その利害が反するので、その意見が一致することはない。主には、力関係で決まる。

選挙で労働者サイドに立つ政治勢力が権力を握れば、かなりの是正が可能と思われるが、現実に、企業の実権をもち、雇用関係のなかで、圧倒的な優位性をもっているから、日常的な支配関係が、選挙行動にも反映しているのだろう。

ものの考え方、情報の捉え方についても、支配者側の論理が浸透していると思われる。労働者側が、自らの価値観、きたるべき社会構造、理論を構築することは、極めて困難である。

だが、現実社会の悲惨な状況から、これを放置できないと考える人は、必ず登場するし、現にいる。この息吹は、じんわりと影響してきている。アメリカの大統領選に、民主社会主義を標榜する候補者が現れている。

これは、新しい傾向であり、兆候であるとみえる。その動向に注目したい。


北朝鮮の「水爆」実験

2016年01月07日 09時34分31秒 | 思考試行

フセイン、カダフが倒されたのは、核を持っていなかったから、という話がある。事実はどうなのかは、もちろん分からない。そうだとすれば、自国の安全を守るために、敵対する政権があるところは、核を持とうとするのは、当然にみえる。

国際規定がどうのこうの、といい、今持っている国は、そのまま核を持ち、これから持とうとすると、制裁の対象となる、というのは、不公平な話である。

だが、そんなものをどこの国もがもって、事故でもおこれば、人類の破滅につながるような、とんでもない武器を、今後どうするのか。

みんなで無くしていくことが、正当というか、真っ当な考え方であることは、誰の目にも明らかである。しかし、そうはならない。

いずれ、人類は、このままいけば滅びる。太陽系そのものも巨視的には、永遠ではなく、ここから抜け出さなければ、永遠とはいえず、宇宙のそこここでも、永遠とはいえないから、いずれ、どこかの時点で、滅びるほかないのかもしれない。

西暦で、わずか2016年目という現在だが、その前にも時間は流れていた。地球全体を問題にできるようになったのは、短い時間の間ではあるが、ここまで進歩してきたのであるから、もう少し、さらなる進歩を期待したいものである。

事実、日常生活では、少しずつ進歩はしている。文明的になってきている。いろんな分野で技術の進歩がみられる。このまま、簡単に滅びさせるのは、チョット惜しい気がする。


俳句から

2016年01月06日 09時20分03秒 | 思考試行

新聞の俳句欄をみると、選者による選句のダブりは、ほとんどない。短歌欄には結構ダブりがあるのだが、それだけ、多様な選択眼があって、価値観があるということなのだろう。

短いだけに、どれを良しとするかについて、どれもいい、のかもしれない。この多様さは、選者の価値観によるのだが、先生クラスは、共通するような境地があるのかもしれない。

だが、矛盾するような、議論もでてくる。結局は、誰か自分が共感できる先生について、その方の指導のもと、技を磨いていくことが、上達の秘訣なのかもしれない。

確かに、物事に注目し、そこに詩心がわくかどうか、そこが成否の分かれ目であって、注目していると、自然のなかに、見えなかったものが見える、なんの変哲もないことが、生き生きしてみえるということがある。

そこが、俳句の意味というか、効用であるように思う。そこで、句になるかどうかが問題であるが、試行錯誤して言葉を選び、語順を検討するなどする。

うまくまとまり、選句されれば、嬉しいとなる。だが、その選句自体が、客観的に絶対ではないので、あまり深く考えても仕方ないことかもしれない。


多難な人類社会だけれども

2016年01月05日 12時09分56秒 | 思考試行

中東の雲行きが怪しくなってきた。スンニ、シーアと、遠く離れた我々には、解り難い事情もあるのだが、そもそも宗教なんてものは、小生は、重きをおいて考えてはいない。はっきりいえば、人類の作ったものであって、神も仏もない、と思っている。

人類はいずれ、宗教を必要とはしなくなると考えている。モラルであるとか、価値観は、宗教をいれなくても、できる考え方、生活スタイルが可能だと、うっすら考えている。

宗教には、今までの時代においては、前向きな意味もあったと思うし、あるいは、今も、多くの人にとって必要なものであるかもしれないが、いずれ、弊害の方が多いと気付き、そのようになっていくように思う。

大層な建築、飾り、美術、などなど、道具立てに圧倒されるが、その本質は、まさに、空の世界である。あり得べき姿は、ここにはない。こういうものに、すべてを「賭けて」しまえば、争いを避けることができず、本質を見る目を奪われたままになってしまう。

だが、現状では、全面否定だけでは、問題は解決しない。宗教をめぐる闘いなどは、現実的な解決のために知恵を絞る必要はある。お互いの考え方のなかで、その調和点を見つけなければならない。

矛盾を多く抱えたままで、人類社会は、このまま流れてはいかない。いずれどこかの時点で、あるいは、なだらかに変化をしていくだろう。

なんとか、生き延びていく手立て、考え方を人類社会は、手に入れなければならない。できなければ、滅びの道をたどるほかないのである。


和歌山加太の淡島神社へ初詣

2016年01月04日 10時00分05秒 | 思考試行

何年か前に、義母と一緒に、妻と3人で来たことがあった。その日は、風強く、寒くて、人も少なかった。義母はお守りをプレゼントしてくれ、そんな習慣のなかった小生にとっては、新鮮であった。

今年は妻とふたり、思い立って行ったのだが、暖かく、風穏やかで、人出も多かった。社殿の前に、並んで参拝の順番を待つ。すぐ後ろに、若い外人の男と、カップルの女性がいて、英語で、お賽銭の「5円」の説明をしている。

いらなくなった人形を納める神社として有名で、いたるところに、人形や置物の類が置かれていて、異様であるが、日中のことでもあり、それほど不気味さはないが、これは、静かな夜など、凄まじい光景になるだろう。

何年か前にもとめた漁港の一部に車を止める。「整理料」として、700円の料金を払った。駐車料でないのは、何か意味があるのだろうか。いずれにしても、結構スペースがあって、スムースに車をとめられた。

参拝を終えて、車にもどると、国民休暇村が山のてっぺんに目立って建っている。そこで、お茶でもと車をだす。こんなに近くだったかといいながら、数年前も同じコースとたどっているのだが、記憶はない。

風景は、そんなに大きな変化はなく、休暇村は、これから増築にはいるという、温泉も掘っているらしい。少しずつ変化はあるのだ。


おだやかでいい正月のスタート

2016年01月03日 15時32分54秒 | 思考試行

といえば、いいのであるが、この暖かさこそ異常気象なのではと思ってしまう。人間社会だけではなく、環境問題から、人類の破滅だって考えられる。

すべての人間が助け合って、平和に暮らすことが、こんなに大変なことであるとは、みんな知っているのだろうか。車の運転をしている者が、自己本位の仕方をしていて、血相変えて怒鳴っているのをみると、やれやれを通り越して、これはヤバイぞと感じる。

憲法を変えて、戦争の出来る国にしようと考えている連中が、議席のうえで多数をとると、まことに危険なことになる。ムードにのせられて、一旦彼らに権力を渡してしまえば、彼らは、まっしぐらに、「日本の復活」とかなんとか言い始めるに違いない。

平和ボケといったり、公務員攻撃を展開したり、その兆候ははっきりしてきている。国民が本当に、賢くなって、自分の意見をもち、真に、人類社会のことを考え、行動するならば、あんな芝居じみた連中の思惑にのることはないはずだが、それは、過去の事例が教えるように、それほど簡単ではない。

しっかりと事態を見据えながら、地に足をつけて暮らして行こう。


母の「進歩」

2016年01月02日 10時34分33秒 | 思考試行

新年最初の訪問をした。ベッドに母は寝ていた。弱っていた頃と同じ寝姿、表情である。ゆすって起こすと、目覚めて、すぐに笑顔となる。ここが、以前と違う。

背中に手を入れて、起こす。賀状を読むために。

一通り、読み終えて、こちらは、カレンダーを、取り付ける。

宮尾登美子さんの随筆を読み終えたといい、代わりの本の所望の雰囲気をだす。まともに頼まない癖は、変わらないが、こちらから、提案の形をとる。

みんなに、復活したことを言われることが、まだ続いているらしい。9月入所の際は、もう駄目と誰もが思っていたのだから、いつもその話は、新鮮である。こちらもそうである。その話なら、何度しても、構わない。

趣味の世界をひろげることを提案。すぐには、無理かもしれないが、本人の意欲は高まっている。これは、見たことがない風景である。こんな風景が見られるのも、施設の存在が大きい。

個々の家庭では、ぜったいに無理である。こうなると、入所の決めてとなった自分の不整脈のおかげともいえる。不思議なものである。

 


おだやかな年であることを祈りつつ

2016年01月01日 15時52分50秒 | 思考試行

昨年は、個人的にも、健康を害したり、外部的な条件がいろいろとあって、また、母親の介護のこととか、本当に変化に富んだ年だった。

今年は、健康に留意し、母親の恒常的な介護からは、妻も解放されたわけで、いわば本当の自分の人生を妻ともども、味わっていきたいものだと思う。

母は、社会的な勉強もできるようになったせいか、人格的にも明らかに成長してきている。「感謝」を言うようになってきた。

以前は、自分が何をしてきたかを強調するばかりで、とくに妻はないがしろにされ、あたかも自分の命令によって自由に使える存在と錯覚していたようである。

したがって、感謝なんてとんでもないことで、長年いろいろやってもらっていたにもかかわらず、周囲には、そうはいわないため、それを知らない周囲から、思わぬ誤解を受けたこともあった。

時すぎて、誤解していた人も他界し、あれもこれも、今となっては、何の意味をなくなったが、母親が人格的にまともになっている姿をみることは、好ましい。

さまざまなことが、いい方向に向かっているように、感じている。世界も日本も、そして、我々も、おだやかな一年であるように願う。